始まる(5)
さすがに「祭」と言うだけあって、文化祭当日の学校は普段以上の盛り上がりだった。
文化祭と言えば、高校生にとっては楽しみなイベントの一つ。体育祭、修学旅行、文化祭。普段の学校とは違う特別な景色。特別な空気感。そんな特別な雰囲気に自然とキラキラしたフィルターがかかる。
校門の前には大勢のチラシを配る学生と、他校の制服を着た学生や一般の見物客で溢れかえっている。少し視線を上に向けると、「蒼輝祭」と大きくポップな文字で描かれた看板が存在感を放っている。
確かにこれだけ人がいれば制服を着ていても学生に紛れ込めるかもしれない。ただ、知り合いに遭遇するリスクは格段に上がるけれど。
それにしてもこんな人混みの中で高坂さんを見つけられるだろうか。そう思いながらいつもの位置で待っていると、ツンツンと肩を突かれた。
「お待たせ」
いつもどこから現れるのかわからないから内心とても驚かされる。
彼女は僕の顔をじっと見つめ、何かを訴えかけてくる。「分かるでしょう、例のあれだよ」とその目は言っている。僕にも実は心当たりがある。あまり言いたくないけれど。
「……ううん。僕も今来たところだよ」
そんなわけない。十五分は待った。
「よかったあ。ありがとう太陽くん」
どうやら僕の答えは正解だったらしく、彼女は満足そうに笑う。しかし、このセリフの良さが僕には全く分からない。
校門をくぐって校舎にたどり着くまでに、何枚ものチラシがあちらこちらから飛び出してくる。縁日、お化け屋敷、ステージ発表、カフェ。どのチラシも鮮やかで華やかだ。
「まずはこれに行こう!」
彼女は張り切った様子で僕に一枚のチラシを見せた。
「……コスプレ衣装貸出?」
「そう! やっぱり文化祭といえばコスプレよ」
「いや、今のこの制服姿もコスプレしてるようなもんなんだけど」
控えめに言って、すごく行きたくない。
しかし、僕の願いは届くはずもなく、強引にコスプレ衣装を貸し出している教室まで連れていかれる。
「いらっしゃいませ~」
足を踏み入れた途端に、数人の女子高生がそれぞれ動物やら看護師やらのコスプレ衣装を身にまとい、にこやかに挨拶をしてきた。
「わあーすごい!」
高坂さんは一段と目をキラキラとさせて教室中を見渡した。
「あれ? うちの学校の人ですか? 見たことないな」
受付に立っていた女子高生が僕らの顔をジロジロと見て首を傾げる。僕は咄嗟に顔を隠すように下を向いた。
「まあいっか。じゃあ衣装、選んじゃいましょう! 電話番号を書いてもらって、その後に衣装をお貸ししますね。返しに来た時にまた受付に声をかけてください」
受付用紙に僕の電話番号を書くとそのまま教室の中へと案内される。
「カップルさん入りまーす」
「え? カップルじゃないんですけど」
女子高生たちは僕の話を全く聞こうともせずに、何やら真ん中に丸い穴が開いた大きめのボックスを持ってきた。
「この箱の中にはペア衣装が書かれた紙が入ってるんで、一枚引いてください!」
高坂さんは言われるがままにくじ引きを引いてしまった。
紙を一枚取り出し、女子高生に渡すと「少々お待ちを~」と言っておくに奥に行ってしまった。数分後、戻ってきたと思ったら衣装を抱えていた。
「じゃあこれどうぞ~」
僕と高坂さん、それぞれに衣装を渡し、手作りであろうフィッティングルームにて着替えさせる。
僕はしぶしぶ制服を脱ぎ、着替えようと衣装を広げると失礼極まりない声が思わず零れ出た。
「げ……これは無理があるだろ……」
肩についている金色のヒラヒラしたものはなんなんだ。白のジャケットも目立つのに、さらには赤いパンツに、たすきまで。ベルトもキラキラと光っていて目がチカチカする。
恥ずかしい。恥ずかしい。制服以上に恥ずかしい。着た自分を思わず想像してすぐにその想像を頭から追い出す。
隣のフィッティングルームからは「かわいい!」と喜びの声が聞こえてきていた。
しばらく衣装とにらめっこしていると、カーテンの外から高坂さんが先に着替え終わったらしく僕を呼んだ。
「ねえ太陽くん、まだー? 開けちゃうよ?」
「え?! ちょっと待って、開けないで!」
もう既に手をカーテンに手をかけて開ける準備万端の彼女のシルエットに、焦りながら僕は着替えた。嫌で嫌で仕方がなかったけれど。
「もう時間かかりすぎ! 開けちゃうからね!」
高坂さんが勢いよくカーテンを引っ張り、次の瞬間に僕たち二人は対面することになった。突然のことで恥ずかしがる間もなく、彼女の姿が目に入る。
綺麗な水色のドレスに、アップにした髪を彩るドレスと同じ色のカチューシャ。足元を見ると透き通ったガラスで出来た靴。
「……シンデレラ?」
「そうみたい! まあ、本物のガラスの靴ではないけどね! どう? 似合う?」
高坂さんはその場でクルクルと回って見せる。細身の身体と色白の肌にそのドレスは良く似合っていた。
「……似合ってる」
ここで意地を張って嘘をついても仕方がないので、正直に僕が答えると少し頬を赤らめて高坂さんは「ありがとう」と言った。
「太陽くんも王子様の姿、似合ってるよ!」
高坂さんに指摘されて、僕は自分が王子様の格好で突っ立ていることをようやく思いだした。途端に恥ずかしさでいっぱいになる。
僕があまりの恥ずかしさで目を逸らすと、高坂さんの近くの机の上に、先程まで彼女が着ていた制服が置かれていた。
これは学生証を取り戻すチャンスなのでは。
そう思い、彼女が衣装に夢中になっている間に、そろりと手を机の上のスカートに向かって伸ばす。もう少し、というところで僕は何故か躊躇した。着ていないとはいえ、女子のスカートに触るのはオッケーなのか。これも変態扱いされてしまうだろうか。そんなことが僕の頭の中をグルグルとする。
「太陽くん」
「は、はい?!」
高坂さんがこちらを向き、急に僕の名前を呼んだため、僕は咄嗟に手を引っ込める。
「これ二時間で返しに来なきゃいけないから、早く行っちゃおうよ」
「お、おっけー」
「どうしたの? なんか挙動不審なんだけど」
高坂さんが気味悪そうに僕を見るので慌てて「何が?」と無理やり平然を装って教室を彼女より先に出た。
自分の学生証を取り返すのに、何故僕がこんなに悪いことをしようとしたみたいな気分にならないといけないんだ。
「はあ……あともう少しだったのに」
僕の憂鬱な気持ちなんて全く気にせずに、高坂さんは「ねえどこから行こうか」とはしゃいだ様子を見せた。
僕たちはお好み焼きやチュロスなどの出店に行きながらスタンプラリーに参加することにした。
相変わらず彼女は小食でどの食べ物も一口、二口食べるだけで、ほとんど僕が食べた。それなのに彼女は僕よりも楽しそうで、幸せそうに笑う。僕はそれが不思議で、それでいて少し心地よかった。
「あ! あれスタンプじゃない?」
彼女が指さした方向のスタンプ台を見て僕は「そうだね」と返事をし、時間を確認した。
「もうすぐ一時間経ちそうだ。スタンプラリーもこれで最後だし、戻らないと」
僕たちは校内のいろんなスタンプラリースポットを巡って、ようやく最後のスタンプ。この集め終わったスタンプカードを持って係員に渡すと景品が貰えるらしい。
「私行ってくる! 待ってて」
高坂さんは嬉しそうにスタンプ台に向かっていき、僕はその後ろ姿を眺めていた。
ドレスの裾を気にしながら歩いちゃって。さながらシンデレラのような振る舞いだな、なんて思っていると歩いてきた誰かにぶつかった。
「すみません」
僕はいつも誰かにぶつかっている気がする。
内心そんなことを考えていると、衝突した相手は「あ」と言った。
「もしかして、和泉?」
そう言われて顔を上げると見覚えのある顔がこちらを見ていた。
僕は数秒間フリーズしたのちに、僕がこの前、なけなしの勇気を振り絞って声をかけた時の彼であることを思い出した。
「この前、大学で話しかけてくれたじゃん!」
「あ……えっと、はい」
「相変わらずよそよそしいなあ。まあ、高二の時も同じクラスだったのに、全然話せなかったしな」
名前は確か、藤原駿介。サッカー部のエースだった彼は人気者でいつもみんなの中心にいるような人間だった。僕はその輪を離れたところから見ているだけだったけれど。
「藤原……くんはなんで文化祭に?」
「くん付けしなくていいよ。弟が高一でさ、忘れ物届けに来たんだ」
「あ、そうなんだ」
「ていうか、和泉のその恰好って王子?」
指をさされて自分の格好を思い出す。大失態だ。僕は今、王子様コスプレで歩いていたのだった。恥ずかしい。顔から火が出そうなくらいに恥ずかしい。
「え? あ、いや、これは僕の意志でも趣味でもなくて……そう! 無理やり着させられていて」
僕が慌てて弁明をしていると、「太陽くん!」という声が聞こえた。
声の方向を見ると高坂さんが僕に駆け寄り、目の前で盛大にドレスの裾を踏んで躓いて僕に向かって飛び込んでくる。
僕は咄嗟に彼女を受け止め、抱きかかえるような状態になってしまった。彼女は僕に抱えられたまま「ナイスキャッチ」と呟く。
「すげー! まるでシンデレラを抱きかかえる王子みたいだな! 和泉の彼女?」
藤原のその言葉が僕の羞恥心を爆発させ、僕は「違う! もう時間だからじゃあまた!」と藤原に言い残し、彼女の細い腕を掴んでその場を去った。
「ねえ、今の誰? あ、太陽くんの友達?」
不機嫌極まりない僕に高坂さんはお構いなしに話しかけてくる。
「ねえ、なんで制服じゃないの?」
僕は制服ではなく、持ち歩いていた私服に着替えて、教室から出た。
もう王子コスプレも制服コスプレも懲り懲りだ。
「ねえってば」
「なんだよ! 友達じゃないよ、あいつは! 制服だって嫌なんだよ! 藤原にも馬鹿にされて、君のせいでこんな恥ずかしい目に合ったんだ。何が青春だ。結局惨めな思いをしただけで、楽しくもないし、迷惑なんだよ!」
あまりにもしつこい彼女に、僕はつい感情に任せて声を荒げてしまった。
僕の声に彼女はビクっと肩を揺らし、驚いた表情でこちらを見ている。
その瞳に僕は、感情をかき乱される。
「もう……僕に構わないで」
何も言わない彼女を置いて、僕は逃げるように家まで走った。
最悪だ。友達ではないけれど、藤原は大学で同じ講義を取っている。そんな彼にあんなコスプレ姿を見られるなんて。大学で変な噂を流されたら堪ったもんじゃない。何にもない僕の大学生活に支障が出る。友達もいない変なコスプレ野郎だと思われる。
僕は自分の部屋のドアを勢いよく閉め、その場にしゃがみ込んだ。そして頭を抱え込み、深い深いため息を吐く。
「ああ、もう……」
少し冷静になり、落ち着いたころに思い出したのは、高坂さんの顔だった。
恥ずかしさのあまり、僕は彼女に怒鳴ってしまった。尚且つ、置き去りにしてしまった。
今頃、彼女はどうしているだろうか。落ち込んでいるだろうか。呆れているだろうか。それとも……泣いているだろうか。
彼女の悲しむ顔を思い出すと、胸が痛み、罪悪感に苛まれた。
今考えれば、少し、言い過ぎたかもしれない。無理に付き合わされたとはいえ、最終的には僕が決めたことだ。本当に嫌だったら、放っておけばいいのだから。断り切れなかった僕にも非はある。いくら学生証を取り戻すためとはいえ……。
「はっ!! 学生証!!!」
すっかり忘れていた学生証奪還の件を思い出して僕は自室で一人叫んでいた。