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青い春の話  作者: 卯月晴
3/14

始まる(3)

 講義を終えて、家に帰ると幸いにも家族はまだ誰も帰宅していなかった。

「確か制服はクローゼットに……あった」

 見つかってしまった制服はクローゼットの奥の方にあった。それを引っ張り出してきて、試しに着てみる。

「うわあ……」

 少し前まで着ていた制服は懐かしい。けれどそれ以上にやはり恥ずかしく、無理がある。

 これは無理だ。せめて、学校の近くの公園で着替えよう。

 僕は制服を高校の時に使っていたリュックにいれて家を出た。

公園に着くなり、周囲を見渡しながらトイレに小走りで駆け込む。誰にも見られたくない。その一心で今までに無いスピードで着替えを済ませ、学校へ向かった。

 約束の時間ぴったりに僕は校門の近くに立っていた。けれど、まだ高坂さんの姿はなく、下校する現役高校生がぞろぞろと校門から出ていく。たまに感じる「あんな人見たことないけど、誰?」という本物の高校生からの視線に僕は縮こまる。

「お待たせ」

 ツンツンと僕の肩を指で突っつき、満面の笑みで、ようやく彼女は現れた。

 もう十分も僕はここで一人恥ずかしい思いをしていたっていうのに呑気な人だ。

「高坂さん。遅いよ」

「ちょっとそこは『僕も今来たところ』って言ってよ。全然青春っぽくないじゃない」

「それのどこが青春なんだよ……」

「次回はちゃんとアオハルなセリフを言ってよー」

 不満そうな彼女もこの学校の制服を着ている。どこでどうやって入手したのだろうか。いやそれよりも、彼女はそのセリフが聞きたくてわざと遅れてきたのかもしれない。だとしたら、僕は怒りたい。

「太陽くん。行くよ!」

 名前を呼ばれ、我に返ると彼女はもう既に校門を通り越して学校の中に入っていた。慌てて僕は彼女の後を追いかける。

「ねえ、高坂さん。勝手に入ったらさすがに怒られるんじゃないの」

「怒られないよ。太陽くん卒業生なんだから大丈夫だって。それにほら制服だし、バレないバレない」

 僕の不安な気持ちを彼女は適当にあしらった。彼女は何故こんなにも平然と、堂々としていられるのだろう。

「まずそこが問題なんだよ。僕は制服を着たくない」

「どうして? 青春と言ったら制服でしょ!」

「いや、そんなことはないと思うけど……」

 彼女の中の青春は制服らしいけれど、決して青春と制服はイコールではない。彼女に青春を教えたのは一体誰なんだ。その人のせいで僕は今、こんな目に合っている。

 一人で恨めしく思っていながら彼女の隣を歩いていると、彼女が下駄箱で靴を脱ぎ始めた。

「まさか校舎の中に入るの? 何のために?」

「うん。教室まで行くよ。みんな下校してるし、空き教室もあるからそこで青春したいなって思って」

 高坂さんは履いていた靴を誰も使ってなさそうな下駄箱に突っ込んで、戸惑う僕を気にせず置いていく。

「ああ……もう」

 ため息をつきながらも僕は下駄箱に靴を突っ込み、彼女の背中についていく。

 ついこの前まではここに毎日通っていた。当時のことを思い出しながら歩いていると、そんなに月日が経ってもいないのに懐かしさが込み上げてくる。

「太陽くん! この教室空いてるよ!」

 高坂さんは普段よりも高い声で僕を呼び、先に教室に入る。相当テンションが上がっているのか、教室に入ると瞳を輝かせた。

「わあー、教室だあ!」

 何がそんなに嬉しいのか分からない僕は全くそのテンションについていけない。

「ねえ! 太陽くんはどこの席だったの?」

「僕? 最後に座ってたのは確か、窓側の一番後ろの席かな」

 僕がそう答えると、彼女はより一層、瞳をキラキラと輝かせる。

「それっていわゆる特等席じゃん! 座ろ!」

 彼女は僕の手を引っ張って、強引に僕を窓側の一番後ろの席に座らせた。そして彼女はその隣の席に座る。

 まさか卒業したあとに、また制服を着てこの席に座るとは思いもしなかった。この席でいつも窓の外をぼんやりと眺めていたことを思い出す。

「ねえねえ。太陽くん」

 突然、高坂さんは息のような小声で僕に話しかけてきた。

「何? 急にそんな小声になって」

「しっ! 授業中に話したら先生に怒られちゃう!」

 人差し指を顔の前に立てて、まるでいたずらっ子のように笑う。僕はそんな彼女を見て、呆れてしまった。

「……何を言ってるのかな」

「いいじゃん。ちょっとくらい付き合ってよ。教科書忘れちゃったから見せて」

 僕を無視して続ける彼女は本当に楽しそうで、はっきりと「嫌だ」と断ることができなかった。

「教科書なんて持ってないんだけど」

「エアーでいいよ。持ってるフリで」

 仕方なく僕は自分の机を彼女の机にピタリとくっつけて、空気で出来た教科書を二つの机の真ん中に置いた。

 小さくため息をついた僕を見て、彼女はとても嬉しそうに「ありがとう」と笑った。

「何ページ?」

「……456ページ」

「あはは。すごい分厚い教科書なんだね」

 教科書をめくる仕草をするその細く白い手は綺麗で、僕とは違う生き物のように思える。それを意識して彼女の横顔に視線を移すと少しだけ心臓が高鳴った。それを隠すように僕は視線を逸らし、机に突っ伏した。

「先生、太陽くんが居眠りしてまーす」

 笑い声を交えて彼女は誰もいない教卓に向かって言った。片手を真っ直ぐにあげて「居眠りはいけないと思います」と言う彼女の姿がなんだかおもしろくて、僕はつい笑ってしまう。

「そんなこと言う人いなかったよ」

 授業中なんてほぼ居眠りしている人だらけだったし、それを指摘しようなんて人はいなかった。

「え? そうなの?」

「うん。寝てる人いっぱい」

「それはもったいないなあ。学校に来て、友達がいて、勉強が出来て、こんなに輝いてることないのにね。青春し放題なのにね」

 彼女は頬杖をついて一点を見つめる。その表情はどこか寂しそうで、悔しそうで。少しの沈黙に耐えられなくなって僕は何かないかと頭の中でその何かを探す。

「あ」

 鞄の中からペンケースとレシートを取り出し、僕は思いついたことを書く。そして丸めたレシートを彼女の机に投げる。

「太陽くん。ゴミ投げるのやめてよ」

「授業中なんでしょ。静かにそれ見て」

 僕は彼女に先程やられたように人差し指を立てた。不思議そうに彼女は丸めたレシートをゆっくりと開いた。その文字を見て高坂さんは驚いた顔をして僕の顔を見た。

「何これ!」

 しわくちゃになったレシートを僕に見せながら高坂さんは笑った。そのレシートの裏には『今日一緒に帰ろう』という小さな僕の字。

「手紙をこうやって回すの流行ってたから、やってみた」

 恥ずかしいし、痛いけれどこれは青春なのではないかと思ってやってみた。もしかして外したか。それなら恥ずかしい。そう思って僕はまた突っ伏す。すると、今度は僕の机にレシートが投げられた。

『いいよ。放課後、校門に集合ね!』

 レシートに書かれた返事を見ると、少し丸みを帯びた字でそう書かれていた。彼女の顔を見ると照れ笑いをしていた。

『了解』

『忘れないでね』

『忘れないよ』

『約束』

『うん。約束』

「青春っぽい! 教室で授業中に秘密の手紙交換! 太陽くん青春したことあったんじゃん!」

 数回やりとりをした後に高坂さんはキラキラした瞳で僕とレシートを交互に見た。

「したことないよ。僕は見てただけ」

 僕の前の席に座っていた男女はいつもこんな風に手紙を交換していた。先生に見つからないようにこっそりと、楽しそうに。それを僕は見ていた。それだけだった。青春の定義なんてはっきり分からないけれど、楽しそうに、大切そうに笑う彼らはキラキラして見えた。

「そろそろ帰ろうよ」

「じゃあ校門に集合ね! だから太陽くんは後から来てね!」

 有無を言わせずに彼女は教室から出て行ってしまった。何故あんなに楽しそうなのか。こんなことではしゃぐような年齢でもないだろう。やはり彼女はおかしいのだ。

 教室の窓から外を見ていると、彼女が校門に向かって歩いてきた。軽い足取りで校門にたどり着くなり、ソワソワした様子で僕を待つ。

「……変なやつ……」

 そう思わず呟いて笑ってしまった。

「待った? って言ってよ」

 僕が校門に到着すると、彼女は何も言わずに現れた僕に不服そうな表情をした。

「君が後から来いって言ったんでしょ」

「分かってないなあ。言ってくれなきゃ私が、今来たところだよって言えないじゃない」

「だからそれの何が青春なのさ……」

 僕の言葉を聞かずにもう歩き出している彼女の隣に駆け寄ると、さっきまでの不服そうな表情は消えて、笑っていた。その顔を見て、僕もつられて笑ったけれど、大事なことを思い出した。

 本来の僕の目的。学生証。

「あの高坂さん。僕の学生証って」

「ああ。これ?」

 何でもないようにスカートのポケットから取り出した僕の学生証を彼女は団扇で扇ぐようにパタパタとしてみせる。

 僕は咄嗟に学生証目掛けて手を伸ばす。しかし目標はパッとそこから消え、また彼女のポケットに隠されてしまう。

「そろそろ返してくれないかな」

「えーなんで?」

「僕は青春したいわけじゃない。その学生証を返してもらうために君に付き合った。もう十分でしょう」

「まだまだ青春し足りないもん」

 僕の気持ちはお構いなしか。ワガママにもほどがある。

「君は、どうしてそんなに青春がしたいわけ?」

 ただの疑問の言葉としてだけじゃなくて、僕の『うんざりしているんだ』という気持ちを込めてそんなことを聞いた。

彼女は考える間もなく答えた。

「青春したことないから」

 は?

 思わず言ってしまいそうだった。何を言っているのかさっぱり分からない。分からないことが多すぎる。苛立ちを抑えるように僕はため息をついた。

「誰もがみんな青春なんてものを経験してきてるわけないし、経験できるわけでもない。悪いけど、青春なんて出来るのは陽キャだけなんだよ。僕も君も青春出来なかったんだ、そういうことだよ」

 青春出来るのは一部の人間だけだ。言うならば、青春もチケット制なんじゃないかと思う。カースト制度の上の人間が繰り広げる自分が主人公の夢物語。それをただ単に彼らが青い春なんて呼んでるだけだ。青春出来なかった僕らはそのチケットを持っていなかった。権利がなかった。

「もう青春ごっこも、気が済んだでしょ」

 高坂さんはいつの間にか僕よりも前を歩いていた。そしてゆっくりと振り返り、僕を真っ直ぐに見た。

「青春ごっこなんて言わないで」

 彼女は悲しそうに言った。

 正直、驚いた。怒ると思っていたんだ。僕を嫌うと思っていたんだ。そんな悲しそうな表情を見せるとは思いもしなかった。

「私の憧れを、夢をそんな風に言わないでよ。私は今日楽しかったよ。太陽くんと過ごせてキラキラしてた」

「なんか……ごめん」

 僕は彼女を傷つけてしまった。そう思って、謝った。人の憧れや夢を否定するのは良くない。そう思った。

「太陽くんは楽しくなかった?」

 そう言われると「楽しくなかった」とは言えない。少しは、ほんの少しは楽しかったからだ。

「……楽しかったかもしれない」

 僕がそう言うと彼女は満面の笑みを浮かべる。

「じゃあこれからも青春、一緒にしようね」

「……は?」

 あまりの表情の変わりっぷりに、僕はサーっと自分の血の気が引いたのを感じた。

 ああ、やられた。

「……騙したな……今の演技だったんだろ……」

「何の話? 太陽くんも楽しくて、私も楽しい。それなら問題無いでしょう?」

 ニヤリとした彼女は立ち尽くす僕を置いて、また僕よりも前を歩き出した。

「問題しかない……」

 あまりにも悲しく、傷ついた顔をするものだから、何か複雑な事情があるのかと勝手に思い込んでしまった。それなのにこの変わり様。まさか演技だったとは。もしかしたら彼女は女優に向いているのかもしれない。

 彼女のところまで急いで追いつき、彼女をキッと睨むと彼女はニコッと笑って「これからもよろしくね。太陽くん」と言った。

 その笑顔に僕は文句すら言えなかったけれど、必ず学生証を取り返して早いところ普通の日常を取り戻すとまた心に誓った。

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