第一話「毒」
薄暗い部屋の中で、一つだけ橙色の淡い松明の火が灯っている。石の壁にぼんやりと反射して、寝室は心地良い空気に包まれていた。
「ねえねえ、お父様。お父様って、強いの?」
小さい小さい少女は、大きな大きな父に問う。
「ああ、もちろん。我輩は魔王だからな」
そう言うと、父の口からコシュー、と空気が漏れる。魔王の父は人型の生命体で、娘も同様だ。しかし、父は常に戦いに備えていなければならず、娘に添い寝をするような時でさえ、鎧や兜といった防具を着たままだ。そのせいか、呼吸をする時はその兜の隙間から音が漏れる。
「魔王? って、どのくらい強いの?」
魔王の父は、娘のその素朴な疑問に答える。
「魔王は……誰にも負けない、『史上最強の支配者』なんだ――――」
――――――――――――――――――――
――――――――
――――
幼少期の頃の記憶がふと蘇る。お父様がまだ私に添い寝をしてくれていた頃だ。あれから十数年、私は大きくなった。父がどれほど偉大な人物だったのか分かるほどに。
『史上最強の支配者』。それは、お父様である大魔王様のことだ。
私が産まれた頃には、世界に名を知らぬほどの有名人になっていたらしい。時が経ち、魔族である私たちの国は著しい発展を遂げた。人間族に負けないしっかりとした文明が始まったのだ。それまでは一括りに魔族と言っても他の種族と違って全く統一感がなかった。お父様が魔族という魔族と手を組み、他の種族との長い戦争により、今の地位を勝ち取ったのだ。
エルフ族のような大魔法の研究が進み、ドワーフ族が持っていた武具の生産技術を国中に広めることが出来た。小人族の錬金術も、獣人族の野生解放による変身も、私たちの国は(向き不向きはあれど)誰もが利用できるようになっていた。ハッキリ言って、負けることはありえなかった。
どの時代にも「魔王と呼ばれる者が現れた時代には、勇者が生まれ魔王を討ち果たす」なんておとぎ話があって、私の時代にもそいつは現れた。
お父様が築き上げていった村を、町を、城を、全部全部壊していった。
お父様が直接鍛えた精鋭も尽く返り討ちにあった。
それでも魔王城にいるお父様を見て心配している私に「お前だけは必ず守らなくてはならない。だから我輩は城を出ることはできない」と言って、常に気にかけてくれた。
でも、気付けば魔王城まで、奴らは迫っていた。
お父様に逃げろと何度も言われたが、お父様が負けるところなんてとても想像できなかった。きっとお父様なら返り討ちにしてくれる。お父様が負けるはずない。そう伝えると、お父様は私を玉座の裏へ隠してくれた。私を人間族に見えるように魔法をかけて。万が一お父様が敗北しても、人間族の姿なら殺されないだろうと。
しばらくすると、玉座の間のお父様に合わせて作られた大扉を勢いよく開かれた。
「おい! お前が魔王か!」
私と同じくらいの年齢の子が、白く光り輝く剣を持って現れた。その顔は、正義に覆われていた。
「ふん、魔王でなくても殺すつもりだろう」
玉座に座ったまま、そう言うお父様の声色は、少し寂しそうだった。
「ここまで来るまでに、我が四天王が相手をしただろう」
「ああ、会ったよ。だけど」
勇者(推定)がお父様の返事をしようとしていると、後ろに立っていた大男が前へ出る。見た感じ重装備をしていて、タンクって感じだ。
「だが、どいつも苦痛の表情を浮かべていた。お前が彼らを無理やり戦わせる呪いをかけていたのだろう。致命傷を負わせても襲ってきていた」
なんてことなの……!
お父様が私以外に特に面倒を見ていた四人、四天王が操られていたなんて言うなんて! そんな訳ないのに!
お父様は一言「そうか……」とだけ言うと、座っていた玉座からゆっくりと立ち上がった。
立ち上がったお父様は本当に大きい。家が二軒縦に繋がっているみたいだ。
「アレン、来ますよ!」
「これで最後の戦いだよ……終わりにしよう!」
二人の男の後ろに居た女の子たちが、気合を入れて臨む。どうやら、勇者はアレンというらしい。
お父様……負けないで……!
勇者は剣を抜き、背後の僧侶へ声をかけた。
「じゃあ、まず毒からお願い!」
ん? 毒? 状態異常攻撃……?
「分かりました! 『ポイズン』!」
い、いやいや、お父様に毒攻撃なんて効かないでしょう? 『史上最強の支配者』なんですから。
「ぐおおおおおぉぉぉぉぉ!!!」
ええええぇぇぇ!!?
毒効いちゃうんですか!? お父様!?
「えっ……魔王なのに効くの……?」
何で毒攻撃を指示した側が驚いてるんですか!?
「ぐ……あと3ターンも続けば致命傷を負いかねん……」
嘘でしょお父様!? 史上最強なんじゃないんですか!?
「ふん……少しはやるようだが……我輩は1ターンに3回行動が可能だ」
そうお父様は言うと巨体であるその体からは想像もできないほどの早さで勇者以外のパーティーメンバーを一撃で壁まで吹き飛ばした。
さすがお父様! と思ったらありえないくらい血反吐吐いてません!? 辺り一面血の海になってますけど全部お父様の血なんですが!?
「しまった……3回行動で毒が回ってしまった……ごふっ……」
あほなんですか!? あほですか!! 毒ダメージで自滅なんて初めて見ましたよ!!
ってそんな場合じゃない! このままではお父様が負けてしまう!
「くっ……なんか分からないがチャンスだ! やられた仲間の分も! 村のみんなたちの分も! 国のみんなの分も……! 全部まとめてこの一撃で――――」
「待ってーーーーー!!!」
お父様は毒で動けない! 私が、私が何とかしないと!
「き、君は……!? 人間の女の子!?」
「な、何をして……!」
そうだった。お父様が私に魔法をかけてくれていたんだった。でも、もう必要ない。
私は、私にかかっている魔法を解いて勇者の前へお父様をかばうように現れる。
「私はお父様、いいえ。大魔王デビギグ・ファーデスの娘。デビギグ・フィンです」
「娘……!?」
「フィン……!」
勇者もお父様も、同じように驚いた表情をしていたけれど、その意味は大きく違っていた。
「きっとあなたはお父様を勘違いしているのよ! 私のお父様は無益な殺生はしないし、国民のみんなのためを思って行動しているの!」
お父様は大魔王である前に、一国王。そして、誰よりも平和を望んでいた。
「この数年だって、魔族は誰かと争っていたかしら!? 略奪行為は!? すべて、16年前の魔族革命戦争で終わらせたのよ!!」
魔族間のいざこざを解決し、国としての体裁を整え、魔族への差別が激しい時代に世界中の国と交渉して平和条約を結んだのだ。ずっと……ずっと頑張ってきた。
「何をいまさら、魔王討伐だなんて……!!」
「…………」
重たい沈黙が続く。私は、勇者の前に立ちながら、側近やお父様が歩んだ国のことを思い出し、涙が溢れ出してしまった。敵の目の前でなんて醜態だろうか。話し合いが通じる相手ならば、こんな所まで来ていなかったろうに。
勇者の鋭い眼光が突き刺さる。死の危険が今更のように襲ってきて、床にヘタレ込んでしまう。
勇者は今一度私の顔を見たかと思うと、次にお父様へ向き直した。
「お義父さん」
は? あなた何を言っているの?
「娘を僕に――」
「断るぅぐはぁーー!」
……勇者アレンはお父様へ土下座して、突拍子もないことを最後まで言う前にお父様の拳に潰された。その亡骸は血で覆われて何も見えなくなっていた。何も見えなくてよかったと思う。
後日、何とか毒を回復させたお父様は、玉座に座りながら珍しく独り言を呟いていた。
「美人への耐性が無いのは、どの種族も等しく同じなのだな」
大魔王の娘、デビギグ・フィンは、絶世の美女であった。