9 逢引!?
東京都健全育成条例などに関する会話は、ストーリーとは全く関係がないので、ご興味がなければスルーしてください。
「おまたせ~。」
「いや、全然待ってないよ。」
土曜の朝、デートっぽいやりとりをしたが、ここは上野家の玄関である。
それに、僕は来るのが少し遅れた美玖を、ほんの数十秒待っていただけだ。
「いってきま~す。」
「いってきます。」
「いってらっしゃい。遅くなるなら連絡をするのよ。」
伯母さんが何か言っているが、買い物をするだけでそんなに遅くなるわけがない。
そう思っていたら、美玖がバッグから小さな箱を取り出して伯母さんに見せている。
それを見た伯母さんは、グーサインを出している。
あの箱には、きっと美玖が昨日買ってきたあれが入っているのだろう。
先が思いやられる。
「ところで、今日は、何を買いに行くの?」
家を出発してすぐ、僕は美玖に尋ねた。
「ウインドーショッピングかな。」
「それ、買い物って言うの?」
「ショッピングに変わりはないから……。」
「まぁ、どうせ暇だからいいんだけど。」
「じゃあ、今日はいっぱい楽しもうね!」
それから僕達は地下鉄に乗って渋谷へやってきた。
渋谷に来るのは久しぶりのような気がする。
僕達は、オープンしたばかりの複合施設に入った。
そして、ウインドーショッピングを始めるのかと思いきや、なぜか渋谷上空二百二十九メートルからの眺めを楽しむことになった。
美玖が日時指定のチケットを買っていたのだ。
用意が良いな……。
というか、買い物をする気がなかったのか?
「美玖お姉ちゃん、馬鹿と煙は高いところへ……。」
「しっ。ここでそんなことを言っちゃ駄目。その諺の意味知ってるの?」
「馬鹿は高い場所に行って喜ぶっていうことじゃないの?」
「違う。馬鹿はおだてにのりやすいという意味だよ。高い所というのは隠喩。今は素直に景色を楽しもうよ。」
「そうだな。」
それから僕達は、ゆっくりと空からの眺めを堪能した。
それから、ちょうど昼時になったのでレストランフロアに行ったが、どの店の前にも長蛇の列ができていたので、センター街へと向かった。
土曜日の昼にセンター街が混んでいないわけがないが、さっきの施設とは比べるまでもない。
僕達は、あまり混んでなさそうなパスタ屋さんに入った。
僕はいつもどおりペペロンチーノを、美玖は散々悩んでカルボナーラを注文した。
美玖は飲食店に来ると、いるも注文に時間がかかる。
「午後はどうしようか?」
「美玖お姉ちゃんに任せる。」
「じゃあ、Hから始まる五文字の場所に行く?」
「え? もう帰るの?」
「ん? ……って、違う! HouseじゃなくてHotelでしょ!」
「ホテルって……。もしかして、美玖お姉ちゃんが昨日買ってきた物を使おうとしているんじゃ……。」
「あら。隼人も期待していたのかな?」
「おまわりさん、この人です!」
「どうしてそうなるの!?」
「淫行でしょ? え~と……『東京都青少年の健全な育成に関する条例』だね。第十八条の六『何人も、青少年とみだらな性交又は性交類似行為を行つてはならない。』ってある。」
僕はスマホを見ながらそう言った。
「うっ。そういうことなら、汐里ともそういうことをしちゃ駄目だよ!」
「するつもりはないけど、条例の第三十条には『この条例に違反した者が青少年であるときは、この条例の罰則は、当該青少年の違反行為については、これを適用しない。』と規定されているから合法だよ。」
そう。
汐里は、精神年齢はともかく、肉体年齢は僕よりも年下なのだ。
「ふっ。これだから素人は。第十八条の六では『何人も』って規定しているから、青少年同士の淫行も成立するでしょう。第三十条でも『当該青少年の違反行為』と規定しているのだから、処罰はされないけれど違法いうべきだよ。忘れているかもしれないけど、私、法学部ですから。ホホホホホ。」
「じゃあ、学校のリア充どもは、皆淫行をしているということだったのか……。」
衝撃の事実だ。
「でも、言われてみればそのとおりだね。隼人が十八歳になるまではプラトニックラブにしておきましょう。」
「プっ、プラトニック……。」
汐里によれば、プラトニックラブといえば同性愛のことだ。
余計な知識を入れられてしまったものだ……。
それから僕達は、店を見てまわって、夕方までには帰宅した。
帰宅すると、伯母さんにがっかりした目で見られた。
*
夕食後、僕は自室で汐里に「東京都青少年の健全な育成に関する条例」について美玖から聞いたことを話した。
話しておかなければ、淫行をする危険性があるからだ。
「その話、誰から聞いたの?」
汐里が不機嫌そうに言う。
「美玖お姉ちゃんだけど。さすが法学部生だよね。」
僕がそう言うと、汐里は部屋から出て行き、美玖を連れて戻ってきた。
「隼人に変な誤解を与えてどうするのよ。」
「何の話ですか?」
「あなた、青少年との性交や性交類似行為が一律違法みたいなことを言ったでしょ?」
「それがどうかしたのですか? 間違っていませんよ。」
「大間違いでしょ。隼人も聞きなさい。性的自己決定権というのは青少年も含めて誰にでも認められている人権だから、公共の福祉に反しない限り、これを制約することはできないというのが大前提としてあるの。」
「だから青少年との性交と性交類似行為をパターナリスティックに制約しているということですよね。」
「それはおかしいでしょう。たしかに、十三歳未満の者との性交等は、本人の同意の有無にかかわらず、強制性交等罪、昔の強姦罪に該当するわ。逆に、十三歳以上の者との性交等は、原則として合法なの。」
「青少年健全育成条例が上乗せ条例っていうことではないのですか?」
「条例で禁止されているのは『みだらな性交又は性交類似行為』でしょ。そして、『淫行』については、福岡県青少年保護育成条例事件で最高裁の見解が示されているわ。」
「それって、明確性の法理が問題になった事例ですよね?」
明確性の法理とは、「刑罰法規は対象として禁止・処罰を受ける個人に対して禁止内容が十分に分かるような明確な文言になっていなければならない」とするアメリカ由来の考え方だ。
「最高裁は、条例の趣旨を『一般に青少年が、その心身の未成熟や発育程度の不均衡から、精神的に未だ十分に安定していないため、性行為等によつて精神的な痛手を受け易く、また、その痛手からの回復が困難となりがちである等の事情にかんがみ、青少年の健全な育成を図るため、青少年を対象としてなされる性行為等のうち、その育成を阻害するおそれのあるものとして社会通念上非難を受けるべき性質のものを禁止することとしたもの』と解した上で、『「淫行」とは、広く青少年に対する性行為一般をいうものと解すべきでなく、青少年を誘惑し、威迫し、欺罔し又は困惑させる等その心身の未成熟に乗じた不当な手段により行う性交又は性交類似行為のほか、青少年を単に自己の性的欲望を満足させるための対象として扱つているとしか認められないような性交又は性交類似行為をいうものと解するのが相当である。』という合憲限定解釈をしたの。だから、例えば『婚約中の青少年又はこれに準ずる真摯な交際関係にある青少年との間で行われる性行為』は『淫行』には該当しないわ。」
「じゃあ、私と隼人がラブラブになったら……。」
「私が行ったのは原則論で、実務でどうなるのかは知らないわ。安全策として、妄想だけで楽しむのがいいんじゃないかしら、性犯罪者予備軍さん。」
「もしかして、私と隼人がラブラブになるのが恐いんですか、お義母様。」
「認めないわ。」
「成年年齢変更に伴う民法改正で、未成年者の婚姻に対する親の同意が廃止されるのを知らないんですか? あっ、そもそも、あなたは法律上、隼人の親ではないんでしたね。」
「そうよ。だから、私と隼人が交際しても何の問題もないわ。私達は、お風呂にだって一緒に入っているし、寝るのも同じベッドなのよ。」
「そうやって隼人を誘惑し、困惑させて行う性行為は淫行です。」
「私は青少年だから免責されるでしょ。」
「罰則が適用されないからといって条例の違反行為をするとは、民度が低いですね。」
「条例は、精神的胃未だ十分に安定していない青少年を質の悪い大人の魔の手から守るためのものであって、青少年同士の場合は当罰性が乏しいから免責規定を置いているんでしょ? だから何の問題もないじゃない。」
「心に質の悪い大人が住む青少年が何を言っているのですか。法の欠缺を上手く利用して卑怯です! 前世の記憶をもつ者を裁く法律が必要ですね。」
「ふっ。さあ、隼人、今日も私と一緒にお風呂に入るわよ!」
「いいえ、今日は私と入ります。」
あれ?
不穏な空気が漂い始めた。
*
「どうしてこうなった……。」
僕と汐里が風呂に入ると、少し遅れて美玖が入ってきたのだ。
どうやら、美玖は僕に服を脱ぐところを見られるのが恥ずかしかったようだ。
「ふっ。」
入ってきた美玖を見た汐里は、勝ち誇った顔をしている。
「何ですか。」
恥ずかしそうにしながら、美玖が怒る。
「あなたにとって残念な事実を教えてあげましょう。隼人は巨乳好きなのよ。」
「なっ……。」
「お母さんはいいかげんなことを言うなよ。僕は胸の大きさなんて気にしないから……。」
「それじゃあ、隼人がベッドの下に隠していた本に写っていた女性はどうしてみんな……。」
「やめろー!」
「隼人は高校生なんだからまだそんな本を見ちゃ駄目。女の子の体に興味があるなら私を……。」
「隼人はコンビニかどこかで買ったんでしょ? コンビニで売っている成人向けの本は『類似図書』と呼ばれるもので、『不健全な図書類等』や『表示図書類』とは違って法的には一般的な図書の扱いなの。出版社と販売店が自主規制で十八歳未満の人には売らないようにしているだけだから、良心の問題よ。」
「それでも、私はそんな本を隼人には見てほしくない。」
「たしかに、あれらの本には誇張した表現や誤解を与える表現が多々あるから、本じゃなくて、本物の女の子を見る方がいいわね。」
「……。」
今日も、風呂から出た僕は、ヘトヘトだった。
風呂というのはリラックスする場ではなかっただろうか……。
今日はよく寝れた。
そして、日曜日は勉強と休養によって平和的に過ぎていった。