7 浮気!?
上野家は、朝起きるのが早い人ばかりなので、皆でゆっくり朝ごはんを食べる。
「隼人、明日は土曜で休みでしょ? お買い物に付き合ってくれない?」
「いいよ。」
明日の予定は特にない。
僕は、特に何も考えずに了承した。
「へぇ~。隼人には、一緒にお風呂に入ったり同じベッドで寝たりする女の子がいるのに、別の女と二人で買い物に行くんだ~。浮気者ね~。」
汐里が白い目で見てくる。
「え、え~と……。」
伯父さんと伯母さんは、明後日の方向を向いている。
「冗談よ。ただの従姉と買い物に行くくらいで私がやきもちをやくわけないじゃない。」
汐里は冗談だというが、あまり説得力がない。
「隼人のデートに隼人の母の前世の記憶を持つに過ぎない人が口を出す権利はないのだから、気にしなくても大丈夫だよ。」
「従姉との買い物はデートとはいわないわ。」
「デートです!」
これは水掛け論だ。
こういうことには関わらないのが賢明だ。
あぁ、オムレツが美味しい。
「隼人は、私との買い物がデートだと思ってくれているよね?」
「私という者がありながら、他の女とデートなんてしないわよね?」
こういう時って、どうすればいいのだろうか……。
「美玖、あなたたちは未婚なんだから、ちゃんとゴムを持っていくのよ。隼人はまだ高校生だから年上のあなたがしっかりしないと駄目よ。」
伯母さんから超余計な一言が入った。
「今日買ってきます。」
いや、その報告いらないから。
僕は、助けを求めて伯父さんの方を見た。
「隼人、こういう時は、どちらにも嫌われないように答えるのは無理だ。男らしくどちらか選べ。それができないようでは美玖も香織もお前にやることはできないぞ。」
伯父さんは真剣にそう言ってくれた。
「お兄さん、『男らしく』などという社会的性差を助長するような発言は駄目よ。それに、『お前にやる』というのも、まるで娘や妹を物扱いしているようね。」
「お父さんが認めるか認めないかなど関係ありません。私は高校生の時に『源氏物語』を読んで思ったのです。隼人を自分好みの男性に育てようと。その時から隼人は私のものです。」
伯父さんには悪いが、標的が伯父さんに移ったようだ。
そして……、いままで僕にいろいろしてくれた美玖にそんな思惑があったなんて……。
僕は、二人から責められている伯父さんを見放して、ゆっくりコーヒーを飲んだ。
平和が一番。
「お前たちは隼人に聞きたいことがあったんじゃないのか?」
あっ、ヤベッ。
口論で二人に勝てないと思った伯父さんにやられてしまった。
「そうだった。ねぇ、隼人?デートじゃないわよね?」
「デートだよね?」
万事休す。
「お二人とも、ご機嫌よろしゅう存じます。長らくご無沙汰をいたしました。」
僕は観念してそう言った。
「あら、長い間会っていないような言い方をするのね。毎日顔を合わせているのに。」
「これが百年目と思ったから。ごちそうさまでした。」
僕はそう言って席を立った。
もう学校へ行こう。
当然、一人で学校に行けるはずがない。
汐里もついてくる。
デートの話題を振られる前に、何か話さないと……。
「お母さん、落語の『百年目』に出てくる『旦那』という言葉の由来って本当なのか知ってる?」
「赤栴檀と南縁草の話ね。与えるという意味のサンスクリット語でダーナという言葉があるのは事実よ。『旦那』という言葉も元々は『檀那』という仏教用語だから、全くの出鱈目っていうことはないんじゃないかしら。ラテン語にも与えるという意味の動詞にドーノーというのがあるし、臓器提供者のことをドナーというでしょ?」
「妻が夫のことを『旦那』と呼ぶのは下品だと聞いたことがあるんだけど。」
「それって、きっと『旦那』よりも『主人』の方が上品っぽく聞こえるっていうだけでしょ? そんな言葉を使っているからいつまでたっても男女平等にならないのよ。法律上も『夫』なんだから『夫』と呼べばいいのに。」
「夫なら男女平等的には大丈夫なのか?」
「男人の『ひ』が促音化して『おっと』になったというだけだから、何の問題もないでしょ?」
「なるほどね~。」
学校までもう少しだ。
もう少しこの会話を延ばさなくては。
「だったら、『背』は? 万葉集にも出てくる伝統的な呼び方だけど……。」
「『信濃路は今の墾道刈り株に足踏ましなむ沓はけわがせ』とかね。よっぽどの古文マニア夫婦なら『妹背の契りを交わしましょう』とか言って結婚して『妹』、『背』と呼び合うでしょうけど……。ないわね。」
着いた。
「それじゃあまた。」
「うん。またね。必死で私に違う話をさせたみたいだけど、見逃してあげないから。」
やっぱりね。
僕は重い足取りで教室へと向かおうとした。
しかし、こんなに朝早くから教室にいたら、どうぞご自由に尋問してくださいと言っているようなものだ。
だからといって、トイレの個室にこもって時間をやりすごすのは、いじめられているっぽくて嫌だ。
だったら……。
「あぁ、奉仕活動をするのは気持ちがいいな!」
僕は今、校舎裏の掃除をしている。
桜の花が散っているから、いくら掃除をしてもし足りないくらいだ。
「お。掃除をしてくれていたのか。名前は?」
先生に話しかけられた。
「二年五組の上野隼人です。」
「そうか。ありがとう。もうすぐ朝礼の時間だぞ。」
「はい。」
先生は、僕の頭をナデナデすると、どこかへ歩いて行った。
頭を撫でられると意外と嬉しいものだ。
撫でてくれたのがおっさんであっても。
良いことをすると、良いことがあるものだな。
*
朝礼前の時間を外で過ごしたとしても、問題の先送りにしかならないことは明らかだった。
その時は、朝礼が終わるやいなや訪れた。
「上野君。」
僕は、クラスのトップカーストの中心人物、確か名前は……、浜松実乃に話しかけられた。
昨日、僕を遊びに誘って汐里にブチ切れられていたやつだ。
全然懲りていないようだ。
「なに?」
「勉強を教えてくれない?」
「どうして?」
「上野君、勉強できるでしょ?」
僕は美玖のおかげで成績が良いのは確かだが……。
「職員室に行けば、先生が質問に答えてくれるぞ?」
僕は最も合理的な方法を提案した。
「先生に質問するのってちょっと……。」
「大丈夫。最初は緊張するかもしれないけど、先生は喜んで教えてくれるし、お菓子をくれる時もある。」
さあ、諦めろ。
「実乃が教えて欲しいって言ってるんだから、教えてあげればいいじゃん。」
伏兵が現れた。
実乃の取り巻きの……駄目だ。
まだクラス替えがあったばかりだから、クラスメイトの名前が分からない。
そもそも、これは想定していなかった事態だ。
汐里のことをいろいろ聞かれると覚悟してきたのだが……。
「僕は、人に勉強を教えられる程頭がよくないんだ。勉強ができる従姉に教えてもらっているから成績はそこそこだけど。」
「人に教えると自分の理解も進むから、これも上野君自身の勉強だと思って引き受けたらいいんじゃないかな?」
伏兵その二が現れた。
こういう時、頭が良い人ならすぐに切り返せるのだろうが……。
「決まりね。じゃあ、今日は上野君の家で勉強会をしましょう!」
「うん。」
「やったー。」
どうやら、実乃だけでなく二人の伏兵も参加するそうだ。
というか、どうして僕の自宅?
ヤバイ。
これはヤバイ。
――僕のクラスメイトの女子三人が、僕の家で勉強会をすると言ってききません。どうしましょう。
こういう時は、汐里の知恵を借りよう。
僕は汐里にメッセージを送った。
――来てもらえばいいじゃない。それなら、今日は別々に帰りましょう。
あれ?
――三人のうちの一人は、昨日お母さんがビッチ先輩と言っていた人です。
これでどうだろう。
――私は気にしないわ。
絶対に気にしないはずがない。
何か考えがあるのだろうか……。
何か嫌な予感がする。
これじゃあ授業に集中できない。
いつになったら落ち着いて授業を受けられる日が来るのであろうか……。