3 接吻!?
「隼人! 大変だ!」
朝、教室につくと徹平が話しかけてきた。
「どうしたんだよ。」
「ビッグニュースだ。落ち着いて聞け。昨日、渋谷汐里が男と二人きりで下校していたそうだ。」
さすが汐里。
もうニュースになっている。
「かなりラブラブな雰囲気で歩いていたらしいぞ。」
「きっとそれ、誤解だと思うぞ。」
名乗り出るつもりはないが、誤った情報は訂正しなければならない。
「そう思いたい気持ちは分かるが、事実を受け止めろ。」
誤った情報の訂正は困難だ。
しかし、対策は必要だ。
――今日からは一緒に帰るのをやめよう。
僕は汐里にメッセージを送った。
――どうして?
早速メッセージが帰ってくる。
――お母さんが男と二人きりで下校していたという情報が流れている。
――本当のことだからいいじゃない。
――かなりラブラブな雰囲気で歩いていたという情報もある。
――本当のことだからいいじゃない。
――僕たちは親子として歩いているだけなのに、恋人だと誤解されている。
――本望よ。
――僕がお母さんのファンに殺される。
――それは困るわ。
――だから、遊びに来てもいいから別々に帰ろう。
最後のメッセージに既読がつくことはなかった。
嫌な予感がする。
*
それは、この日の昼休みのことだった。
「隼人!」
汐里が僕のクラスにやってきたのだ。
教室にいる男子が騒然となる。
汐里はそんなことを気にせず僕の腕をつかんで中庭までやってきた。
うちの学校の中庭にはベンチがたくさん設置されており、ここで弁当を食べる生徒が多い。
「皆さん聞いてください。」
汐里が大声を出した。
「私は、上野隼人君のことを心から愛しています。」
そう言った汐里は、自分の唇を僕の唇に重ねた。
時が止まった。
もちろん気のせいだが、そんな気がした。
「隼人君を傷つける人がいれば、私はその人のことを平気で殺すでしょう。」
汐里は完全にヤンデレだと思われただろう。
考えてみると、僕の母親は僕を助けるために平気で自分の命を差し出したのだ。
脅しではなく、本気でこれくらいのことを考えていてもおかしくはない。
これだけでも衝撃的だったが、汐里はまだとまらない。
僕には止め方が分からないから、ただ付き従うだけだ。
汐里はこれと同じやり取りを昼休みに生徒が集う場所を巡って繰り返した。
そして、この後、僕たち二人は先生からお叱りを受けた。
「お母さんのせいで先生に怒られる息子って珍しいと思わないか?」
「貴重な体験ができてよかったわね。貴重な体験といえば、隼人のファーストキスって今日?」
「残念ながら。」
「残念っていうのは酷いわ。私だって、この体でキスしたのは初めてよ。」
「……。」
「私達、付き合わない?」
「親子だろ!」
「それでもこの体はあなたの親ではないわ。それに、前世で親子でも付き合ったり結婚したりしている人っていると思うの。」
「普通は分からないから、いても不思議はないな。」
「でしょ? それに、私、生まれ変わる前に閻魔様と交渉して隼人好みの見た目にしてもらったの。私がこんなに美少女になるってことは、隼人はかなりの面食いなのね。頑張って鬼を笑わせたかいがあったわ。」
「鬼を笑わせた?」
「鬼を笑わせるのが私の望みをかなえてくれる条件だったの。鬼って普通は一生笑わないそうなの。」
「どうやって笑わせたんだ?」
「いろいろ言ったわ。『来年にはダイエットをする。』とか『来年には資格の勉強を始める。』とか。」
「なるほど……。」
「ちなみにね、三途の川にいるっていう奪衣婆って、終戦後は衣服を剝がなくなったの。そして、奪衣婆は失業して閻魔様に相談に行ったら、閻魔様に気に入られて妾になったんだって。」
「その話、最後に人呑鬼が出てくる?」
「何のことかしら。私は落語の話などしていないわよ。」
「地獄百景亡者戯は、僕も好きなんだよ。」
「私達、皆の前であんなことしたでしょ? だから、付き合ってるっていうことにしないと都合が悪いでしょ?」
「確かに……。でも、そうすると普通の恋愛ができなくなってしまう……。」
「隼人、普通って何? 人間すなわち現存在はそれぞれ自分自身の固有の人生を生きなければならないものなの。それなのに、周りの人と同じように生きてどうするの? 人間は頽落するものだけど、ずっと頽落していていいわけじゃないの。死への先駆をして、良心の呼び声に従って生きるのよ!」
「先駆的決意だね。」
「隼人、『存在と時間』を読んだことがあるの?」
「ハイデガーの入門書をちょっとだけね。」
「じゃあしっかり考えて。」
「まともに考えると分からなくなってくる。だって、お母さんのことは愛しているけど、渋谷汐里さんのことは愛していないし、そもそもお母さんへの愛は恋愛ではないけど、渋谷汐里さんはお母さんではないすごくかわいい女の子で……。」
「隼人はまだ子供なんだから、困った時は親に委ねていいのよ。」
「お母さん……。」
「じゃあ、付き合うということでいいわね。」
「いやいやいやいや!」
「おっ。それは、若手芸人が出演者紹介のシーンで紹介されなかった時のツッコミね! もしかして隼人は芸人志望?」
「実はそうなんだ。芸能界のトップにのぼりつめたいと思っているんだ。って、なんでやねん!」
「ノリツッコミもできるとは、なかなかやるわね。じゃあ、お母さんがマネージャーになるから、一緒に頑張りましょう!」
「話を逸らすなよ。」
「そうだった。話を戻しましょう。たしか、地獄百景亡者戯の話だったかしら。私は桂米朝が好きよ。」
「いや、そうじゃなくて……。」
「分かっているわ。それじゃあ、実験してみましょう。」
そう言った汐里は、僕に抱き着いた。
「隼人、ドキドキしない?」
「ドキドキする。」
「母親に抱き締められた息子はドキドキしないものよ。これは、あなたの体が私を母親ではなく、一人の素敵な女の子として見ている証拠よ。」
「わかった。でも、付き合うかどうかは保留。学校では付き合っているという体にしておこう。」
「うん。今はそれでいいわ。じゃあね。」
汐里は去っていった。
僕も早く教室に戻ろう。
教室に戻る直前までドキドキは止まらなかった。