8
「『言の葉に心を宿せ 瞼を開き色を変えろ 月白の風を呼ぶ――風』」
ふわ、と、手のひらの上に風が起こった。
魔導の中でも初歩中の初歩、基礎魔導と呼ばれる魔導の一つ。
消費される魔力も微々たるものだけどその威力も微々たるものという、実戦にはほとんど役に立たない魔導だ。
まぁ、今みたいに魔導を見せるときとか初めて魔導を使うときとかには使えるし……呼称通り、基礎を学ぶための魔導なんだろう。
現に、ユウは黒い瞳をまん丸に見開いて私の手の上と私を何度も見比べている。
「それ……それ、どう、なって……」
「風を起こす魔導を使ってみたの。すごく弱い風だし、長い時間はもたないけど……えい。」
「うあ」
風をユウの方へ向けて流せば、さらさらと髪を揺らして向こう側に抜けていく。
それを目をつむってやり過ごしてから、風の行方を追うように後ろを振り返った。
風はもうとっくに消えてるけど、ユウは何かを見出すようにじっと固まっている。
かと思えば、真剣な眼差しを私に向けて口を開いた。
「他、にも、あるの。」
「あるよ。」
「リズじゃ、なくても……ルフも、モニカも、使えるの。」
「使えるよ。」
「やってみようかー?」
「どんなのが見たいんだ?」
興味津々。
多分皆思うことは同じなんだろう、モニカはニコニコと、ルフは薄く笑みを浮かべながらユウに声を掛ける。
それにユウはどんなのでもいい、見たい、とせがむように何度も頷いて。
「じゃあそうだなぁ、被害が出ないものでわかりやすいの……。」
「氷か、水か……。」
「光もいいよー? それとか、誰かのを扞で防ぐとかー。」
「あー、いいな。」
「なら氷が見やすいかな。」
食い入るように私たちを見つめるユウに危ないから手を出したりしないでね、と伝えておいて。
「いくよ。『言の葉に心を宿せ 瞼を開き色を変えろ 瓶覗の氷を呼ぶ――氷』」
「えい、『扞』」
「あっずるい。」
「じゃあもう一発、『言の葉に心を宿せ 瞼を開き色を変えろ 瓶覗の氷を呼ぶ――氷』」
「もひとつ『扞』」
「だからずるいって。」
モニカに向けた私の手から飛び出すいくつかの氷を、詠唱を省略して右手の前に生み出された透明な壁が阻む。
ユウを挟んだ向こう側、ルフの手からも氷が飛んで、今度は左手の前の見えない壁に防がれた。
モニカの使った扞は風や氷と同じ基礎魔導で、あらゆる魔導を弾くバリアを作り出すことができる。
それだけ聞くと万能の防御なんだけど、何せ手のひらを覆うくらいの大きさしかない。
今は私たち攻撃側も基礎魔導だったから問題ないけど、例えば体全てを飲み込むような炎の魔導なんかを相手にしたらそんな小さなバリアなんてあってないようなものだ。
それなら、違う防御魔導を使った方が確実。
魔力の消費が大きかったり詠唱が長くなったりするけど、その分広い範囲を守れたり風や氷みたいな属性がついていたりする。
炎壁とかだと、名前の通り炎の壁を出せたりして格好良かったり。
ただそれはそれでまた弱点もあって、それこそ炎壁だと水魔導に弱いとか、物理的な攻撃は通してしまうとか。
それと、膨大な数存在している魔導には区別と把握のために大まかに番号が割り振られていて、基本的に防御魔導と同じくらいの番号までの魔導しか防ぐことができない。
炎壁は三十番台だから、それ以下の魔導からなら守れるって感じかな。
唯一の例外が扞だけど……たったあれだけの大きさで何ができるっていうんだか。
「あ、の、質問してもいい?」
「うん、いいよ。」
「モニカは、その……短い言葉でも魔導を使えるの?」
「詠唱の省略ね。モニカだけじゃなくて一応誰でもできるのよ。」
「魔導は詠唱を唱えりゃほとんど誰でも使えるけど、実力があれば詠唱を省略して発動させることもできる。」
「だから、基礎魔導くらいなら大体皆詠唱を省略できるし、反対に難しい魔導だと詠唱を唱えても発動できない人もいるの。」
「発動、できない……?」
「単純に魔力が足りないとかー、センスみたいなのが合わないとかねー。」
「センス……。」
「うん、だからねー、使えない魔導があっても、それより難しい魔導が使えたりすることもあるんだってー。」
「そう、なんだ。」
納得したのか、それとも腑に落ちないのか。
考え込むように見下ろした自分の手を握っては開き、また握って、開く。
ひどい傷を負って数日意識がなくて、昨日目を覚ましたばかり。
そんなユウは体力はもちろん魔力もほぼ枯渇してるだろうし、たとえ基礎魔導でも負担が大きいだろう。
発動させることができないわけではないと思うけど、それこそまた寝込むことになる可能性もある。
今魔導を知ったユウはそのあたりはわからないだろうけど、使ってみたいと言い出すこともなく顔を上げた。
そして改めて私たちの顔を見て口を開く。
「話、逸らしちゃってごめんなさい。えぇと、それで、魔術っていうのは、何?」