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「や、いらっしゃい。君がユウ君かな?」
「モニカ!」
食堂に入ってすぐ、カウンターに目を走らせる間もなく真横から声を掛けられた。
ふわふわとした桃色の髪をゆらしてニコニコと笑うその人こそ食堂の主、モニカ……だけど。
「モニカ、何度も言っただろう、ユウはこいつの名前じゃない。」
「あれー? そだっけ? そしたら、お名前は?」
「まだわからないのよ。」
「そうなの? じゃあ何て呼べばいいの?」
「それは」
一つハテナが飛ぶたびにゆらゆらと左右に揺れるモニカへの返答が止まる。
何て呼べばいいのか、それは私もルフも結論を出しかねていることだった。
少年の名前は未だにわからない。
ずっと少年とか彼とか呼び続けるわけにはいかないし、いつか何かしら呼び名を考えなければならない。
だけど……呼び方を決めてしまうのには、抵抗があった。
まるで諦めるようだと思ってしまったから。
彼の本当の名前を……彼の記憶を。
そしてそれを思い出すことも。
だから、呼び方を決めないか、と打診できずにいたんだけど……。
「ゆうで、いいですよ。」
「えっ」
「ちょ、おいモニカ!」
この少年は、きっと頭がいい。
私とルフが沈黙したその数舜で事態を理解したのだろう。
静かな眼差しで私たちを見て、モニカに目を戻してそう告げる。
少年の、そういう風人を気遣えるところは良いところだと思うけど、だけどこんな風に決めさせたかったわけじゃない。
彼が自身の記憶喪失をどう理解してるのかはわからないけど、それでも。
「いいんです。」
「でも、」
「ありがとうございます、リズさん。ルフも。僕も何て言おうか考えてたから、モニカさんが言ってくれて良かった。」
頭を下げてそう言われれば、それ以上何か言うこともできない。
モニカだってこのギルドのメンバーで、しかも食堂と居酒屋を管理している人だ、考えなしにこんなことを言うような人じゃないのはわかってる。
私が少年と……ユウ君ときちんと会話できずにいたせいで止まっていた状況を打開してくれたんだろう。
「……モニカ……ごめん。」
「改まっちゃってー。それより、ご飯食べに来たの?」
「あ、そうだモニカ、それなんだけどな。こいつ何が食えるか見てくれねぇか?」
「いいよー。」
「そうだ、ねぇそれ私知らないんだけど?」
「んー? リズ、調べるの? 何か出た?」
「何も出てないけどそこじゃないの。」
こてーんと首を傾げるモニカに脱力してるうちに、手招きされてユウを抱えたルフがカウンターに向かっていく。
その背中を追ってカウンター席に座る。
ルフもカウンターの手前でユウを下ろして、ユウは更にモニカと並んでカウンターの中へ。
何か道具や材料を使うのだろうか。
カウンターの中に入らせてもらえることは滅多にない、というかそれこそラウラくらいしか入っているところを見たことがない。
実質初めてだ、モニカとラウラ以外にここに入っていくところを見たのは。
……っていうか入っていくところは見たけど今二人の姿が見えないんだけど?
「わかったよー。」
「ただいま。ルフ、リズさん、間座ってもいい?」
「おかえり、いいよ。」
「おう。モニカ、結果は?」
「身長142センチ、体重は34キログラム、一般的な人間の食べ物は大体食べられるんじゃないかなー。」
「え、食べられるもの以外も調べられるの?」
「もちろんだよー。」
「……さっき、大きな物差しと測りみたいなので、計測されました。」
モニカにお任せー、ピースサインを決めるモニカを前にして、静かにユウが暴露する。
それに思わず吹き出してから笑いを喉の奥に押し込めたルフがコインを一枚カウンターに置いた。
私も同じくコインを一枚……と。
「とりあえずモニカ、ハニーカクテル。アルコール抜きの方。」
「私、コーヒー。」
「はーい。ユウ君は何にする?」
「え、僕、お金、持ってない。」
「サービスするよ?」
「出すよ。」
「奢るぜ。」
ぱち、と目を瞬かせるユウに、手に持ったもう一枚のコインをカウンターへ。
……と、思ったんだけど、ほぼ同時に二人の声。
モニカはきょとんと首を傾げ、ルフは私と同様コインをカウンターに並べていた。
言葉に詰まったように口を開閉させて、ユウは小さく頭を下げた。
「ありがとう、ございます。」
「いいよー。そしたらリズ、ルフ、合算でいーい?」
「うん。」
「頼む。」
「はーい。ユウ君これメニューね。好きな飲み物と食べ物選んでほしいなー。どんなのかわからなかったらリズかルフに聞いてくれる?」
「は、い。」
四枚のコインを回収して、茶色い革のメニューを出してくれる。
それを開いて固まるユウに左右から説明をしていくけど、ここのメニュー頻繁に変わってるのよね。
ここ最近入った料理は私たちも止まってしまう。
「おいリズ、これなんだ。」
「私も食べたことない。これは知らない?」
「さっぱりだ。」
モニカの料理に外れはないから、食べられないようなものは出てこないけど……。
人それぞれ好みはあるから、最初から何かの味に振り切れたような料理はあまりお勧めできない。
となれば無難なもので、なるべく消化器官に負担のかからないもので……。
「ルフの、ハニーカクテル、って、何? メニューに載ってない。」
「蜂蜜漬けの果物入れた蜂蜜酒。砕いた氷入り。今回は蜂蜜酒じゃなくて蜂蜜の水割りだけどな。」
「とっても甘くてルフ以外頼まないから載ってないの。」
「飲んでみたい。」
「そりゃいいけど、甘いぞ。」
「うん。」
「じゃあモニカ、同じのもう一つ。」
「はーい。」
甘いのは事実だけど、自分で言うのか……そして自覚あるんだ。
ルフの味覚は決して壊れてるわけじゃないし、例えばコーヒーなんかはブラックで飲んだりするのにこれだけが不思議だ。
たまに飲むなら美味しいと思わないこともないけど、毎日はしんどくなる。
「それなら食べ物の方だな。リズ、おすすめあるか。」
「んー、軽いものでサンドイッチとか、柔らかいリゾットとか……何か食べたいものはある?」
「リズさんの、好きなものは?」
「うーん、これかな。」
「じゃあ、それをお願いしてもいいですか。」
「うん。モニカ、コンソメリゾット、チーズって消化に悪かったっけ?」
「そーねー、ちょっと減らしとくねー。代わりにたまねぎ増やしとこー、甘ーくしとくからねー。」
「ありがとう。」
「ありがとう、ございます。」
「はーい。先に飲み物ねー。」
テキパキとカウンターの中で動きながら、三つのコップを並べて出してくれる。
淡い金色が入った縦長のコップが二つ、コーヒーカップが一つ。
ありがとうと口々に言いながらそれぞれを手に取って。
「ねえ、そういえば、ユウ。」
「はい。」
じっと金色を見つめていた黒い瞳が私を見上げる。
コップを持っていた手を太ももの上に収めるのは、記憶がない中でも滲む礼儀正しさなのかもしれないけど……。
「よければ、なんだけど……私のことも、ルフみたいに呼び捨てにしてほしいな。」