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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

冒険を始めるための一歩を踏み出せない人のために。

作者: ユーリ

 ウェーブのかかった黒髪の少女は、学校指定のローファーのつま先をトントンと床に叩く。

 玄関の鏡の前で胸元のリボンを直し、その場でくるりと回り身だしなみをチェックする。

 黒いセーラー服のスカートの下にタイツを履いているが、全身黒のコーディネートでも決して野暮ったくはない。

 可愛らしい猫目がチャーミングで、笑った時の八重歯が活発な印象を与える。


「行ってくるね、ママ」


 玄関の扉を開けた少女は、母親の写真に朝の挨拶を交わし、医学者の父と2人で暮らす家を後にした。

 幼い時に難病で母を亡くした彼女にとっては、この対話が毎日の日課である。

 彼女の母は、全身の筋力が低下した事で徐々に寝たきりになり、最後は呼吸すらも自分で行う事ができなくなった。

 人工呼吸器をつけない選択をした母が弱っていく姿を見ても、少女は笑顔を絶やさず、常に気丈に振る舞う。

 幼いながらも、他の子供より頭のよかった彼女は、母の病気の事も助からないことも全てを理解していた。







「おはよう、ツグミ」


 私が学校の下駄箱にローファーを入れていると、親友に背中をポンポンと叩かれる。


「おはよー、レイラ、いつも早いね」


 レイラはお家が神社の子で、濡烏のようなツヤのあるポニーテールが特徴だ。

 彼女は、剣道部所属のために何時も朝早くに学校に来ている。


「2人ともおはよ」


 私とレイラが振り向くと、もう1人の親友が眠そうな目をこすりながらやってくる。


「おはよー、アヤセ、今日は早いね」


 アヤセはギフテッドと呼ばれる天才児で、同級生だがスキップしたために年は私達より3つ下だ。

 低血圧なのか朝はいつも辛そうで、いつも遅刻ギリギリで学校に来ている。

 私達は高校生になってまだ1年だが、意気投合するのにはそれほど時間がかからなかった。


「たまたま早く起きた、まだ眠いー」


 寝落ちしかけたアヤセの背中をレイラが支える。


「ほら、しっかりしろ、アヤセ」


 3人の中で一番しっかりしているのはレイラだ。

 面倒見がよく、そのかわり誰に対しても平等である。

 だから、同級生が接しずらそうなアヤセに対しても間違っていれば普通に叱るし、私はその彼女の真っ直ぐさを好ましく思う。


「ツグミー、学校に早く来てもレイラが説教するー」


 私は、グリグリと頭を擦り付けるアヤセの頭を優しく撫でる。

 この時は、今日もこうやって3人で他愛もない時間を過ごす物だと思っていた。



 何事もなく午前中の授業を終えた私達は、屋上で昼食を食べていたが思わず話が長引いてしまう。


「ツグミー、早く!」


 午後の授業では教室を移動するために、慌てて準備した私達は学校の通路を早歩きしていた。

 途中足がもつれたのか、私はその場に盛大に倒れこむ。


「え!?」


 私は自分の中の違和感に気がつく。

 足に力が入らなくなっていた私は、その場から立ち上がれないでいた。


「ツグミ! 大丈夫か?」

「なにやってんのよ、ツグミー」


 駆け寄ったレイラとアヤセが、倒れ込んだ私に向けて手を伸ばす。

 この症状に心当たりのあった私の表情は、血の気が引いたように青ざめていた。







 俺は診断結果の書かれた用紙を机に上に叩きつけた。

 今日ほど自分の無力さに怒りを覚えたことはない。

 この難病は基本的に遺伝する事はほとんどないが、遺伝の可能性があることはわかっていたし、だからこそ、娘が妻と同じ病気になっても助けられるようにと、その研究に没頭してきた。


「妻だけじゃ飽き足らず、今度は娘も奪うつもりか」


 握りしめた拳に血が滲む。

 だが、妻を亡くした時とは状況は違う。

 変異した遺伝子を解析して治療すれば完治できる事まではわかった。

 ただ、その問題のある遺伝子の解析と治療には時間がかかる。


「クソっ」


 迷っていても病気の進行は止まってはくれないし、症状の変異を見ても娘の病気の進行スピードは早い。

 俺は、娘に残された時間を引き延ばす事を決断した。



 あれから数日後、俺は娘と話し合いお互いに覚悟を決める。


「パパ」


 コールドスリープの装置に腰かけた娘は、不安になり瞳を潤ませた。


「大丈夫、絶対に治してみせるから」


 俺は娘を抱きしめ、頭を優しく撫でる。

 

「うん、パパならきっと治してくれるってわかってるから」


 俺にはそれが強がりだと直ぐに気がついた。

 娘の目元には涙で腫らせた跡が残っている。

 彼女が次に目が覚めるのは何年後かわからない。

 もし、誰も知っている人が居なかったらと思うと不安になったのだろう。

 最悪の場合、このまま死んでしまうかもと考えたのかもしれない。

 自然と娘を抱く手に力が入る。


「それよりも、私が居なくてパパが1人で大丈夫か心配だよ」


 娘は柔らかな笑顔を向ける。

 今までお互いに内緒にしてきた事や、昔の思い出話など、親子の他愛もない会話に花を咲かせた。

 穏やかで優しいこの数分間が、どうしようもなく愛おしい。


「ふふ、眠くなってきちゃった、少しお休みするね、パパ」


 わざとらしく欠伸をした娘は、装置の中の寝台に横たわると胸の上に右手を置く。


「またね、パパ」


 娘の伸ばした左手を優しく握り返す。


「ああ」


 右手で輸液ポンプのボタンを押すと、娘に繋がった管に麻酔が落ちていく。


 “10”


 娘が意識を手放すまであと数秒。


 “9”


 涙腺が弛む。

 しかし、自分がここで涙を流すわけにはいかない。


 “8”


 横たわった娘の瞼が徐々に閉じられていく。


 “7”


 “6”


 “5”


 ...

 

 意識を手放した娘は、穏やかな顔で横たわる。

 俺は娘の手を胸の上に置くと、乱れた彼女の前髪を指先でそっと直す。

 立ち上がりレバーを倒すと、降りてきた金属製のガラス窓が2人の間を隔てる。

 密閉された容器の中の気温が徐々に下がっていく。

 時間にしてほんの数分、コールドスリープは成功し、緑のランプが点灯した。


 静粛な部屋の中に、機械の音だけが時間を刻む。


 もうどれくらいここに居ただろうか、装置は何事もなく動いている。

 このままここに居ても、何かができるわけではない。

 俺は部屋の照明を落とし、娘のいるその場所を後にする。

 施設のフロアに出ると、何故か多くの人がテレビ前に集まっていた。







 波打ち際の古い小屋からラジオの声が漏れる。


『地球に向かって巨大な隕石が向かっていますが、最後の時までこの放送は続きます、どうか皆さん冷静に行動しましょう、人としての節度を守って行動してください、繰り返しますーー』


 ラジオと波の音をBGMに俺は作業を続ける。

 地球に隕石が降下してくるとわかったのは1年前、各国政府はシャトルを準備し、コールドスリープした人間を宇宙へと送り出す事を決めた。

 しかし、全ての人間を送り出す事はできない。

 無作為に選ばれた子供、専門知識のある若い学者、それぞれの分野で手に職を持った人間を選定した政府は、それぞれに通知を送った。

 選ばれなかった人間は、政府とは関係なくシャトルを打ち上げているベンチャー企業を頼る。


 その企業の一つが俺に声をかけた。

 どうやら、娘と同じ病気を抱えた子供を持った親が居たらしい。

 俺はその対価に、コールドスリープしている娘を打ち上げてもらう事を条件として提示し、受け入れられた。


「ふぅ、何とか間に合ったか」


 作業が終わった俺は、一台のノートパソコンを抱えて年代物の車に乗り込むと、シャトルのある場所へと向かう。

 既に娘の眠るコールドスリープの装置と、治療のための機械は人工衛星の中に搭載されている。


「おはよう、ツグミ」 


 打ち上げ場所に着いた俺は娘に最後の挨拶を交わす。

 娘が眠る装置に自分持ってきたパソコンを繋ぎ、先程まで作っていたプログラムを起動する。

 この装置は娘の脳とつながっており、パソコンで電気信号を直接送って操作する事が可能だ。

 キーボードに触れる指先が震える。


「パパを恨んでくれて構わない、それでも俺はツグミに悲しい思いをしてほしくないんだ」


 このキーを押せば娘は全ての事を忘れて、新しい人生を送ることができるだろう。

 もし、娘が目が覚めても、そこには誰もいない、家族も、友達も、地球すらもない。

 運良く何処か新しい惑星にたどり着けたとしても、果たしてそれに耐えることができるだろうか。

 ツグミは涙で枕を濡らし、きっと小さく丸まって震えるように眠るだろう。


「大丈夫、亡くした記憶を悲しいと思う事はないから」


 妻を亡くした時も、娘は気丈に振る舞っていたが、夜一人で泣いていたのを知っている。

 高校生になってもそれは変わらなかった。

 だったら全てを忘れ、悲しい記憶は消して楽しい記憶は新しく作ればいい。

 娘はそんな事を望んでないかもしれないし、俺のエゴだとも思う。

 それでも俺は1人の親として、新天地に向かう娘に、もう会えない私たちを思って寂しい思いをしてほしくない。


「さぁ、全てを忘れておやすみ、次に目が覚めた時、ツグミの2度目の人生が待っている」


 俺はガラス越しに娘の頭を撫でると、キーをそっと押した。




 東の空に一直線に伸びていくシャトルを見送った俺は、車に乗って目的の場所へと向かう。


 数日をかけ目的の場所の近くにたどり着いた俺は、車を乗り捨て段ボールを抱え階段を昇る。

 途中、夏の日差しの強さに疲れて階段にヘタリ込む。

 シャツの袖を捲り、途中何度も持ってきた水をのみ、額の汗を腕で拭う。

 山の急斜面に作られた階段から眺めた先には、美しい海が広がっていた。

 駆け抜ける風とほのかな潮の匂い、鳥の囀る声と虫の音が心地いい。


 ようやく目的地にたどり着いた時には、日が少し傾いていた。

 地球滅亡まであと少し。


「やぁ、ごめん、来るのが少し遅くなったね」


 俺はその場に座り込み、妻と向かい合う。


「あと少しでそっちにいくよ、それまで、俺たちの可愛い娘の話をしようか」


 段ボールいっぱいに詰まった娘のアルバムと日記を取り出す。

 妻が死んでから今までの事を、写真を見せながら一つ一つ話しかけていく。

 一体、どれだけの時間が過ぎただろうか、隕石はもう目の前に迫っていた。


「そろそろだな」


 俺は、妻の名前を指先でなぞる。


「君と結婚できて俺は幸せだったよ」


 君は俺と結婚して幸せだっただろうか?


「娘を産んでくれてありがとう」


 君のいない残りの人生を歩けたのは娘のおかげだ。

 俺は立ち上がり最後の空に祈る。

 どうか、願わくば私達の娘の2度目の人生が素晴らしいものでありますように。







 機械の動く音が一定のリズムを刻む。

 耳に入る機械音はまるで母の胎内にいるように心地が良かった。

 一体ここはどこだろう?

 私は、重たい瞼をゆっくりと開いていく。

 目を開けると、湾曲した金属の壁が視界に入る。

 視線をずらすと、私の腕や足には多くの管がつけられていた。

 体を動かそうと思ったが、思ったように体が動かせず、迫り来る睡魔に勝てなかった私は再び眠りにつく。


 そんな日々が数日続き、私は何とか体が動かせるようになった。

 どうやら、この空間は私を生かすために存在するらしい。

 ここ数日でわかったのはそれだけだ。

 私は何者なのか?

 なんでこんな所に居るのか?

 何一つ解らない。

 下手に機械を触るわけにもいかず、私はどうしようかと思い悩んでいた。

 そんな最中、私は胸ポケットのあたりに違和感に気がつく。


「なんだろう、これ?」


 私は違和感の感じた胸ポケットに手を突っ込むと、古ぼけた写真が出てくる。

 そこには、嬉しそうにお腹を抱える1人の女性と、それを優しく見守る男性が写っていた。


 何故だかわからないけど、この写真に写った2人を見ていると涙が溢れてくる。

 涙が止まらなくなって、私は前のめりにうずくまってしまった。


 もう何時間こうしていただろうか、ランプが点滅し、AIの発する声が沈黙を破る。


『人類の生存可能な惑星を発見しました』


 目の前のスクリーンが起動する。

 顔をあげると、何もないただの金属だった部分に光が灯っていく。


『データに一致する惑星なし、文明レベルは高くないと思われます』


 スクリーンに映った自然の溢れる惑星に、思わず手を伸ばす。

 しかし、触れるわけもなく、私は美しい海の青を画面の上から指先でなぞる。


『この惑星に降下しますか? “Y/N”』


 頬についた涙の跡を、腕でゴシゴシと拭う。

 このまま宇宙をずっと漂っているわけにはいかない。

 目の前の惑星の文明レベルは低く、人が住んでいるかどうかも不明だ。

 今の私と同じで何も解らない、でも、ここ立ち止まっていても何かを得られるわけではない。

 私は握りしめていた写真をポケットに入れ服の上から手を当てる。

 この人達が誰だかわからない、でも、どうか私に一歩を踏みだす勇気をくださいと願った。

 目を閉じ、深く深呼吸をした私は、言葉に決意を込める。


「イエス!」


 さぁ、私の冒険の始まりだ。











 おまけ




 目の前の鏡に映る、アッシュブロンドに縦ロールの女性を私は知っている。

 私の大好きな乙女ゲームに出ている悪役令嬢のキャラクターだ。


「やっぱり、何度見ても慣れないわね」


 前世で高校3年生だった私は、隕石が地球に降ってきたせいで短い生涯を終えた。

 心残りがあるとしたら、やっぱり親友たちと学校をちゃんと卒業できなかった事だろう。

 友達の1人は、病気の治療のためにコールドスリープし、もう1人の友達は、実家の神社で神隠しにあって行方不明になった。

 死後の世界で神を脅...コホン、もとい、交渉して2人と同じ世界に転生する願いを叶えてくれた事には感謝している。


「まっててね、2人とも絶対に見つけてみせるから」


 今日は、悪役令嬢最後の断罪イベントの日だ。

 私は意を決し、真紅のドレスを翻し勝負の舞踏会へと向かった。







 もうどれだけの敵を斬っただろうか。

 高校2年生の時、神社の参道を清掃中にここに転移してはや数ヶ月。

 転移した先で出くわした魔物を討伐した事がきっかけで、近衛騎士団に入団した私は、拾ってくれた姫様を守るためにいつも何かと戦っていた。


「はぁ...まさか、異世界に来て騎士になるなんて思ってもいなかった」


 王都に作られた塔の上で大きくため息を吐いた私は、地球に居た頃の親友2人のことに想いを馳せる。

 戦いに明け暮れるようになって、3人で過ごした他愛もない日常の時間は私にとってかけがえのない思い出になった。


「2人ともこっちに転移してこないかなぁ」


 私はもう一度大きくため息を吐くと、壁に立てかけた業物を手に取り、表情を切り替える。

 たとえ地球が滅亡するとわかっていても、私は元の世界に帰り家族や親友達と最後の時を過ごしたい。

 そのために、元の世界に戻るための方法を探す、私は決意を新たなる戦場へと向かった。




 再び3人が出会うまで、あと少し。

 

読んでくださって、ありがとうございました。



ツグミ

 容姿はそのままだが記憶がない。

 コールドスリープしていたので年齢は17のまま。


アヤセ

 異世界転生、名前も姿も変わっているが、2人がこの異世界にいることを知っている。

 年齢は16だが、前世14歳プラス今世の年齢を送っているので、精神年齢的には逆転して一番年上に。


レイラ

 異世界転移、ツグミとアヤセがここに来ているのは知らない、年齢は18歳。



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[一言] 続きは?続編は?え?無いの? 続きプリーズ!!!
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