カモの隠しごと
どこまで来たのだろう。とりあえず、川にかかってある橋の下で立ち止まった。深呼吸して息を整える。
「なんか、すまない。勝手なことをして」
そう言いながら後ろを振り向くと、明美が涙を流していた。
「ごめん、痛かったか?」
「違うんです。私、嬉しいんです。兄に逆らって私のことを助けてくれた人が初めてだったから」
そんな言われ方したら少し照れくさいな。
「そうか」
「私こそごめんなさい。婚約者のこと黙っていて」
明美は泣きながら謝る。
「どういうことだあれは、というより兄との間に何があったのか聞いてもいいか?」
明美は少し言いにくそうな素振りをするが、淡々と語り始めた。
「私は幼い頃から優秀な兄さんの言いなりで、どんな命令にも逆らうことが出来ませんでした。口には出せないような酷い命令を出されたこともあります。柴野さんが薄ら寒いって言ったあの笑顔も兄さんを怒らせないようにする自分なりの工夫だったんです。結局は裏目に出たんですけど」
「そうだったのか」
俺の中で明美の笑顔の理由に納得のいく答えが見つかる。
「でも、勝手に婚約者を決められた時に限界が来ちゃったんですかね。その晩、家を出ました。婚活パーティーに出たのはちゃんとした恋愛っていうのをしてみたかったからですかね」
自分の過去を話しながらも明美は終始、自虐的に笑っていた。なんだか明美の笑顔を見ているとこっちまで気が重たい。思わず明美を抱きしめる。
「もう、その無理するような笑顔はやめろ。こっちまで苦しくなる」
「は、はい」
戸惑いながらも明美は明美は俺の胸の中で嬉しそうに啜り泣いた。俺はそんな明美の唇を奪う。
「え?あの、その」
明美は驚いた表情を見せる。
「ごめん、嫌だったか?」
「そういうことじゃなくて、びっくりしちゃって。でも、嬉しいです」
「そうか」
驚いた表情から恥ずかしいそうな表情になる。そんな明美の顔を見ているとこっちまで恥ずかしくなってくる。
明美の隠していることはこれで全部だろう。だが、俺はまだ自分のことを何も言っていない。
「これからどうします?柴野さん」
明美が俺のことを呼ぶ名前すらも偽名のままだ。しかし、俺は本当のことを言えるのか。言えるわけがない。俺は明美とのこの関係を続けたい。
「俺の名前は柴野誠二じゃない」
「どういうことですか?」
それでも俺は本当のことを全て話すことを選んだ。これで警察に捕まるならそれでもいいとすら思えた。
「俺の本名は松谷正」
「何言ってるんですか?」
明美は困惑しているようだが、無視して話を続ける。
「騙していてごめん、俺は詐欺師なんだ。明美から金を騙し盗ろうとしてた。今までも多くの人を騙している」
最初は困惑していた明美だが、今は黙って聞いている。
「今も私のことを騙そうとしているんですか?」
「騙そうとしてたらこんな話はしない」
明美は少し考えるような仕草をして言葉を発した。
「私は松谷さんがしたことは許されるべき行為ではないと思います。普通なら警察に突き出すでしょう。それでも、私を救ってくれた初めての人はその詐欺師なんです。だから、私には松谷さんを警察に突き出すつもりはありません」
「ありがとう」
俺は戸惑っていた。自分の本性を明かしてなお、明美は俺を突き放さない。こんな人間にあったのは初めてだ。だから、こんな俺のことを受け入れてくれた代わりに報いてやりたい。
「あの兄貴から逃げたいんだろ?」
明美が申し訳なさそうに頷く。
「俺が絶対に居場所が見つからない部屋と仕事、生きていくために必要なものを用意してやる。それだけあれば十分か」
「そんなにやってもらうのはさすがに」
「いいんだよ」
明美は何か言いたげな顔をする。何か不満でもあるのだろうか。
「言いたいことがあるなら言ってくれ」
「それを用意するお金って詐欺で稼いだお金ですよね」
そう言われると何も言えなかった。その通りだったからだ。俺の金はほとんどが人を不幸のどん底に叩き落として稼いだ金だ。
「私は松谷さんに助けられる身です。選り好みを言える立場ではありません。だけど、出来ればそのお金は手放して欲しいです」
渋々と言いにくそうに明美は言った。
「わかった」
自分でも驚きだった。こんな馬鹿げた提案、普通なら絶対に聞き入れない。それだけ俺は明美に惚れていた。
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それから明美のために必要なものは全て用意した。部屋は俺のアジトを一つ使わせた。
「本当にありがとうございます」
マンションの一室のドアの前で明美が頭を下げる。
「気にするな、俺が勝手にやっただけだ」
「いえ、松谷さんがいなければ今頃、兄さんに見つかって無理矢理結婚させられてました。感謝してもしきれません」
皮を被っていない時に人から感謝されたのは久しぶりだった。
「俺、詐欺師やめるよ」
無意識に言ってしまった。俺は明美とこれからもずっと一緒にいたい。それには詐欺師ではいられない。
いきなりは無理かもしれないが明美の隣にいるなら、それだけ価値のある男にならないといけないと思った。
「そうですか」
「ああ」
なんだろう清々しい気分だ。もしかしたら、俺は今まで無理をしていたのかもしれない。
「そうだ、金のことなんだが、どうすればいいと思う?流石にその辺に捨てる訳にもいかないし」
「騙した人に返すのは無理なんですか?」
「無理だ。下手したら捕まってしまう」
明美が考えるような仕草をする。俺はいい案が思いつかなかった。明美の言うようにするつもりだ。
「募金するって言うのはどうでしょう」
「募金?」
「はい、私がボランティアグループに参加してるのは知ってますよね」
ボランティアグループか、そんなことしてたな。
「確か報われない子ども達を救う会だっけ?」
「そうです。世界中の不幸な子どもを救う活動をしているんですが、そこに募金するというのはどうでしょう」
募金という方法は全く頭に浮かばなかった。大金を処理するなら、なかなかいい手段だと思う。
「私欲で使うより、だいぶマシだな。騙し取った金は全部募金するよ」
明美は嬉しそうに笑いながら、俺の顔を見る。
「なんだよ」
「これでどっちにも隠しごとがなくて、お互いにありのままの自分でいられんだなと思うと嬉しいんです」
ありのままの自分でいられる生活。当たり前だが、俺にとっては難しかったこと。これからの生活を考えると胸が踊るようだ。
「ごめん。この後、用があるから行くわ」
「はい、また明日」
明美が元気よく手を振る。今の明美の笑顔は今までのどんな笑顔より、嬉しそうだった。