カモは走る
コーヒーの料金だけ置いて、喫茶店から出ていく。やってしまった。こんなミスは初めてだ。どうしてだ、もうわからない。忘れよう、田中の言うように少し休むのもいいかもしれない。
「ちょっと待って下さい!」
声のする方を見ると明美が追いかけて来ていた。
「まだ何かようか?」
「なんで、どっかに行っちゃうんですか⁉︎」
「なんでって、は?」
もう意味がわからない。なんなんだこの女は?
「私、変かもしれませんけど、ちょっと嬉しかったんです。柴野さんの本心が見ることが出来て」
明美は恥ずかしそうに頬を掻きながら言葉を続ける。
「私の周りの人は皆んな気を使ってくれるし、いい人達なんですけど、本心を見せてくれない。結局は私じゃなくてその後ろの父を見ているんです。柴野さんが演技してることはなんとなくですけど、感じていました。だから、少しでも本当の柴野さんを知ることが出来て嬉しいんです」
明美は嬉しそうに笑う。この笑顔は今までと違う嘘偽りない笑顔のように感じた。
「ごめん、今日は帰る」
一旦、頭の中を整理したい。それだけ言って帰路につく。
「また、会えますよね」
明美の問いかけには答えなかった。
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自宅のベットの上で明美という女について考える。まだ、俺が詐欺師ということはばれていないだろうが、おかしいとは思われているだろう。
違う、考えるのはそんなことじゃない。似ているんだあの女は母に。母もそうだった。父が友人に逃げられた時、俺にはよく笑って誤魔化した。もしかしたら俺のことを安心させようとしていたのかもしれない。明美の笑顔はその時の母とそっくりなのだ。そして、演技を見抜かれていたところもだ。母には俺の嘘は通じなっかた。自分は隠し事をしているくせにと何度も思ったのを覚えている。
スマホから軽快な着信音がなる。明美からだ。
『明日、川辺でゴミ拾いをやるんですけど一緒にどうですか?』
「ゴミ拾い?なんで俺がそんなことを」
『いいから、いいから』
「わかった」
もう、全く演技はしていない。今更しても無駄だろう。
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次の日に川辺に行くと、老若男女様々な人間がいた。こんなイベントに参加するのは就職活動のネタ作りが目的の学生か、老後の暇つぶしのために参加する老人、子供にゴミ拾いさせれば良心的な人間に育つと勘違いしている親なんかだ。
「柴野さん来てくれたんですね」
「ああ、だがすぐに帰るぞ」
「そんなこと言わずにやりましょ」
明美はゴミ袋と手袋を差し出す。なんで俺がこんなことをしないといけないんだ。
ゴミ拾い中、明美はかなり真剣だった。そんな姿を見るとこの女は俺とは真逆でどこまでも真っ直ぐな性格なんだなと感じる。
「俺も明美みたいな人間になりたかったよ」
どうしてだろう、明美にはつい本音で話してしまう。
「私はそんなに高尚な人間じゃありませんよ。結局は父にすがって生きてるだけです」
やはり今まで会ってきた金持ちとは全く違う。明美ならあの頃の俺に手を差し伸べて、もしかしたら俺がこんな人間になる前に何とかしてくれたのだろうか。
そんなことを考えていると場違いな高級車が川辺に止まる。そして中から高いスーツを着た男が出てくる。横の明美を見ると明らかに様子が変わっていた。
「どうしたんだよ?」
「あの人、私の兄さんの巧です」
確か、実の兄貴との間に問題があるとか田中が言っていたな。あれがその兄貴か。
巧がこちらに近づいてくる。
「明美こんなところにいたのか、心配したぞ」
「すみません、兄さん」
「もう子供でもないんだ家出なんかガキみたいなことはやめろ。帰るぞ」
「はい」
巧は明美の手を引き連れ去ろうとする。
「ちょっと待てよ」
とっさに俺は止めに入った。何やってんだろ俺は。
「なんだ、君は?」
俺は明美のなんなんだろう?もう、自分でもわからない。だけど、ここで止めに入らなかったら明美を失ってしまいそうで怖かった。
「恋人です。兄さん」
俺が答えに困っていると、先に答えたのは明美だった。
「恋人?お前何言ってるんだ。お前は婚約者まで決まっているだろう」
婚約者?俺の知らない情報だ。田中の野郎、ちゃんと調べとけよ。多分、これが明美が俺に隠していたことだろう。
「ごめんなさい、柴野さん。こんな大事なことを黙っていて」
「なんで婚約者がいるのに婚活パーティーなんかに?」
単純な疑問を俺は明美にぶつけた。
「そんなことはどうでもいい。さっさと帰るぞ」
俺の質問を遮り、巧は明美を連れて行こうとする。明美はその手を振りほどき、俺の方に走ってくる。
「私はもう、兄さんの傀儡になるのは嫌なんです。その婚約だって兄さんが勝手に決めたことじゃないですか」
「無能なお前が財閥の役に立てるのは結婚して取り引き先と強い繋がりを作るぐらいなんだよ」
巧は心底めんどくさそうに頭をかく。
「なんだ?それともお前は俺に逆らうのか」
巧がそう言って睨むと、明美は明らかに怯えて、震えてしまう。そして、ゆっくりと巧の方に歩き出してしまう。
俺はどうすればいいんだ。だけどこのままは絶対にダメだ。巧の方へ向かう明美の手を掴む。
「行くぞ」
「え?」
明美は驚いて間抜けな声を上げる。自分でも自身の行動に驚いている。
「おい、ちょっと待て!」
後ろから聞こえる巧の声を無視して、明美の手を掴んで、がむしゃらに走る。体力の限界が来るまで走り続けた。