片山の真意
7 片山の真意
正門前で山道夫人の車に乗ろうとする凛に、「小野寺さん」と、声がかかった。
片山だった。
彼は、平然と言った。
「格闘家の山道さんですね?」
「そうだけど。君は?」
山道夫人が、胡散臭そうに見た。夫人は、車の運転席に座ったままだから、見上げるような形になる。
「俺は、片山。片山 翔といいます」
夫人が、少し首を傾げる。片山という名をどこかで聞いたような気がしたのだ。
「片山早苗の弟です」
「ああ、あの娘さんの弟さん」
コクリと納得する。
「小野寺さんとお付き合いしたいんですが、ご両親にお伝えいただけませんか?」
突然の申し入れに驚きながらも、そこは年の功だ。平然と微笑んだ。そうして、凛の方をチラリと見て言った。
「その前に……本人は、何て言った?」
「これから口説こうかと、思ってるんです」
ふてぶてしいまでの態度だ。
凛は、蒼白になって、俯いた。
この青年は、舜のことを知っている。それなのに、何を血迷ってるんだろう。理解できない展開だった。
「凛ちゃん、どうする?」
山道夫人が、笑いながら訊いた。
「だって、凛、舜くんいるんだもん」
凛が、小柄な体をさらに小さくした。
「ですって。片山くん。諦めるのね。舜くんは良い青年だから、君に勝ち目はないわ」
「彼は、姉貴がゲットすることになってるんです」
片山が、平然と言い放つと、山道夫人が、吹き出した。
「そういえば、あの子、そんなこと言ってたっけ。麗しいのね。姉弟で、助け合おうって?ま、頑張ることね」
そう言うと、山道夫人は、車を発進させた。
凛は、男の子というものを舜しか知らない。いや、男でも女でも、同世代の人間は、彼しか知らないのだ。
凛は、野中夫人の保健体育の授業で、男と女の体の構造が違っていて、年頃になると求め合うものだと聞いたが、それは知識としてのものだった。
生物における根元的な欲求は二つ。
個体維持の欲求と種族維持の欲求がそれである。
個体維持の欲求は、衣食住、特に食に現れている。ちゃんと食べてよく眠り、肉体を正常な状態で稼働できるようにしたいということだ。
この欲求に対しては、集落は、完璧に機能していた。
聞くところによれば、去年は冷夏で、東北や北陸の米が不作だったため、米が品薄になって値上がりしたらしい。特定銘柄に至っては、五倍から十倍の値に跳ね上がったという噂だ。
政府は、緊急に外米を輸入して、対策を講じようとしたが、頼みの東南アジアは地震で農地が壊滅的な被害を受けたばかりで他国に回す余裕がなかったし、カリフォルニア米や豪州米の収穫量は知れていた。そうして、やむなく、備蓄米の放出に踏み切ったのだ。
当初、備蓄米は不評で、もっぱら、おかき、せんべいなどの加工用に回された。しかし、米の総量が不足していることに、誰かがどこかで気が付いたのだ。
米の流れが止まってしまった。つまり、米の市場が全く動かなくなったのだ。
需要と供給のバランスからいうと、供給が圧倒的に不足しているのだ。資本家の中には、米の買い占めに走る者も出たし、マネーゲームに利用する者も出た。政府は、経済界の良識に期待したが、この国は自由主義経済で拝金主義がはびこっていた。
資本家達は金儲けのチャンスを見逃すはずもなかった。争って米市場に参入し、ここに、世界的な米不足が発生した。
米以外のパン、うどんやパスタといった麺類それにイモ類を食べることが推奨され、米以外の食料品まで値上がりした。
テレビではイモや麺類を使った料理が紹介され、主婦達はこぞってそれを真似た。貧しい人々の中で餓死者が出ることが懸念された。
集落で作っている米の収穫量も、いつもの年の七割程度だった。ただ、集落では、食事係の水野夫人が、農作業責任者の中原夫人と相談の上、小麦、そば、その他の雑穀やイモ類の生産量を増やして、何とかしのいでいた。
生物におけるもう一つの根元的な欲求、つまり種族維持の欲求だが、集落で問題になるとすれば、これだった。
つまり、次世代を生み出す個体は、凛を含めて、舜、山道夫妻の二人の息子、水野夫妻の息子と娘、中原夫妻の二人の娘しかいないのだ。野中夫妻には子供がいなかった。
結局、次世代を期待されているのは、この八人だが、都会で家庭を持っている水野夫妻の娘は集落へ合流する気はないようだし、山道夫妻の二人の息子や水野夫妻の息子、それに中原夫妻の二人の娘も都会で就職した。
集落にいるのは、凛と舜(都会の大学に行っているが、休みになると、帰って来る)だけだ。他の子供達が、集落に合流するかどうか微妙で、凛や舜は一同の希望の星だった。
凛は、「人類が滅亡しても、舜とともに、アダムとイヴ、若しくはイザナギとイザナミになれ」と、小さい頃から言い聞かされて来た。
世界中の人々が絶滅しても、凛と舜二人だけになっても、小野寺博士の研究が完成すれば、人類の未来は開けるのだ。