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桃源郷の日は暮れて  作者: 椿 雅香
43/51

台風の襲来(4)

 翌朝は、快晴だった。


 洋服のまま寝た笹岡は、体の節々が痛かった。でも、それどころじゃないのだ。


 大人達が外で、溜息をついていた。

 

 町の3分の1が水没し、残り3分の2も一階部分は浸水していたのだ。笹岡や片山の家は完全に水没していた。


 市役所から差し入れがあった。

 本当なら、おにぎりでも出る局面なんだろう。でも、このところの食料難だ。例の固形栄養食品だった。

 笹岡は、久しくこれを食べていないことに気が付いた。桃源郷では、こんなもの、食べないのだ。

 今頃、凛達はおにぎりを食べているんだろうな。と、チラリと頭をかすめた。


 この夏の日照りにもかかわらず桃源郷の人達が食べ物に恵まれているのは、再生可能エネルギーで作った潤沢な電気で海水を淡水化して作物を育てているからだ。

 もし、町の人達が同じことをすれば、きっと、同じように食料難から解放されるはずだ。

 でも、町の人達はそうしない。お金がかかるからだ。

 でも、お金って、そもそも、そういうことに使うべきじゃないだろうか。

 大人は経済効果がどうのこうの言うが、そもそも人類が滅亡する方向に進むなら、いくら安上がりでもすべきじゃないのだ。

 現に、安上がりだからって二酸化炭素を排出し続けたせいで、海面が上昇して町が全滅するのだ。この方がお金がかかると思わないのだろうか。



「マキ」

 聞いたことのある声で、思索を破られた。避難所の入り口に凛が立っていた。

「凛!大丈夫だった?」

「うん。風車ガーランドも基幹を補強したから大丈夫だった。圧巻は、お母さんが発明したドーム」

「ドームって?」

「畑を空気が入っているドームで覆うの。言ったら、空気で膨らますビニールのイカダみたいなものでできたドームなんだけど、弾力があるから雨も風も通さないの。

 お母さん、陽一さん達に手伝ってもらって広げたの。

 フワフワして面白かったよ。雨や風がどんなに激しくても、エネルギーをやり過ごして。

 上手く行ったから、今度は、田んぼにも使えるようにするって」


 笹岡は、必死で脱力感と戦った。

 来るか来ないか分からない台風に備えて、そんなものにどれほどのお金をかけたのだろう。どうせ、凛の母だ。金に糸目を付けなかったのだろう。


 でも、畑が無事だってことは、食料が確保されるということで、命が保障されるということだ。どれだけお金をかけても、かけすぎるということはないのだ。



「はい。差し入れ。水野のおばさんから」

 凛が、おにぎりとお茶を差し出した。何よりのものだ。笹岡家と片山家のみんなの分がある。

 

 でも、ここで広げると目立ちすぎて、周りの羨望の的になるのは笹岡にだって分かった。

 

 場所を変えた方が良い。市民体育館に避難している全員の分はないのだ。


 舜が助け船を出した。

「みんなで、狭いところが窮屈だからって、城山を少し登ったら良い。丁度、ピクニックできる場所があるんだ」

「片山くんのおばあちゃんはどうするんですか?」

「彼が、おんぶするんだ」


 笹岡家の家族(笹岡、両親、弟、妹)と片山家の家族(片山、両親、おばあちゃん)の九人は、狭い市民体育館を出て足を伸ばして来ると言って市民体育館を出た。

 少し登ると、ピクニックにちょうど良い場所があった。

 そこで、おにぎりとお茶で遅い朝ご飯を食べた。


 笹岡の両親と片山の両親は、目を白黒させて、今時、こんな米のおにぎりの差し入れをもらうなんて、と恐縮している。

「ウチの地域は、たまたま米が上手く行ったんです」

 舜が説明した。

「すみませんねえ。真紀子がお世話になってるのに、私達まで、お世話になって」

笹岡の母が礼を言う。

「マキちゃんは、十分働いてくれています。この米だって、彼女が稲刈りを頑張ってくれたものなんです。お礼を言うのは、こちらの方です。凛とも仲良くなってくれて。凛も高校に通いやすくなったみたいで、お嬢さんのおかげです」


 どうせ、姉貴は、役に立たなかったよ。片山が口の中でつぶやく。


 片山くん、何か言った?凛が、あどけない表情で訊く。


 何も。

 これだ。この顔だ。この顔に騙されるんだ。


 片山は、姉を呪った。

 早苗があんなふうに、しゃしゃり出て来なかったら、この子をものにできたのに。

 何もかも、早苗の馬鹿げた行動のせいだった。


 ん?片山は、気が付いた。

 舜が、凛のことを『凛』と呼んでいるのだ。二人の距離が縮んだようで、目の前が暗くなった。


 この場に早苗がいないのは、不幸中の幸いだった。彼女は、下宿に留まっている。

 昨日の晩、ニュースを見て連絡があった。でも、母が、全員無事だから、そのまま大学のあるK市に留まるようにと、言ったのだ。

 早苗が来ても、何の役にも立たないだろう。ここでは、早苗のような嬢さんは、邪魔なだけだ。



 凛と舜が電気自動車で帰ると言うので、笹岡も桃源郷へ戻ることにした。

 市民体育館の人口密度は、ますます増えて、一人でも余所へ行けるならその方が良いということになったのだ。

 笹岡家にしても、桃源郷にいる限り、笹岡の安全は保障されるのだ。その方が安心だった。


 片山も同行させてもらった。片山が友人の家でお世話になれば、片山家の心配事が一つ減るからだ。


 舜の運転する車に四人が乗って、軽四の小さな車は狭いほどだ。

 

 市民体育館にいた人々の中に高校のクラスメートが何人かいて、羨ましそうに見ていた。

 凛と仲良くしていれば、こういう場合に援助の手を差し伸べてもらえるのだ。

 笹岡なんか、前は、先頭に立って意地悪してたのに、アルバイトに行ってから、宗旨変えしたのだろうか。信じられない親密さだった。




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