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桃源郷の日は暮れて  作者: 椿 雅香
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台風の襲来(3)

台風の浸水シーンがあります。苦手な方はスキップしてください。



 笹岡の母は驚いた。


 突然下宿先から戻ってきた娘が、明日ここらは台風の直撃を受けるから避難しなければならない、と言うのだ。

 ここらは、昔から台風と縁のないところだから、そう言っても、頑として受け付けない。

 あんまり頑固なので、気象庁のホームページを確認すると、予想進路に入っていた。

 家族で相談した結果、娘がここまで心配するのだ、念のため、と、避難袋と最小限の貴重品、水、寝袋、着替えなんかを持って城山中腹の市民体育館に出向いた。


 市民体育館には、避難して来た人がポツポツいたが、町の住民はさほど重大に思わないのだろう。空いていた。


 そこで、顔見知りの片山家の一同に会った。

 笹岡の両親と片山の両親は、子供があんまり怯えるので仕方なく付き合ったのだと、互いに笑い合った。

 笹岡と片山は、家族と離れて、ひそひそ話をする。傍から見るとあやしい関係だ。



 「本当に来るだろうか?」

「来るわよ。桃源郷の科学水準は、世界一よ。絶対その通りになるわ」

「君は、変わったね」

「変わったって?」

「凛にべったりだ」

「良いじゃない。可愛い子なんだから」

「凛と言えば、あの二人、どうなったんだ?別れたんじゃないのか?」

「親の言いなりになりたくないって舜さんの言い分で、一度、別れたんだけど、その後、親の思惑はさておいて、凛が好きだって、舜さんが申し込んだの」

「いい加減な男だ」

「でも、凛もまんざらじゃないみたい。あの子も変な子なの」

「どう変なんだ?」

「凛が舜さんを気に入らなかったのは、舜さんが、あなたのお姉さんのことを『早苗』って呼び捨てにするのに、凛のことは、『凛ちゃん』って妹みたいに呼んでたからなんですって」

「その程度のことだったのか?いい加減な女だ」

「似たもの同士で良いんじゃない?」

「俺は、どうなるんだ?」

「あんたは、最初から相手にされてないの!」



 ものすごい勢いの雨と風だった。


 窓の外を見て、片山は言葉を失った。


 台風。話には聞いていた。こんなにすごいものだとは思わなかった。片山の短い人生の常識をはるかに越えていた。

 片山の人生どころか、八十になる片山のおばあちゃんも、こんなのは初めてだと、腰を抜かさんばかりだ。それほどの風雨だった。

  風にあおられて、屋根の瓦が紙吹雪のように舞い上がる。いや、屋根全体が持ち上がった家まであった。

 雨は土砂降りで、笹岡は、英語のことわざを思い出した。

 It never rains but it pours.

 土砂降りじゃないと、雨が降ることはない。日本で言うところの「泣き面にハチ」だ。

 本当に土砂降りで、たくさんのイヌとネコが走り回っているようだった。

 風もすごい。知らなかった。台風って、こんなものだったのだ。


 ふと、麓の町の方を見ると、町の様子がおかしい。この嵐の中で、防災スピーカーが何やら喚き、人々が慌てているのだ。笹岡の母が携帯ラジオを付けた。


 お決まりの台風情報の後で、臨時ニュースがあった。

 笹岡達の町が浸水しているというのだ。

 台風で堤防が決壊したのだ。大潮と重なって、被害はどこまで及ぶか不明とのことだった。

  

 市民体育館に避難していた人々は驚愕した。

 窓から目を凝らして町の中心部を見ると、雨と風の中で、ジワジワと水面が押し寄せるのが分かった。海面がゆっくり登って来る。まるで、水が町を飲み込むようだ。


 笹岡は鳥肌が立った。

 見ると隣の片山も同じようで、真っ青になって、水を見つめている。


 真っ黒な水は、ヒタヒタと町を飲み込んで、港付近の家は、ほとんど水没していた。笹岡の家の辺りも一階部分は、水に呑み込まれていた。それでも、風雨は止まないのだ。


「……片山くん。……桃源郷って……」

「信じられない連中だよ。避難してなかったら、おばあちゃん、助からなかった」



 水は、少しずつ増して、町の大部分が水没した。

 そりゃそうだ。もともと、海面の方が高かったのだ。堤防が決壊すれば、そうなることが分かっていたのだ。


 この夏、水不足に悩んだ人々は、今度は多すぎる水に悩むことになった。堤防を修復して、この大量の水をポンプで排出しない限り、自然に水が引くことはないのだ。


 市民体育館の人口密度が一気に高くなった。みんな、命からがら避難して来たのだ。

 昨日避難した人は、それなりに避難袋や貴重品を持ち出せた。だが、さっき避難してきた人々は着の身着のままだ。


 風雨はまだ続いていた。しかし、人々は、雨や風よりヒタヒタと迫る水の恐怖に怯えた。

 市民体育館まで浸水したら、どうしよう。そう言い出す者まで出て、パニック寸前だ。

 夜半になって、ようやく風雨がおさまった。

 どこかで電線が切れたのだろう。真っ暗だ。

 笹岡家や片山家のように懐中電灯を持って来た者が、あちこちでそれを付けた。窓から遠くを見ると、月明かりの中、ゆっくり波打つ水面が黒光りする怪物のように見えた。


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