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桃源郷の日は暮れて  作者: 椿 雅香
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婚約破棄(1)

15 婚約破棄


 お盆になっても、笹岡は桃源郷に留まっていた。


 一つには、戦力である笹岡に留まって欲しいと桃源郷の人々が頼んだのだ。

 リーダーの水野夫人がいなかったため、小林夫人が食事係をしていて、笹岡を頼りにしたからだ。

 もう一つには、日々悪化する食料事情の中で、笹岡に対するお礼の気持ちもあった。笹岡家にとっても、笹岡が桃源郷の世話になると、一人分の食料が助かるのだ。

 最後の一つは、凛が求めたのだ。

 凛には、人が必要だった。


 舜は、凛に拒まれていた。


 集落の人々は、舜と凛のことを何も言わない。それどころじゃなかったのだ。



 

 その雑誌の記事は、小さなものだった。注意して見ないと分からないほどの小さなエッセイだ。食料危機にあたって有名な随筆家がエッセイを書いたのだ。


 題は、『現代の桃源郷』という。


「ヨーロッパにユートピアやシャングリラの伝説があるように、中国に桃源郷の伝説があるのをご存知だろうか。

 昔、男が桃の花が咲く谷川を遡り、源流で洞窟を見つけた。その洞窟は、人が一人だけ通り抜けられるようになっていて、穴の向こうは広い平野になっていた。そこでは、家も田畑も桑畑もみな立派で美しく豊かだった。そこの人々は、昔、戦乱を避けてここへ来て、そのまま外界から隔絶した生活をしていると言い、外の様子を聞きたがった。男はいろいろな話をして歓待される。男が元の世界に帰る時、人々はここのことは外の世界で話さないで欲しいと頼んだ。男は約束して帰るが、帰国後、約束を破って役人に通報し、桃の花の咲くあの里を探した。だが、二度と行くことができなかった。

 これが桃源郷の話である。

 現代にも、同じような場所が存在すると言ったら、皆さんはどう思われるだろう。十数年前、地球環境保全のために化石燃料も原子力も止めるべきだと主張した某博士が仲間達と隠棲した里がそれに当たる。

 それは、一説には、東北地方の寒村だと言う人もいれば、北陸地方の廃村だと言う人もいる。中国地方の過疎地であると言う人もいれば、四国の平家の落人村だと言う人もいる。

 いずれにしろ、博士を中心とするグループは、このところの水不足や食料難と縁のない生活を送っているはずである。なにしろ、博士の研究では、再生可能エネルギーで発電もできれば、海水の淡水化もできる。我々が、水不足で苦労している今このとき、博士は太陽光で作った電気で海水を淡水化し、農作物を育てていることであろう。

 現代の桃源郷ともいうべきこの場所は、どこにあるのだろう。ロマンを感じるところだ」



 「雑誌の出版社は?」

 小林先生が、眉間に皺を寄せる。

「○○社だ」

 山道氏がほろ苦い顔をする。

「あそこには、ウチの娘が勤めている。喋ったんだろうか?」

「いや、書いたのは有名なエッセイストだ。中原さんのお嬢さんに罪はない」

 野中氏が口を挟む。

「問題は、誰が口を滑らしたかということじゃない。ここが注目される危険が増したってことだ」

 小林先生が断言した。

「水野さん、あの会社のコンピューターに侵入できるね」

 小小野寺博士が水野氏に声をかけた。

「もちろん」

「どの程度、ウチの情報が漏れているか、確認して欲しい。それを待って、進入路の封鎖を考えよう」

 小小野寺博士の提案に、一同、賛成した。

「息子達を呼び戻さないと」

「仕事はどうするんです?」

 山道氏が言うと、中原氏が訊いた。中原氏も娘二人に合流を促しているが、仕事を理由に拒まれているのだ。

「辞めてもらう。第一、日本中がどうなるか分からないんだ。仕事も何もないだろう」

「そう言い切れるあんたが羨ましい。俺の所は、絶対、仕事を辞めない」

 水野氏が苦渋に満ちた表情をする。

「ウチもだ」

 中原氏も眉をひそめた。

「娘と同じ轍を踏むことになるから、さっさと合流しろって、再々言ってるんだが……」

 水野氏が苦しげに言った。

「とりあえず、ウチは、あのエッセイの責任もあるんだ。さっさと合流して、桃源郷ここのために働くよう言うよ。できた食料の恩恵を被るだけ被ったんだ。いい加減、こっちに協力してもらわないと」

 中原氏も疲れ切っている。

「まずは、ハッキングからだ」

 水野氏が言って、小小野寺博士と小林先生が頷いた。



 日本中のあちこちで、暴動が起きていた。今年も米の作柄が最悪だったのだ。



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