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桃源郷の日は暮れて  作者: 椿 雅香
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笹岡真紀子のアルバイト(2)

 補習の最終日、見慣れた赤い電気自動車が正門前に待っていた。

 舜だ。

 舜は、佐々木先生に挨拶をすると笹岡を促して笹岡家へ行く。笹岡が荷物を取りに行っている間に、笹岡の母にお利口さんの見本のような挨拶をしていた。


「申し訳ありません。今年は、この天気のせいで、何かと仕事が多くて、人手が足りなくて困っていたのです。

 大事なお嬢さんをお借りすることになりますが、万一仕事が合わないようでしたら、無理はさせず、できるだけ早くお返しいたします」

「いえいえ、ふつつかな子ですが、お役に立てるなら結構なことですわ。ビシバシこき使ってやってくださいな」


 笹岡夫人も舜を見て安心した。

 こんな好青年が育つ集落だ。無茶なことはさせないだろう。

 荷物を持って来た娘に、「ちゃんと仕事をして、お役に立つんですよ」と、言った。


 笹岡の弟や妹は、舜が土産に持って来た米や西瓜を見て目を見張った。

 姉は、今時、とんでもなく条件の良いアルバイトに行くのだ、と感心することしきりだった。


 車は10分ほど国道を走り、左に折れて山の県道へ入る。15分ほど走っただろうか、風が強くなって来た。


「笹岡さん。風が強いけど、窓、開けてごらん。町と違って、涼しいんだ」

 言われて窓を開けると、強い風が吹き込んで、目を開けていられないほどだ。

「本当に涼しいですね。でも、強くて、目、開けてらんない」

「ここらは、いつも風が強いんだ」


 いつの間にか、車は県道から脇道に入っていた。

 杉林を30分ほど走ると、広葉樹の森に出た。更に5分ほど走ると田畑があって、向こうに建物が見えてきた。所々に古い家が点在している。


「あれが、僕達の集落だ」


 笹岡は、目を疑った。

町では田んぼが干上がっていたのに、ここの田んぼは満々と水をたたえて青々とした稲が育っている。

 畑には西瓜やキュウリ、ナスやトマトといった夏野菜がたわわに実っている。

 こんなに違うのだ。


 別世界のようだった。


 車を見つけたのだろう。向こうから少女が走って来た。


 「舜く~ん」

 嬉しそうに頬を染めて駆けて来るのは、凛だ。

 水色の作業着のようなつなぎを着ている。いつものお下げも嬉しそうに左右に揺れている。


 凛は、車を止めた舜に飛び付くと、嬉しそうに抱きついた。

 舜は、そっと抱きしめてささやいた。

「人手が足りないから、笹岡さんにお手伝いに来てもらった」


 凛は笹岡を見て固まった。舜の体にしがみついて動けない。


 「大丈夫。笹岡さんは、凛ちゃんの友達になってくれるって。それで、今度の作業にも手伝いに来てくれたんだ」

舜が、優しく、ゆっくり諭す。

「本当?」

凛が訊いた。舜が頷くと、恐る恐る笹岡に訊いた。

「笹岡さん、凛のお友達になってくれるの?」

「私で良かったら」

今まで、ごめんなさい。でも、許してくれるなら、お友達になりましょう。そういう思いで頷いた。


 凛の顔が一気に明るくなった。


「だから、凛ちゃんも、ちゃんと、ご挨拶するんだ」

舜が、そっと背中を押す。

「ありがとう。凛、人との付き合い方、知らないから、いろいろ、教えてね」

 おずおずと言う凛はあどけなくて、これがあの数学で満点を取った秀才だとは、とても思えなかった。



 舜が笹岡に感謝の眼差しを向け、笹岡はこの二人の結び付きを羨ましく思った。



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