笹岡真紀子のアルバイト(1)
長くなったので、分けます。
10 笹岡真紀子のアルバイト
その日、補習の後で、笹岡は、進路指導室へ呼び出された。
今頃何の用事だろう。
中間だけでなく、期末も数学が最悪だったので、通常の補習の後、特別に指名補習でも受けるようにという指示でもあるんだろうか。でも、この学校で、指名補習というのは聞いたことがない。いずれにしろ、夏休み、本気で数学を頑張らないと単位がヤバイのだ。
首を洗って出頭した。
入り口を入ってすぐの応接に、一度だけ見たことのある優しげな顔が座っていた。進路指導の佐々木先生と楽しそうに談笑している。彼は笹岡に気が付いて、ふわりと笑った。
佐々木先生が楽しそうに言った。
「笹岡さん。いい話だ。小林くんの集落で人手不足らしい。そこで、小野寺さんの友達になれそうな女生徒で、責任感のある子ということで、君を紹介しておいた」
ワケが分からない笹岡に、佐々木先生は、楽しそうに続けた。
「この食料難に願ってもない話だぞ。
三週間、住み込みで農作業なんかの手伝いを頼みたいそうだ。
報酬は、滞在期間中の三食、これは例の固形の栄養食品じゃなくて、三食ともまともな食事が出るらしい。
小野寺さんの弁当のような感じだと思えばいい。俺が代わりたいくらいだ。
それと、数学の指導がある。ここにいる小林くんだけじゃなくて、あの集落で教師をやってる野中夫妻の指導があるそうだ。そこで、何とか数学を立て直して来るんだな」
笹岡は、ワケが分からなくて目をぱちくりさせた。
豪快に笑う先生の横で、舜が助け船を出した。
「要は、スキー場や民宿なんかにある滞在型のアルバイトだと思ってくれたらいいんだ。
ただ、報酬が、申し訳ないんだけど、西瓜とか米の現物支給になるんだ。ご両親の了解を取って、手伝ってもらえたら嬉しいんだけど……何しろ、今年は、この天気のせいで、作業量が半端じゃないんだ」
「西瓜なんか、今年、見たことないです、私。是非、是非、させてください。両親だって、私一人でも、自分で、食べ物をもらえるアルバイトについた方が、安心だと思います。
絶対、説得します!」
補習授業の最終日に、舜が迎えに来るという約束ができあがると、舜が真面目に頼んだ。
「ついでと言っちゃ悪いんだけど、凛ちゃんの友達になって欲しいんだ。
あの子、今まで、他人と付き合ったことがないから。
君のようなしっかりしたお嬢さんに側にいてもらえると、助かる」
「私で良かったら」
考えるより先にスルリと言葉が出た。
みんながバレーボールぶつけたり、ボール回してくれなかったりするの、と、舜の胸で泣いていたあどけない表情の少女を思い出した。
片山の行動が原因だとはいえ、自分もあの子に辛く当たってしまった。
初めての場所へ来て、独りぼっちで緊張していた可哀想な子だったのに。
あの子が、許してくれるなら、友達になろう。そう、思った。
笹岡の気持ちが分かったのだろう。舜が優しく微笑んだ。
「良かった。笹岡さんは、僕がの望んだ通りの人だ」
包み込むような笑顔だった。
次の日、学校に行くと、笹岡が山辺集落へアルバイトに行くという噂が広まっていた。
話があったのは昼過ぎで、補習は午前中で終わりだから、ここの学校の生徒達はどういう耳をしているのだろう。
いずれも羨望に満ちた眼差しで笹岡を見ている。
今時の食料事情で、何故かあの集落だけが食べ物に恵まれているという印象があるからだ。
凛の弁当がすばらしいのと、山道夫人が料亭や金持ちに売りに来る食材の見事さのせいだ。
笹岡と仲の良い大槻燿子が、笹岡を捕まえて言った。
「マキ。本当に行くの?」
「うん。オカンもオトンも乗り気なんだ。一人でも、自分で食い扶持稼ぐのがいたら、その分、家族は助かるって」
「でも、私達、片山くんのこともあって、あの子に辛く当たったから、きっと、虐められるよ」
「そうならないような気がする。だって、凛ちゃんの友達になって欲しいって、言われたんだもん」
「もう、人が良いんだから」
「でも、あの人は、嘘つかないような気がする」
「ったく、イケメンに弱いんだから!分かった。行けば良い。でも、あんまり辛いようなら、逃げておいで。遠すぎるから迎えに行けないけど、途中まで来たらスマホで連絡して。迎えに行くから」
「ありがと。ヨーコ」
そんなに、心配してもらうことなんだろうか。
首を傾げながら大槻と別れると、珍しく、片山が声をかけて来た。
「笹岡さん、君、山辺集落へアルバイトに行くって、本当?」
「ええ、そうよ」
「どうやって、頼んだんだ?」
「小林さんが、佐々木先生に訊いたらしい。小野寺さんの友人になってくれそうな女生徒で、仕事を任せることができる人って。
で、佐々木先生が、私じゃ、どう?って、声かけてくれたの。ラッキーだったわ」
「俺も頼んでくれないか?」
「無理よ。向こうは、女子って言ってたし……」
「よく考えて欲しい。農作業で人手が足りなかったら、普通、男手を必要としないか?絶対、おかしい!」
「どうやら、農作業は半分口実で、小野寺さんを女子高生に馴染ませることが目的みたいな感じだった。
つ、ま、り、彼にとっては、食料難のこの時期に、口実作って、女子高生に友人になってもらうことを頼まなくちゃならないぐらい、そのぐらい小野寺さんが大切なの」
大きく息を吐いて、寂しそうに続けた。
「片山くん。あの子にちょっかい出すの、やめた方がいいわ。小林さんは、あなたのかなう相手じゃない」
それから、悪戯っぽく笑って話題を変えた。
「片山くん。黒崎くんのこと知ってる?」
「怪我して、入院してるって聞いた」
「やったの、あの格闘家だよ」
「まさか?」
「黒崎くん、しょっちゅう、他人のお弁当、横取りしてたでしょ?」
「ああ。有名だった。だから、小野寺さんにも気を付けた方がいいって注意したんだ」
「一足遅かったのね。黒崎くん、彼女にも、ちょっかい出したみたいよ」
「えっ?」
驚く片山に、笹岡は、笑いながら言った。
「でも、相手が悪かったみたいね。スタンガンで撃退されたらしい」
「それって?」
「あの子、お弁当と一緒にスタンガン持ってるみたい。で、やられて頭に来た黒崎くんが、帰り際、待ち伏せて本気でやっつけようとしたんだって」
「何で知ってるんだ?」
「目撃者がいるのよ。黒崎くん、小野寺さんに『お前、学校にスタンガンなんか持ち込んで許されると思ってるのか?先生に言いつけてやる』って叫いたんだって」
「それって、自分がカツアゲしてましたって白状してるようなもんだろ?どこまで馬鹿なんだ?」
「で、事情を知った格闘家の奥さんが、『ここじゃあ何だから、場所を移して話しましょう』って言ったらしいわ。
黒崎くんにとっちゃ、願ったりかなったりでしょ。言いがかりつけて、暴力奮って、毎日弁当を用意させようって魂胆だったんでしょ。
でも、向こうが一枚上手だったみたい。三人してどっかへ行って、帰ってきたのが二人だけだったんだって」
唖然として、声も出ない片山に笹岡は面白そうに言い切った。
「あの格闘家の奥さん、本当に強いのね。
帰ってきたとき、『受け身もとれないのに喧嘩売ろうなんて、馬鹿だわ。あれで怪我したって、私の責任じゃないからね。体育の授業で真面目に受け身の練習しなかったあいつが悪いんだ』って言ってたんだって」
「それで、入院か?……弁当一つで、そこまでやるか?」
「あの集落の人達にとって、あの子は、そのぐらい大切な子だってこと」




