星の小さな王さま
引退作です
私はいつものように星空を眺めていた。そしたら急に、落ちてきたのだ。
落ちてきた――では語弊があるか。パラシュートなんてないのにフワリと少年が空から降りてきて綺麗に着地したのだ。
「ステキな夜だね」
なんて彼は言う。口をパクパクさせて驚いている私なんて見えていないようだ。しかし目はしっかりと合っている。
「ふ、不法侵入で突き出すわよ」
情けないことに声が震えた。今私は何も持っていない。もし彼が凶器なんか持っていたら――。
「僕はレグルス。君の名前は?」
「名前なんかない。あなた、こんな孤児院の屋上に降りてきてなんなの。院長に殺されるわよ」
私には今武器はない。レグルスと名乗った少年の姿を今一度確認する。
なんとも場違いだと思った。身長は私より低いくらいなのに、身につけているマントや高級そうなシャツに半ズボン。極めつけは白く光り輝く星が付いている王冠だ。彼は絵本に出てくる王さまのような格好をしている。
対して私の身なりは、絵本に例えるなら貧民だった。存在感を放つ不自然な長い金髪を除けば私はみすぼらしい格好に裸足なのだから。
「名前がないの? じゃあどうやって君のことを呼んだらいいのかな」
彼は首をかしげ考えているようだが、すぐにパアッと表情が明るくなった。
「じゃあ思いつくまでは『君』って呼ぶよ。それで君は何でそんな顔をしてるの?」
もうこの子に何を言っても通じないのだろう。少なくとも攻撃してくる様子はない。――私は諦めて張り詰めていた神経を解いた。耳は澄ませたままだが。
「さっきも言ったけど、院長に見つかれば殺されるわよ。うちの院長おっかないんだから」
「その『院長』は怖い人なの?」
レグルスは何も分かっていない。私が今こうして外で夜を過ごさなければならないのも院長の命令なのだから。
「そうよ。今月で何人の子が餌食になったか」
「ふうん、そうなんだ。ところで君さ、知らない?」
何を、と小声で聞き返す。階段の下から人の気配がする。どうにかしてこの少年の存在を隠さなきゃと無意識のうちに思っている私がいた。
「獅子の心臓。なくしちゃったんだ。この星に落ちた気がするんだけど」
「――は?」
彼は何を言っているのだろうか。からかってる様子はないにしても、獅子の心臓なんて。
――いや、彼が言うならそうなのだろうと感じた。だってレグルスは空からやってきたのだから。
「わからない。でも明日ライオンがいるところに行くよ。獅子って、ライオンのことでしょ?」
明日は半年に一度の孤児院総出の外出日。それは世間体の問題でしぶしぶ、という大人にとっては嫌な日だが、院の子ども達からすると自由を味わえる貴重な日だ。今回は隣町の動物園に行くと聞かされている。なんでも、この国で一番大きな動物園らしく、院の内情を何も知らない心の綺麗な園長さんが私たちを招待してくれたそうだ。
「明日探してきてあげるから。だからもう帰って」
「それはダメだよ。僕自身で見つけないと意味ないのだから。手伝ってもらうのは確かオッケーだったけど……全部任せるのはいくない」
「でも、それだったら院長に見つかってしまうわ」
「大丈夫。こっそり着いて行くから。そこで少しは自由に動けるでしょ?」
それはそうだけど、院の大人にバレないだろうか。
コツコツと階段を上ってくる音がする。顔がさあっと青くなるのを感じた。どうしよう、彼が、レグルスが危ない。
「わかったわレグルス。だから、今は帰って」
バンと背後で大きな音が鳴る。それと同時に目の前にいたはずのレグルスは消えていた。
「三十五番、今話し声がした気がするが誰かいたのか」
「――いいえ。誰もいません。独り言です」
冷たい視線が突き刺さる。院長よりはマシだけど、それでもやっぱり大嫌いな院の大人。
そもそも五階ビルの屋上、それも転落防止用――私はこれを逃亡防止用と捉えている――の高い柵があるのに誰が来るのだろうか。独り言と思われるのが一番楽だろう。
「だったら早く寝ろ三十五番。明日は早くに出るのだから」
「――はい」
入った順で呼ばれる名前代わりの数字。こんな「三十五番」なんかが名前だなんて認めたくない。
大人が消えてから、ひとりもう一度星空を見上げる。白く淡く、それでも他の星よりは光っている星が今日はよく見えた。
隣町の動物園からやってきてくれたバスに乗る。子供は全部で二十七人。先月は三十人いたのにな、とぼんやり思う。
運転手が動物園の人なので、院の大人達は今日が終わるまで乱暴なことはしないだろう。
「三十五ちゃん、楽しみだね」
「……そうね」
同じ時期に入ってきた「四十番」と呼ばれている少女が隣だった。私より六つ年下の彼女が最近負った痛々しい傷は、今日は見えないようにと長袖の下に隠されている。私も今日は「外出」ということでいつもよりいい服を着させてもらっている。
「動物園では自由行動みたいだけど、どこに行こうかなあ。私はね、首が長いの見てみたいの」
「キリン、って言うんだよ。私は……ライオンかな」
「らいおん?」
「首回りがふさふさした大っきな猫だよ」
「へーえ。三十五ちゃん物知りだね!」
夜を屋上で過ごしてるからって日中も外にいるわけではない。朝はほかの子と一緒に朝食をとるし、夕食も室内だ。労働も女だからと室内で裁縫をさせられている。
それ以外の隙間時間――そんな時間めったにないのだが――は物置に隠れている。そこは屋上の近くにある小さな部屋なのだが少し埃がかった本であふれかえっている。ここで読んだ本の知識が私を助けてくれている。
読み書きは院の人から教わった。簡単な書類の処を任せられる子を何人かほしいと考えていたようだ。
――私の場合、隠れてこそこそと本を読んでいたため知識が院の求めていたもの以上手に入れてしまい「賢くなりすぎた」とみなされ、それが原因で施錠された屋上で寝るはめになったのだけど。
「あ、もう着いたみたい」
誰かがそう呟いた。それは期待にあふれたものだったが、帰る時には絶望で満たされた声になるだろう。
「園から出なければ自由行動していいからな。ただし、院のルールに従うこと」
バスの前に座っていた院の大人が告げる。
院のルールといえば、外の大人に助けを求めないこと。三年前に外の人と接触しようとして罰せられた人がいたっけ。あの日の夜のことは、外出のたびに思い出される。
バスが完全に止まった。さあ、彼のもとへ行こう。
園内の案内板を見るとライオンはかなり奥にあるようだった。院の大人は今日は四人着いてきていて、二人は入り口付近に、もう二人は園内を歩き回るんだと思う。
変に走ると怪しまれる。でもレグルスと一緒にいるところを見られても駄目だろう。
幸いほかの子は園に入ってすぐ近くの動物を見に行くようだ。急いで行かなきゃ――。
「やあ『君』。昨日ぶりだね」
どうして今。急いで振り返るとそこには立っていてほしくない彼がいた。
「レグルス」
すぐそこに院の大人がいるのに。情けないことに足が震えた。あの夜が鮮明に思い出される。自分が受けたわけではないのに。自分よりも賢く年上だった「二十四番」の彼が、まるで今、受けているみたいに。
「大丈夫だよ。僕は君以外には見えないから」
そう言って私の手を引く。少し引きずられるような足取りだったが、不自然に思われないようにしてくれていたみたいだった。
「そういえば君にはお礼をしなくちゃね」
お礼? 聞き返すとレグルスはにっこりと笑った。
「獅子の心臓探しを手伝ってもらってるのに何のお礼もしないわけにはいかないよ。よし、君の願い事を一つだけ何でも叶えてあげる」
何でも、一つだけ……。それだったら私は自由になりたい。院から出て、自由になりたい。
「他の子への罪悪感とか、ないの?」
私の考えを読んだレグルスが聞いてくる。
「確かに院の決まりでは十八歳で院から出ていけるわ。私はそれが二年後なの。でも、待てない」
外に出たい。でもこのまま二年後に院を出れたとしても普通の子と同じように生きていけないだろう。それだったら――。
「自由になって、普通の人として生きていきたい。ほかの子に悪いとは思わない。酷いと思われてもいい」
レグルスは私の話を黙って聞いてくれた。
ライオンの檻に着いた。写真以外で初めて見るライオンは三頭、いや子供も合わせて五頭いる。
「ねえ、こんなところに獅子の心臓があるの?」
まさかそのままの意味ではないだろう。
「君がここに連れてきたんじゃないか」
正論を返される。そうだけど、と言う前に淡い光に遮られた。その温かく白い光は彼の王冠の星の光と似ていた。
「こんな感じなんだけど」
器用に光を何かの形にしていく。それは臓器と言うよりはバッジのようなものだった。
「僕は一番末っ子なんだ。なくしたとバレたら兄さんたちにどやされるよ」
「王さま、なのに怒られるの?」
「兄弟の中で王さまなのは僕だけだよ」
変なの。そう思いながら身を乗り出してライオンのほうをのぞく。
けれどもそこにバッジがあるようには思えなかった。
「まあまあ、気を落とさずに楽しみなよ。せっかくの外出日なんでしょ」
そう言われても素直に楽しめない……でも楽しめよ、と言っているような威圧感を感じる。
初めて見るライオンは写真や文字で見たときよりも「存在している」ことが実感できた。子供のライオンを目で追いかけていると、ライオンについての説明が書かれた看板が目に入った。
「ライオンって、どこに住んでるの?」
私は生息地を読み上げた。
「じゃあ、そこに行こうか」
一瞬聞き間違えたのかと思った。そこに、ってまさか。
「ちょっと待ってよレグルス。いくらなんでもそれは無理でしょ。それに、そんなことしたら、大人にバレちゃう」
今はまだ近くに院の大人はいないし集合時間まではまだまだある。けれども、いなくなったことを気づかれてしまったら。
彼は大丈夫だよと言って私の手を取った。全然大丈夫じゃないのに。そう発する前に私たちは白い光に包まれた。
淡い光でも光は光でまぶしく、無意識のうちに目をつぶっていた。彼に肩を叩かれ恐る恐る目を開けると荒野が広がっていた。
「レグルスは魔法使いなの?」
「僕はただの王さまだよ」
遠くを見ると数頭のライオンがいた。近づかないほうがいい気がする。彼らの口は今、血まみれだから。
「食事中みたいだね。でも、あまり満腹になれるほどの量はないみたい。君はお昼食べなくていいの?」
「一日三食なんて、裕福な家庭だけよ。院は朝夕の二食で足りるわ。外で労働している男の子はそうじゃないかもしれないけど」
現に厨房に勝手に忍び込んだ外での労働を押し付けられていた子たちが先月罰せられ、いなくなった。
「そっか。じゃあ僕たちは今のうちに食べられないように探そうか」
数十分間探したけれど、何もなかった。特に危険な目に遭わずに済んだだけ幸運なんだろう。
「それじゃあ戻ろうか」
「……結局、なかったね」
いったい獅子の心臓とやらはどこにあるのだろう。私はレグルスの手伝いを何もできていない。そのことが胸を苦しくさせた。
「僕は君を苦しめる院の大人じゃないよ」
私の手を取りながらそう言った彼はまるで慰めてくれているかのようだった。
「レグルスはどうして私と一緒に探しているの? あなただけのほうが効率がいいと思うのだけど」
「それでもいいんだけど、君と一緒じゃなきゃダメな気がするんだ」
「……なにそれ」
また白い光に包まれた。
目を開けるとライオンの檻の前にいた。周りに人はいなく、ライオンというものは意外と人気がないのかもしれない。
「時間もぎりぎりだろうし、急いで戻りなよ」
「あ、レグルス。その……ごめんなさい」
「そんなのいいから。怒られるんでしょ?」
実際は怒られるなんてものじゃないけど。
私はありがとうと言って、急いで帰りたくもない集合場所へ走っていった。
集合時間の二十分前についた。さすがにこれくらいの時間なら怒られないだろう。
「戻ってきたか三十五番」
周りに聞こえないくらいの大きさで院長が声をかけてきた。改めて院長の隣に立つと体格差を思い知らされる。私は院でも身長が高いほうで、二つくらい下だと思うけど男の子のレグルスと並んでも余裕で追い越すくらいだ。いや、レグルスが小さいのかな。それよりも横の長さ……つまりは太っているか痩せているかの違いがくっきりと浮き出ている。私たち子どもは労働ができる程度に痩せ細っているので、裕福の象徴とも言える肥満に近い体型には恐怖を感じる。大きな片手だけで人を殺せる……そんな気がしてならないのだ。
隣の圧迫感から逃れるかのように遠くを見ていると白い光がチラついた。目をこらすとレグルスの王冠の星だとわかった。
心配して見に来てくれたのだろうか。そうだと嬉しいな。長い時間同じ人ばかり見ていたら怪しまれると思いすぐに目をそらしたが、たぶん一度目が合った。
「そういえば四十番を見ていないか」
院長がうまく苛立ちを隠して言う。彼女はキリンを見に行くと言っていたが、ずっとそこにいるとは思えない。
「……む」
「どうしたんですか」
「あれ。四十番じゃないか」
院長の視線の先を見ると彼女と……その隣に大人の男性がいた。
読唇術、というものは出来ないから具体的に何を話しているのかわからない。けれども顔色を伺う限り長い時間話しているようではなさそうだ。彼女の足元をよく見ると膝から血が流れていたから転んだところを心配して声をかけてもらっていたのだろうか。
よく見たら推測できることなのに、院長はそう思っていないようだ。
「……くそが」
聞きなれているはずのとても冷ややかな声に心臓が凍った。そしてフラッシュバックする「二十四番」がいなくなったあの日。「四十番」が腕に痛々しい傷を負ったあの日。身体の傷も心の傷もまだ癒えていないこと。
「……院長先生」
隣で怒りで震える手を無理やり押し殺している院長は私の顔を見た。
「私が彼女をそそのかしたんです」
誰でもいいから大人に助けを求めろって。
「だから彼女は悪くありません。悪いのは――私だけです」
どうしてこんなことを口走ったのかわからない。
ただ、もうあの日と同じことは起きてほしくない。
「……んのクソガキが」
私の何倍もの大きな手が私の視界を覆った。
院長、ここ動物園なのに本性出していいんですか――なんて皮肉を込めて私は笑った。
ここで私が暴力を受けたら世間に悪質な院の顔を知らせることができる。たとえ私がどうなろうとも――。
「見つかったよ」
院長の手が私の首に触れる瞬間、淡くもまぶしい白い光が視界を埋め尽くした。ただ今回は目を開けていても平気な、そんな気がした。
「レグルス」
首を右に傾けると彼だけが目に入ってきた。周りにいた院長や他の人たちは誰も見えない。ただ混乱している声、何も見えないなんて騒いでいる音だけが遠く響いている。
レグルスの胸には確かにバッジがあった。それは獅子の形をしていて、心臓があるだろう場所に白く光る宝石が輝いていた。獅子の心臓と呼ぶ理由がわかった気がする。
「君のおかげだよ。本当にありがとう」
どうして私のおかげなのかわからない。それよりも、レグルスは私を見て話していないことが胸に引っかかった。
「約束通り君を自由にしてあげる。この白い光が完全になくなったとき、君はどこか遠くの町で戸籍をもって暮らすことになるんだよ」
「……ほんとうに?」
ずっと求めていた自由が目の前にある。遠くの町でまるで生まれ変われたみたいに新しい人生を歩める。
でも、今の私は本当にそれを望んでいるの?
「そう。ついでに院の人から君の記憶を消しておくよ。あの子もそれで罰せられることはない。だから――これでお別れだね」
そう告げた彼は私に背を向けた。遠くの騒音が聞こえなくなっていくのと同時に淡白い光もまぶしさを失っていく。
私の、今の私の願いは――。
「ねえ、待ってレグルス」
おいてかないで。ひとりにしないで。
「願い事、何でも叶えてくれるんでしょ? 私、自由になれなくてもいい。ただレグルスと――」
「君の名前、やっと決まったんだよ」
今まで私を見ずにいた彼が、私を見た。
「ミコー」
ミコー。それが私の……名前?
「輝くって意味があるんだよ。『三十五番』を別の読み方にしたわけじゃない。だからミコー、気に入ってくれると嬉しいな」
「レグルス……」
ありがとう。そう言う前に私の身体は温もりを感じていた。レグルスが私を抱きしめたのだ。
「君は自由になるんだ」
あの白い光が私を、そしてレグルスを包む。私を包む光と彼の体温はあたたかいのに、触れ合った肌から伝わる彼を包む光は冷たかった。
だんだんとその温度差もなくなっていく。肌に当たる感触もなくなっていく。
最後に彼の温度を感じたのは彼が濡れた私の頬を拭った指だった。
「またいつか、ね」
目を開けたとき、私はどこかの庭にいた。振り返るとこぢんまりとした一軒家があった。
ふわりと風が頬をかすめる。今までに感じていた風の冷たさとは違う。ここはあそこより南にある国なのだろうか。
そうしてからようやく今が夜だということに気付いた。院の屋上から見た時よりも星が近く感じる。
よく知っている気がする。夜空の中で誰よりも白く光る星に、そう思った。
レグルスはしし座の1等星で、「小さな王」や「獅子の心臓」という意味があります。また星言葉では貢献・自己犠牲、英雄志向などの意味もあるとか。
また1等星の中で最も暗いといわれています。兄弟のくだりはそこから。
主人公……ミコーは最後に無意識ですが自己犠牲の精神で四十番を守りました。それが落としてしまったレグルスのバッジを呼び寄せたのです。
……はい、裏設定を気にせず雰囲気で自分なりの解釈で読んでもらえると嬉しいです。
最後に主張しますが私は『星の王子様』を読んだことはありません。




