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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

少年と宿屋の娘と聖なる剣

作者: ふみふみ

 私の両親は、辺境の小さな町の外れで宿屋を経営している。

 町の外れの宿屋なんて、閑古鳥が鳴いてそうでしょ。その通り、閑古鳥が鳴いています。そりゃ、町の中心にある宿屋のようにはいかないよね。

 たまに来る常連さん相手の商売だけど、裕福ではないものの、明日食うに困るほど貧乏でもなかった。


 そんな両親は、恐ろしい程のお人好しだ。

 困っている人がいると手を貸さずにはいられないらしい。無銭飲食、無銭宿泊、借金、物品詐欺など、何度も騙されているというのに、一向に懲りない。

 おっとり穏やかなのはいいけれど、もっと危機感は必要だと思うの。


 しっかり者で気の強い私のお姉ちゃんが、口八丁で騙そうとしている奴らから両親を守ろうと悪戦苦闘しているが、不憫でならないと、妹ながら思ったりもする。


 でも、そのお姉ちゃん自身が実はかなりのお人好しなのだから、処置なしだ。


 因みに、お姉ちゃんは二十三歳にもなるのに恋人一人いない行き遅れ。

 両親を手伝って宿屋の看板娘をしていたら、婚期を逃してしまったおバカさんだ。

 十人並みではあるけども、それなりに可愛さがあるし、息子のいない宿屋の長女なのだから、結婚話がなかった訳ではない。問題は、知り合いが持ってくる話がどれも胡散臭いものばかりだったという事だ。

 お姉ちゃんは、二十歳を過ぎる頃には結婚しない宣言を両親へ突き付けていた。

 両親は恋愛結婚だったらしく、元々お姉ちゃんの結婚に固執していなかったようで、大人しく受け入れている。


 私はどうなんだって?

 十二歳下の妹である私に結婚話なんて来る訳ない。

 ま、十一歳の美少女である私は、後五年もすれば逆ハーレム状態間違いなしよ。

 行き遅れなんてあり得ないわ。


 さて、そんな美少女の私だけども、両親の手伝いもできる年齢になってきた事だし、少しでもお姉ちゃんに楽をさせてあげたいと考える今日この頃。

 お姉ちゃんのためには、恋人ができるのが一番なんだけどな。と、日々出会いを探している。もちろん私のではない、お姉ちゃんのだ。


 そんなある日、お人好しのお姉ちゃんが意識のない怪我人を拾ってきた。

 魔の森へ入ってすぐの所で倒れていたらしい。

 呼び名から分かるように、近くの森では魔物が出る。辺境だから、これは仕方のないことだ。

 家計の足しに、お姉ちゃんは魔の森にキノコや香草などを摘みに行く。

 怪我人を見つけたのはその時だったらしい。


 魔物が出るかもしれない森に女性が一人で行くのは不自然だよね。でも、ウチにとってはそうではないのだ。


 お姉ちゃんは実はかなり強くて、剣の強さは父譲りなんだって。


 私達が生まれる前、お父さんは傭兵をして、王様や騎士様と会ったことがあるくらい強かったらしい。

 お父さんは未だに時折いなくなって、数日後に帰ってくることがある。そんな時、お母さんがとても心配そうにしているので、傭兵の仕事を引き受けているのではないかと私は推測している。

 ほら、頼まれると嫌とはいえない夫婦だし。上手く使われてるんじないかと、聡明な私は思う訳ですよ。


 ということで、割と早くから剣を待たされ、父に鍛えられながら森を散策していたお姉ちゃんは、そこらの男よりよっぽど腕に覚えありな人なのだ。

 まあ、売れ残った原因はそこかもしれないんだけども。


 魔の森に倒れていたらしい怪我人は魔物に襲われて逃げてきたのだろうと、お父さんがお母さんに話していた。私は看病させてもらえないだけでなく、近づきさえさせてもらえなかった。


 そんなの、気にしろって言われているようなもんじゃない。


 怪我人が担ぎ込まれて三日目の朝。

 とうとう仲間外れに業を煮やした私は、家族の目を掻い潜り、怪我人が眠る部屋への進入を果たしたのである。


 うちは宿屋だから、いつだって空室がある。繁盛してないからね。


 その一室に怪我人は寝かされていた。

 南向きの一番いい部屋だ。

 客がいないからって、それはどうかと思うんだけどな、お父さん、お母さん。万が一にも奇跡が起こって、上客が宿泊したいって来たらどうするつもりなんだか。


 こっそり入った私は、呆れてため息をつくと、ベッドへと近づいた。


 怪我人が眠っているからか、カーテンが引かれていて、部屋は少し薄暗い。


 枕元にあった椅子に座って、私が怪我人に顔を向けると、金色の二つの光が私を捕らえた。


 だれ?


 声にならない掠れた声が私に投げかけられる。


 起きたばかりで喉が渇いていて声が出せない時に、こんな風になることがある。

 私は枕元に用意されていた水をカップに注いで怪我人に渡すべきだと思ったが、躊躇ってしまった。


 この人の怪我の程度を知らない。腕は動くのだろうか、起き上がって自分で飲めるのだろうか。


 逡巡している間に怪我人が自ら身を起こしてカップに残っていた水を飲んだ。


「君はシルヴィア?」


 名前を当てられてきょどってしまったけれど、家族の誰かが教えたのだと思い当たって、すぐに落ち着いて首肯した。


 怪我人は若い男の人だった。

 お姉ちゃんより年下だ。私との方が年齢が近いのではないかと思う。

 黒い髪に黒っぽい瞳。

 全体的に人に安心感を与える顔立ちで、顔の部品一つ一つは問題ないんだけど、目鼻立ちの凹凸が私が知っている人たちより浅くて、薄い印象を受ける。

 獣人やドワーフ程の顕著な違いがないから人であるのは間違いないんだけど、遠い国や違う大陸から来た人なのかなって思った。


「お姉ちゃんお仕事だから、私がいてあげるね!」


 強引に伝えて、私は彼の目を見つめた。


 黒に近い色の瞳が私の姿を映している。

 少し角度を変えてみても、その色は変化しなかった。黒い瞳は私を映して、不思議そうに揺らいでいる。


 でも、金色に見えたのは気のせいなんかじゃなかったと思うんだけど。確かに金の双眸が私を見たのだ。


「光が反射して、そんな風に感じたのかな」


 口にすると、それが正しい解釈のように思えた。


「きっと、そうだよ」


 彼がまるで私の心を読んだのかのように呟いたのが、何故か印象的だった。


 そのまま彼とお話ししたり手遊びしたりして午前を過ごしていると、仕入れから帰って来たお姉ちゃんに叱られて追い出された。続いて私を探していたお母さんにも叱られたけど、母の方は予想の範疇だった。


 それから、私達は彼のことをホークと呼んだ。

 紡がれた異国風の名前は発音が難しくて上手く発音できなかったから、お姉ちゃんが彼をホークと呼ぶことに決めたそうだ。

 二人の間でどのようなやり取りがあったのか、私は知らないし、教えてももらえなかった。彼のことを知らないってことに関しては、両親も私とどっこいどっこいって感じだ。


 生死の境を彷徨っていたにしては元気な怪我人は、数日で回復し、我が家に居つくことになった。お人好しの両親とお人好しのお姉ちゃんの成果である。


 私としては、ただでさえ客のいない宿屋に従業人を増やすことの無意味さや、厳しい家計から他者を養う余裕がないことなどを主張したいところだったけど、十一歳の子供の意見などこの家族の中では切って捨てられるのが分かっていたから、あえて何も言わなかった。

 遊んでもらえるとか、旅のいろいろな話を聞かせてもらえるとか考えて打算的に口を噤んだわけじゃないからね。

 ちょっとはあったかもしんないけど。


 いつもは閑古鳥が鳴いているうちの宿屋に変化が訪れたのは、ホークが我が家に来て一週間後のことだった。

 目に見えて宿泊客や食堂にくる客が増えたのだ。客達は冒険者で、目的は魔の森だった。

 現在、国から冒険者組合へ魔の森とその周辺への調査依頼が複数出ているらしくて、町の宿泊施設は満室状態なのだそうだ。


 そんな訳で、従業人となったホークは慣れる間も無く忙しさの中に放り込まれた。だから、二週間もすると、ホークは完全に我が家に馴染んでしまっていた。

 更に一ヶ月も経つと、彼がいるのが当たり前になっていたのだ。


 一緒に暮らしていると、多くの事がわかる。

 彼が歳の割に常識を知らないこと。なのに、変なところで博識なこと。礼儀正しいこと。不遜なところがないこと。でも、奇妙な仕草や習慣があって、変な行動をとること。時折十代とは思えない思慮深さを見せること。穏やかで優しい割に、案外引かない頑固さがあるところ。


 うん、家族みんなの意見を並べてみた。

 総意としては、少し変わっているけれど、悪い人間ではないってところだ。我が家に悪意のある存在ではないと、家族の誰もが理解していた。


 それに、本当にバレバレで見てるこっちが照れるぐらい分かりやすいお姉ちゃんの初恋が、やっと訪れたことも家族みんな知っている。


 いや、もうね、何があったの?ってぐらい年齢差なんて関係ないぐらいベタ惚れっぽいんだ。


 お父さんは若すぎると不満そうだけど、お母さんは年齢差に萌えるらしい。我が母ながら、時々意味がわからない。

 でもまあ、ここは生暖かく見守るべきだよね。


 それから、また一月が過ぎた。

 宿の繁盛は本格的になっていた。


 お父さんとお母さんとお姉ちゃんとホークはいつも忙しそうだった。

 でも、その中でも居候のホークが一番時間の自由が利くようで、暇を見つけては私の話し相手をしてくれた。


 彼の話は、竜の王様を倒す勇者だとか、動物を仲間に鬼達をやっつける英雄だとか、人を乗せた馬車が空を飛んだり、更には大きな島が空の上にあったり、荒唐無稽な内容で意味が分からないものも数多くあった。けれど、こんな辺境で、娯楽に飢えている私には何よりのご馳走だった。


 お姉ちゃんとホークはいい感じだった。互いに意識しているのが第三者からはモロバレなのに、二人とも一生懸命隠しているのが面白くて仕方なかった。


 二人の後ろで苦虫を噛み潰したような顔をしているお父さんと、くすくすと含み笑いをするお母さんを見ていることも面白かった。

 ここ一月の間、お父さんが裏庭でホークへ剣の稽古をつけていることがあったけど、それが将来の婿イビリでないことを願う。


 ある日、昔からの馴染み客の数人が宿屋に訪れた。一週間ほど滞在するとのことだったので、また父が出かけるのかと推察してみたら、的中だった。

 その夜、久しぶりにお父さんが出かけると言い出したのだ。

 次の日には、お父さんは馬上の人になっていた。


 お父さんが帰って来るまでの二日間、宿はそれなりに忙しかったけれど、ホークという働き手が増えていたので問題ないようだ。


 戻って来たお父さんの雰囲気はいつもとは異なっていた。


 いつもは帰って来るとホッとした笑顔を見せてくれるし、安心した面持ちで全身の緊張を解くのだけれど、今回はいつまでも深刻な表情を浮かべたままだ。

 そして、常連さん達と部屋に篭ってしまった。


 お母さんとお姉ちゃんはお父さんの様子で察することがあったのだろう。


 ホークの手を握るお姉ちゃんが震えていることに、私は気づいた。もちろん、私よりもホークの方がお姉ちゃんの様子に気づくのは早かっただろう。

 優しく、それでいて力強く握り返す彼の手が、私の目からも頼もしく見えた。


 そういった諸々をつぶさに見ていた私だけれど、お父さんもお母さんも、子供の私にはきっと詳しいことは教えてくれないのだろうと思った。


 魔王が侵攻してくるのではないかという噂が町に広がり始めたのは、お父さんが戻って数日後のことだ。

 領主が大々的に兵を募っているらしいという話と共にまことしやかに語られている。


 魔の森の魔物の増え方が例に見ないほど早く、そして強くなっていると、調査結果を出しているのは冒険者達だった。


 その結果を踏まえての領主の対応だろう。


 実際には準備はすでに行われていたというのは、お父さんが言ってたことだ。

 念の為、二ヶ月前から町には兵や冒険者が集められていた。調査との名目で。


 だが、辺境には、特に魔の森に近いこの町には、圧倒的に人と時間が足りなかった。







 幸せは日常の形をしていたのだと思う。

 お姉ちゃんにも、私にも、彼にも。


 私は、私達がここにいる意味を知らなかった。


 ここで居を構えているお父さんとお母さんはもちろん、良く魔の森に行っていたお姉ちゃんも知っていたのだと思う。


 それに、知ろうとすればいくらでも知る手段はあったのだ。


 魔の森近くの町から外れ、それも簡易の塀の外に建っているにもかかわらず、うちの宿屋は私が知っている限り盗賊や魔物に襲われたことがない。


 お父さんとお姉ちゃんは魔物が潜むと言われる魔の森へ定期的に入って行く。キノコや香草の採取という大義名分があるけれど、リスクを考えればそんな理由は陳腐なものであることはすぐにわかる。


 時折、長期間お父さんが外泊することがあるが、そういう時に限って、珍しく複数の宿泊客がいて宿が忙しかったりした。


 そういえば不思議に思ったことがなかったけれど、私は今までお母さんがうちの家の敷地の外へ出るのを見たことがなかった。


 それらへ何故?という疑問を付与すれば、不自然さは一目瞭然だったのに。


 辺境の魔物の軍勢との戦いは一方的で、町は簡単に魔物達に蹂躙されようとしていた。

 冒険者組合や町の衛兵が奮闘してはいたが、領主の行軍が間に合わなかった上、魔物の数が多すぎる。

 住民の避難も後手に回っていた。


 そんな中、未だ表面上は穏やかな時が流れていた我が家だったが、魔王にとって例外はない


 常連さん達と食堂に集まっていた私達は、窓から見えた宿屋の敷地の境界線に佇む魔王に驚愕していた。


 金に光る瞳は魔王の刻印だから。

 その瞳の色は間違えようがない。


 魔王が敷地内に入れようとした腕を、素早く引っ込めた。その顔は少し不機嫌そうだ。


 その様子に、建物の中にいたお父さんとお母さんがギュッと唇を引き結ぶ。その表情は、まずいなと言っているようだった。


 次の瞬間、何かを無理矢理こじ開けるような、不快な甲高い音が頭に響いたかと思うと、私達の目の前に魔王が立っていた。


「悪意あるものへの認識阻害、進入禁止の聖なる結界か。ただの魔王ならば気づいても入ることすらできぬ程の強固な結界とは面白い。人族でも最高位の魔導師がいるならば、ここに隠されているものが気になるのが道理というもの」


 そう呟いて、魔王が食堂を見渡した。


 魔王の言葉の意味が理解できなかったのは、私とホークだけだったようだ。

 常連さん達すら、何が起こっているのか理解していて、更には戦う覚悟があるようなのだ。


 お父さんが戦おうとするお姉ちゃんを止めて、お母さんと逃げるように指示を出す。

 お姉ちゃんだけでなく、お母さんも一緒に戦うと反論しかけたけれど、ホークがそれを止めたようだった。 私達の前ではすでに魔王と常連さん達との戦いが始まっていて、揉めている時間などない事は、誰の目にも明らかなのだ。

 そんなホークを見、お父さんは頼むと一言残してお姉ちゃんの背を押した。


 常連さん達の中に高位の魔導師がいるらしいので、今魔王を足止めできているのはその人のお陰かもしれない。

 そんな事を考えながら、私はお姉ちゃん達の後をついて行った。


 受け付け奥、厨房を抜けて居住スペースへ急ぐ私達に、常連さん達とお父さんの苦しげな声が届いた。

 お姉ちゃんが足を止めて振り返る。足を止めたお姉ちゃんを守るように、ホークも止まった。

 お母さんはきつく唇を噛んで、振り返りもせずに奥へと向かう。

 私もお母さんと共に先へと進んだ。


 だから、その後、お姉ちゃんとホークに何があったのか、私に知るすべはなかった。


 居住部分の両親の部屋へ入ると、お母さんは壁へ掌を向けて、何か呟いた。その瞬間、壁に扉のような穴が開く。

 隠し部屋だ。

 穴を潜る前に、お母さんが私を見た。

 その顔は蒼白だった。


「なるほど。お前が魔導師か。この結界の中では上手く力が使えない。入るのも難しいが、出る事は更に困難なようだ。だが、お前を殺せば結界は消えるはずだな」


 背後から魔王の声が聞こえたと思ったら、魔王の手が、私を超えてお母さんの細い首を掴んだ。


 何が起こっているのか理解できなかった。


 ここに魔王がいるのなら、お父さんとお姉ちゃんとホークはどうなったの?


 私は後退りながら、お母さんのピンチを助けに来るはずのヒーローを大声で呼ぶ。


 お父さん!

 お父さん!

 お父さん!


 お母さんは必死に抵抗しているけれど、力の差は歴然だった。

 このままではお母さんが死んじゃう!


 お父さん!!!!


 絶叫した瞬間だった。


 背後から何かが魔王の胸を貫いた。


 魔王の手がお母さんから離れる。座り込み、咳き込みながら、お母さんが何か呟いた。


 真っ赤な炎が魔王の体を包んだ。


 驚きに魔王が目を見開く。


「ほう。たかが人間が、俺に傷をつけるのか」


 まるで虫に刺されたかのような、声音と表情に、お父さんとお母さんが驚愕して言葉を失った。


「だか、六百年生きている俺にダメージを与えたければ、聖剣でも持って来る事だ」


 いうやいなや、剣に触る事なく胸から引き抜き、そのままお父さんの首へその刃を向けた。そして、纏う炎を腕の一振りで周囲へ落として、うずくまるお母さんを蹴り上げた。


 魔王を捕らえたはずの炎が、部屋を蹂躙する。

 木造の家は一気に炎が広がっていく。


 炎に包まれた部屋の中で、お母さんと私の間にかつてお父さんであった丸い物が転がった。驚きに見開いた青い瞳が私を見ていた。そこに私の姿は映らない。

 狂ったような、お母さんの叫び声が私の耳を打つ。


 それが、死というものであると、私は初めて知った。そして、お母さんの声が聞こえなくなった瞬間、私はまたもう一つ命が失われたことを悟った。


 魔王が動かなくなったお母さんの頭を足蹴にし、忌々しそうに潰していく様が、スローモーションのように流れていく。


 目の前で行われた凶行に、私は動くことも泣き叫ぶこともできないまま、呆然と隠し部屋へと入って行く魔王を見ていることしかできなかった。


 魔王の姿が見えなくなって、やっと私は動くことができた。


 失われたのは私の大切な人達。


 お父さん!


 お母さん!


 叫ぶ声は轟音と炎に掻き消され、大切な人に届かない。


 これは何の罰なのか。


 知らなかった。知ろうとしなかった。


 自分を取り巻く全てのことを都合の良く書き換えて、幸せという、人にしか持ち得ない宝物を手に入れたがったばかりに、失って初めて自らの罪を悟る。


 役割を忘れ、負うべき責任を怠ったばかりに、大切なものを無くしてしまった。

 自我とは、感情とは何と恐ろしいものなのか。


 魔王の不機嫌な罵声が聞こえて、私は我に返った。


 今までの発言から推察すると、お母さんは死んでしまったけれど、魔王が言う結界が維持されているのではないだろうか。


 そして、思い出すのはお姉ちゃんの顔。


 まだ、失われていない。


 私は、部屋を飛び出した。






 ホークが蹲って何かを抱き締めている。


 その腕にあるものに、私は涙が止まらない。


 声を限りに叫んでも、もう届かない。


 彼がお姉ちゃんを抱き締めたまま呟く言葉が、私の中に落ちてくる。


 戦いたいわけじゃない。

 力を振るいたいわけじゃない。

 大切なものを無くしたくないだけなのに。

 ただそばに居たかっただけなのに。

 それすら、力がなければ叶わない夢なのか。


 ああ、そうだ。

 私達はただ、穏やかな幸せを求めていただけなのだ。

 幸せは、お父さんの、お母さんの、お姉ちゃんの形をしていた。

 ずっと、この穏やかな時間が続けばいいと思っていた。

 だから、私は選べなかった。その瞬間、平和な日常が失われる事を心のどこかで理解していたから。


 昔、宿に泊まった吟遊詩人が口にした歌が私の脳裏に浮かんだ。


 力を求めし者、かの剣を纏いて魔を祓う刃となる。


 それはいにしえの英雄譚。

 神に創られし聖なる剣と、勇者の出会いの場面。


 力を求める者は此処にいる。

 力を与える者も此処にいる。


 ホークという名を与えられた彼が誰なのか、本当のところ、私は知らないし分からない。けれど今、力を求める者は、私の幸せの残滓だ。 何を躊躇うことがあるのだろう。


 私はお姉ちゃんを抱き締める彼の背をギュッと抱いた。


 その時、彼は初めて私に気づいたようだった。


「シルヴィア!? 何で逃げてないんだ!」


 ああ、悲しいのに、泣きたいのに、彼は私を心配してくれている。どうやってここから私と死んだお姉ちゃんを連れ出そうかと考えている。


 そんな貴方だから。

 貴方だけが、幻の私を見ることができるから。


「お姉ちゃんとお父さんとお母さんが死んでしまったの。わたし、一人になっちゃった」


 私の言葉に、彼が愕然とした。


 お姉ちゃんの亡骸を抱きながら、私に向き合う彼の瞳に炎が宿る。


「私は私の大事なものを守りたかった。でも、ホーク以外、いなくなっちゃった」


 それは、彼も同じだった。だからこそ。


 私はもう知っている。彼ら家族がこの辺境にいた理由を。誰かが選ばれるその時まで、彼らが守り抜かねばならなかった物を、私は知っている。

 私を、聖剣を守るために共にいたということを。


 私の存在は幻。

 何故シルヴィアという自我が芽生えてしまったのか、きっと神様でも分からない。

 私は聖剣の中でも特異な存在だろう。


「ホーク、力が欲しい?」


 私が尋ねた瞬間、黒に近い濃茶のはずの彼の瞳が金色に煌いた。

 答えは肯定。

 肯定は誓約に。


「貴方に魔王を倒す力をあげる」


 神が創った聖なる剣は、選び、誓う。剣が選んだ者が勇者となる。

 勇者が聖剣を振うのではない。聖剣を持つ者が勇者となるのだ。


 そう、たとえ、貴方が魔王でも構わない。







 魔王は長く生きて経験を積むほど強くなるらしい。


 家族を殺した魔王は六百年と言っていた。

 それだけ長い間雌伏していられる魔王は少ないと思う。魔王の中ではかなり格が上だろう。

 だから、生まれたばかりの魔王が挑んでも、勝ち目なんかあるはずもない。

 ホークは生まれて一週間ぐらいの時に、あの魔王にボコボコにされて、お姉ちゃんに拾われたらしい。そして、今回も力が足りず、お姉ちゃんを救えなかった。

 だけど魔王本人が言ってた通り、魔王は聖剣でしか殺せない。つまり、魔王同士が争っても、できるのは瀕死までで、お互いに息の根を止めることはできないのだ。


 だが、今のホークには聖剣がある。


 聖剣によって劇的に改造された勇者の肉体がある。


 魔王に魔王が殺せないのなら、ホークが勝つのは自明の理であった。


 お母さんが残してくれた結界が、魔王を束縛してくれていたこともあって、予想以上に簡単に決着がついてしまった。


 悲しいぐらい余りにも呆気なかったのと、ホークの鬱憤を晴らす様がねちっこい上に、えげつなかったので、私はもう思い出したくもないわ。

 これでも自我は十一歳の美少女なんだから。


 ちなみに、隠し部屋はお母さんが一度だけ使える一方通行の逃走経路だったようで、お母さんの魔力でしか開かない物だったらしい。


 教えてくれたのは、何人か生き残った常連さんの内の一人だった。

 昔、お父さんとお母さんと一緒にパーティを組んでいた人で、今は王国の偉い人なんだそうだ。

 魔法を使っていた人も王宮魔術師っていう偉い人なんだって。


 ホークが勇者になったことは、彼らから国王に報告される。


 勇者になったばかりの、この世に生まれて三カ月の魔王は、なにやら困っていたが、ただの剣に戻った私には関係のないことだ。


 魔王が倒れたことで、町を襲っていた魔物達が弱体化し、更には勇者と歴戦の戦士達が駆けつけたことで、呆気なく勝利を掴んだ。

 歴戦の戦士とは、もちろん常連さんの生き残りだ。


 事後処理は町の大人と常連さんに任せて、ホークはさっさと裏に引っ込みたいようだ。


「魔王が勇者ってのは、どうなんだ?」


 不意に、自らの手にある剣をしげしげと眺めながら、勇者になった魔王が、聖剣である私に話しかけてきた。


 そんなの、私に訊かれても答えられるわけがない。だって、敵同士のはずの魔王と勇者が同一人物だなんて、今まで前例がないことだもの。


 どちらもこの世界を存続させるために何千年も続くシステムの一つであり、神の技であることは間違いない。

 勇者も魔王も、この世界の神の子なのだ。


 実際のところ、世界に聖剣は複数あり、魔王も常に複数いる。一人の魔王が勇者になっても、世界にはまだまだ魔王も勇者もいるはずなので、そんなに問題はないかなっと、思ってる。


 でもまあ、聖剣に戻った今の私が、自分の考えを彼に伝えるすべもない事だし、大人しく沈黙を守ることにしよう。


 失われた家族を想いながら、私はしばしの眠りにつくことにした。




*おわり*

勢いで書き上げてしまった。

設定はノリです。

シルヴィア視点では書けない設定がありすぎで、突っ込みどころが満載ですね。

とりあえず、シルヴィアという名前は、幼いころに(恐らく赤子の時に)死んでしまった次女からという設定です。


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