夏夢
その日私は、暑さでなかなか寝付けなかった。
「暑い……飲み物を……」
電気代を節約しようと言う母の提案で、クーラーを使わない生活に切り替えた初日からすでにギブアップの兆しが見えた。負けず嫌いな私ではあったが、暑さには勝てそうにもない。
暗がりの中冷蔵庫を開けて素早く水を取り出す。コップに注ぎ、勢いよく飲み干すと、幾分か暑さはましになったような気がした。
駅前で配っていた適当な団扇で仰ぎながら、ベッドに戻る。
少しでも涼しくしようと窓を開けると、夜風が気持ちよかった。
「うーん……」
気付けば夜風も気持ちよさで寝てしまっていた。
その日は珍しく、夢を見た。
「あずさ、あずさ」
「何?」
「あずさ起きて」
目をこすりながらうっすらと目を開ける。優しく呼びかける声が、耳に届く。
「あずさ、あずさ」
「玲……君?」
「あずさ、今日も手をつないで寝よう」
「うん、ありがとう」
そこには恋人の玲君がいた。サラサラの茶色い髪に、まん丸の瞳。中世的な顔の玲君は、街を歩けばだれもが振り向くほどかっこよかった。優しくて、頼りになる玲君。どれだけ他の人に言い寄られても、私がいるからと断ってくれた。
「俺は、あずさがいればそれでいいんだ」
「私もだよ。玲君が世界で一番好き」
はじめて玲君と出会った時の衝撃は今でも覚えている。まるで漫画から出てきたようなかっこよさ、紳士的で優しい玲君は、入学当初から学部内外問わず、注目の的だった。
常に女性に囲まれ、同性からも慕われていた。そんな玲君が、なぜ私を選んでくれたのか今でも不思議でしょうがない。一緒にいると、本当に夢みたいだと思って、嬉しくて、涙が溢れそうになった。
「玲君はどうして私と一緒にいるの?」
「どうしてかな? あずさが大好きだからかな」
「ええー答えになってないよ」
「好きだから一緒にいたいんだ」
「どうして好きなの?」
「いつも、ニコニコしていて、見てると幸せな気持ちになるからだよ」
玲君はいつも私の手を握って寝てくれた。会えない日には私が寝るまで長電話もしれくれた。
「あずさ」
「なあに、玲君」
「好きだよ」
「私も好きだよ」
「一生大好きだよ」
「私も。ずっとずっと玲君が好きだよ」
手をつないだまま、玲君の顔が近づいてくる。やがてそっと唇がふれる。その瞬間が私は好きだ。まるで玲君から、唇を通じて幸せを分けてもらえたような気がするから。
「私ね、玲君といると幸せだよ」
「俺もだよ。本当に幸せ」
「今でもたまに泣きそうになるの。幸せすぎて幻なんじゃないかって」
「幻なんかじゃないよ、あずさ。俺はちゃんとあずさのそばにいるよ」
「ほんとに? 約束だよ」
「うん。だから安心してね、あずさ」
手をぎゅっと握りしめ、幸せな気持ちでまた眠りにつく。
「玲君……玲君……」
夢から覚めた私は汗だくになっていた。
そっと掌で目元に触れる。汗ではない、涙がそこには溢れていた。
「玲君、ほんとに私のそばにいてくれてるの?」
空に向かって問いかける。不意に勢いよく風が入ってきた。
夢で隣にいたはずの玲君は、今私の隣にいない。
「そっか、今日でもう三年目なんだよね」
玲君は三年前の今日、星になった。交通事故だった。
「玲君! 玲君!」
「あず……さ」
「玲君! しっかりして!」
「……好き…だよ……ずっと……愛して……る……」
それが、私が玲君からもらった最期の言葉だった。
お通夜も、告別式も私は泣きじゃくった。死んでほしくない、今にきっと大丈夫だよって玲君が抱きしめてくれるって思ってた。でも、玲君はもう……。
玲君とお別れをしてからずっと私は今日までの三年間、無気力に生きてきた。大学の授業も身に入らない、バイトも行けない状態で見かねた親に実家に連れ戻された。
実家に帰ってきても玲君との日々を思い出しては泣き、思い出しては泣きを繰り返していた。一緒に食べたもの、一緒に行った場所、初めてキスをしたとき、初めて体を重ねた夜、全部全部今でも覚えている。玲君のことを、忘れたことなんて一日もない。
「私はダメだなぁ、玲君にまだ心配かけちゃってる」
夢はきっと、心配した玲君が来てくれたんだと思うことにした。
心配して、だからいつものように私の手を握って眠ってくれたんだ、と。
やっぱり、玲君は優しい。
私は涙を拭いて、また眠りにつく。
「ごめんね玲君。ありがとう、今でも世界で一番愛してる」




