らせつ【改稿版】
私は昔から、男性というのがどうも好きになれない。
むしろ、嫌悪感を抱いている。姿をあまり直視できない。ずっと見ていると虫唾が走るようだ。
だからといって、別に女性がいいというわけでもない。
特に何かされたというわけでもない。
ただ、男性という存在が嫌いだ。
なぜこの世には、男と女しかいないのだろう。
なぜ男と女なのだろう。
なぜ私は、男性を好きになれないのだろう。
私は将来、どんな大人になってしまうのだろう。
私はごく普通の家庭で育った。
両親の仲は良く、一人っ子というのもあってか、随分甘やかされてきたと思う。
父との関係は、まあまあだ。本人は私が反抗期だと理解(妥協)してくれている。
端から見たら、まあなんとかやっていけているほうだろうか。
友人は少ない。いや、下手したらいないかもしれない。女子というのは、ことあるごとに恋バナをする。聞くぶんには良い。ただ、その話を私にまで振らないでほしい。
勉強のほうは、はっきり言ってできない。どうも頭の回転が遅く、理解力に乏しいのだ。記憶力も悪い。散々だ。
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森山喜代 十六歳。
晴れて高校一年生。
勉強はできないけれど、真面目だけを取り柄として、今日まで生きてきた。
学校はもちろん、指定校推薦。
そして、今日は入学式。
私は絶望感を味わいながら、この学校の校門をくぐった。
女子校ということで選んだ学校は、今年から共学になっていた……
指定校の中でも唯一、私の成績が推薦枠に届いた女子校だったのに。
馬鹿にも程があるよ、恨めしいよ、私の頭。
この現状を知ってから、ずっと心の中で落ち込みながら、私は講堂で式が始まるのを待っていた。
男性から少しでも離れられると、期待していたのに。
とにもかくにも、今さら後悔していても、何もならない。
せっかく入学できたのだ、これからどう過ごしていくべきか考えなければ。
なるべく無難な高校ライフを心がけよう。誰も傷つけないためにも。
一人で悶々とし、少しうつむき加減だった私は、入学初日からどこか近寄りがたい雰囲気だったに違いなかった。
校長先生が壇上に上がり、式の始まりを告げたのを機に、私は顔を上げた。
号令がかかり、全体が立ち上がったとき、私は視界の隅から視線を感じ、何気なくそちらを見た。
そして一人の男子生徒と目が合った。
見上げるような長身で、細身、かといってがりがりではない。彫りの深い、端正な顔立ち。切れ長の目。さらさらした清潔そうな黒い髪。
生まれて初めて、男性をまじまじと見つめたと思う。
嫌悪感は、不思議と感じなかった。
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彼とはそれ以来、目が合うことは極端に少なかった。偶然に合ったとしても、あちらのほうから逸らされてしまう。
私は幾度も彼のことを見ていた。そうと気づかれるのは何だか気まずいので、そっとさり気なく見ていた。
たぶん、それでもばればれなのだろうが、目を向けずにはいられなかった。
初恋、なんだろうか、これは。
そうであってほしい。
なんだ、嫌い嫌い言っておきながら、好きになれたではないか。ちゃんと正常だった。異常ではなかった。
私も人並みに恋愛ができるのだ。
なぜか気になる、もどかしい思い。ときには自分に嫌気が差すくらい。
こういうのも、悪くはないのかもしれない。
彼に出会ってから、私の男性に対する見方は変わったのだ。
そこまで悪い存在でもないだろうと、思えるようになった。嫌悪感も徐々に消えていき、そのまま無意識下に落ち着いてくれるならいいと思った。
彼を見ているだけで、私は普通の女の子でいられる。
良いことではないか。
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始めは見つめるだけで良かったのに……
時が経つにつれて、彼に対する思いは、ひしひしとつのっていた。
ずっと見ていたい。
一緒にいたい。
話をしたい。
仲良くなりたい。
彼に思いを伝えたい。
なのに、どうしたら彼に近づけるのか、わからない。
男性との接し方がわからない。
違う。それ以前の問題かもしれない。
彼はいつ見ても、たいてい一人だった。
休み時間などは、顔を机に突っ伏して寝ている。
一人が好きなのだろうか? それとも人間関係を拒絶しているのだろうか?
だが話しかけられると、嫌な顔もせず普通に会話している。
しかし、それにしても近寄りがたい、人を簡単には寄せつけないような雰囲気が、彼にはあった。
まるで、うっすらと見えない透明な幕が張ってあるというか、そんな感じだった。
最も、そう感じるのは私だけなのかもしれないが。
彼は見てくれが良いため、たまに告白されるのだが、すべて断っているという噂をきいた。
ならば、私が告白しても、断られるのは目に見えている……
それでも、イチかバチか、当たって砕けようか。
いや、かえって迷惑か。
そうやって、うじうじしているうちに、時は流れていった。
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「羅切」という言葉を知ったのは、中学のときだった。社会科の資料集の中に、「宦官」というのが載っていて、ええぇ!? としばらく放心状態になったのを覚えている。「羅切」はその延長線上のつながりで知ってしまった。
――宦官
東洋諸国で後宮に仕えた去勢男子。
――羅切
淫欲を断つためにあのぶら下がっている物体を切り除くこと。魔羅を切る意。
そんなのがあると知ってから、私はその小さな頭とやわな心を、時折悩ませている。
今の時代でも、これはさすがにあるのだろうか? やばい、勉強不足だ。気になって仕方ない。けど、こんなの勉強したくない! 何、この矛盾。
勉強するべきか、せざるべきか、それが問題だ……
「あれ、森山じゃん。何気難しい顔してんだよ?」
ふと顔を上げると、クラスメートの小坂君だった。
げっ、なんて最悪な……
ごめん、決して小坂君のせいではないよ。これはどこまでも、私の体質? の問題だからね。
悲しいかな、あの「彼」がそばにいなければ、嫌悪感は再発してしまうようなのだ。
「テスト期間終わったのに、図書室? 真面目だねぇ」
決してからかっているわけではない。本当に純粋にそう思った、という感じの声だった。
「あぁう……そそそそう! ちょっとぼぅっとしてただけ!」
「……そう」
いけない、嫌悪感が……+α動悸とか、どんだけ!?
落ち着いて、深呼吸。静かに深呼吸。
「まぁさ、ほどほどにな。勉強、根詰めても駄目なときは駄目なんだし。たまには息抜きも必要だよ」
小坂君はそう言いながら、私の横に、さも当然のように座ってきた。
ほぼ反射的に、私は今座っている椅子を、小坂君の椅子から数センチ遠ざけた。
小坂君はそんな私を見て、微かに苦笑する。
「森山、やっぱり男子苦手なんだ」
「ごめん……」
私はそのままうつむくしかなかった。
「良いよな、黒川」
不意にぼそっと聞こえた声は、ちょっとすねたような感じ。
「あいつのどこがそんなに良いわけ?」
「うーん……」
「噂知ってる? 彼、幽霊が見えるんだってよ」
本当かよ、と鼻で笑う小坂君は、私の曖昧な返答に痺れを切らしたかのように、少し強い口調だった。
その噂も聞いたことがある。信憑性はないけれど、一時期囁かれていた。
あの時期の彼は、どこか機嫌が悪そうだった。当たり前だよね。
「小坂君……そういう根も葉もないことを言って、馬鹿にしたりするのは、たとえどんな理由があろうと、ほめられたことではないと思うよ?」
自分でもびっくりするくらい、冷静で落ち着いた声が口から滑り出した。
隣ではっと息を飲む音が聞こえた。
しばらく、重たい沈黙がその場を支配する。
「悪かった。そんなつもりじゃ……俺、もう行くわ。森山、また明日な」
そう言って立ち上がり、図書室を去っていく小坂君の後ろ姿は、少しうなだれていた。
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「あの、黒川君」
卒業式。
私はついに一大決心をして、彼に声をかけた。
「ちょっと、いいかな? 伝えたいことが、あるんだけど……」
彼は一瞬顔をしかめたあと、渋々といったふうにうなずいた。
式はもう終わっていたので、流れ解散となっていた。
彼もその人の波の流れに乗って、帰宅しようとしていたのを、強引にひきとめてしまったのだ。
その渋々とした反応だけでも、気が重くなり、今にもくじけてしまいそうだ。
でも、さすがにもう後には引けないよなと、頭の片隅には妙に冷静な私がいた。
「黒川君、私ね、ずっと黒川君のこと、好きだったんだ……と思う」
我ながら、口下手だな、歯切れが悪い。頑張れ、私。頑張れ!
「もう卒業したから、離ればなれになっちゃうけど、どうしても、その……突然でごめんなさい! 迷惑だよね、今さら……それでも、思いを伝えておきたかったんだ」
彼のあまりの反応のなさに、だんだんと自信がなくなる。そのなけなしの自信が、完全にゼロになる前に言い切った、という感じだ。
「それで、お前は俺とどうなりたいわけ?」
「え?」
予想外だった。てっきり、「あ、そう」みたいな言葉で終わって、さっさと帰ってしまうのかと……
そして、次に彼の口から出た言葉は、私をその場に凍りつかせた。
「俺はお前を遠ざけたくて仕方ない」
彼は、背筋がぞっとするほど冷たい視線で、私の目を射抜いた。
ひしひしと伝わってくる、雪のように冷たい恨みの目。
なぜ?
「らせつに見えた。入学式のときからずっと。
もう、目の前には現れないでほしい。お互いのためにも」
淡々と、平然な顔でさらりと言うと、彼はその場で私に背を向けて、去っていった。
私は、今どんな顔をしているのだろう?
彼の後ろ姿を見つめることしかできない。
もう、見ることもないだろう姿を。
ある程度の覚悟はしていたつもりだったし、ある程度の予想もしていた。避けられているのは気づいていたから。
でもこの大打撃は、「ひょっとしたら取り越し苦労だったりはしないだろうか」なんて、甘い考えを捨て切れていなかったからなのかもしれない。お互いシャイだったとか。
本当、甘かったな。
私の胸を穿った彼の言葉は、まだジクジクと傷口を痛めつけているようだった。
「……森山」
振り返ると、小坂君がいた。
聞かれていたのだろうか。なんか、嫌だな、いろいろと。
「大丈夫?」
そう言いながら、心配そうにこちらに向かってくる小坂君から逃げるように、私はうつむきながらその場を走り去った。
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『らせつに見えた』
彼が言う「らせつ」は
――「羅刹」のことか。
大力で足が速く、人を魅惑し、また人肉を食うという悪鬼。赤い髪、青い目、黒いからだで、するどいつめと、きばを持っているという。のちに仏教の守護神となる。ちなみに女性の羅刹を羅刹女と呼ぶ。
思わず笑ってしまった。
黒川君、私は力持ちではないし、足も速くない。人を食べたりなんかしない。髪と目は黒いし、肌は白い。するどいつめときばもない。
それでも黒川君には、私がそんなふうに見えていたの?
入学式、目が合ったときの彼の表情を思い出そうとしたが、上手くいかなかった。
初めて男性に嫌悪感を抱かなかった。その事実に、ただただ安堵感を得たことしか覚えていない。
そうか、私は自分のことしか見えていなかったのだ。黒川君のことは、考えていなかった。あの不思議な感覚に惹かれていただけで、彼のことは何もわかっていなかったのだ。
私、最低な人間だ。いや、彼には人間にすら、認めてもらえていなかった。
それでも仕方ないのかもしれない。文句は言わない。
黒川君には、あんなこと言われたけど、私はあなたに感謝しているよ。
あなたのおかげで、自分の中で整理がついて、少しは男性への偏った変な感情に、飲み込まれずに対処できるようになれそうだから。
まだこれからどうなるかわからない。正直、このままあなたがいない状態で、これまでのように生活できるか不安だけど。
でも、出会う前だってそれなりに生活できていたんだから、たぶん大丈夫だよね。
安心して。
もう私、黒川君の目の前に現れたりしない、約束します。
もし仮に現れたりしたら、そのとき私は何をするかわからない。
だって、黒川君にとって、私は羅刹なんでしょう?
覚えておいてね。
黒川鉄矢君。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
改稿版という形で、また投稿いたしました。
書き直そう、書き直そうと思いながら、なんだかんだで一ヶ月以上が経過してしまいましたが、こうして改めて読んでみて、あぁ、やっぱりまだまだだなとつくづく感じています。
でも、これでも一回目に書いたときよりかは、マシになったのではないかとも感じています。
今回の改稿時に、一回目で使った言葉や言い回しをいくつか拾っていますが、前回のは本当に酷かったので、もう絶対見せられませんね(汗)
果たしてこのお話を、恋愛のジャンルにしていいのかちょっと疑問なのですが……
ファンタジーにしては何か違うし、むしろオカルト的な、ホラー的な雰囲気でしょうか? ひょっとして学園もの……
書いている本人がよくわかっていません、すみません。
このお話で伝えたいことは、たぶん伝わっていないのではと思うと、私の力量不足が悲しくなります。
読み返してみて空恐ろしい気がしたので、一応断っておきます。お話の最後の部分は、主人公の強がりみたいなものだと、受け取っていただけたらと思います。
書いている本人が言うのもなんですが、黒川君のキャラががらりと変わってしまったのに、びっくりしています。
あれ? こんな酷いこと言う人だったっけな……
このお話の本編である「三猿霊媒師」ですが、正直低迷しています。もともとがノンプロットで書いたのがいけなかったのですが、黒川君のキャラが崩壊してしまったので、もう一から書き直します。
すみません、「三猿霊媒師」読んだことのない人はわかりませんよね……いつか書けたら、また公開しますので、そのときは、もし良かったら読んでみてくださると、嬉しいです。
ノンプロットと言えば、この「らせつ」もそうですし、思えば「慈烏反哺」もそうでしたし、ちゃんとプロットらしいプロットを立てて書いたのは「お稲荷様の縁結び」くらいです。
とは言いつつその話も、せっかくプロットを立てたにもかかわらず、結局書いているうちに最後はずれてしまったのですが……
いや、今思えば、もはやあれはプロットでも何でもなく、ただの覚え書きでしかなかったのです!
つまり、ほぼ勢いです、すみません。
こんなどうしようもない作者の書いたお話ですが、ここまで付き合ってくださった方々に感謝を込めて、以上をあとがきとさせていただきます。
ありがとうございました。
※同人誌『三猿霊媒師』にも収録されています。
詳細は活動報告を読んでください。