命、愛に包まれて
この小説はminkの「世界で一番奇麗な場所」という曲を聞いていたときに思いついた話です。短編だからこそ、良い話になったと思います。どうぞお付き合いを
もうどのくらい登っただろうか。下を向き、来た道を見下ろすが、透明な雲に遮られていて見ることができない。この石段を歩き始めてかれこれ3時間は経つ。が不思議と疲れはない。こんな薄着で、雲の上の位置にいるにもかかわらず、全く寒さも感じない。
この石段を登っているのは僕だけじゃない。スーツを纏ったサラリーマンに、小さな幼い女の子、杖をついたお婆さんに、犬に猫、魚までいる。
皆この石段でできた果てしない一本道を、一定のペースで登っていく。休む者や、追い抜く者は誰一人としていない。
まるで何かに導かれるように、歩き続けているといった感じだ。
しばらくすると、僕の前を歩いていた、というよりは泳いでいた鮪が急に登るのをやめて、その場に止まった。
気になって前を見ると、鮪の前にいた強面で、いかにもヤクザ風のお兄さんも止まっていた。どうやら先頭の者が、目的地に着いたらしい。
それからは、少しずつ進むようになり、しばらくして、ようやく僕にも目的地が見えてきた、遙か上の方に、お寺のような建物が見える。どうやら皆あそこに入っていくようだ。
それからまた少しずつ登っていく内に石段がなくなり、平らな道になる。
そしてお寺の入口が見える所まで来ると、誰かが門の所に立っていることに気付く。しかも、門を通る一人一人に話し掛けているように見える。
何を話しているのか気になるが、何も聞こえない。そういえば石段を歩いていた時から何も聞こえないんだった。
そしてついに鮪の番が終わり、僕の番が来た。
門の所に立っていたのは女性だった。昔風の布でできた服を身に纏ったその人は、綺麗で端正な顔立ちをした人だった。
でも、足がない。
腰から下がぼやけている感じで、浮いているように見える。
「榎本 敬君ね」
突然話しかけられて、頭が真っ白になり、うまく返事を返せない。
「あっ……はい?たぶん」
「それでは、何故貴方がここに来たのか分かりますか?」
「確か…死んだからです」
僕が答えているというよりは、勝手に口が動いている感覚だ。
「その通りです。貴方は死にました。そしてここは、次の人生を決める場所です」
「次の人生を?」
「そうです。死んだら生き返るのではなく、生まれ変わるのがこの世の摂理です。何に生まれ変わるのかは、貴方の自由です。もう一度人間に生まれるのもいいでしょう。しかし今は、人間に生まれ変わる者達が殆どで、自然界のバランスがうまく保てずにいます。自然が崩壊したら人間も絶滅するということを知らないのでしょうか。それでも人間に成りたいというのならどうぞ」
いきなり来世を決めろと言われても、正直困る。やはり人間がいいのだろうか?優柔不断な僕には考える時間が必要だ。
「いきなりそんな事を言われても……すぐには…」
するとその人は、わかりました。と言い、門の脇の道を指差した。
「それでは、こちらの道を進みなさい」
言われたままに自分だけ違う道を歩くが、不安になる。門を通れなかった僕はどこに行くのだろうか?まさか地獄?
最悪のシナリオを頭に浮かべていると、やがて大きな広場に出る。広場の真ん中には、大きな湖がある。すでに何人かの人がいたのだが、よく見ると、泣き喚く人がいたり、激しく嗚咽している人がいる。何か悲しい事があったのだろうか?すでに死んでいるというのに。
すると僕のすぐ背後に、さっきの女の人が来ていた。
「あの湖から下界を覗くことができます。何に成りたいか、じっくり考えるといいでしょう。」
そう言い残して、その人は消えてしまった。
言われた通りに湖に近づき、中を覗くと確かに下界が見える。成る程。と思い、その場に胡座をかいて暫く覗くことにした。
すると、どこからか赤ん坊の産声が聞こえてくる、声の方に近づいていくと、見たこともない病院が見えてくる。どうやら赤ちゃんが産まれたらしい。母親に抱えられた赤ん坊は、力一杯生きている証を示すかのように、高らかに泣いていた。その赤ん坊が気になり、その子の人生を少し見守ることにした。
男として生を授かったその子は、顔は父親にそっくりだった。両親はとても嬉しそうに、これから協力して生活をしていくことを約束し、誓いのキスをする。
毎日のように夜通し泣く赤ん坊を、夫婦交代であやしにくる。何故か父が来た時にはなかなか泣き止まず、父は申し訳なさそうに妻を連れてくる。結局二人であやす形になってしまったが、二人とも笑顔だった。
寝不足の父は、毎朝眠たそうに会社に出勤する。妻と赤ん坊に行ってきますのキスをして、朝から晩まで働く。
会社で上司に怒られたときは、財布の中の家族写真を見ては、それを励みにし、家族のことをいつも思っていた。
母は赤ん坊の小守をしながら家事をする。買い物に出掛ける時は、何キロもする赤ん坊を背負って、歩いた。買い物を終えると荷物を両手に抱え、来た道を戻った。見ているだけで辛そうなそんな状況でも、母親は赤ん坊に話しかけるのをやめなかった。退屈させないようにと、家にある絵本を暗記して、ひたすら話かけていた。
両親の愛情を注がれて元気に育ったその子は、幼稚園に入園し、沢山の言葉を知り、沢山の知識を身に付け、沢山の友達を作った。毎日母親に手を引かれて、休まず幼稚園に行った。
幼稚園を卒園すると、すぐに小学生になった。
女々しい顔つきから、ちょっとだけ凛々しくなったその子は、ピカピカのランドセルを背負って登校班のみんなと元気に学校に通い始める。
ある日学校の授業で書いた、両親の似顔絵を持って帰ってきたその子は、自信満々に
「お母さんとお父さんだよ」
と言って両親にプレゼントした。正直絵は下手で、人かどうかも怪しいその絵を見た両親は、とても上手いと絶賛した。
その夜、母親は嬉しさのあまり絵を抱いて号泣していた。夫に背中をさすられながら、息子を起こさないように、泣いた。
しかし、小学校を卒業したその子は、中学校に入った途端に一変してしまった。
親に対して反抗的になり、帰ってくる時間もいつも深夜だった。髪を染め、ピアスも付けて、悪そうな友達と遊ぶようになった。
ある日煙草を吸っているところを父親に見つかり、殴られたその子は、父親に手を出した。そしてそれを止めに入った母親にまでも……。
そして中学校三年の高校進学を決めなければいけない時、母親は先生に呼び出され、あなたの息子さんはこのままでは私立の高校にしか入れないと言われた。息子にこのことを言っても、聞く耳すらもたない。
仕方なく私立に通わせるための学費を稼ぐため、母親は朝早くに新聞配達の仕事をし、昼から夜までデパートで働き始めた。そんなことを全く知らない息子は、家にもあまり帰ってこなくなった。たまに帰ってきては、ご飯がないと言い出して、疲れ切った母親を叩き起こしては、ご飯を作らせたりもした。
そんな息子を見捨てた父親は離婚を申し立て、母親に迫った。母親は何も言わずに判を押して夫に一言
「ごめんなさい」
と言って、泣いた。
夫がいなくなって、生活は困難を極めた。
しかし母親の苦労の甲斐あって、息子は私立の高校に通うことができた。
しかし息子の態度は悪くなる一方だった。無免許でバイクに乗ったり、深夜に街を徘徊したりして、警察のお世話になるようなこともしばしばあった。
そんなある日、いつものように無免許でバイクに乗った息子が、友達と二人で夜の道を競争していた。右側を走っていた息子は、あっという間に友達を抜き去り、そのまま蛇行運転を続けていた。すると、いきなり右側から大型貨物トラックが飛び出してきた。
この瞬間僕はこの子が死ぬことを悟った。
大きく跳ねられたその子は、数百メートルも飛ばされた。怖くなった友達は逃げ、トラックの運転手はハンドルを握ったままだった。
数日後、その子の葬儀は営まれ、多くの人が参列した。前の父親も来ていた。母親は参列者全員に頭を下げて、深々と礼を言っていた。
葬儀が終わった後、母親は自分の部屋の押し入れから、大きな箱を取り出した。その中身は、大切な息子からもらった、今までの手紙やカーネーション、似顔絵。全てが詰まっていた。
そして一つ一つを手に取り、懐かしそうに見つめて言った。
「ごめんね。敬」
その一言を合図にしたかのように、水面の下界は消えてしまった。
顔をくしゃくしゃにして泣いている僕の側にあの人がやって来た。
「わかったでしょう。あれが貴方の人生だったのです。残念ながら人間は愚かな生き物です。いつも大切な事に気がつきません。この湖に寄る人達は、皆同じです」
悔しくて涙が止まらない。こんな僕でも確かに愛されていた。あんなに近くにあった母の愛に気がつかなかった不甲斐ない自分に、怒りを覚える。
「過去を悔いても仕方ありません。自分が情けないと思うなら、母親の分まで来世を生き抜きなさい」
とめどなく流れ落ちる涙を両手で拭いながら、声にならない声をだす。
「お母さんの……榎本 美春の寿命を延ばすことはできないでしょうか?」
「可能です。では貴方の来世は榎本美春の命でよろしいですね?」
「……はい」
「分かりました。貴方の場合、5年寿命を延ばすことができます。お母さんもきっと喜ぶことでしょう」
すると、辺りが光に包まれ、僕は空気のように軽くなり、天へと昇った。
こんな僕を育ててくれてありがとう。
母さん。
母は僕を亡くしてから、運命の男性と出会う。
幸せな生活をその人と過ごし、新しい家庭を築いていた。
母は自分に息子がいたことを隠さず話し、その人はその事を真剣に受けとめていた。
二人の間に子供はできなかったが、それでもとても幸せそうに見えた。
久しぶりに母の笑顔を見た気がした。
しかし5年後、母はその人を残して他界した。
僕と同じ道を辿った母は、あの人に会う。
そこで僕が母の寿命に成った事を聞かされ、その場に泣き崩れてしまう。
息子に会うことを懇願するが、それはできないとあの人に何度も断られてしまう。
そして、諦めた母が口にした来世は、最後に愛した人の寿命に成ることだった。
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