欲しがりな妹に全部あげました。だって、もっと良いものを作れますから
「お姉様。その髪飾り、わたくしにちょうだい?」
またか。
鏡台の前で髪を整えてもらっていた私は、鏡越しに妹を見た。
桃色のドレスを着た十四歳の少女。
蜂蜜色の巻き髪。
大きな青い瞳。
頬には薄く紅が差し、黙って微笑んでいるだけなら、なるほど可愛らしい少女である。
黙っていれば、だが。
「これ?」
私は自分の髪に触れた。
銀細工の髪飾り。
中央には小粒ながら質の良い青玉がはめ込まれている。
昨日、完成させたばかりの品だった。
「そう、それ! 素敵だわ。わたくしの髪に絶対似合うと思うの!」
妹のリリアーヌは、当然のように手を差し出した。
私の返事など最初から必要としていない。
欲しいと言えば、自分のものになる。
彼女にとって、それは朝になれば太陽が昇ることと同じくらい当然のことなのだ。
「これは今日の夜会で使う予定なのだけれど」
「あら、お姉様には別のものがあるでしょう?」
「ないわ」
「だったら買えばいいじゃない」
「今日の夜会なのよ?」
「じゃあ、今から買いに行けば?」
無茶を言う。
私は鏡の中で小さく息を吐いた。
するとリリアーヌは途端に頬を膨らませた。
「……お姉様、もしかして、わたくしにくれないの?」
その声を聞きつけたように、部屋の外から足音が近づいてくる。
嫌な予感は、よく当たる。
「エレノア」
扉が開いた。
父、グレイヴ子爵だった。
その後ろには母もいる。
「またリリアーヌを困らせているのか」
「困らせてはいません。私の髪飾りを欲しいと言われただけです」
「なら譲ってやればいいだろう」
やっぱり。
母も困ったように眉を下げる。
「エレノア。あなたはお姉さんでしょう? リリアーヌはまだ十四歳なのよ」
私は十七歳。
三歳しか違わない。
そして十四歳は、欲しいものを我慢できなくても許されるほど幼い年齢ではない。
少なくとも、この国ではあと二年で社交界に正式に出る。
「でも、これは私のものです」
「また作ればいいではないか」
父が言った。
その一言に、私は黙った。
そう。
作れる。
だから父も母も、いつからか私のものを妹に与えることに何の抵抗も覚えなくなった。
最初は違った。
幼いころは、
「お姉様のものだから駄目よ」
と母もリリアーヌをたしなめていた。
けれど、ある日。
私が妹に人形を奪われたあと、そっくりな人形を自分で作ってしまった。
それからすべてがおかしくなった。
私は右手を髪に伸ばす。
銀の髪飾りを外した。
「はい」
「ありがとう、お姉様!」
リリアーヌの顔がぱっと輝く。
彼女は髪飾りを受け取ると、私の侍女を押しのけるように鏡の前へ座った。
「ねえ、つけて!」
侍女が困った顔で私を見る。
私は頷いた。
「つけてあげて」
「……かしこまりました」
侍女が妹の髪に銀細工を飾る。
リリアーヌは鏡の中の自分を右から左から眺め、
「やっぱりわたくしのほうが似合うわ!」
満足そうに笑った。
父も母も笑う。
「良かったな、リリアーヌ」
「ええ、お父様!」
「エレノアも、妹に優しくできて偉いわ」
母に頭を撫でられそうになり、一瞬だけ身を引きたくなった。
けれど我慢した。
もう慣れている。
「では、私は夜会の準備がありますので」
「ああ」
父たちは三人で部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静かになった。
侍女のマリアが、悔しそうに唇を噛んでいる。
「お嬢様……」
「そんな顔をしないで」
「ですが、あれはお嬢様が三日もかけて作ったものではありませんか」
「そうね」
「どうして……」
「大丈夫」
私は右手を持ち上げた。
頭の中に完成形を描く。
銀ではなく白金。
青玉ではなく、もっと透明度の高い蒼晶石。
先ほどの髪飾りは花を三つ重ねた意匠だった。
ならば今度は細い蔓を絡ませ、その中央に七枚の花弁を持つ花を咲かせよう。
細部まで想像する。
大きさ。
重さ。
形。
材質。
魔力の流れ。
そして唱えた。
「《クリエイト》」
淡い光が右手を包む。
光が収まったとき、私の手のひらには新しい髪飾りが載っていた。
白金の細い蔓。
中央に輝く蒼晶石。
その周囲には極小の月光石を散らしてある。
マリアが絶句した。
「……前より、すごくなっていません?」
「うん」
私は髪飾りを光にかざした。
「さっきのを作ったとき、留め具の角度が少し気になっていたの。そこも直してみたわ」
「お嬢様」
「何?」
「リリアーヌ様、これを見たら絶対に欲しがりますよ」
私は少し考えた。
確かに。
そして答えた。
「そのときは、また作るわ」
マリアは額を押さえた。
「終わりませんよ、それ」
その予言は正しかった。
恐ろしいほどに。
◇
私、エレノア・グレイヴには前世の記憶がある。
思い出したのは四歳のとき。
階段から転げ落ちて頭を打ち、三日間寝込んだ。
目を覚ました瞬間、
「あ、私、前にも生きてた」
と思い出した。
前世では日本という国に住んでいた。
特別な人間ではない。
ものづくりが好きな、ごく普通の女性だった。
雑貨屋を巡ったり、服や家具の写真を眺めたり、休日には自分で小物を作ったりするのが趣味だった。
そんな記憶と一緒に目覚めたのが、《クリエイト》という技能だ。
想像した物質を魔力によって作り出す。
ただし、何でも無制限に作れるわけではない。
構造を理解していないものは作れない。
大きなもの、複雑なもの、希少な材料を使うものほど魔力を消費する。
生き物は作れない。
そして一度作ったものを改良して作るほうが、最初から作るよりずっと楽だった。
この最後の性質が、後にとんでもないことになる。
最初にリリアーヌに奪われたのは、人形だった。
私が六歳、妹が三歳のころだ。
母から誕生日にもらった人形を見て、リリアーヌが泣いた。
「リリもほしい!」
母は最初、同じものを買ってあげると言った。
しかしリリアーヌは首を振った。
「それがいい!」
「これはお姉様のものよ」
「それがいいの!」
床に転がって泣いた。
結局、根負けした母が私を見る。
「エレノア。少しだけ貸してあげて?」
貸す。
そのはずだった。
人形が戻ってきたのは三日後。
髪はぼさぼさ。
ドレスには果汁の染み。
片方の靴がなくなっていた。
悲しかった。
だから夜、自分の部屋で《クリエイト》を使った。
元の人形を思い出しながら作る。
けれど、どうせなら少しだけ可愛くしたかった。
髪を柔らかく。
瞳を硝子玉に。
ドレスの刺繍を増やす。
翌朝。
私のベッドに座っていた新しい人形を見て、リリアーヌが叫んだ。
「そっちがいい!」
二体目も奪われた。
だから三体目を作った。
今度は関節を動かせるようにした。
奪われた。
四体目には着せ替え衣装をつけた。
奪われた。
五体目は髪をとかせるようにした。
奪われた。
六体目。
七体目。
八体目。
気づけばリリアーヌの部屋には人形が二十七体あった。
私の部屋には一体だけ。
二十八体目。
当然、それが一番出来が良かった。
「どうしてお姉様ばっかり!」
リリアーヌは泣いた。
いや、二十七体持っているでしょう。
幼い私は本気で不思議だった。
それからも同じことが続いた。
私が新しい靴を買ってもらう。
リリアーヌが欲しがる。
譲る。
《クリエイト》で、もっと履きやすい靴を作る。
「そっちがいい!」
譲る。
さらに改良する。
また欲しがる。
帽子。
鞄。
ドレス。
首飾り。
香水瓶。
筆記具。
ティーカップ。
本棚。
椅子。
果てはベッドまで。
十歳のころ、
「お姉様のベッドのほうが可愛い!」
と言われたときは、さすがにどうかと思った。
だが父は言った。
「エレノアなら新しいものを用意できるだろう?」
私は用意した。
前世の知識を参考に、身体を支えやすい寝具を作った。
翌日。
リリアーヌが私のベッドで寝ていた。
「こっちのほうがふかふか!」
それも取られた。
仕方ないので、さらに改良した。
通気性を良くし、季節に合わせて敷物を交換できるようにした。
三日後。
また取られた。
結果。
十四歳になったリリアーヌの部屋には、ベッドが六台ある。
寝室なのか家具店なのか分からない。
衣装部屋はさらにひどい。
ドレス百二十七着。
靴八十三足。
鞄四十二個。
帽子六十四個。
宝飾品については、もう数えていない。
一度、母が言った。
「さすがに多すぎるのではないかしら」
するとリリアーヌは泣いた。
「だって、お姉様が次々に新しいものを持つんだもの!」
なぜ私が悪いことになっているのだろう。
父は私を叱った。
「妹を刺激するようなことをするな」
「では、私は何も持つなということですか?」
「そういう意味ではない」
ではどういう意味なのか。
父自身も分かっていなかったと思う。
私はこのころには、もう諦めていた。
欲しければあげる。
そして作る。
それだけ。
ただ、一つだけ。
家族は知らなかった。
リリアーヌが私から物を奪うたびに、《クリエイト》の精度が上がっていることを。
◇
十七歳になった春。
王都で大きな夜会が開かれた。
私は例の白金の髪飾りをつけ、新しく作った薄青色のドレスで参加した。
もちろん、リリアーヌもいる。
彼女は私から奪った銀の髪飾りをつけていた。
そして会場に入って十分後。
私を見つけたリリアーヌの顔が引きつった。
分かりやすい。
自分の髪飾りより私の髪飾りのほうが良いと気づいたのだ。
「お姉様」
来た。
「その髪飾り……」
「駄目よ」
先に言った。
「まだ何も言ってないわ!」
「欲しいのでしょう?」
「……だって」
リリアーヌが私の頭を見る。
「そっちのほうが綺麗なんだもの」
「あなたが持っているものも、昨日までは私のものだったでしょう?」
「でも、今はこっちがいいの!」
「今夜くらい我慢して」
「お姉様!」
声が大きくなる。
周囲の視線が集まった。
まずい。
「リリアーヌ」
男性の声がした。
私たちは同時に振り返る。
金髪の青年が立っていた。
アルバート・セイルズ。
伯爵家の次男。
そして、私の婚約者。
「夜会の最中だ。あまり大きな声を出すものではないよ」
「アルバート様……」
リリアーヌの態度が一瞬で変わった。
しおらしく俯く。
「ごめんなさい。わたくし、お姉様の髪飾りがあまりに綺麗だったから……」
「なるほど」
アルバートが私を見る。
「エレノア。妹に譲ってやったらどうだ?」
私は彼を見た。
この人もか。
「今つけているものをですか?」
「君ならまた用意できるのだろう?」
「夜会の途中ですが」
「別のものに替えればいい」
リリアーヌが期待に満ちた目で私を見る。
私は笑った。
「嫌です」
二人が固まった。
「え?」
リリアーヌの口が開く。
「今日は嫌よ」
「どうして?」
「私が使いたいから」
ただそれだけ。
なのにリリアーヌは信じられないものを見るような顔をした。
「お姉様なのに?」
その言葉に、少し笑いそうになった。
姉とは、妹に所有物を献上する生き物ではない。
「そうよ。姉だから何?」
「ひどい!」
リリアーヌは走り去った。
アルバートが私を睨む。
「泣かせる必要はないだろう」
「泣いてはいませんでしたよ」
「そういう問題ではない」
「では、どういう問題です?」
彼は答えなかった。
代わりに妹を追いかけていった。
私はその背中を眺める。
胸は不思議なくらい痛まなかった。
そのとき。
「お嬢様」
背後から静かな声がした。
振り返らなくても分かる。
「レオン」
「お飲み物を」
銀の盆に果実水が載っている。
差し出しているのは、黒髪の青年だった。
二十歳。
背が高く、肩幅は広い。
整った顔立ちをしているが、華美なところはない。
黒い使用人服を隙なく着こなし、背筋を伸ばしている。
レオン。
私の専属従者。
そして。
私が四歳のころ、街で拾った人だ。
◇
前世の記憶を取り戻して間もないころ。
私は父母と馬車で街へ出かけた。
その帰り道。
裏通りに、一人の少年が倒れていた。
七歳くらいだったと思う。
痩せ細り、服はぼろぼろ。
私は馬車を止めてもらった。
「この子、連れて帰る」
当然、父は反対した。
「犬や猫ではないのだぞ」
「分かってる」
「素性も分からない」
「じゃあ調べて」
四歳児の私は頑固だった。
前世の感覚が残っていたから、目の前で死にそうになっている子供を放置できなかった。
少年は屋敷で治療を受けた。
身寄りはなかった。
両親は流行病で亡くなり、遠縁を頼って王都まで来たものの、その相手もすでに引っ越していた。
行き場を失い、数日何も食べていなかったらしい。
「なら、うちに置いて」
「エレノア」
「私の使用人にする」
父は頭を抱えた。
だが結局、許可した。
それがレオンだった。
最初の数年は、兄のような存在だった。
私が勉強するときは隣にいた。
庭で転べば手を差し出した。
リリアーヌに玩具を奪われて泣いていたころは、
「お嬢様。俺が直します」
と壊れた人形を不器用に修理してくれた。
十二歳を過ぎたころから、彼は正式に従者として教育を受けた。
剣術も学んだ。
礼儀作法も学んだ。
読み書きも、計算も。
私が《クリエイト》について初めて打ち明けた相手も、レオンだった。
十五歳のころには、もう彼を兄のようには思えなくなっていた。
でも私は貴族令嬢。
彼は平民の使用人。
しかも私には婚約者がいた。
だから何も言わなかった。
レオンも何も言わなかった。
ただ、いつも私の隣にいた。
◇
その夜会から三か月後。
父に呼ばれた。
執務室に入ると、父と母がいた。
アルバートもいる。
そしてリリアーヌ。
嫌な予感がした。
「エレノア」
父が重々しく口を開く。
「お前とアルバート殿の婚約について話がある」
「はい」
「解消することになった」
私はアルバートを見た。
彼は少し気まずそうに視線を逸らす。
隣ではリリアーヌが頬を赤くしていた。
なるほど。
分かりやすい。
「理由を聞いても?」
アルバートが答えた。
「私は……リリアーヌを愛してしまった」
やっぱり。
「そうですか」
「怒らないのか?」
「怒ってほしいのですか?」
「いや……」
「では、問題ありません」
あまりにもあっさり答えたせいか、リリアーヌが不満そうな顔をした。
「お姉様」
「何?」
「アルバート様を、わたくしに取られるのよ?」
「そうね」
「悔しくないの?」
私は少し考えた。
「特には」
「嘘よ!」
なぜ怒る。
「お姉様はいつもそう! わたくしが何をもらっても、すぐにもっと良いものを手に入れる!」
「作っているのよ」
「同じことでしょう!」
違う。
かなり違う。
リリアーヌは立ち上がった。
「人形も! ドレスも! 宝石も! 家具も! 全部そう! わたくしがもらった瞬間に、お姉様はもっと良いものを持ってる!」
「それで?」
「だから今度こそ、絶対にお姉様が作れないものをもらったの!」
彼女はアルバートの腕にしがみついた。
「人間は作れないでしょう?」
勝ち誇った笑顔。
私はしばらく妹を見つめた。
そういうことだったのか。
彼女がアルバートを好きなのだと思っていた。
違った。
私から奪いたかっただけなのだ。
物では勝てない。
なら、人ならどうだ。
そう考えたらしい。
私は思わず笑った。
「……何がおかしいの?」
「ごめんなさい」
「負け惜しみ?」
「違うわ」
確かに人間は作れない。
だけど。
「お父様」
私は父を見る。
「婚約解消を受け入れます」
「そうか」
「ただし、条件があります」
父が眉を寄せる。
「条件?」
「次の結婚相手は、自分で選ばせてください」
部屋が静まり返った。
最初に笑ったのはリリアーヌだった。
「お姉様ったら!」
口元を押さえて笑う。
「そんなことでいいの?」
「ええ」
「アルバート様以上の殿方を自分で見つけられると思っているの?」
「探す必要はないわ」
笑いが止まった。
「……え?」
「もう決めているから」
私は扉を見る。
「レオン」
扉が開いた。
廊下で待機していたレオンが入ってくる。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「ええ」
私は彼の前へ歩いた。
そして振り返る。
「私が結婚したいのは、レオンです」
沈黙。
父。
母。
アルバート。
リリアーヌ。
全員が固まった。
「は?」
最初に声を出したのは父だった。
「この使用人とか?」
「はい」
「平民だぞ!」
「知っています」
「子爵令嬢が平民と結婚できると思っているのか!」
「ですから、許可をいただきたいのです」
「馬鹿な!」
父が机を叩いた。
しかし。
「お父様」
リリアーヌが口を挟んだ。
私は妹を見る。
彼女は笑っていた。
とても楽しそうに。
「いいじゃない」
「リリアーヌ?」
「だって、お姉様はアルバート様をわたくしに譲ってくださるのよ? だったら、それくらい認めてあげましょうよ」
そして私を見る。
その目には優越感があった。
伯爵令息を手に入れた自分。
平民の使用人を選ぶ姉。
ようやく勝った。
そう思っている。
「それに、お姉様が自分で選びたいって言ったんだもの。後からやっぱり嫌だなんて言わないわよね?」
「言わないわ」
「絶対?」
「絶対」
「なら決まりね!」
父はしばらく渋った。
しかしセイルズ伯爵家との縁談を壊さず、リリアーヌをアルバートと婚約させるためには、私が素直に身を引くのが一番都合がいい。
結局、父は条件を飲んだ。
「好きにしろ。ただし、平民と結婚するなら子爵家から出てもらう」
「分かりました」
「持参金も最低限しか出さん」
「必要ありません」
父の眉が動いた。
「……何?」
「家を出ます。ですから今後、私の生活についてグレイヴ子爵家から援助をいただく必要はありません」
「強がりを言うな」
「強がりではありません」
私は頭を下げた。
「今まで、お世話になりました」
そしてレオンを見る。
彼はまだ呆然としていた。
部屋を出たあと。
廊下をしばらく歩いてから、ようやく彼が言った。
「お嬢様」
「何?」
「先ほどのお話ですが」
「うん」
「俺には何の相談もなかったように思うのですが」
「……そうね」
まずい。
完全に勢いだった。
「迷惑だった?」
レオンが止まる。
私も止まった。
彼は長い間、私を見つめていた。
「十二年です」
「え?」
「俺がお嬢様に拾われてから、十二年経ちました」
「うん」
「そのうち五年くらいは、自分の気持ちを隠すのに必死でした」
心臓が跳ねた。
レオンが笑う。
「今さら迷惑だと言ったら、俺は相当な馬鹿でしょう」
「……それって」
「ただ、一つ訂正してください」
彼は私の前に跪いた。
そして手を取る。
「お嬢様が俺を選んだのではありません」
「え?」
「俺も、あなたを選びます」
手の甲に唇が触れた。
顔が熱くなる。
《クリエイト》では絶対に作れないもの。
それが確かに、そこにあった。
◇
一か月後。
私はグレイヴ子爵邸を出た。
持っていったものは驚くほど少ない。
服。
本。
思い出の品。
それから自分で貯めたお金。
「本当にそれだけなの?」
見送りに出てきたリリアーヌが聞いた。
「ええ」
「宝石は?」
「ほとんどあなたにあげたでしょう?」
「家具は?」
「置いていくわ」
リリアーヌの目が輝いた。
「じゃあ、もらっていい?」
「どうぞ」
「本当に?」
「ええ」
私の部屋に残っている家具のほとんどは試作品だ。
使えないわけではない。
むしろ市販品より品質は高い。
ただ、最新作ではないだけ。
「ありがとう、お姉様!」
妹は上機嫌だった。
アルバートも見送りに来ていた。
「エレノア」
「何でしょう」
「……その、困ったことがあれば相談してくれて構わない」
「ありがとうございます」
「私も君を不幸にしたいわけではないんだ」
「そうですか」
「平民との生活は大変だと思うが……」
隣にいたレオンの眉がわずかに動いた。
私は彼の袖をつまんで止める。
「お気遣いありがとうございます」
それだけ言って馬車に乗った。
動き始める。
窓から屋敷を見る。
生まれ育った家。
寂しくないと言えば嘘になる。
けれど。
「後悔していますか?」
向かいに座ったレオンが聞いた。
「少しだけ」
「戻ります?」
「絶対に嫌」
即答すると、彼が笑った。
「なら、行きましょう」
「うん」
馬車は王都へ向かった。
◇
私は王都で小さな建物を借りた。
一階が店舗。
二階が住居。
従業員は二人。
私とレオンだけ。
看板には、
《エレノア工房》
と書いた。
最初の商品は髪飾りだった。
あの白金の髪飾りを改良したもの。
もちろん白金や宝石をそのまま大量に作れば、市場を壊しかねない。
だから一般向けには銀や真鍮を使い、天然石や硝子を組み合わせた。
重要なのは材質ではない。
意匠と使いやすさだ。
髪を傷めにくい。
落ちにくい。
重くない。
それでいて美しい。
三日で売り切れた。
次に化粧箱を作った。
これも売れた。
次は鏡。
靴。
鞄。
食器。
寝具。
私は知っていた。
何度も作ってきたから。
どうすれば使いやすくなるか。
どこが壊れやすいか。
どんな意匠が好まれるか。
全部。
皮肉なことに。
リリアーヌが何度も私から物を奪ってくれたおかげだった。
奪われる。
作り直す。
改善する。
また奪われる。
さらに改善する。
十年以上続いたその繰り返しで、私は何百、何千という品を作っていた。
《クリエイト》も成長した。
今では頭の中に構造を正確に描ける品なら、ほとんど失敗しない。
半年後。
《エレノア工房》は《エレノア商会》になった。
職人を雇った。
私は《クリエイト》だけに頼らなかった。
試作品を私が作り、それを職人たちが量産できるよう設計を簡略化した。
作り方を教える。
改善する。
品質を揃える。
これなら私がいなくても商品を作れる。
一年後。
王都に三店舗。
二年後。
地方都市を含め十二店舗。
そして三年目。
私はレオンと結婚した。
豪華な式ではなかった。
商会の従業員。
取引先。
友人。
私たちを応援してくれた人だけを招いた。
「エレノア」
式のあと。
二人になった部屋で、レオンが私を呼んだ。
「何?」
「欲しいものがあります」
少し身構えた。
その言葉には長年の経験がある。
「……何?」
レオンは笑った。
「これから先のあなたの時間を、できるだけたくさん」
私は瞬きをした。
そして笑った。
「それは《クリエイト》では作れないわ」
「知っています」
「しかも私のものよ」
「だから、奪いません」
彼は手を差し出した。
「分けてもらえれば、それで十分です」
私はその手を取った。
「半分くらいなら」
「十分です」
そうして私たちは夫婦になった。
◇
一方。
私が去ったグレイヴ子爵家では。
最初の半年ほど、何も問題は起きなかったらしい。
当然だ。
屋敷はある。
領地もある。
使用人もいる。
父は子爵。
急に生活が崩れる理由などない。
最初に起きたのは、屋敷の井戸だった。
正確には、井戸から水を汲み上げる装置。
数年前から調子が悪く、そのたびに私が部品を作って直していた。
壊れた。
「エレノアを呼べ」
父が言った。
執事が答えた。
「お嬢様はすでに当家を離れております」
「なら手紙を出せ」
手紙は私のもとへ届いた。
私は修理職人を紹介した。
費用は通常通り。
父は怒ったらしい。
「なぜエレノアが直さない!」
知らない。
私はもう、その家の人間ではない。
次は穀物倉庫。
湿気を防ぐため、私が作った乾燥具を置いていた。
数年使えば交換が必要になる。
父には説明していた。
交換されなかった。
一部の麦に黴が出た。
次は馬車。
車軸。
屋敷の配管。
厨房の保冷箱。
農具。
領内の水路に使われていた簡易な水門。
私は家にいたころ、壊れるたびに直していた。
父はそれを「エレノアが趣味でやっている」と思っていたらしい。
違う。
必要だったからやっていた。
子爵家の収入は決して多くなかった。
父は見栄を張る。
母は社交が好き。
リリアーヌは大量の物を欲しがる。
だから私は、少しでも家の出費を減らそうと《クリエイト》を使っていた。
農具を修理する。
屋根材を作る。
壊れた家具を直す。
使用人の道具を改善する。
領民が使う共同井戸の部品を作る。
収穫した作物を長持ちさせる保存箱を試作する。
帳簿を見て、無駄な支出を父に伝える。
それらを全部、
「子爵令嬢として当然」
と言われてきた。
だから誰も、それがなくなったときに何が起こるのか考えていなかった。
一年目。
修繕費が前年の三倍。
二年目。
作物の保管損失が増える。
農具の更新費用。
水路修繕。
屋敷の補修。
借金。
それでも父は生活水準を落とさなかった。
なぜなら。
「グレイヴ子爵家には体面がある」
から。
母も夜会を減らさなかった。
リリアーヌも買い物をやめなかった。
そしてアルバートとの結婚式。
伯爵家に見劣りしない式を挙げるため、さらに借金をした。
三年目。
限界が来た。
◇
「お父様! どういうことなの!」
リリアーヌの叫び声が屋敷に響いた。
「わたくしの宝石商への支払いが止められているわ!」
「仕方ないだろう!」
父も怒鳴る。
「金がないのだ!」
「だったら用意してよ!」
「どこからだ!」
「お姉様に頼めばいいでしょう!」
その名前を聞き、父の顔が歪んだ。
何度も頼んでいた。
金を貸してくれ。
設備を直してくれ。
商品を安く卸してくれ。
領地を助けてくれ。
そのたび、エレノアは礼儀正しく返事をした。
商会として取引するなら歓迎します。
融資については審査を行います。
修理については職人を派遣できます。
費用はこちらです。
つまり。
家族だから無料。
それを完全に拒絶した。
「エレノアは薄情者だ!」
父は吐き捨てた。
リリアーヌも頷く。
「本当よ! 自分だけ商会で儲けて!」
そのとき。
母がぽつりと言った。
「でも……あの子がいたころは、こんなことにはならなかったわ」
部屋が静まった。
父が睨む。
「何が言いたい」
「だって……」
母は周囲を見た。
壁紙は一部が剥がれている。
以前ならエレノアが似た色の補修材を作っていた。
暖炉の金具は錆びている。
以前ならエレノアが交換していた。
カーテンも色褪せた。
食器も減った。
馬車も一台売った。
「エレノアがいたころは、壊れてもすぐ直っていたでしょう?」
「だから何だ!」
「……あの子が、全部やっていたのではないの?」
誰も答えなかった。
今さらだった。
◇
「売ればいいじゃない!」
それを思いついたのはリリアーヌだった。
彼女は自室を見回した。
ある。
ある。
ある。
姉から奪ったものが山ほど。
宝飾品。
ドレス。
靴。
鞄。
家具。
人形。
装飾品。
「これ全部、高級品よ!」
そう。
少なくとも、もらった当時は。
リリアーヌは商人を呼んだ。
王都から来た中古品を扱う商人。
「全部でいくらになる?」
リリアーヌは自信満々だった。
これだけあれば借金など簡単に返せる。
姉が作ったものは品質がいい。
今や王都でも有名な《エレノア商会》の会頭が若いころに作った品だ。
希少価値まであるかもしれない。
商人はまず宝石箱を開けた。
眉をひそめる。
次。
さらに次。
ドレス。
靴。
鞄。
家具。
一時間ほど確認し。
提示した金額は。
「……は?」
リリアーヌは耳を疑った。
「もう一度言って」
商人が繰り返す。
「すべて合わせて、その金額になります」
「ふざけないで!」
机を叩いた。
「この宝石だけでも、その十倍はしたのよ!」
「購入時は、でしょう」
「何が違うのよ!」
商人は手袋をつけた手で首飾りを持ち上げた。
「石そのものは悪くありません。しかし金具が変色しております。保管中に湿気を吸ったのでしょう。こちらには細かな傷もございます」
「そんなもの磨けばいいでしょう!」
「修復費がかかります」
次にドレス。
「こちらは虫食い」
別のドレス。
「染みがあります」
靴。
「革が乾燥して割れています」
鞄。
「金具に錆」
人形。
「髪が絡み、衣装も変色しております」
「どうしてよ!」
理由は簡単だった。
リリアーヌは物を大切にしなかった。
欲しいのは、手に入れるまで。
手に入れた瞬間。
姉が新しいものを持つ。
すると興味はそちらへ移る。
奪った品は箱へ。
棚へ。
倉庫へ。
適切な手入れなどしない。
百着以上のドレス。
数十足の靴。
大量の宝飾品。
家具。
玩具。
管理できる量ではなかった。
「じゃあ、この髪飾り!」
リリアーヌは銀の髪飾りを差し出した。
あの夜会の前に奪ったもの。
「これは綺麗でしょう!」
商人が確認する。
「こちらは比較的状態が良いですね」
「でしょう!」
「ですが」
商人が裏側を見る。
「古い型です」
「古い?」
「現在のエレノア商会では、改良型が販売されております」
リリアーヌの顔が固まる。
「こちらは留め具が旧式です。現在の商品は髪を傷めにくく、外れにくい構造になっていますので、中古で旧式を選ぶ方は少ないでしょう」
「でも、お姉様が作ったのよ!」
「エレノア商会会頭が製作した証明はございますか?」
「証明?」
「銘、証書、製造記録などです」
ない。
姉から奪っただけだから。
「……わたくしが証明するわ」
「申し訳ございません。それでは商品としての証明になりません」
リリアーヌは震えた。
「何よ……」
部屋を見回す。
かつて宝物だったもの。
違う。
宝物ですらなかった。
姉から奪った。
ただ、それだけ。
手に入れた瞬間に満足して、放置した。
「全部……お姉様のものなのよ」
商人は答えない。
「全部、お姉様からもらったのよ!」
正確には、奪ったものだった。
◇
グレイヴ子爵家の財政は、その後も改善しなかった。
父は領地の一部を担保に入れた。
返済できなかった。
さらに借りた。
使用人が辞めていく。
十五人。
十人。
七人。
最後には四人。
母は宝石を売った。
父は馬を売った。
リリアーヌは姉から奪った品々を次々と売った。
驚くほど安い値段で。
アルバートとの関係も壊れた。
そもそも二人の関係は、強い愛情で結ばれたものではなかった。
リリアーヌにとってアルバートは、
「姉から奪った最高の商品」
だった。
アルバートにとってリリアーヌは、
「自分を慕ってくれる可愛らしい少女」
だった。
結婚して生活が始まれば、幻想は消える。
「アルバート様! どうして新しい首飾りを買ってくださらないの!」
「金がないからだ!」
「伯爵家の息子でしょう!」
「次男だ! それに君の家の借金までこちらに回ってきている!」
「お姉様なら作ってくれたわ!」
「なら姉に頼め!」
「頼んでも作ってくれないから言ってるのよ!」
毎日のように喧嘩した。
そして決定的な出来事が起きる。
◇
その日。
私は商会の新店舗を視察していた。
「会頭」
店長が近づいてくる。
「お客様がお見えです」
「約束は?」
「ございません。ただ……」
困った顔。
「妹君と名乗っておられます」
私は手を止めた。
三年ぶりだった。
「分かったわ」
応接室へ向かう。
扉を開ける。
そこにいたのは、記憶の中の妹とはずいぶん違う女性だった。
二十歳になったリリアーヌ。
以前は艶やかだった蜂蜜色の髪。
少し傷んでいる。
ドレスも悪いものではないが、流行から外れていた。
「久しぶりね、リリアーヌ」
妹は私を見た。
そして。
私の服を見る。
靴を見る。
耳飾りを見る。
部屋を見る。
昔と同じ目だった。
自分より良いものを姉が持っている。
それが許せない。
「……随分いい暮らしをしているのね」
「おかげさまで」
「わたくしたちが大変なのは知っているでしょう?」
「聞いているわ」
「だったら、どうして助けてくれないの?」
私は向かいに座る。
「何度か商会として支援案を出したでしょう?」
「そうじゃない!」
机を叩く。
「家族なんだから、無料で助けなさいよ!」
「どうして?」
「姉でしょう!」
懐かしい言葉だった。
「それ、昔から言うわね」
「当たり前でしょう!」
「姉なら、妹に何をされても助けなければならないの?」
「何をされたって……」
「私のものを何でも欲しがった」
「くれたじゃない!」
「断れば泣いたでしょう」
妹が黙る。
「お父様とお母様を呼んだ。二人も私に譲れと言った」
「……昔の話じゃない」
「婚約者まで欲しがった」
「アルバート様は物じゃないわ!」
「その通りよ」
私は頷く。
「でもあなた、あの日言ったでしょう?」
覚えている。
一字一句。
「『人間は作れないでしょう?』って」
リリアーヌの顔が青ざめた。
「あなたにとっては、アルバート様も私から奪うためのものだったのでしょう?」
「違う!」
「違わないわ」
「わたくしはアルバート様を愛してる!」
「なら大切にすればいい」
言葉が止まる。
「私から奪ったものみたいに、手に入れた途端に興味をなくさずに」
「……!」
「今日は何をしに来たの?」
リリアーヌの拳が震える。
やがて小さな声で言った。
「……お金を貸して」
やっぱり。
「いくら?」
金額を聞く。
かなり大きい。
「用途は?」
「借金の返済」
「返済計画は?」
「え?」
「借金を返すために私から借金をするのでしょう? では私への返済はどうするの?」
「そんなの……領地の収入で」
「去年の収支は?」
「知らないわ」
「今年の収穫予測は?」
「知らない」
「担保に入っている土地は?」
「分からないわよ!」
私は息を吐いた。
「貸せないわ」
「どうして!」
「返済の見込みがないから」
「妹なのよ!」
「商会のお金は私個人のお金ではないわ」
従業員がいる。
職人がいる。
その家族がいる。
取引先もある。
私情で失っていい金ではない。
「お願い、お姉様」
リリアーヌが初めて弱々しい声を出した。
「屋敷まで取られてしまうの」
「……そう」
「お父様もお母様も困ってる」
「そうでしょうね」
「だったら!」
「リリアーヌ」
私は妹を見る。
「私があの家にいたころ、あなたたちは一度でも私が困っていないか考えた?」
妹は答えない。
「欲しいと言われれば渡した。家の設備が壊れれば直した。領地で問題が起きれば作った。お金が足りなければ、出費が減る方法を考えた」
「……」
「でも誰も、それを仕事だとは思っていなかった」
父は言った。
娘なのだから。
母は言った。
姉なのだから。
妹は言った。
お姉様なら作れるでしょう。
「私は便利な道具だったのよ」
「そんなこと……」
「あなたたちに悪意がなかったことは分かってる」
だから余計に救いがなかった。
「本当に、当然だと思っていたのよ」
私は立ち上がった。
「だから、もう戻らない」
「待って!」
リリアーヌも立つ。
「じゃあ、どうすればいいのよ!」
「自分で考えて」
「できないわよ!」
「どうして?」
「わたくしはお姉様みたいに何でも作れない!」
私は妹を見る。
そして、静かに答えた。
「作れなくても、大切にすることはできたでしょう?」
リリアーヌの目が揺れた。
「私から奪ったもの。全部売ったそうね」
「……どうして」
「買い取りをした商人から聞いたの」
商会を経営していれば情報は入る。
「状態が悪くて、ほとんど値段がつかなかったそうね」
妹の唇が震えた。
「私、知らなかったの」
「何を?」
「手入れが必要だなんて」
「教えたわ」
「聞いてない!」
「何度も」
靴は磨く。
ドレスは適切に保管する。
宝飾品も定期的に確認する。
家具も手入れする。
幼いころから何度も言った。
でもリリアーヌは聞かなかった。
なぜなら。
壊れたら姉の新しいものをもらえばいい。
そう思っていたから。
「欲しいものを手に入れることばかり考えていたからよ」
私は扉を開けた。
「帰って」
「お姉様!」
「もう、あなたにあげられるものはないわ」
「嘘よ!」
リリアーヌが叫んだ。
「こんなに持ってるじゃない!」
部屋を指差す。
家具。
絨毯。
花瓶。
私の服。
商会。
「いっぱい持ってるじゃない! わたくしよりずっと!」
「ええ」
「ずるい!」
久しぶりに聞いた。
私は思わず笑った。
「何がおかしいのよ!」
「ごめんなさい」
笑いを抑える。
「昔のあなたと全然変わっていなかったから」
「……!」
「でも、一つだけ違うわ」
「何よ」
「もう私は、あなたのお姉様であることを理由に何かを譲ったりしない」
扉の外にレオンが立っていた。
彼は何も言わない。
ただ私を見る。
私が頷くと、室内に入った。
リリアーヌが彼を見る。
そして。
顔が歪んだ。
「……どうして」
「何?」
「どうしてお姉様ばっかり」
まただ。
「商会も。お金も。素敵な服も。そんな立派な旦那様まで」
レオンの眉が動いた。
私は彼の手を握った。
「リリアーヌ」
妹を見る。
「あなた、まだ分からないの?」
「何がよ!」
「あなたはずっと、私の持っているものを見ていた」
妹が黙る。
「でも私は、次に何を作ろうか考えていたの」
欲しがる妹。
作る姉。
奪う。
作る。
奪う。
作る。
ずっと続いた。
でも本当は。
同じ場所を回っていたわけではない。
リリアーヌは物を増やした。
私は経験を増やした。
リリアーヌは所有した。
私は技術を磨いた。
リリアーヌは姉の持ち物を見続けた。
私は未来を見ていた。
「だから差がついたのよ」
妹の瞳から涙が落ちた。
「……ずるい」
「そう思うなら、それでもいいわ」
「嫌い」
「ええ」
「お姉様なんか、大嫌い!」
「知ってる」
リリアーヌは泣きながら部屋を飛び出した。
扉が閉まる。
静かになった。
レオンが私を見る。
「大丈夫ですか?」
「うん」
「泣いていますよ」
言われて気づいた。
頬が濡れていた。
悲しかった。
ざまあみろ。
そう思えれば簡単だった。
でも妹だ。
幼いころは一緒に庭を走った。
私の後ろをついて歩いた。
転んだら泣きながら「お姉様」と手を伸ばした。
どこで間違えたのだろう。
きっと一つではない。
妹が欲しがるたびに譲った両親。
面倒を避けるために作り直した私。
手に入ることを当然だと思った妹。
少しずつ。
何年もかけて。
家族全員で間違え続けた。
「エレノア」
レオンが名前を呼ぶ。
もう「お嬢様」とは呼ばない。
「帰りましょう」
「うん」
私には帰る家がある。
◇
その冬。
グレイヴ子爵家は領地の大部分を失った。
借金の返済が不可能となり、王家の監査が入った。
父が領地経営の立て直しに失敗していたこと。
長年にわたり収入に見合わない支出を続けていたこと。
複数の商人から無理な借り入れを行っていたこと。
それらが明らかになった。
爵位は返上。
屋敷も売却。
父と母は、わずかに残った資産で地方の小さな家へ移った。
アルバートはリリアーヌと離縁した。
伯爵家は最後まで反対したらしいが、そもそも姉から婚約者を乗り換えた時点で評判は良くなかった。
さらに妻の実家の借金問題。
夫婦喧嘩。
浪費。
とうとうセイルズ伯爵家が離縁を認めた。
リリアーヌに残ったものは、ほとんどなかった。
姉から奪った大量の品々も。
婚約者も。
子爵令嬢という立場も。
豪華な屋敷も。
すべてなくなった。
そして何より残酷だったのは。
誰も奪う相手がいなくなったことだった。
◇
それから五年。
私は二十五歳になった。
《エレノア商会》は王国内に三十二店舗を持つまでになった。
ただ、私は《クリエイト》で何でも作って売ることはしなかった。
便利すぎる力は、人の仕事を奪う。
だから私の役目は試作品作りが中心。
職人と話す。
改善する。
作り方を考える。
技術として残す。
最近では商会の商品を作る職人のほうが、私より良い案を出すこともある。
それが嬉しい。
「エレノア!」
レオンの声。
振り返る。
「何?」
「また工房に籠もっていただろ」
「今日は二時間だけよ」
「四時間だ」
時計を見る。
本当だ。
「……ごめんなさい」
「昼食も食べてない」
「忘れてた」
「知ってる」
呆れた顔。
昔なら完璧な従者だった。
今は遠慮なく叱ってくる。
でも、そのほうが好きだ。
「今日は早く帰るって約束しただろ」
「そうだった」
「忘れてたな?」
「……半分くらい」
「全部忘れてただろ」
レオンがため息をつく。
私は机の上の試作品を片づけた。
小さな靴。
子供用だ。
「それ」
レオンが見る。
「完成したのか?」
「うん」
「ずいぶん小さいな」
「だって、まだ歩き始めたばかりだもの」
「すぐ大きくなるぞ」
「そのときはまた作るわ」
私たちは商会を出る。
馬車には乗らない。
家は歩いて十分ほど。
途中で市場を通る。
パン屋。
花屋。
果物屋。
夕方の街は賑やかだ。
レオンが紙袋を持っている。
「それ何?」
「苺」
「買ったの?」
「娘が食べたいと言っていた」
「昨日も食べたでしょう?」
「好きなんだから仕方ない」
「甘やかしすぎよ」
「君に言われたくない」
反論できない。
家に着く。
扉を開けた瞬間。
「おかあさま!」
小さな女の子が走ってきた。
三歳の娘。
私はしゃがんで抱き止める。
「ただいま」
「おとうさまも!」
「ただいま」
レオンも頭を撫でる。
娘が私の髪を見る。
そこには今日作ったばかりの髪飾りがあった。
「おかあさま、それ、かわいい」
「ありがとう」
「ほしい!」
身体が止まった。
レオンも止まる。
夫婦で顔を見合わせた。
私は娘を見る。
大きな瞳。
期待に満ちている。
かつての妹が頭をよぎった。
私は髪飾りを外さなかった。
代わりに娘を膝に乗せる。
「これは、お母様のものよ」
「ほしい」
「同じものが欲しいの?」
「うん!」
「じゃあ、一緒に作りましょう」
「つくる?」
「そう」
私は娘の手を握る。
「どんなものが欲しい?」
娘は考える。
「おはな!」
「何色?」
「あか!」
「石は?」
「きらきら!」
「分かった」
娘が笑う。
「おかあさまとおそろい?」
「少し違うものにしましょう」
「どうして?」
私は娘の鼻先をつついた。
「あなたには、あなたに一番似合うものを作るから」
娘はよく分かっていない顔をした。
それでも、
「うん!」
と元気に頷いた。
レオンが後ろで笑っている。
「何?」
「いや」
「言って」
「君らしいと思っただけだ」
私は娘を抱き上げた。
昔。
私は奪われるたびに作った。
もっと良いものを。
もっと綺麗なものを。
もっと便利なものを。
あのころは、それが逃げ道だった。
取られても傷つかないための方法。
でも今は違う。
作りたいから作る。
誰かを喜ばせたいから作る。
そして。
自分の大切なものは、大切だと言える。
「お母様のものだから、これはあげない」
娘にもう一度伝える。
「うん」
「でもあなたのものは、一緒に作ろう」
「うん!」
簡単なことだった。
欲しがったら、全部与える必要なんてなかった。
駄目なものは駄目。
代わりに、一緒に考える。
きっと私たち家族に足りなかったのは、それだった。
◇
そのころ。
王都から遠く離れた町。
小さな仕立屋で、一人の女性が働いていた。
「リリアーヌ!」
「はい!」
「このドレス、しまっておいて!」
「分かりました!」
かつて子爵令嬢だった女性は、両腕いっぱいにドレスを抱えた。
昔の彼女なら、真っ先に値段を聞いただろう。
あるいは、自分に似合うか鏡の前で確かめたかもしれない。
今は違う。
生地を確認する。
汚れがないか。
虫食いがないか。
湿気は大丈夫か。
丁寧に布を包む。
防虫用の香草を入れる。
棚へしまう。
最初のころ。
何度も叱られた。
「商品を床に置くんじゃない!」
「そんな持ち方をしたら皺になる!」
「靴は履いたら終わりじゃない! 手入れするんだよ!」
知らないことばかりだった。
物は勝手に綺麗なままでいてくれない。
服も。
靴も。
宝石も。
家も。
人との関係も。
手に入れたあとに大切にしなければ、少しずつ傷んでいく。
それを知るまでに。
彼女はほとんどすべてを失った。
仕事を終える。
一日の賃金を受け取る。
少ない。
昔なら、菓子を一箱買えば消える金額。
でも。
自分で働いて得たお金だった。
市場を歩く。
露店の前で足を止めた。
小さな髪飾りが並んでいる。
その一つに目を奪われた。
青い花。
綺麗。
欲しい。
手を伸ばしかけ。
止まる。
値札を見る。
今日の賃金では足りない。
「……また今度」
初めて。
欲しいものを諦めた。
店主は何も知らず、
「またどうぞ」
と言った。
リリアーヌは歩き出す。
胸が痛い。
悔しい。
惨めだ。
どうして自分だけ。
そう思う気持ちは、まだ消えていない。
けれど。
次の給金まで少しずつ貯めれば買える。
そう考えた。
奪わなくても。
泣かなくても。
姉に頼まなくても。
自分で手に入れられる。
それを理解するのに、二十年以上かかった。
◇
そして王都。
「できた!」
娘が叫ぶ。
机の上には、赤い花をかたどった小さな髪飾り。
もちろん三歳児が作れるわけではないので、ほとんど私が作った。
でも花の形と色は娘が決めた。
「つけて!」
「はいはい」
髪につける。
鏡を見た娘が笑う。
「かわいい!」
「似合ってるわ」
「おかあさま!」
「何?」
娘が私の髪飾りと自分の髪飾りを交互に見る。
嫌な予感。
「おかあさまのも、ほしい!」
やっぱり。
レオンが吹き出した。
「笑わないで!」
「いや、すまない」
私は娘と向き合う。
「これは駄目」
「ほしい!」
「駄目」
「ほしい!」
「駄目です」
頬が膨らむ。
泣くか。
覚悟した。
娘はしばらく私を見ていた。
そして自分の赤い髪飾りに触れる。
「……こっちもかわいい?」
「もちろん」
「わたしの?」
「あなたの」
「ずっと?」
「ずっと」
娘は考えて。
にっこり笑った。
「じゃあ、これでいい!」
走っていった。
私は呆然と見送る。
レオンが肩を震わせている。
「何よ」
「いや」
「だから何?」
「君が十年以上苦労した問題が、三分で解決したな」
「……本当ね」
思わず笑ってしまった。
あんなに難しいと思っていたのに。
最初から。
「これはあなたのもの」
「これは私のもの」
それを教えればよかった。
欲しいなら、自分のものを一緒に探す。
それだけでよかったのだ。
窓から夕日が差し込む。
机の上には試作品。
棚には商品。
壁には家族の絵。
台所からは夕食の匂い。
玄関には三人分の靴。
私が欲しかったもの。
昔は分からなかった。
豪華な宝石ではない。
爵位でもない。
伯爵家の婚約者でもない。
誰にも奪われないものが欲しかった。
自分で選んだ仕事。
自分で選んだ人生。
そして。
私を選んでくれた人。
「エレノア」
レオンが呼ぶ。
「夕飯にしよう」
「うん」
私は立ち上がる。
するとレオンが私の髪飾りを見る。
「それ、新作?」
「今日作ったの」
「綺麗だな」
「欲しい?」
「いや」
即答。
少し笑った。
「いらないの?」
「俺がつけても似合わない」
「確かに」
「それに」
彼が私の手を取る。
「欲しいものなら、もうもらった」
「何?」
「君」
私は黙った。
数秒。
「……それ、二十五歳にもなって言う?」
「駄目だった?」
「駄目じゃないけど」
顔が熱い。
結婚して五年。
子供までいる。
それなのに、この人は時々ずるい。
《クリエイト》でも対抗できない。
「おかあさま! おとうさま! ごはん!」
娘が呼んでいる。
「今行く!」
答える。
私はレオンの手を握ったまま歩き出した。
欲しがる妹から始まった私の人生。
何でも奪われた。
人形。
服。
宝石。
家具。
部屋。
最後には婚約者まで。
でも。
奪われるたびに、私は作った。
作るたびに上手くなった。
失うたびに、自分に本当に必要なものが分かっていった。
だから今なら思う。
リリアーヌ。
あなたが欲しがったものは、全部あげる。
昔の人形も。
ドレスも。
宝石も。
家具も。
そして、あの婚約者も。
全部。
どうぞ。
返してくれなくていい。
だって私は。
もっと良いものを作れるから。
そして。
どうしても作れない、本当に大切なものだけは。
もう二度と。
誰にも譲らない。




