選考と別れの予感
夏の終わりは、いつも音もなく訪れる。
朝のホームルームで配られた進路希望票を前に、朝倉湊はしばらくペンを持ったまま動けずにいた。進学、就職、未定。整然と並ぶ選択肢のどれもが、彼にはひどく遠い。
――プロサッカー選手。
それはもはや「夢」ではなく、「予定」として扱われていた。教師も、同級生も、家族でさえ、疑う余地なくその道を前提に話を進める。湊自身も、それに抗う理由を見つけられずにいた。
放課後、顧問に呼ばれた会議室には、見慣れないスーツ姿の男たちが座っていた。Jリーグクラブのエンブレムが入った名刺。冷房の効いた室内は静かで、外のグラウンドから聞こえるボールの音だけが、かすかに現実をつないでいる。
「最終選考に進んでほしい」
提示される条件は具体的で、現実的で、逃げ場がなかった。練習参加、フィジカルテスト、メディカルチェック。高校卒業後、即契約の可能性。
湊は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
声は落ち着いていた。けれど胸の奥では、確実に何かが終わり始めていた。
部室に戻ると、すでに噂は広まっていた。
「朝倉、来たな」 「やっぱ別格だわ」
祝福の言葉を浴びながら、湊は笑顔を作る。その輪の少し外で、森本がこちらを見ていた。
目が合う。
森本は小さく笑って、親指を立てる。
「おめでとう」
その一言が、胸に深く刺さった。
――もう、同じ場所にはいられない。
帰り道、並んで歩きながら、会話は途切れがちだった。昼間の暑さが嘘のように、風は冷たい。
「プロ、行くんだな」
「……たぶん」
「すげえよ。正直、誇らしい」
まっすぐな言葉。そこに迷いはない。それが、湊には何よりも残酷だった。
選考期間が始まると、湊は週に何度もクラブの練習に参加するようになった。求められるのは結果だけ。感情を挟む余地はなく、ただプレーが評価される。その単純さは、ある意味で救いだった。
だが高校に戻ると、日常は微妙に変わって見えた。笑い声も、雑談も、どこか遠い。
「最近、あんまり一緒に練習できないな」
森本の言葉に、湊は曖昧に頷くしかない。
夕暮れのグラウンド。二人きりでボールを蹴りながら、森本がぽつりと言った。
「卒業したらさ……もう、今みたいには会えないよな」
否定できなかった。
――選ばれることは、失うことだ。
最終選考の日。湊はすべてを出し切った。手応えは確かにあった。それでも、帰りの電車の窓に映る自分の顔は、ひどく空虚だった。
成功は祝福と同時に、別れを連れてくる。
高校という時間が、静かに終わりへ向かっている。
湊はその事実を、ようやくはっきりと受け止め始めていた。




