告白
梅雨の気配が近づくと、校舎の空気は重くなる。
朝倉湊は、その重さを胸の内側でも感じていた。理由ははっきりしている。ここ数日、視線を向けられる回数が増えていた。廊下ですれ違うとき、教室でふと顔を上げたとき。控えめだが、確かな意志を含んだ視線。
相手は、同じクラスの佐々木美咲だった。
成績は中の上。運動神経は普通。だが、誰とでも分け隔てなく話す柔らかさがあり、男子からも女子からも好かれている。湊にとっては、クラスメイトの一人でしかなかった――少なくとも、これまでは。
昼休み、美咲が友人たちと話しているのを、遠くから見かける。笑顔の奥に、どこか緊張が混じっているように見えた。その理由を、湊は分かってしまった気がして、視線を逸らす。
(来るな)
心の中で、弱い願いが浮かぶ。だが同時に、それがどれほど身勝手なものかも理解していた。
放課後、予感は現実になる。
「朝倉くん」
校舎裏の自販機の前。部活へ向かう途中で呼び止められ、湊は足を止めた。美咲は少し息を整え、両手を握りしめている。
「話、できる?」
断る理由はなかった。いや、正確には、断る理由を口にできなかった。
二人はグラウンドから少し離れた場所に移動する。風に揺れる木々の音が、妙に大きく聞こえた。
「急でごめん。でも……ちゃんと、言いたくて」
美咲は視線を上げ、湊をまっすぐ見た。その目には、逃げ道を塞ぐような真剣さがあった。
「私、朝倉くんのことが好き」
一瞬、音が消えたように感じた。
湊は、言葉を失う。予想していたはずなのに、実際に告げられると、身体が固まる。胸の奥で、何かがきしむ音がした。
「ずっと前から。サッカーしてるときも、教室で静かにしてるときも……全部」
美咲の声は震えていたが、言葉は途切れない。その勇気が、痛いほど伝わってくる。
湊の頭に浮かぶのは、一つの答えだけだった。
――応えられない。
理由を説明できない拒絶ほど、残酷なものはない。だが、真実を話すこともできない。どちらを選んでも、彼女を傷つける。
「……ごめん」
絞り出すように言葉を探す。
「今は、サッカーのことしか考えられなくて」
美咲の表情が、一瞬だけ揺れた。すぐに微笑みを作るが、その動きはぎこちない。
「そっか……そうだよね。忙しいもんね」
分かっている、というように頷く姿が、かえって胸を締めつけた。
「急に言ってごめん。忘れて」
そう言い残し、美咲は踵を返す。その背中を見送りながら、湊は動けずにいた。呼び止める資格はない。追いかける勇気もない。
部活の練習は、身が入らなかった。
ボールは足元に来る。指示も出せる。だが、どこか一枚、感覚がずれている。パスを出しながら、湊は美咲の言葉を何度も反芻していた。
――好き。
その言葉が、こんなにも重いものだとは思わなかった。
練習後、ロッカールームで一人ベンチに座る。仲間たちの笑い声が遠くに感じられる。
優しく断ったつもりだった。傷つけないように言葉を選んだ。だが、それが免罪符になるわけではない。
誰かの勇気を受け取れなかった事実は、消えない。
夜、布団に横になっても眠れなかった。美咲の表情が、何度も浮かぶ。もし自分が「普通」だったら。そんな仮定が、無意味だと分かっていても、頭から離れない。
――自分は、誰も幸せにできないのか。
そんな考えがよぎり、慌てて打ち消す。それでも、胸に残った痛みは、簡単には消えてくれなかった。
翌日、教室で美咲と目が合う。
一瞬の沈黙のあと、彼女は小さく笑って頷いた。それが、精一杯の大人びた対応だと分かってしまう。
湊は、視線を逸らした。
告白は終わった。だが、その余波は、確実に彼の中に残り続けていた。




