告白しないという選択
その感情に名前を与えないまま、生きていくという選択がある。
朝倉湊は、そのことを、ようやく理解し始めていた。
プロ三年目のシーズンが本格的に動き出すと、時間は容赦なく流れていった。週末ごとの試合、平日のトレーニング、ミーティング、体のケア。生活のすべてがサッカーを中心に回り、余計な感情を考える暇はない――はずだった。
それでも、ふとした瞬間に、橘蓮の姿が視界に入る。
ピッチで走る背中。 ロッカールームで無防備に笑う横顔。 勝利のあと、肩を叩き合う温度。
そのすべてが、湊の胸に静かな波を立てた。
高校時代の自分なら、きっと押し殺していた。 あるいは、自分を責め続けていた。
だが今は違う。
この感情が存在すること自体を、否定しなくなった。
ある日の練習後、蓮と二人でランニングをしていたときのことだった。夕暮れのピッチは人もまばらで、空の色だけがゆっくりと変わっていく。
「なあ、湊」 蓮が息を整えながら言った。 「プロになってからさ、思うことない?」
「何を?」
「この先、どこまで行きたいのか、とか」
湊は少し考えた。
昔なら、即答していたかもしれない。代表入り、海外移籍、タイトル。だが今は、言葉が慎重になる。
「……自分が納得できる場所まで、かな」
蓮は意外そうに眉を上げた。 「らしくないな」
「そう?」
「もっとガツガツしてると思ってた」
湊は小さく笑った。
「ガツガツするのも悪くない。でもさ、無理して掴んだものって、長く持てない気がして」
それはサッカーの話のようでいて、実は自分自身の生き方の話だった。
蓮は黙って頷いた。
「湊ってさ、不思議だよな」
「どういう意味?」
「強いのに、優しい。優しいのに、ちゃんと線を引いてる」
その言葉に、胸が詰まる。
――線を引いている。
それは、自分が選んだ距離だった。
告白しない。 想いをぶつけない。
それは臆病だからではない。
壊したくない関係が、確かにそこにあるからだ。
もし言葉にしてしまえば、この均衡は崩れる。 蓮は異性愛者で、誰かを傷つけるつもりはない。
湊は、自分の感情に責任を持つということを、ようやく理解していた。
その夜、部屋に戻った湊は、窓を開けて夜風を吸い込んだ。
告白しないという選択は、孤独を伴う。
だが同時に、それは自分を守り、相手を守る選択でもあった。
好きだという気持ちは、言葉にしなくても存在する。 形を変えて、心の奥に残り続ける。
湊は静かに目を閉じた。
この想いは、胸にしまっておく。
それでいい。
それが今の自分が選んだ、誠実さなのだから。




