プロの世界
ユニフォームの色が変わるだけで、空気はここまで違うのかと、朝倉湊は思った。
クラブハウスのロッカールームは広く、無駄がなく、静かだった。高校時代の部室にあった雑多な私物も、冗談交じりの声もない。あるのは、名前が刺繍されたロッカーと、黙々と準備を進める選手たちの背中だけだ。
――ここが、プロの世界。
入団初日。湊は「期待の新人」という肩書きを与えられてはいたが、その実感はほとんどなかった。挨拶をしても、返ってくるのは短い言葉と軽い会釈だけ。誰もが忙しく、誰もが自分のことで精一杯だ。
ピッチに出ると、練習の強度はすぐに分かった。一つ一つのプレーに妥協がなく、判断の遅れは即座に置き去りにされる。
――速い。
身体能力だけではない。思考の速度、判断の精度、そして結果への執着。そのすべてが、高校とは別の次元にあった。
ミニゲームでボールを受けた瞬間、湊は二人に挟まれる。視界が狭まり、選択肢が消える。
「遅い」
低い声が飛ぶ。年上の選手だ。湊は唇を噛み、次のプレーで必死に修正する。
練習が終わるころには、脚が重く、呼吸も荒れていた。それでも、誰一人として弱音を吐かない。
ロッカーに戻りながら、湊は自分が“エース”ではなくなったことを、はっきりと自覚する。
ここでは、誰も自分を特別扱いしない。
それが、怖くもあり、少しだけ救いでもあった。
数日後、紅白戦でアシストを決めたとき、初めて監督が名前を呼んだ。
「今の判断は悪くない」
それだけだったが、胸の奥が熱くなる。
評価は、常にプレーだけだ。
夜、寮の自室で一人になると、高校時代の記憶がふと蘇る。夕焼けのグラウンド、森本の声、最後の試合。
――もう、戻れない。
その事実が、ようやく現実として重さを持つ。
だが同時に、ここで結果を出さなければ、その時間すら無意味になる。
翌朝、誰よりも早くピッチに立つ。ボールを蹴る音が、静かな空気に響く。
湊は走る。
過去から逃げるためではなく、未来を掴むために。
プロとしての物語は、まだ始まったばかりだった。




