旅立ち
先生との話し合いから二日後。
時刻は午前二時。真冬の真夜中というのは、人が生きていける環境ではない。マジで寒い。
「なぁ……本当に行くのか……?」
「何お前?今さらビビってるの?」
一昨日、俺のことを慰めてくれた優しい幼なじみ人格は引っ込み、今はこの、ろくでもない方の人格が前面に出てきていた。
(口に出したら殺されるので、絶対に言わない)
「でもやっぱり……恩を仇で返すようなものなんじゃ……」
自分でも脱走するプランは考えていた。
けど、さすがに良くないと思ってやめていたのに。こいつは……
そしたら、悪そうな顔で笑ってセラが言う。
「だってさ。授業でいつも『自由に生きろ』って言ってたの、姫野先生じゃん?」
……そうだけど!
「ほら、早く行って!」
「……はい」
結局、押し切られてしまった。
しばらく歩いてから、ビリーは一度振り返った。
もう孤児院の明かりも見えない。
(姫野先生……ごめん)
「何してるの?早くして」
その声に引き戻されて、前を向く。
二人は再び歩き始めた。
「少し風強いな。寒くないか?」
「ん?大丈夫だよ。歩いてれば体も温まって来るしね」
――
ユートピア。今この世で最も力をもつ国家である。
姫野は、中心都市から少し離れた場所にあるホテルのバーに居た。
「なんでこんな所を拠点にしてるんだ?」
隣に座っている「友人」に問いかける。
返事は帰ってこない。
透き通った目に綺麗な白髪。少し小柄だが、それも彼女の魅力だろう。
「無視は酷くないか?『暴食』」
せめて何か言って欲しい。
「……」
……また無視か。なかなか酷いやつだ。
「流石に傷つくぞ?同じ神じゃないか」
それが聞こえたのかは分からないが、やっと口を開いた。
「『無』が探してた」
そう言うと、彼女は退屈そうな顔でどこかへ消えた。
「……それはどうも。」
あっちも俺を探しているなら好都合である。
なぜなら今日は「無」と話に来たのだから。
――
風は、弱くならなかった。
それから何時間歩いただろうか。
正確な時間なんて分からない。空はずっと暗いままだし、雪なのか霜なのか分からない白いものが、ずっと足元を覆っている。
ただ、確実に言えるのは――
体が、もう言うことを聞かなくなり始めている、ということだった。
「……ちょっと、休もう」
セラがそう言った。
声はいつもより少しだけ低くて、息が混じっている。
「……ああ」
二人で、風を防げそうな岩陰に身を寄せる。
腰を下ろした瞬間、足の感覚がふっと抜けた。
……やばいな、これ。
寒い、という感覚すら、だんだん曖昧になってきている。痺れが酷く、手の先が熱いのか冷たいのかも分からない。
それが一番、まずい。
(準備不足だった。)
無謀すぎた。ましてや冬の夜中である。
衝動的に動きすぎだ。これではただの自殺行為である。
「セラ」
だから死ぬ訳にはいかない。
「なに?」
疲れきった声で返ってくる。
「……眠くないか?」
「……大丈夫だよ」
「寝るなよ」
「……分かってるよ」
風が、また強く吹いた。
視界の端が、少し暗くなる。
……ああ、これ、本当にまずいな。
その時だった。
遠くから、規則的な音が聞こえた。
……足音?
「……セラ」
「うん、聞こえた」
暗闇の向こう、白い地面の上を無数の影が動いている。
「――止まれ! 何者だ!」
光がこちらを照らす。
「……子供?」
近づいてきた先頭の影が言った。
軍服だった。
「おい、どうした。こんな時間に、こんな場所で」
なんて答えるべきだろうか。変な事を言ったら孤児院に帰されるかもしれない
「…あの」
駄目だ頭が働かない。
「私たち、道に迷ってしまって!ユートピアに用があるんです!」
…セラ
「本国に?ここから馬でも1晩はかかるぞ」
「まさか敵国のスパイなんじゃ…?」
「隊長!ここで始末するべきなのではないでしょうか!」
まずい…怪しまれている…
なんとか…なんとか……
そう思った瞬間、足の感覚が完全に抜けた。
地面が、妙に遠く感じる。
――あ。
視界が傾いて、空と雪がひっくり返る。
どん、と鈍い音が鳴った。
……ああ、これ。
体が、もう言うことを聞いていない。
立てない。本当に、まずい。
「ビリー!」
セラの声もよく聞こえない。
だが、
「隊長。相手は子供です。ここは私が保護します。」
先頭の方にいた。俺より四つくらい年上の兵士が言った。
……助かった。
背後で、セラが小さく息を吐いた。
「よかった…」




