対話
「駄目だ」
いつも自分を導いてくれた優しい声が、この時だけやけに冷たく聞こえたのは、気のせいではないだろう。
「善は急げ」「思い立ったが吉日」なんて言葉もある。
つまり、思ったことはさっさとやるべきなんだ。
この孤児院の学習プログラムは十五歳で終わる。
それ以降は、資料室で勉強を続けて独り立ちするか、ここに残って職員の手伝いをするか――そのくらいしか道はない。
つまり、学習プログラムを既に終えているビリーはいつでも姫野に会いに行くことが出来る。出来るのだが…
「なんて言おう…」
正直に言うと、断られる確率は九九・九九パーセントである。
あの人が子供を軍に送りたがるわけがないし、第一ここには戦争孤児の子もいるわけで、ここで俺が「軍に入ってお国のために戦争頑張ります!」なんて言ったら、その子たちが報われない。
八方塞がりである。
いっそのこと、孤児院から脱走して……なんてことも考えたが、そんな恩を仇で返すようなことをできなかった。
「あれあれあれ! なんだか悩んだ顔してない!?」
……不快な声がした気がするな……もしかして校舎も古いから、ついに幽霊とかが出るようになったとか?
「お前……また無視して……」
セラは朝のこともあって、少し機嫌が悪そうに言った。
「ごめんって」
さすがに朝みたいに攻撃が飛んでくると怖いので、ここら辺で謝っておく。
こんな扱いをしているが、ここに来てからの一番の友人だ。
はっきり言って一番信頼している。
こいつになら相談してもいいんじゃないか――その思考は一瞬でかき消した。
こいつも俺を心配するタイプだ。しかも頭がいい。
先生に会う前にこいつに言いくるめられたら、さすがに立ち直れない。
俺は負けるゲームは受けない……
「そういえば、ビリーはここ出るの?」
あまりにもドンピシャな話題に心臓が跳ねる。
「え? ああ、そうだな……で、出るよ」
「え? テンパりすぎじゃない……? キモいよ……」
キモイ…?キモい!? こいつ今キモいって言った?
俺、職員さんには「ビリーくんってイケメンだね」って、いつも褒められるんだけど!
「ねえ。本当に大丈夫? 朝からおかしいよ。また夢を見たから?」
今度は真面目なトーンで。まっすぐに俺の目を見てきた。
自分はまっすぐな人間が好きなんだと思う。
しかも自分を心配してくれる幼なじみを、これ以上無下にするわけにもいかないと思った。
「俺、軍に行く」
「え?」
セラの悲鳴のような叫び声が上がったのは、その数秒後。
聞いている最中に「やっぱ言わなければよかった」なんて考えるのは、やめておいた。
「え?お前、それって――」
「セラ!うるさいよ」
通りかかった職員の人の注意にも耳を貸さず、俺を見ている。
「ねえ」
「何?」
セラは言いたいことが山ほどあるといった様子だが、先ほどから口をパクパクさせている。
「……それが本当にやりたいことなの?」
次の言葉は、俺が想像していたものよりずっと肯定的なものに聞こえた。
(てっきり殴りかかってでも止められると思ったけど……)
「そうだよ」
今度は俺がまっすぐセラを見た。
それでセラは何も言えなくなったみたいに目を逸らして、
「分かった」
そう言ってどこかへ行ってしまった。
なんだか足が軽くなった気がしたのは、今度こそ気のせいではないだろう。
悪いことしたな、院長室に入る時に、やっと罪悪感が湧いてきた。
勇気を出すためとはいえ、悲しませてしまった。
本当はセラには「昔みたいに農業をやって生計立ててく。セラにもおいしい野菜送るよ」なんて言っておくつもりだったが……(今考えると野菜はどうするつもりだったんだろう)
あとで謝っておこうかと思ったが、朝の態度を思い出すと放っておいていい気がした。
「失礼します」
「どうぞ」
院長室の中には、もちろん姫野先生がいた。
掴みどころのない人だと、幼心に思った。
いつもヘラヘラしているが、心から笑っていないような。
それでも子供に向ける笑顔は本物みたいな。
まず、こんな大きい施設は国の力でもないと運営できないのではないだろうか、なんて色々考えたが、ここで過ごした時間の中で、その答えを知ることはできなかった。
「将来のことで相談に来ました」
なるべく、ハキハキとやる気を伝えるように。
「そんなにかしこまるなよ。いつも通りでいいぞ」
優しい声につい油断してしまった。
本当はもっと場を和ませてから切り出すべきだった。
「俺は……軍に進みたいです」
――――――――
断られた、と脳が理解するのには一秒もかからなかった。
しかし、この段階で断られるとは思ってもなかった。
せめて理由とか聞いてから断るものかと……
「話はこれだけ?」
いつもの優しい口調で先生が尋ねてくる。
「待って! どうしてですか? せめて理由だけでも」
「理由? 戦争の駒になる理由があるか?」
その言葉には怒気が含まれている気がした。
これ以上この会話を続けるつもりはない、暗にそう言われているような。
でも、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「あなたが認めないなら、ここを出ます」
言ってから少し後悔した。脅しみたいになってしまったからだ。
でも本気だった。
進みたかった。
過去から、あの日から、そのためにはそこに行かなくてはならない。
理論的なことは一切ない。
でも本能が、行けと叫んでいる気がした。
「……理由だけなら聞いてやる」
少し呆れたような口調だったが、ついに対話に持ち込むことに成功した。
「ありがとうございます!」
俺はすべて話した。
家族のこと。
人影のこと。
今、心の中で渦巻いていること。
「それだけか……?」
今度は本当に呆れられたらしい。
こんなの、小さい時に三日連続で牛乳を服にこぼした時以来だ。
(もしかして失敗……?)
本当に夜逃げするしかないのかもしれない。
そんなことを考えていると、今度は先生から話しかけてきた。
「……俺はお前に死んでほしくない。第一、孤児院には戦争がきっかけで孤児になった子もいる。そんな中、お前が軍に入るなんておかしい話だ」
痛いところを突かれた。
シミュレーションしていた文言だが、対策は考えていなかった。
「……人影って言ったな?」
先生から話題を変えてきた。
勝てる勝負じゃ面白くないってか?
大人は違うな。俺も早く大人になりたい。
「お前……なんで故郷があんなことになったか、知ってるのか?」
「え?」
何があったか? それはもちろん――
「戦争ですよね」
そうだ。戦争だ。
一晩で故郷を奪ったあれが戦争なのだ。
「じゃあお前は、飛行機を見たのか?」
「……え?」
「戦車は? 軍隊は?」
言葉に詰まる。
見ていない。
何も、見ていない。
「第一、なんでお前の故郷みたいな小さい集落が、戦争の標的になる?」
混乱が、頭を満たす。
「……どういう、ことですか」
姫野先生は、少しだけ目を伏せてから言った。
「ずっと言おうと思ってた」
こんどはとびりき優しい声だった。
「お前の故郷を奪った、その“人影”の話を」
「……え?」




