筑波への道(前編)
## 1. 決戦の朝
2121年3月3日、夜明け前。東の空がようやく白み始めた頃、俺たちはフロンティア号の前に最終装備を整えて集結していた。吐く息が白く染まるほど、キンと冷え込んだ空気が肌を突き刺す。まるで世界の全てが凍りついたような静寂の中、俺たちは互いの覚悟を確かめるように、静かに頷き合った。この張り詰めた空気が、これから始まる非日常へのプロローグみたいで、俺は妙に落ち着かなかった。
「フロンティア号、最終チェック完了。最高の状態だ。こいつとなら、どこへだって行ける」
レオが、すっかり相棒の顔になった移動拠点――俺たちの城を誇らしげに叩き、力強く宣言した。その横顔には、技術者としての揺るぎない自信と、仲間への絶対的な信頼が満ち溢れている。こいつがいれば、どんなトラブルも乗り越えられる。そんな確信が湧いてくるから不思議だ。
「葵さんの想い、無駄にはしない」
サクラは、葵から譲り受けた御神木の木刀を、鞘ごと胸に抱くように固く握りしめた。その瞳には、普段の彼女からは想像もつかないほど静かで、それでいて烈火のごとき闘志が宿っている。まるで、これから赴くのがただの遺跡ではなく、神聖な試合に臨む武道家のような佇まいだった。
隣では、ミオが首にかけた「言霊増幅のチョーカー」にそっと触れ、目を閉じて精神を統一していた。彼女の周りだけ、ピンと張り詰めた空気がふっと和らぎ、どこか澄み渡っているように感じられる。彼女のこの静けさこそが、俺たちの命綱になる。
俺は、そんな頼もしい仲間たちを改めて見渡し、リーダーとして最後の作戦確認を行う。
「目的は対話。戦闘は最後の手段だ。だが、覚悟はしておく。いいか、全員、絶対に無事に戻るぞ」
「「「おう!」」」
三人の力強い声が、夜明け前の静寂に吸い込まれていく。よし、これでいい。
『現在、筑波遺跡周辺の情報エネルギーは安定。嵐の前の静けさ、といったところでしょうか』
フロンティア号のコンソールに鎮座したプリエスが、作戦エリアの広域マップをホログラムで投影しながら、いつも通り冷静に報告した。その声が、俺の昂ぶりがちな心をクールダウンさせてくれる。
『ハルト。緊張していますか?』
心の中に、プリエスの声が響く。
『ああ、少しな。でも、武者震いってやつだ。お前がいれば、大丈夫』
『はい。いつでも、あなたのそばに』
その短いやり取りだけで、俺の心は完全に決まった。
演習場だったニュータウン跡地には、既に巫女組織の各部隊、そして渡辺副室長とシロガネチームが集結していた。夜明け前の薄明かりの中、誰もが一言も発さず、ただ静かにその時を待っている。作戦前の独特な緊張感が、まるで重力のように場を支配していた。
やがて、簡易的な壇上に上がった水琴さんが、全隊に向けて最終ブリーフィングを開始した。
「これより、作戦『夜明け』を開始する! 我々の目的は、筑波の主との接触、そして対話である!」
表向きは掃討作戦。だが、その場にいる中核メンバーは全員、これが単なる魔物退治ではない、世界の未来を賭けた戦いであることを理解していた。
水琴さんの号令と共に、巫女組織の装甲車両が地響きを立てて先陣を切る。俺たちのフロンティア号は、水琴さんや渡辺副室長が乗る指揮車両と共に「本隊」として、その後方に続いた。いよいよ、始まる。
## 2. 斥候という名の警告
筑波遺跡の外縁部に到着した瞬間、俺たちは息を呑んだ。空気が重い、なんてレベルじゃない。情報エネルギーが、まるでオーロラのように目に見えるほどの異常な密度で渦巻き、大気を満たしている。車の中にいても肌がピリピリするようだ。まるで、世界そのものが違う法則で動いている、そんな異世界に足を踏み入れたかのようだった。
『前方1キロ、幾何学的なパターンを持つ魔物の群れを確認。プログラムされた動きです。これは…斥候部隊ですね』
プリエスが「ミネルヴァの梟」で最初の防衛ラインを探知した。
その報告通り、目の前に現れたのは、様々な正多面体の形をした水晶のような魔物の群れだった。一つ一つは小さいが、統率の取れた動きで一斉にこちらへ襲いかかってくる。その動きは、まるで一つの意志によって操られているかのように精密で、一切の無駄がない。
「第一戦闘部隊、前へ! 結界を展開、進軍ルートを確保せよ!」
水琴さんの凛とした声が、無線を通じて響き渡る。
舞さんや葵さんを含む巫女組織の戦闘部隊が、装甲車両から飛び出し、魔物の群れに突入していく。舞さんと詩織さんが祝詞を唱えながら広範囲の結界魔法を展開すると、淡い光の壁が生まれ、魔物の動きを鈍らせる。その中で、動きの鈍った魔物を、他の巫女たちが薙刀や弓で次々と祓っていく。その光景は、まるで古い絵巻物を見ているかのように幻想的で、しかし紛れもない死闘だった。
「レオ、援護を頼む! 指揮官機を叩け!」
俺は、フロンティア号の屋上に設置された狙撃ポジションにいるレオに指示を出す。
『ハルト、指揮官機は中央から3番目の、ひときわ複雑なパターンを持つ個体です。コアの座標をレオのスコープに送信します』
プリエスの声と同時に、俺は叫んだ。
「了解!」
レオのカスタムライフルが咆哮を上げる。プリエスの精密な弾道計算支援を受けた魔法弾が、夜明けの薄闇を切り裂き、群れを指揮する司令塔タイプの魔物のコアを、寸分違わず撃ち抜いた。水晶の体が甲高い音を立てて砕け散るのが、遠目にもはっきりと見えた。
司令塔を失った魔物の群れは、途端に統率を失い、動きが乱れる。その隙を、百戦錬磨の巫女たちが見逃すはずはなかった。
## 3. 精神を蝕む蟲
最初の防衛ラインを突破し、俺たちはさらに遺跡の深部へと進んでいく。
次に俺たちが足を踏み入れたのは、不気味なほど静まり返ったオフィス街だった。ガラス張りの高層ビルが墓標のようにそびえ立ち、俺たちを見下ろしている。
「ハルト、気をつけて! このエリア、情報エネルギーのノイズが酷い…何かが精神に直接干渉してくる感じがする!」
ミオが苦しげに顔を歪め、警告を発した。
彼女の言う通り、車内にいても、まるで耳鳴りのような不快な圧迫感が思考を鈍らせる。墓場に迷い込んだかのような、冷たく重い空気が肺を満たした。
その時だった。突然、車列の先頭車両が急ハンドルを切って道の端に乗り上げた。後続の車両も慌てて急停車する。
「どうした!?」
俺が前方を睨んだ、その瞬間。それは俺たちのフロンティア号の中にも、何の前触れもなく現れた。
車内に、おびただしい数の虫が、いつの間にか出現していたのだ。フロントガラスや窓の内側にも外側にも、黒い点がびっしりと張り付いて視界を奪う。そして、気づけば車内にも、羽音を立てて無数の虫が飛び交い始めていた。
「うわっ、なんだこれ!」
思わず声を上げる。虫は平気な方だが、この数はさすがに鳥肌が立つ。
『一種の小型魔物です。物理的な攻撃力はほぼありませんが、精神汚染の可能性があります』
プリエスは冷静に分析するが、状況は最悪だった。
攻撃力がない、だと? 冗談じゃない。チクチクと肌を刺す感触が、じわじわと正気を削っていく。精神的なダメージは計り知れない。
「きゃあああ!」
「いやっ!」
サクラもミオも、普段の冷静さからは考えられない悲鳴を上げながら、必死に虫を払いのけている。
「いてっ! ミオ! 魔法でなんとかできないのか!?」
レオが怒鳴るが、当のミオはそれどころではないようだ。
「うーー…きゃあ!」
ミオは必死に精神を集中させようとするが、服の隙間や髪の中にまで入り込んでくる虫の感触に、魔法の詠唱が途切れ途切れになる。これじゃダメだ。
前方の車両では、半分パニックになりながら車から飛び出す巫女たちの姿も見えた。だが、車の外はさらに虫の密度が高く、阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
『プリエス! この虫の発生源とか、対策とかないのか!?』
俺は焦りながら、心の中で叫んだ。
『虫は、このエリアに満ちる高い情報エネルギー密度と、核となる特定の情報パターンを触媒として、 شبه自然発生しています。対策は、情報エネルギーの密度を広域結界で下げるか、核となる情報パターンそのものを破壊することです』
『結界は期待できそうにないな…! 核の破壊ってのは、どうやるんだ!?』
『…一つ、可能性があります。サクラ、あなたのその木刀に、強く願いをかけてみてください』
プリエスが、俺を介さず直接サクラに提案した。
『え? 私が、木刀に?』
サクラが戸惑いの声を上げる。
『はい。葵さんから受け継いだその御神木には、強力な浄化の力が宿っています。あなたの「仲間を守りたい」という強い願いと共鳴すれば、虫の発生源となっている核の情報パターンを破壊できるかもしれません』
『わ、分かった。やってみる!』
サクラは木刀を胸の前でしっかりと握りしめ、目を閉じて大きく深呼吸した。その横顔は、恐怖を振り払うかのように固く、決意に満ちていた。
「お願い、みんなを守って…! この穢れを、祓って!」
その瞬間、木刀が淡い、清浄な光を放ち始めた。光は次第に強さを増し、やがてフロンティア号の車内全体を、温かい光で満たしていく。
「うわっ、すごい…!」
ミオが、虫を払うのも忘れて目を見開いた。
『核となる情報パターンに干渉開始。破壊シークエンスに移行します』
プリエスが静かに報告する。
「本当だ! 虫が…光に吸い込まれるみたいに消えていく!」
サクラ自身も、自らが起こした奇跡に驚きの声を上げた。
「これなら…!」
ミオは涙目ながらも叫ぶと、今度こそ完璧な精神防御魔法を展開し、車内に残った虫の残骸を塵一つ残さず一掃した。
「よし!」
なんとか車内の虫は退治できた。
外を見ると、水琴さんの指揮車両のように、迅速に対応できた車もあるが、まだ虫にびっしりと張り付かれている車もある。車外で立ち往生している巫女さんたちは、もはや虫にまみれてシルエットしか分からないほどだ。
「サクラ、ミオ、他の車の人たちも助けてやってくれ!」
「うん!」
「はい!」
サクラとミオは、車から飛び出し、他の巫女さんたちを助けに向かった。ミオが精神防御魔法で二人を守る盾となり、その中でサクラが木刀を緩やかに振るう。そのたびに、浄化の光が波紋のように広がり、巫女たちを覆っていた虫の群れが霧散していく。
やがて、全ての虫が消え去った頃、水琴さんたちが車から降りてきて、互いの状況を確認し合った。
舞さんたちも無事だったようだ。結さんは、半泣きになっているところをサクラが優しく抱きしめて慰めていた。
「他の魔物が出てこなくて、ラッキーだったな」
レオがフロンティア号の屋上から降りてきて、安堵のため息をつく。
「本当にな…。あの虫、物理攻撃より精神的に来るものがある」
俺も深く息をついた。だが、ミオだけが、何かを考え込むように眉をひそめていた。
「ラッキーだった…? いいえ、おかしいです。この虫は明らかに人為的なトラップ。他の魔物とセットで運用するのが定石のはず。それをしなかったのは何故…?」
「単なる嫌がらせか?」
レオが肩をすくめる。
「…分かりません。でも、もし嫌がらせが目的だとしたら、完璧に成功しています。私たちの精神は、確実に削られましたから」
ミオが、やや怒りをにじませた声で言った。
そうだ。これは、俺たちの戦意を削ぐための、巧妙な精神攻撃だったのかもしれない。筑波AIの、冷徹な知性を、俺たちは改めて思い知らされた。
部隊には物理的な損害はなかったが、精神的に消耗している者も多い。水琴さんの判断で、この不気味なオフィス街を抜けた先で、少し休憩を取ることになった。




