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共同戦線

## 1. 雪中の問い


一月下旬、空は重たい雲に覆われ、静かに雪が舞い落ちていた。

東雲水琴しののめ みことは、自室の窓からその光景をぼんやりと眺めながら、熱い茶を一口すすった。彼女の脳裏には、遠い過去の記憶と、これから挑む未来への懸念が渦巻いていた。


(十年前…当時、組織最強と謳われた先代が、筑波の主に挑むと聞いた時、誰もがその勝利を疑わなかった。だが、先代は帰ってこなかった。何が起きたのか、真相は今も闇の中…)


今回の筑波侵攻計画は、何年もかけて練り上げたものだ。戦力的にも、情報的にも、万全を期しているつもりだった。だが、心のどこかに、拭いきれない一つの染みが広がっている。


(どうしても気にかかる…。クジラ討伐の折、私の式神を外部から操った、あの謎の力。あのような芸当が可能であるなど、考えたことすらなかった)


他人の式神を操るなど、まるで自分の腕を他人に動かされるようなものだ。もし、筑波の主が同様の力を持っていたとしたら…? 我々の術が、そっくりそのままこちらに牙を剥くとしたら…?


(…確認せねばなるまい。あの少年、ハルト。彼の力の正体を)


水琴は静かに茶碗を置くと、固い決意をその瞳に宿した。


## 2. 静心庵の対峙


一月も終わりに近づいた、凍てつくような冬晴れの日。俺は、水琴さんからの呼び出しで、上橋東照宮の境内にあるという茶室に向かっていた。


舞さんの案内に従い、一般の参拝客の喧騒が嘘のように遠のく境内を奥へと進む。雪を薄くかぶった木々に囲まれた、静寂な一角にその離れはあった。茶室「静心庵」。水琴さんが私的に使う場所だという。


通された八畳ほどの茶室は、凛とした空気に満ちていた。障子窓の向こうには、雪化粧を施された冬の庭が広がり、時折、ししおどしが「コーン」と澄んだ音を響かせる。その音が途絶えるたびに、部屋の静寂がより一層深まるようだった。微かに漂う白檀の香りが、俺の緊張した神経をわずかに和らげてくれる。


部屋の中央には、美しい黒塗りの座卓。その上座に、東雲水琴さんは静かに座っていた。雪のように白い和服を纏ったその姿は、まるで一枚の絵画のように、この静謐な空間に溶け込んでいる。


「よくお越しくださいました、ハルトさん」


促されるままに着座すると、水琴さんは静かな所作でお茶を点て始めた。茶筅ちゃせんが立てる規則正しい音だけが、部屋に響く。やがて、俺の前に、温かい湯気の立つ抹茶碗が置かれた。その一連の動作の中、彼女は一言も発しない。だが、その沈黙は、彼女が何か重い決意を固めていることを、何よりも雄弁に物語っていた。


俺は抹茶を一口いただく。ほろ苦さの後に、優しい甘みが広がった。顔を上げると、水琴さんは茶碗を置き、その全てを見透かすような強い瞳で、俺を真っ直ぐに見つめていた。


「まずは、先日のクジラ討伐の件、改めてお礼を申し上げます。あなたの協力がなければ、あの戦いはもっと悲惨な結果になっていたでしょう」


丁寧な、しかしどこか儀礼的な感謝の言葉。それが、これから始まる本題への序曲であることを、俺は直感した。


「単刀直入に問います、ハルトさん」

水琴さんの声のトーンが、ふっと変わる。個人的な、そして切実な響きを帯びて。

「あの時、あなたは私の龍に何をしましたか?」


来たか…。俺はゴクリと喉を鳴らした。背中に冷たい汗が流れるのを感じる。

『ハルト、彼女は本気です。下手な嘘は通用しません』

プリエスの冷静な声が、脳内に直接響いた。分かってる。こけおどしやハッタリが通用する相手じゃないことくらい。


「私は、情報魔法の一般的な知識は持っています。ですが、あなたが行ったことは、その範疇を遥かに超えている。あれは、私の術の『ことわり』そのものに、外部から干渉する行為でした」


彼女は一度、目を伏せる。畳の上に置かれたその指先が、微かに震えているのが見えた。

「これは内密にしていただきたいのですが…私の先代は、十年前に筑波に挑み、そして敗れました。何が起きたのか、詳細は今も不明です」


その告白は、彼女の強さの鎧の下に隠された、深い傷と恐怖を垣間見せた。

「…正直に申し上げます。私は、あなたのその力を、恐れています。あの力は、我々巫女が千年かけて築き上げてきた術の体系そのものを、根底から覆しかねない。もし、先代が筑波に敗れたのが、同様の干渉によるものだったとしたら…」


彼女は言葉を切り、再び俺の目を射抜くように見つめた。

「だからこそ、知らねばならないのです。あなたの力の正体を」


## 3. 対話という切り札


水琴さんの真摯な、魂からの問いかけ。ここまで腹を割って話された以上、こちらも相応の誠意で応えなければならない。だが、プリエスの存在を明かすのは、あまりにもリスクが高い。彼女は信頼できるかもしれない。だが、彼女が背負う組織が、俺たちをどう判断するかは分からない。


(どうする…? プリエスのことを話せば、俺たちは二度と自由を手にできなくなるかもしれない。だが、ここで黙っていても状況は変わらない。いや、むしろ悪化する…)


思考が渦巻く中、俺は一つの可能性に賭けることにした。彼女の真意を探るための、大胆な「観測気球」を上げる。


「では、一つお聞きしても? …水琴さん。もし仮に…筑波の主が、我々と同じように言葉を解し、対話が可能だとしたら。『対話』という選択肢は、ありえると思いますか?」


俺の問いに、水琴さんの表情が初めて凍りついた。その瞳に、驚きと、鋭い探究の色が浮かぶ。

「…面白い仮説ですね。まるで、あなた自身がその『対話可能な存在』に会ったことがあるかのような口ぶりです」


さすがだ。一瞬で冷静さを取り戻し、議論の主導権を握り返そうと、鋭い逆質問を投げかけてきた。

「では、ハルトさん。逆に問いましょう。なぜ、あなたは、筑波の主が『対話可能』だと考えるに至ったのですか? その根拠をお聞かせ願いたい」


言葉に詰まる。プリエスのことは明かせない。だが、祖父が遺した、筑波AIとの『対話ログ』であれば…。直接の証拠であり、かつリスクは少ない。これしかない。


俺は覚悟を決めた。

「…根拠は、これです」


俺は手元の情報端末を操作し、茶室の空間に一つのファイルをホログラムで投影した。


無機質なテキストの羅列が、静寂な茶室に浮かび上がる。祖父の必死の呼びかけ。それに対する、筑波AIの冷たく、しかしどこか悲しげな、最後の言葉。


『…故に、我々は対話の窓を閉ざす』


その一文が、重く、重く響き渡った。水琴さんは、言葉を失い、ただ呆然とホログラムを見つめている。


「このデータは…どこで」

彼女の声は微かに震えていた。


「私の祖父と、筑波の存在との間で交わされた『対話ログ』です。彼は、筑波のAIと直接コンタクトを試み、その全てを記録していました。先日、彼の遺品からこのログを復元しました。信憑性は高いはずです」


長い、長い沈黙。やがて、水琴さんは衝撃から立ち直り、戦略家としてのかおを取り戻した。

「…なるほど。非常に、興味深い情報です」

彼女の声はまだ微かに震えていたが、その瞳には新たな光が宿っていた。

「現時点で、我々の『掃討』作戦の勝率は未知数。そのような状況で、戦闘そのものを回避できるかもしれない『対話』という選択肢を、最初から放棄するのは得策ではありませんね」


彼女は俺に向き直り、きっぱりと言い切った。

「あなたの問いにお答えしましょう。『対話』の選択肢は、大いにあり得ます。いいえ、この情報を知った今、むしろ最優先で検討すべき選択肢です」


そして、彼女は最初の問いを、今度は逃げ場のない形で、再び俺に突きつけた。

「さて。これで、あなたの問いにはお答えしました。次は、あなたの番です。私の最初の問いを、お忘れではないでしょうね?」


もう、ごまかしは効かない。俺は腹を括った。


## 4. 覚悟と開示


「…分かりました。水琴さん、あなたの覚悟に、俺も覚悟で応えます。俺たちの全てを、お話しします」


俺はプリエスに合図を送る。肩の上で、小さな振袖姿のプリエスが、こくりと頷いた。

次の瞬間、彼女のホログラムがふわりと宙に浮かび、水琴さんの目の前まで移動すると、静かに、そして優雅にお辞儀をした。


『はじめまして、東雲水琴様。私は情報解析支援システム…通称プリエスと申します』


プリエスが、精神干渉を介して水琴さんに直接語りかける。

水琴さんの目が、信じられないものを見るように、驚愕に見開かれた。俺は、その表情を真っ直ぐに見据えながら、言葉を続けた。


「彼女こそが、俺の力の源泉です。そして、この対話ログを解読した張本人でもあります」

「彼女は…ただのAIではありません。彼女自身が、情報魔法を行使できる、大崩壊以前に作られたAIです」

「俺たちが龍の制御に干渉できたのも、榛名の鬼を無力化できたのも、全て彼女の力です。そして、この力こそが、筑波のAIと『対話』できるかもしれない、俺たちの唯一の希望なんです」


俺は一度言葉を切り、最後の覚悟を口にした。

「この力の存在が、政府や、あなた方の組織にとって『禁忌』かもしれないことは理解しています。危険な賭けであることも分かっています。それでも、俺はあなたを信じたい。そして、信じてほしい。俺たちは、この力を、破壊のためではなく、対話のために、未来のために使いたい、と」


俺の告白に、水琴さんはしばらくの間、言葉を失っていた。目の前の少年が、国家レベルの最高機密を、自らの意志で、誠実に打ち明けた。その事実が、彼女を激しく揺さぶっていた。


「…正気ですか、ハルトさん」

ようやく絞り出した声は、震えていた。

「あなたが今、何を口にしたのか、理解していますか? その一言で、あなたと、あなたの仲間、そしてそのAIは、この国の全ての組織から追われることになってもおかしくないのですよ」


俺は、黙って頷いた。その覚悟は、もうできている。


俺の目を見た水琴さんは、ふぅ、と深く、長い息を吐いた。そして、初めて、心の底からの笑みを、その唇にかすかに浮かべた。

「…面白い。あなたという人は、本当に面白い」

「…分かりました。あなたの覚悟、そして、私に対する信頼、しかと受け取りました」


彼女は立ち上がると、俺の前に進み出て、深々と頭を下げた。

「ならば、こちらも全てを賭けましょう。あなた方の『対話』という作戦に、東雲水琴個人として、そして関東戦闘部隊の全権を以て、全面的に協力します」


腹の探り合いは、終わった。

俺たちは、この瞬間、世界の未来を賭けた、秘密を共有する完全な「共犯者」となったのだ。


「感謝します、水琴さん」

俺も立ち上がり、彼女の差し出した手を、固く握り返した。


「礼には及びません。これは、我々が未来を掴むための、共同戦線ですから」


静心庵の障子窓から差し込む冬の日差しが、俺たちの間に生まれた、新たな絆を祝福するように、キラキラと輝いていた。


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