アマテラスの遺産と幻のイクシオン
## 1. 謎の依頼主、再び
九月の終わり、秋雨がアスファルトを叩く音が静かに響く金曜日の夜。俺のスマホが、部屋の静寂を破って軽快な通知音を鳴らした。画面に表示されたのは、差出人不明の短いメッセージ。
『先日のテスト、見事合格だ。君たちのチームに、本依頼を託したい。明朝8時、清原駅西口のコインパーキングで待つ』
「……来たか」
思わず声が漏れる。すぐにプリエスに指示を出し、チーム全員の思考を繋いだ。
『みんな、例の依頼主から連絡だ。明日の朝、駅前で会うことになった』
思考のネットワークに、サクラの喜びが弾けるように伝わってくる。
『やった!やっぱり私たち、認められたんだね!』
『だが、まだ相手の正体は分からん。気を引き締めていけよ』
レオの冷静な声が、浮かれがちな空気をピシャリと引き締める。まったく、頼りになるやつだ。
翌朝、指定されたコインパーキングの隅に、一台の黒いバンが停まっていた。まるで映画のワンシーンみたいだな、なんて思いながら近づくと、スライドドアが静かに開き、中から一人の初老の男性が姿を現した。銀色の髪をオールバックにし、高価そうなコートを羽織っている。だが、その顔には深い皺が刻まれ、瞳の奥には、ただの老人ではない、底知れない何かが宿っていた。
「よく来てくれた。私が、今回の依頼主だ。コードネームは…そうだな、『プロメテウス』とでも名乗っておこう」
男はそう言うと、俺たち一人ひとりの顔を値踏みするようにじっくりと見つめた。その視線は鋭く、まるで魂の奥まで見透かされているような気分になる。
「先日の依頼、ご苦労だった。あれは、君たちの能力…特に、目先の利益に惑わされない誠実さと、常識を疑う洞察力を試すためのテストだった。君たちは、見事にそれに合格した」
「テスト…ですか」
俺が問い返すと、プロメテウスは深く頷いた。
「そうだ。そして今日が、本番だ」
その言葉には、有無を言わせぬ重みがあった。
## 2. 幻の高性能GTカー『イクシオン』
プロメテウスは、バンの荷台から一枚の古びた設計図を広げた。そこに描かれていたのは、今まで見たこともない、流線型の美しいフォルムを持つ一台の車だった。まるで生き物のような、滑らかな曲線。
「これは、幻の高性能GTカー『イクシオン』。大崩壊前に、ごく少数の天才技術者たちが、情報魔法技術の粋を集めて作り上げた、次世代のマシンだ」
「情報魔法技術を…車に?」
レオが、技術者としての純粋な好奇心から身を乗り出す。その目は、子供のようにキラキラと輝いていた。
「そうだ。このイクシオンは、ただ速いだけではない。ドライバーの思考を読み取り、最適な走行ルートを予測するナビゲーションシステム。車体そのものを周囲の風景に溶け込ませる、高度な隠蔽魔法。そして、限定的ながら、自己修復機能まで備えている」
その説明に、俺たちは息を呑んだ。まるでSF映画に出てくるような、夢の技術だ。そんなものが、本当に存在するのか?
『ハルト、彼の言葉に嘘はありません。設計図から読み取れる情報と一致します。これは…まさしくロストテクノロジーの塊です』
プリエスの冷静な分析が、俺の興奮をさらに煽る。
「このイクシオンが、榛名山の奥深くにある、放棄された研究施設…『アマテラス・レガシー』に、今も眠っている。君たちの任務は、それを回収してくることだ」
「アマテラス・レガシー…」
ミオがその名前を反芻する。
「聞いたことがありません。地図にも載っていないはずですが」
「当然だ」
プロメテウスは、まるで世界の秘密を語るかのように、声を潜めた。
「施設全体が、軍事レベルの強力な認識阻害魔法で隠されている。並の探索者では、その存在に気づくことすらできん。だからこそ、君たちのような力が必要なのだ」
プロメテウスはそう言うと、俺たちにバンのキーを差し出した。
「この車を使え。頑丈な四駆だ。私も同行し、現地まで案内しよう。ただし、施設の中に入れるかどうかは、君たちの腕次第だ」
その目は、俺たちの覚悟を試しているようだった。俺はゴクリと唾を飲み込み、そのキーを受け取った。
## 3. 見えない壁とプリエスの挑戦
プロメテウスが運転するバンに揺られ、俺たちは榛名山の奥深くへと分け入っていった。舗装されていない悪路を、四駆のバンは力強く進んでいく。
「この先の、およそ3キロメートル四方のエリアが、アマテラス・レガシーの敷地だ。だが、強力な認識阻害魔法で覆われているため、正確な入口の位置は私にも分からん」
車を降り、俺たちは広大な森を前に立ち尽くした。どこを見ても、ただ木々が生い茂っているだけ。本当にこの中に、最先端の研究施設が眠っているというのか?
「精神干渉魔法で、魔法の源を探ることはできないんですか?」
俺が尋ねると、プロメテウスは静かに首を横に振った。
「無駄だ。ここの認識阻害魔法は、複数の術者が幾重にも重ねがけした、軍事レベルの代物だ。下手に精神干渉を試みれば、逆にこちらの精神が汚染されかねん」
『プロメテウスの言う通りです。この魔法は、私が今まで解析した中でも最も複雑で強力。直接接触するのは危険です』
プリエスも、珍しく強い警告を発した。AIである彼女がここまで言うのだから、相当なものなのだろう。
「じゃあ、物理的な手がかりは? 足跡とか、草木の生え方とか…」
サクラが、野生の勘を働かせようと周囲を見渡す。だが、プロメテウスはそれも否定した。
「施設が放棄されて数十年。自然が全てを覆い隠している。物理的な痕跡は、もはや何も残ってはおるまい」
「カメラで撮影したらどうだ? 認識阻害は、人間の脳を騙す魔法だろ? 機械なら…」
今度はレオが、技術的なアプローチを試みる。
「それも無意味だ。この施設は、周囲の環境をリアルタイムでスキャンし、風景に完全に溶け込む立体映像を自動生成している。カメラのレンズが捉えるのは、その精巧な偽りの映像だけだ」
「なんて厄介な…」
レオが唸る。八方塞がりだった。俺たちの間に、重い沈黙が流れる。
その時、ずっと黙って話を聞いていたミオが、俺の肩に浮かぶプリエスを見上げて、悪戯っぽく微笑んだ。
『人間の目には無理でも、プリエスならできるんじゃない? “高性能な”情報解析支援システムのプリエスなら』
その挑発的な言葉に、プリエスはカチンときたようだった。ホログラムの頬を、ぷくりと膨らませる。
『…ミオ。それは、私への挑戦と受け取ります。やってみましょう』
おいおい、そんなに簡単に乗っちゃって大丈夫か?と俺は思ったが、プリエスの瞳には、絶対的な自信の光が宿っていた。
## 4. プリエスの超絶解析
俺たちは、プロメテウスとレオを車に残し、ミオとサクラ、そしてプリエスと共に森の中へと分け入った。プリエスは、俺の肩の上で静かに目を閉じ、周囲の膨大な情報を収集し始めた。
『この施設は、膨大な環境データを基に、常に新しい風景を生成し続けています。しかし、どれほど精巧なプログラムでも、完全なランダムはあり得ない。必ず、生成パターンに周期的な『揺らぎ』が生じるはずです』
プリエスの思考が、俺たちの脳内に直接流れ込んでくる。彼女は、この広大な森全体を一つの巨大なデータとして捉え、その中にあるはずの、僅かな不協和音を探し出そうとしていた。
『特に「扉」のような、構造物的な特異点の存在は、長年の使用によりそのパターンに微細な乱れをもたらすでしょう。その乱れこそが、隠された入口のサインです』
『プリエス、なんだか探偵みたい』
ミオが感心したように呟く。
三時間ほど歩き回り、元の場所に戻ってきた。俺たちはすっかり疲れ果てていたが、プリエスはまだ膨大なデータの海を泳ぎ続けている。
やがて、プリエスがゆっくりと目を開けた。その瞳は、確信に満ちていた。
『…見つけました。あそこです』
プリエスが指差した先は、他の場所と何ら変わらない、ただの岩壁だった。
『あの地点だけ、風景の生成パターンに、0.001秒単位の僅かな遅延が生じています。おそらく、そこが物理的な『扉』の存在を隠蔽している、システムの基点です』
0.001秒の遅延だと?人間の感覚では絶対に捉えられない領域だ。俺はプリエスの能力に、改めて戦慄した。
俺たちはプロメテウスを呼び、プリエスが示した岩壁の前へと向かった。
「ここか…」
プロメテウスは岩壁に手を触れ、何かを確かめるように目を閉じた。そして、懐から古びた鍵を取り出すと、何もない空間に向かって、それを数度かざした。
「我が名はプロメテウス。好きな食べ物は、信州の蕎麦だ」
彼がそう唱えると、地面が微かに震え、岩壁が音もなく左右に分かれていく。その向こうに、地下へと続く、薄暗いコンクリートの通路が口を開けていた。
「ここが、アマテラス・レガシーの入口だ」
プロメテウスの声が、厳かに響いた。
## 5. アマテラスの遺産
通路の空気はひんやりとしており、湿った土とカビの匂いが鼻をついた。俺たちはヘッドライトの明かりを頼りに、慎重に奥へと進んでいく。
やがて、視界が開け、巨大なドーム状の空間に出た。そこは、かつて最先端の研究が行われていたであろう、巨大なガレージだった。壁には工具が整然と並び、床には分解された機械の部品が散乱している。まるで、昨日まで誰かがここで作業をしていたかのようだ。
「すごい…」
レオが、感嘆の声を漏らす。彼の目は、宝の山を見つけた子供のように輝いていた。
プロメテウスは、ドームの中央で再び鍵を操作した。
「さあ、目覚めの時だ、イクシオン」
すると、空間の中心が陽炎のように揺らめき、そこに一台の車が、まるで幻から実体へと変わるように、ゆっくりと姿を現した。
流れるような曲線を描く、漆黒のボディ。低く構えた車体は、獲物を狙う黒豹のようにしなやかで、力強い。情報魔法の回路が、ボディラインに沿って青白い光の筋となり、まるで血管のように脈打っている。
「これが…アマテラスの遺産、イクシオン…」
俺たちは、そのあまりの美しさに、言葉を失った。これはただの機械じゃない。芸術品だ。
プロメテウスが運転席のドアを開け、エンジンを始動させる。
エンジン音の代わりに、車体から『フゥン…』という静かなハミング音が響き、青白い光の筋が脈打つように明滅した。
「さあ、帰るとしよう。こいつの本当の力は、外で見せてやる」
レオが運転席に、俺とプロメテウスが助手席に、そしてサクラとミオが後部座席に乗り込む。イクシオンは、滑るようにドームを後にした。
## 6. 傭兵の奇襲
施設から脱出し、再び山の光を浴びた、その瞬間だった。
周囲の木々の間から、銃で武装した数人の男たちが、一斉に姿を現した。その数、およそ10人。彼らは素早く俺たちの退路を塞ぎ、銃口をこちらに向けている。
「止まれ!その車を置いて、降りてもらおうか!」
リーダーらしき男が、拡声器で叫ぶ。
「くそっ、ツクヨミ重工の傭兵か!」
プロメテウスが忌々しげに舌打ちする。「イクシオンの情報をどこかで嗅ぎつけやがったな」
道は完全に塞がれている。強行突破は不可能に近い。どうする?俺の頭が高速で回転する。
「どうする、ハルト!」
レオがハンドルを握りしめ、俺に問う。
「プロメテウスさん、隠蔽魔法の準備を!」
俺が叫ぶと、プロメテウスは冷静に頷き、コンソールのスイッチに指をかけた。
「いつでもいける」
「レオ、俺の合図で急ブレーキをかけろ!」
俺は叫んだ。
イクシオンが急加速し、傭兵たちに向かって突進する。傭兵たちが慌てて発砲準備に入る、その寸前。
「今だ!」
俺の合図と同時に、プロメテウスがスイッチを押し、レオが急ブレーキを踏んだ。土煙が舞い上がり、イクシオンの車体が、再び陽炎のように揺らめき、周囲の風景に溶け込んで消えた。
「なっ!?消えたぞ!」
突然目の前の車が消えたことに、傭兵たちは完全に混乱していた。
だが、道は塞がれたままだ。このままでは、じり貧になる。
『ハルト、奇襲をかけましょう』
プリエスの声が、俺の思考を後押しする。
「奇襲をかける」
俺は、チームに作戦を伝えた。
「俺とサクラが左右のドアから飛び出し、敵の注意を引きつける。その隙に、ミオが車内から精神干渉魔法で敵の視覚を混乱させる。10人くらいいるけどできるか?」
「素人相手なら大丈夫」ミオが頷いた。その横顔は、いつになく頼もしい。
「…そういえば、人間に精神干渉魔法を使ってもいいのか?」
俺が念のため確認すると、ミオは「正当防衛。銃を向けて脅迫してくる相手なら、問題ない」と、きっぱりと言い切って、アイマスク型のデバイスを装着した。
「よし、行くぞ!」
俺とサクラは、左右のドアを同時に開け、外に飛び出した。
「こっちだ!」
俺たちが叫ぶと同時に、ミオの魔法が発動する。傭兵たちの視界がぐにゃりと歪み、焦点が合わなくなる。
その隙を、サクラは見逃さなかった。彼女は、最も近くにいた男の懐に瞬時に潜り込むと、SG-2000を装着した左の拳で、鳩尾に正確な一撃を叩き込む。男は「ぐえっ」という短い悲鳴を上げ、崩れ落ちた。
俺も、目が合った別の傭兵に向かって、プリエスとともに精神干渉魔法を放つ。
『お前は、戦う意味を見失う』
人間に対して精神干渉魔法を使うのは初めてだったが、鬼に比べると驚くほど容易い。
男は一瞬、虚ろな目で俺を見ると、手に持っていた銃をだらりと落とし、その場にへたり込んだ。
残りの傭兵たちも、視界を奪われてはまともに戦えない。
サクラの圧倒的な格闘術と、レオの的確な援護射撃(近くにあった石を投げつけただけだが)の前に、次々と無力化されていった。
## 7. 新たな城
全ての敵を制圧し終えた時、プロメテウスが満足そうに拍手をした。
「見事なチームワークだ。君たちに頼んで、正解だったよ」
「さて、ではこれで依頼は完了だ。私はこれで失礼する」
プロメテウスはそう言うと、イクシオンの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
「じゃあ、俺たちは…」
「あのバンは、今回の特別報酬として君たちに譲ろう。好きに使うといい」
プロメテウスは、悪戯っぽく笑った。
そう言うと、イクシオンは再び姿を消し、静かにその場を走り去っていった。エンジン音一つ聞こえない。まさに幻の車だ。
俺たちは、再びバンのところに戻った。
「…このバンくれるってさ。どうする、レオ?」
俺が尋ねると、レオは、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、目を輝かせてバンを眺めていた。
「どうするって…決まってるだろ」
レオはボンネットを力強く叩き、ニヤリと笑った。
「こいつを、俺たちの新しい『城』に改造するんだ。最高の移動拠点にな」
その言葉に、俺たちは皆、力強く頷いた。




