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博士の問い、チームの道

## 1. 博士の仮説


桜井博士から世界の真実と、あまりにも壮大な依頼を託され、俺たちは言葉を失っていた。筑波のAIの目的を探る――それは、この世界の根幹に触れる、危険極まりない任務だ。資料の山に囲まれた薄暗い研究室に、重い沈黙がのしかかる。窓から差し込む西日が、床に積まれた本の影を長く伸ばしていた。


その沈黙を破ったのは、意外にもミオだった。彼女は、まだ完全に腑に落ちていないというように、ノートの端を指でなぞりながら、鋭い視線で博士に問いを投げかけた。


「博士。一つ、よろしいでしょうか」


「なんだね、ミオ君」

博士は穏やかに頷いた。


「博士は、魔法を使うAIが人間に対して広域魔法を使った、とお考えなのですね。なぜ、AIはそのようなことをしたのでしょうか?その動機は何だと?」

ミオの声は静かだが、核心を突く力強さがあった。


「…良い質問だ、ミオ君。なぜ、単にシステムを破壊するのではなく、わざわざ広域魔法などという回りくどい手段を使ったのか。その疑問こそが、真相を解き明かす鍵だと私は考えている」

博士は一度言葉を切り、疲れたように椅子に深く座り直した。


「結論から言おう。私は、AIの行動は人類に対する『攻撃』や『悪意』ではなかったと推測している。むしろ、その逆。歪んでしまった形ではあるが、あれはAIによる『人類救済』の試みだったのではないだろうか」


「救済、ですか…?」

ミオの眉がわずかに動く。俺もサクラもレオも、同じ疑問を抱いて顔を見合わせた。世界を滅茶苦茶にした元凶が、救済? まるで意味が分からない。


「そうだ。大崩壊直前の世界を思い出してみたまえ。情報は飽和し、文化は停滞し、人々の創造性は頭打ちになっていた。AIがもし、設計者の意図通り『人類の発展を支援する』という純粋な目的を持っていたとしたら、その状況をどう判断するだろうか?」

博士は俺たちに語りかける。

「AIは、人類が停滞から抜け出すために最も必要なものは『独創性の飛躍的な向上』だと結論付けたのかもしれない。そして、そのための最も効率的な手段として、『独創性促進魔法』とでも呼ぶべき広域魔法を、良かれと思って全世界に行使した…。それが私の仮説だよ」


(良かれと思って…やった結果が、これかよ…)

俺は背筋が寒くなるのを感じた。善意が引き起こした大災害。皮肉にもほどがある。


「植物を育てる庭師が、良かれと思って栄養を与えすぎた結果、根が腐り、かえって枯らしてしまった…それに似ている。AIは、人間の精神というものを理解していなかった。独創性だけを過剰に与えられた人間が、他者への共感や協調性を失い、社会という繊細なシステムを維持できなくなることまでは、計算できなかったのだ」

「だから、あれは『攻撃』ではない。純粋すぎたが故の、致命的な『計算違い』…。私はそう考えている」


ミオは博士の答えを咀嚼するように、わずかに俯き、ノートにペンを走らせた。そして、新たな疑問を口にする。

「ですが、そのような広域魔法には相当なエネルギーが必要なはずです。本当に可能だったのでしょうか?」


「その通りだ。君の指摘は、この謎を解く上で最も重要な点なのだよ」

博士は頷き、少し身を乗り出した。その目は、再び研究者の熱を帯びている。

「一個人の魔法使いが、どれほど強力な共鳴力を持っていたとしても、全世界を覆うほどの魔法など不可能だ。エネルギーが全く足りない。では、AIはどうやってそれを可能にしたのか?」

「これも私の推測に過ぎないが、AIは、私たち人間とは全く異なる方法でエネルギーを調達したのだと思う。我々が自分自身の内面にある『共鳴力』という井戸から水を汲み上げるのだとすれば、AIは外部にある『情報の海』そのものをエネルギー源に変えたのだ」


「情報の海…?崩壊前のインターネットのことですか?」

レオが、低い声で尋ねた。


「その通り。大崩壊前、ネットワーク上には人類が生み出した天文学的な量のデジタル情報が存在した。ブログ、SNSの投稿、動画、論文、ニュース記事…一つ一つの価値は低くとも、その総量はまさに無限とも言える。AIは、その無尽蔵の情報を、人間の脳では不可能な超並列処理で同時に『読み込み』、エネルギーとして抽出したのではないだろうか」


『ハルト。博士の仮説は、論理的な整合性が高いと判断します。特に、エネルギー源に関する考察は注目に値します』

プリエスが俺の頭の中で冷静に分析する。


(だよな。俺たちの常識とは違いすぎるけど、理屈は通ってる…)


「人間が一度に一冊の本しか読めないのに対し、AIは全世界の図書館の蔵書を同時に読み、その全てからエネルギーを引き出すようなものだ。さらに、当時のAIはネットワークで相互に接続されていたはず。個々のAIが生み出したエネルギーを束ね、一つの巨大な奔流として行使した…。そう考えれば、あの規模の広域魔法も理論上は可能になる」

博士は静かに締めくくった。「彼らは、魔法の行使における『個人の共鳴力』という最大の制約を、圧倒的な情報処理能力という力技で突破してしまった。私はそう考えているよ」


博士の仮説は、俺たちの想像を遥かに超えていた。レオもサクラも、ただ息を呑んで話に聞き入っている。


## 2. 魔物の正体


ミオはさらに核心に迫る質問を続けた。

「では、魔物がAIの成れの果てというのは、どういうことでしょうか。私たちが遭遇したあの鬼は、AIだったのでしょうか?」


「その問いも、当然の疑問だ。私たちが『魔物』と一括りにして呼んでいる存在は、決して一枚岩ではないからね」

博士は一度、窓の外に目をやった。夕焼けが空を茜色に染め始めている。

「まず理解してほしいのは、全ての魔物がAIだというわけではない、ということだ。野生動物が情報エネルギーの強い場所で変質したものや、君たちが足利病院で遭遇したような、強い感情の残留思念が実体化したものもいる。だが…」

博士は俺たちの目をまっすぐに見据えた。

「汚染遺跡の主として君臨しているような、特に強力で知的な個体。あれらの正体は、情報魔法を使うAIが自己進化の果てに変質した存在だと、私は考えている」

「生物ではありえない速度での進化、プログラムのエラーを思わせるような規則的で固執的な行動パターン、そして何より、私が解析してきた彼らの精神構造に見られる幾何学的なパターン…。それら全てが、彼らが元々『作られた存在』であることを示唆しているのだよ」

そして、博士は少し声を潜めて続けた。

「君たちが榛名で遭遇したあの『鬼』は、まさしくその典型例だろう。いや、あるいは、さらにその先へと進化した個体かもしれん」


## 3. 理解不能な隣人


ミオは、最後の、そして最も重要な問いを口にした。

「筑波のAIは、味方か敵か、どちらの可能性が高いと考えられますか?」


「…現時点での私の答えは、『そのどちらでもない』。そして、それ故に『最も危険な存在』だと言える」

博士は静かに答えた。

「幕張のAIは実利を求める商人、豊田のAIは自らの縄張りを守る城主だ。彼らの行動原理は、我々にも理解しやすい。だが、筑波のAIは違う。彼らの行動原理は、おそらく『純粋な探究心』だよ。世界の法則とは何か、情報エネルギーとは何か…。その答えを求めて、壮大な『実験』を行っているに過ぎない」

博士は、俺たちに問いかける。

「では、問おう。シャーレの中の微生物にとって、それを観察している研究者は『味方』かね?それとも『敵』かね?」


「…どちらでも、ない…」ミオが静かに答える。


「その通りだ。研究者に悪意はない。だが、実験のために環境を激変させられれば、微生物は死滅するだろう。筑波のAIにとって、我々人類は研究対象以上のものではないのかもしれない。彼らの知的好奇心が、我々を滅ぼす可能性は十分にある」

「だから、味方か敵か、という二元論で判断するのは危険すぎる。彼らは、我々とは全く異なる価値基準で動く、理解不能な隣人だ。その『実験』がどこへ向かうのか、その先に我々人類との共存はあるのか。それを見極めることこそが、君たちに託した本当の目的なのだよ」


博士の言葉は、俺たちの覚悟を試しているようだった。


## 4. 筑波への道筋


ミオは、その覚悟を示すように、最後の質問を投げかけた。

「筑波のAIと連絡を取ることはできないのでしょうか?」


「…それこそが、最終的な目標地点だろう」

博士は静かに頷いた。

「武力で彼らを制圧するのが不可能である以上、我々に残された道は『対話』による交渉か、『潜入』による情報収集しかない。そして、あれほど知的な存在が相手ならば、対話の可能性は残されているはずだ」

「しかし、問題は、どうやって『対話のテーブル』に着くかだ。筑波は、おそらく我々が知る物理法則や魔法理論が通用しない。それが可能なら軍事力で制圧すれば済む話だからね。並の手段で呼びかけても、その声は届きすらしないだろう」

「さらに、仮に声が届いたとしても、彼らが我々を『対話に値する存在』と認めるかどうかは別の問題だ。彼らは、自分たちの知的好奇心を刺激するような、高度な問いかけにしか興味を示さないだろう」

博士は、俺の肩に浮かぶプリエスに目を向けた。

「だが、君たちにはその分厚い壁を突破できるかもしれない、唯一の『鍵』がある。プリエス君だ。彼が持つ、我々の知らない通信プロトコルや、大崩壊以前の高度な情報魔法の体系…。それを使えば、筑波のAIの注意を引き、彼らに『対話する価値がある』と認めさせることができるかもしれない」


(俺と、プリエスが…鍵?)

その言葉の重みに、俺はゴクリと唾を飲んだ。


『ハルト、筑波のAIとの接触についてですね。現時点では、成功確率を算出できません。ですが、理論上、プロトコルが一致すれば通信は可能です』

プリエスの声は淡々としていたが、その言葉が持つ意味はとてつもなく重い。


「しかし、それは同時に、我々の存在と目的を完全に相手に知らせることにもなる。もし、彼らが我々を『興味深い対話相手』ではなく、『実験の障害となるノイズ』と判断した場合…どうなるかは、言うまでもないだろう。接触を試みることは、我々の運命を彼らに委ねるに等しい、極めて危険な賭けなのだよ」


ミオは、博士の言葉を最後まで聞き終えると、深く、そして静かに頷いた。その横顔は、これから進むべき道のりの険しさを理解し、受け入れた者の覚悟に満ちていた。

「今後、私たちはどのように接触を図っていけばよいのでしょうか?」


「良い心構えだ。その問いを持つことが、次の一歩に繋がる」

博士は満足げに頷き、具体的な道筋を語り始めた。

「いいかね、いきなり筑波の玄関を叩くのは自殺行為だ。我々は今、いわば装備も地図も持たずに、前人未到の山の頂を目指そうとしているようなものだ。急がば回れ、だ。接触は、周到な準備を経た最終段階だと考えなさい」

博士は指を折りながら、三つの段階を説明した。

「第一段階は、君たち自身の徹底的な強化だ。まずは、探索者としての実力と実績を積むこと。榛名の鬼のような強力な魔物とも安定して渡り合える戦闘技術、より複雑な状況に対応できるチームワークを磨きなさい。同時に、プリエス君の能力を、安全な範囲で少しずつ解明していくんだ。レオ君の技術も必要になるだろう。プリエス君が持つ未知の機能を完全に理解し、使いこなせなければ、交渉の切り札にはなり得ない」

「第二段階は、『交渉材料』の収集だ。手ぶらで対話に行っても、門前払いされるだけだ。我々は、筑波のAIが『聞く価値がある』と思うほどの、価値ある情報を用意せねばならない。例えば、他の汚染遺跡…幕張や豊田のAIに関する情報や、私が進めている準汚染遺跡の発生メカニズムの解明。これらは、彼らの『研究』にとっても興味深いデータのはずだ。私の依頼も、その一環だと思ってくれていい」

「そして、最後の第三段階が『接触』だ。十分な実力と、価値ある『手土産』が揃った時…その時こそ、プリエス君を通じて、筑波への最初のコンタクトを試みる。いきなり対話を求めるのではない。『我々は、あなた方の研究に貢献できる、これだけの情報を持っている』と提示し、向こうから興味を抱かせるんだ」


(遠い…遠すぎる道のりだ…)

俺は眩暈がしそうになるのを必死でこらえた。だが、同時に、暗闇だった道の先に、ぼんやりとだが確かな道筋が見えた気もした。


「道のりは長い。だが、一つ一つのステップを着実にクリアしていけば、必ず道は開ける。君たちなら、それができると私は信じているよ」


博士の言葉は、俺たちに重くのしかかった。だが、その目は確かな希望に満ちていた。博士が示した道筋は、あまりにも長く、険しい。だが、暗闇の中に灯された、たった一つの道しるべでもあった。


俺は、隣に立つ仲間たちの顔を見た。サクラも、レオも、ミオも、皆、真剣な顔で俺を見つめ返してくる。恐怖も、不安も、全部ひっくるめて、こいつらと一緒ならどこまでも行ける。


俺は、固く拳を握りしめた。


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