4話 文明の利器にあやかれたので腕によりをかけてみた
市場は、ライリーさんの家からみて南側にある坂を下っていった先にあった。活気あふれていて、遠目からでも賑わっているのが見える。
近づくほど、五感が刺激される。独特な香草のかおりや、煮こみ料理を作っている巨大な鍋からの湯気が漂い、魚屋からは店の主の怒号にも近いほどの大きな客引きの声が聞こえてくる。
あちこち見てまわりたい欲を抑えつつ、万が一にもポケットに入れておいた銀貨を落とさないようにと、服の上からしっかりと握りしめる。そして、まずはパンを売っている露店に駆け寄った。
黒パンに、ナンのような平べったいフラットブレッド、そして白パン。白パンが商品の多くを占めている。小麦は高価だから、庶民にはなかなか手が出せないはずなのに。ここは高級パン店なのか?
そうやって見ていると、あのクロワッサンに似た形をしたパンをみつけた。まちがいない。あれが、「三日月パン」だ。
「いらっしゃい。なににする?」
「三日月パン。バターのやつはありますか?」
店主が、動きをぴたりと止めた。半ば怪しむような、細めた目で俺を見てくる。
「……坊ちゃん、気前がいいね」
「はい。ご主人様に頼まれたので」
ただの召使いです、とアピールした途端、店主は柔和な笑みを浮かべた。警戒心をとくのに成功したようだ。
やはりと言うべきか。バターつきの三日月パンは高級品で、俺みたいなどう見ても庶民の若造が買うようなパンじゃないらしい。
「そうかそうか。いくつにする?」
「三つで」
とりあえず、今日の昼食、夕食、それから明日の朝食の分があれば問題ないかな。パンは日持ちしないし。
……にしても、なんでこんなクロワッサンもどきがあるんだろう?
「この、三日月パンってなんですか?」
「ん? 知らねぇのか。『月信仰』からくるもんだよ」
「『月信仰』?」
「ああ。月明かりを浴びれば魔力を授かれるっていう。まぁ、古くからある迷信だがね」
高価なものを買ったおかげか、店主は機嫌よさげに教えてくれた。なるほど、信仰からきているものだったのか。それなら納得だ。
茶色く焼けたバターつきの三日月パンが三つ入った紙袋と、銀貨一枚を交換。おつりで、銅貨が十数枚返ってきた。銀貨はもう一枚あるけれど、預かったお金だから大事によく考えて使わないと。
うろうろと歩きまわり、あちこちの店に目移りしながらもなんとか買い物を済ませた。買ったのは、スープ用の豆、燻製肉、燻製魚、チーズ。それから、ドライフルーツだ。特に燻製肉を買った店では、牛や豚、鳥などの獣の生肉がでかい塊で豪快に売られていて、目を見張った。
けれどある店では、おつりをごまかされて少なく渡されたなんてことがあった。商品のよさをべた褒めしたのち、「これ、ご主人様がお好きなんですよ。また来ますね!」と、言ってみたら、うっかりしていたという体で差額を返してくれたけど。
まぁ、よくある話だ。平民で金の計算どころか文字の読み書きさえもきちんとできるやつは多くないからな。俺はずっと雑用係してたから、どうしても必要だったんできっちり身についてますけどね!
買ったものが入った紙袋を抱えて、えっちらおっちら、坂を上っていく。
ライリーさんの味の好みは分からないし、俺は庶民的な料理しか作れないけど、口に合うといいな。
そう考えながら、やっと家に帰りついた。
「ただい……ま?」
ドアを開けて中に入った途端、俺は愕然とした。
きれいに積みあげておいた本たちが派手に崩れて、周囲に散乱してるじゃないか!
その中心にいるのは、ライリーさん。床に寝そべった状態で、一冊の本を読んでいた。
「おう、お帰り」
「なにしてんの?」
「調べもの」
視線は本に落としたまま、当たり前と言わんばかりの言い草だ。
俺が買い物に出かけていたのは、一時間弱のはず。そんな短い間でこのありさまって……この人、天才か!?
「食材なら保冷庫入れとけよ。長持ちするから」
「ほれいこ?」
軽く感動すらおぼえて立ちつくしていた俺に対し、ライリーさんはあごで台所をさした。
食材の入った紙袋を抱えてそこに行くと、白い小型の冷蔵庫のようなものがあった。高さは俺の腰あたりまでしかなく、容量としては一人暮らし用か。
……いやいや。ここは異世界だぞ。時代でいえば中世あたりだ。冷蔵庫なんてものがあるわけが――
「冷たっ!?」
冷蔵庫に似た謎の箱の扉を開けて中に手を入れた瞬間、その冷たさに驚き、素早く手を引いた。
ウソだろ? これ、誰がどう見ても冷蔵庫じゃん!
「そんな驚かなくてもいいだろ」
「普通に驚きますけど!? なんだよ、これ!」
「だから、保冷庫。氷魔法を応用してるんだ……っと」
ライリーさんが、積まれていた本の山に寄りかかった瞬間にそれが崩れたのも気にならないほど、俺は目をひんむいて驚いていた。
民務院の移住手続きのときに窓口担当者が使っていた機械といい、求人情報掲示板といい、やけにハイテクだった。薄々気づいてはいたけど、まさか冷蔵庫まで存在するなんて。
「あんまり開けっぱなしにすんなよ。魔石切れて補充しねーといけなくなるから」
「……うん」
釈然としないまま、ひとまずチーズを中に入れて、保冷庫の扉を閉めた。
これなら、もっと日持ちしないものも買ってこられたな。先に知りたかった。
若干悔しい思いをにじませながら、他の食材をキッチン台に置いた途端、ポケットに入れていた残金がじゃらりと音を立てた。
いけない、忘れてたな。ちゃんと返さないと。
「ライリーさん、おつり」
「あ?……いや、いいって。とっとけよ」
「え! いいのか?」
「当たり前だろ。俺がそんなケチくさい奴に見えるのか?」
「そういうわけじゃないけど、お金だし。ちゃんとしておかないと」
「……ふーん?」
怪訝そうな顔で見てくるライリーさんをスルーして、もらったおつりをたしかめた。
銅貨が十枚とすこし。これだけあったら、あちこち食べ歩きができそうだ。道を教えてくれた花売りの女性にもお礼ができる。
「じゃ、食事の支度するけど……できればそれ以上散らかさないでくれると嬉しいんだけどな?」
「善処はする」
と、言いながらも、ライリーさんはまた別の本の山で雪崩を起こしていた。うん、無理だな。
諦めて、それを見なかったふりをして台所にむきあった。
そこにあった浄水器――俺の胸の下くらいまである背の高い壺で、底のほうに敷き詰めてある魔石の作用で飲料水を作る仕組み――の存在を知り、再び舌を巻いたのはまた別の話だ。
◇◇◇
俺が作った料理は、意外にもライリーさんに好評だった。
「あーいいな。やたらこってるやつよりこういう素朴なやつのほうが好きだわ」
特に、豆をすりつぶしてポタージュ風に仕立てたスープについては、そう言っておかわりまでしてくれた。調理人冥利に尽きる。
挙句の果てに、「お前も食えよ」と言って、パンを半分もわけてくれた。なに、この人。神か?
ちなみに、バターつき三日月パンは、三日月の形をしただけのパンなのでクロワッサンとは違ったものの、その味は感激するほど美味だった。
「部屋にいるから、なにかあったら呼んでくれ」
「はい」
食事を済ませ、後片づけを始めると、ライリーさんはまた自室に戻っていった。
よし。食器を片づけたら、ひとまず本だ。ライリーさんが見事に散らかしてくれた本をきちんと本棚におさめておかないと。それから、まだ手をつけられていない俺の部屋も気がかりだ。今日中に寝床のスペースを確保しないとな。
……やることがいっぱいあって楽しいな!
「失礼いたします! ライリー様、今日こそ――えっ?」
タコの姿で本棚に本を入れる作業をしていたら、突然玄関が開いて誰かが入ってきた。
その人物――薄茶色でショートボブの女性は、家の中を物珍しそうに見回した後、俺を見つけてぎょっとした。
……うん? 誰?
疑問に思いつつも、ひとまず人型に戻る。
その女性は、目を見張ったのちに咳払いをし、姿勢を正して頭を下げた。
「失礼いたしました。新しい従僕の方でしょうか?」
「従僕……まぁ、はい。そうです。ポルテといいます」
「私は、コーデリア・フロレンスと申します。ライリー様の……秘書を、しています」
秘書って。なんだそれ。
ライリーさんは会社の社長なのか? それとも政治家か? 高給取りなのはたしかだけど……ううむ。ますまず謎が深まったぞ。
秘書、と名乗ったときに若干言いづらそうにしていたのが気になりつつも、ひとまず彼女のほうに体をむけて、きちんと頭を下げてあいさつした。
「ご苦労様です。ライリーさんは突き当たりの部屋にいますよ」
「ありがとうございます。お邪魔します」
「どうぞどうぞ」
コーデリアさんは、恐縮しながら家の中に入って、突き当たりの部屋へとむかった。
本当に秘書かどうかはともかく、大声を上げながら入ってくるマヌケな空き巣や泥棒がいるはずがない。ライリーさんの名前を知っていたわけだし、問題ないだろ。
気を取りなおして、本棚の作業に戻った。
「だから俺は出ねぇよ。断っとけっつっただろ」
「そういうわけにはまいりません! 主催の公爵家から直々に通達がきているのですよ!?」
「んなもん知るか」
やっと半分ほど終わったところで、ライリーさんとコーデリアさんの声と足音が聞こえてきた。
ライリーさんが不機嫌そうな険しい顔をのぞかせると、遅れてコーデリアさんがやってきた。
「お前、変な奴家に入れるなよ」
「え、だめだった? 秘書じゃなかったのか?」
「そうだけど、次はなんの用事か聞いてからにしろ。例の大会の件だったら絶対入れるな」
「ライリー様!」
顔をしかめるライリーさんと、歯がゆそうに奥歯を噛みしめるコーデリアさん。
ものぐさな上司と、しっかり者かつ苦労人の秘書か……うん、いいコンビじゃん。
それはいいとして。「例の大会」って、なんだ?
「とにもかくにも……ポルテさん。どうかライリー様をよろしくお願いします。一癖も二癖もあるお方ですが、どうか長くお付きあいしていただけると私としても助かります」
コーデリアさんは、改めて俺のほうをむき、深々と頭を下げた。
うん? 保護者かな?
「お前な……ちょいちょい思うけど、失礼じゃねぇか?」
「なにをおっしゃいますか。十人もの従僕に次々に逃げられておきながら……勇者の名が泣きますよ」
「余計なお世話だよ。つーか、勇者いうな」
「事実ではありませんか」
コーデリアさんの言葉に返事をするより前に、ライリーさんが割りこんできたので、俺はぽかんとしながら二人の会話を聞いていた。
……ん? 待てよ? 今、なんかすごいワードが出てこなかった?「勇者」って、言ったよな?
「ほらみろ。こいつがぽかんとしてるだろ」
「え……? まさか、ご存じないのですか? ライリー様は――この国で五人しかいない賢者の一人で、唯一勇者の称号をお持ちの方ですよ」
首を傾げつつ解説してくれたコーデリアさんの言葉を聞いて、さらにわけが分からなくなった。
俺の雇い主が、賢者で勇者?……なんだそれ!?
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