3話 仕事先が惨状だったので一生懸命働いてみた
怪しい誘い文句を告げてきた、見た目も怪しい黒ずくめの男性の後ろを歩いている俺。
どんな仕事を紹介してくれるんだろう。そもそも、この人は一体何者なんだ?
「俺はライリー。お前は?」
「あ、ポルテです」
「ポルテ? 変な名前だな……ああ、移住申請したっつうことはよそ者か」
「そうです。隣のシャルマン王国からきました」
「シャルマン……峠越えしてきたのか。そりゃご苦労さん。で、その頭についてるのはなんだ?」
「頭?……あ、これはヒレです。タコの獣人なので」
「タコ?」
見てもらったほうが早いと思い、ライリーと名乗った黒ずくめの彼が振りかえった瞬間に、タコの姿に変身した。
大きさは、人の両手にも乗せきれない程度。高さは三十センチほどで、足の先はくるりと丸まっている。足と足の間には膜が張っていて、スカートのようになっている。水中で漂うように泳いだり、獲物を包みこんで食べたりするのに使うのだ。頭もとい胴体の横についている耳のようなものは、ヒレだ。姿勢維持のためのものとか、特に意味はないとか色々言われている。
種類でいえば、メンダコが一番近い。それも、大型のほう。
けれど、ただのメンダコとは違い、足の膜を状況によって自由に出し入れ可能な特性がある。これのおかげで、本来メンダコがうまくできない「足で物をつかむ」行為ができるのだ!
……じゃあ、膜なんてないほうがいいんじゃ? と、思わないわけではないけど。いやいや、そんなことはない。だって膜を張ってじっとしていると、不思議と心が落ち着くから。やっぱり、それこそが正しい姿だからなんじゃないかな。
そんなふうにハイブリッドでいいとこどりに見えるかもしれないけれど、弱点もちゃんとある。陸上で継続してタコの姿でいられるのは、最長でも一時間程度。とはいえ、総合的に考えたらなかなかチートな能力だ。羨ましいだろ、そうだろう?
「気持ち悪っ」
「ぷくっ!?」
露骨に嫌そうな顔をするライリー氏の顔を見て、思わず水中で泡を吐いたような声を出した。
……そういえば、前の仲間に初めて見せたときも同じようなリアクションをしてたな。これが正常な反応なのか。
なんでだよ。メンダコ、結構人気あるんだぞ?……分かる人にしか分からないのか。
人間の姿に戻って、「お目汚しを失礼しました」と謝罪する。
「別にいいけどよ、働いてくれるんならなんでも」
ライリーさんはそう言いながら、空いている馬車を呼びとめ、乗りこんだ。俺も恐縮しつつ乗る。
馬車に揺られて、わずか数分。降りた先にあったのは、こぢんまりとした家だった。ここが彼の住んでいる家らしい。
民務院と同じく赤レンガでできた家で、屋根も赤い。玄関は、五段の階段を上がった先にある。
さくさく家に入ろうとするライリーさんを追いかけて、開けはなたれた重厚な木製の玄関ドアから中をのぞき見た。
「これは……」
「ああ。まぁ、そういうわけだ」
中は、惨状だった。ゴミなのかそうでないのか、よく分からないあらゆる物が散乱していた。
書き損じたのか、丸められたわら半紙のような色の紙。何冊もの本は、開いた状態で落ちているせいか、ページが折れてしまっているものもある。なにかが入っていたらしい木箱や、なぜか食器までもが巻きこまれている。それらは、踏んだからかどこかにぶつかったせいなのか、ひび割れているものも多かった。突風にでも襲われたのだと言われれば、納得できるレベル。まさしくゴミ屋敷。
「仕事っつうのは、見てのとおりここの掃除。あと、その他家事全般。どうせ住む場所も決まってねぇんだろ? 住みこみでやってもらえたら俺も助かるんだけど。どうする?」
「その前に……なにがどうしてこうなったんですか?」
「さぁ。なんか知らねぇけど、すぐこうなっちまうんだよ」
「どこか悪くされてるのでは。特に頭とか」
その気があるなら大変だと、真剣な表情で尋ねると、ライリーさんは俺の頭の横にあるヒレを外側に思いきり引っ張った。
「ま、ちょ、もげ、もげるっ!」
「余計なお世話だ。で、やるのかやんねぇのか?」
ライリーさんがぱっと手を離すと、俺は右手を挙げて「やります」と言った。
だてに長年雑用係していたわけじゃないからな。家事全般やって衣食住を保証してもらえるなら、やぶさかではない。
「決まりだな。道具はそこらへんにあるもん、なんでもてきとうに使ってくれていい。お前の部屋はその奥な。あそこも大変なことになってるから、自分でなんとかしてくれ」
「分かりました」
ライリーさんが指さした、玄関から入って左の奥の部屋。あそこに辿りつくには、相当時間がかかりそうだ。
「たまに用事頼むけど、それ以外は好きにしてていいぞ」
「はい。食事はどうすればいいですか?」
「俺が食いたいときに指示するから、すぐ出せるようにしといてくれ」
「分かりました――あ、いえ、承知しましたご主人様」
「……いいって、そういうかたっ苦しいのは。あと、敬語もなしな」
ライリーさんが、嫌そうに顔をしかめた。こういうのは嫌いなタイプか。
……え? 待って? 今、「敬語もなし」って言った?
「ホントに?」
「ああ。もう一度言うけど、かたっ苦しいのは好きじゃねぇからな」
「分かった! 呼び方はどうする? ライリーさんでいい?」
「……まぁ、いいぞ」
「了解! よろしく、ライリーさん!」
片手を挙げて笑顔で言ったら、ライリーさんはすこしの間きょとんとしてからほほえんだ。そして、「頼むぞ」と言って、散乱している物をかき分けて突き当たりの部屋に入っていった。
タメ口でオッケーなんて言われるとは思わなかったな!……待てよ? 社交辞令じゃないよな? 大丈夫だよな? いいぞ、って言ってたもんな?
一人で納得し、スタート位置――玄関に入ってすぐのところで、腰に手を当てて散らかり放題の家の中を見回した。
タコの姿でいられるのは、もって一時間。それまでに、せめて足の踏み場ができるくらいには片づけたい。
……うん、腕が鳴るな!
腹に力を入れて気合いを入れてから、さっそくとりかかった。
◇◇◇
およそ一時間後。
「ふい……」
人間の姿に戻った俺は、積みあげた本にぐったりと寄りかかって休憩した。
見てくれ、この変貌した家の中を!
あのゴミ屋敷が、物は多いがちゃんと人が通れるレベルにまで回復している。わずか一時間でここまでできたのは、ひとえに俺がタコの姿を駆使できるからに他ならない。
丸めた紙などの明らかにゴミだと分かるものはまとめて処分。割れて使えなくなった食器も同様に。本は、床にそろえて積みあげてある。本棚のほこりを払って拭き掃除をした後、収納するつもりだ。
そうやって掘りすすめていくうちに、紙袋に入ったままの食べかけのパンや瓶入りの中身が残った飲み物なんかも出てきたが、中身をよく確認する気にもなれず、いずれも処分した。ある意味怪奇現象。
片づけができない、しない人の心理はよく分からないけど、ライリーさんにかぎっては、ただの面倒臭がりのような気がする。もしくは、興味のないものに時間をさくのがとことん嫌か、苦手とか。
「さて、と」
一息ついたところで、立ちあがる。
次は、本棚をきれいにして本をおさめていく。そして、いよいよ指定された俺の部屋に取りかかるつもりだ。
どんな部屋なのか……いや、それ以前に、どんな状態なのか。ライリーさん曰く、「あそこもたぶん大変なことになってる」らしいから、覚悟していかないとな。
腹に力を入れたところで、「ぐう」と鳴る腹の虫。
うう……我慢我慢。もうちょいだから。せめてこの本を片づけてからだ。
作業を再開し、本棚を乾いた布で拭いていると、どこかの部屋のドアが開くような音と、ずかずかと歩いてくる足音が聞こえてきた。
「は……? もうこんな片付いたのかよ」
目を丸くしたライリーさんが顔をのぞかせ、俺を見た。
「はえーな、お前」
「タコなので」
「タコなので、とか言われても」
八本も腕がある――うち、二本は足として使うので実質使えるのは六本だが――から、とても効率がいい……なんて、分からないか。
「なんかご用でも? あ、食事とか?」
「ああ。食材なんもねぇから、まずは買い出しな」
「分かった。なにがいい?」
「三日月パンは絶対。あとは任せる」
「……三日月パン?」
なんだ、そのどこぞの地方のメーカーが地域限定で出している菓子パンのようなネーミングは。
名前から連想できるのは、クロワッサンだ。けれど、この異世界にそんなものはない、はず。三日月の形をしたパンでもあるのか? それなら、安価な黒パンでも高価な白パンでもありそうだけど。どっちだ?
考えをめぐらせていると、苦笑したライリーさんが上着のポケットから出した銀貨二枚を、俺の手に握らせた。
それを見て、ぎょっとする俺。
「パン屋行って聞けば分かる。バターのやつだからな」
俺は、平然としているライリーさんと、手元の銀貨を交互にせわしく見た。
銀貨なんて、貧乏人ではめったにお目にかかれないものだ。それを二枚も、簡単に人に渡せるライリーさんって……本当に、何者なんだ?
「……お尋ねしてもいいですかー」
「なんだ?」
「ライリーさんの仕事ってなに?」
ライリーさんは無表情のまま俺を見つめ、少ししてわずかに口角を上げて笑った。
「それは、おいおいな」
「はいっ!?」
そう言って、ライリーさんは自分の部屋へと戻ってしまった。
なんだよ。教えてくれたっていいのに……簡単には教えられない、極秘任務を請け負っているのか? まさか、人には言えない反社的な仕事じゃないよな?
……まぁ、いいか。なんだとしても、俺はもう彼の召使いになっちゃったわけだからな。こうなったら、毒を食らわば皿まで、だ。
ひとまず、預かった銀貨を大事にポケットにしまう。そして、服が汚れていないか確認してから外に出た。
さーて、楽しい楽しい買い物だ! この町の市場は、どんなところだろう。
今回の主人公は、メンダコです笑
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