16話 初日なので思いきりがんばってみた
「会いたかったぞ、我が愛する弟よ!」
扉が開いた途端、中から人が飛びかかってきて、ライリーさんに抱きついた。ライリーさんは、かろうじてその人を受けとめる。
待ってくれ。今、「我が愛する弟」って言った? この、ライリーさんに抱きついて頬ずりしているいい大人が、お兄さん?
……家族愛あふれるいい人だな!
その後、ライリーさんがお兄さんをなんとか引きはがし、彼を落ち着かせた上で執務室に入った。
「騒がせてしまい失礼した。君がライリーの弟子か」
「はい。ポルテと申します」
執務机に座り、誰かさんに似たポーズ――両手を顔の前で組んで目から下を隠すような格好をしたお兄さんに名乗る。
「弟子」と聞いた途端、横に立つライリーさんが舌打ちをしたような音が聞こえたが、スルーした。
「ポルテ……うん、いい響きの名前だな。アーサー・オブ・アッシュボーン・クロックフォードだ。よろしく」
よろしくお願いいたします、と返しつつ、俺は少し圧倒されていた。
……名前、なげーな。伯爵家現当主様だから当然か? ミドルネームは「ファン」とか「フォン」じゃないんだな。
「お世話になります、アーサー様――じゃなくて、えっと……アッシュボーン伯爵?」
呼び方が合ってるか自信なかったので、疑問形になった。しかし、伯爵様は特に指摘せず、穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
大目に見てくれたのだろうか。俺の名前も褒めてくれたし、間違いなくいい人だ。
ライリーさんと同じ黒髪。しかし、顔はあまり似ていない。目は大きくて垂れ気味。整えられた口ひげが威厳を演出しているように感じる。
「ライリーとは12も年の差があってね。つい我が子のように可愛がりたくなるんだ」
「なに言ってんだ。普通に妻子もちのくせによ」
「もちろん、あれのことも自分なりに愛でているさ。お前と変わらない、愛する家族としてな」
「……ならいいけど」
ライリーさんが肩をすくめた。
珍しく押され気味な様子に、俺は目を見張った。もしや、お兄さんには頭が上がらない系か?
「それで、例の場所は?」
「ああ。準備は整えてある。存分に、なにも気にせず好きに使うといい」
アーサー様は、俺を見て意味深な笑みを浮かべた。「例の場所」ってなんだ?
ライリーさんが執務室を出ようとしたので、俺は伯爵様に丁寧に頭を下げてから追いかけた。
「地下に、昔俺が使ってた練習場がある。そこを使う」
俺が改めて疑問を口にする前に、ライリーさんが歩きながら答えてくれた。
なるほど、地下の練習場か。たしかに地下なら、どんだけ暴れまわっても大丈夫だよな。
「お兄さんと年だいぶ離れてるんだな」
「そうだけど」
「他に兄弟姉妹は?」
「いたけど、早くに死んだり遠くに嫁いだりして、今はいねーよ」
「へー。もしやライリーさん、末っ子?」
「だったらなんだ」
「納得」
「……あ?」
ライリーさんのヒレ引っ張り攻撃をかわして、代わりに盛大なる舌打ちをもらった。
そして、階段を下りて、ひんやりする空気漂う地下に到着。石でできた扉を開けると、そこは広い空間になっていた。
ここが、かつてライリーさんが使っていた地下練習場か。
天井は高めで、立ってもかなり余裕なスペースがある。窓はないが、換気口らしきものが数か所ついている。床には、魔法陣らしきものを描いたような痕跡があった。部屋の中がはっきり見えるのは、天井や壁に埋めこまれている光を放つ水晶のようなもののおかげだ。
「はー……懐かしいな。一時期はここにこもりっきりで、散々兄貴たちに心配かけたっけな」
「そんなに夢中になって練習してたんだ?」
「ルーファス先生も巻きこんでな」
へぇ、先生もか。なんとなく思ったけど、あの人相当面倒見がいいよな。孤児院の子どもたちにも大人気だったし、ひょっとしなくても子ども好きとか?
しかしこの部屋、窓がないせいで閉鎖的で落ちつかないな。
「なんで地下なんだ? 外とか、もっと開放的な場所じゃだめなわけ?」
「ばかか。大惨事になるだろうが」
「大惨事?」
「……言ってなかったか? 俺は炎魔法しか使わねぇんだよ」
「炎魔法、しか!?」
「ああ」
「つまり、ライリーさんは炎魔法のエキスパート!?」
「お前はすぐそういうことを……やめろ。恥ずかしいだろうが」
「なんで照れるんだよ。ホントのことだろ?」
「あーあー。うるせぇからちょっと黙っとけ」
「はぁ!?」
だるそうに目を細めたライリーさんは、顔近くに集ってくる虫を追いはらうように手を振った。
この人、変なところ謙虚なんだよな。ちょっと理解不能だ。俺なんて、アリア様から「救世主!」って呼ばれただけで舞いあがってたのに。もっと調子に乗ってもいいと思うんですけどねぇ。
「準備はいいな?」
「おう」
ライリーさんが媒介の黒手袋をつけたのを見て、俺も魔導書をさっと取りだして左手に抱える。
さっそく修行開始だ。
「で、なにをすりゃいい?」
「俺の魔法を無力化してみろ」
「……うん?」
言われて、首をひねる。
「俺の魔法って、『弱体化』だよな?」
「それは人とか他の生き物に当てた場合だ。武器や魔法に当てれば無力化になる……はずだ」
「はず」
「そこはお前次第だ」
そんな大ざっぱな。
でもたしかに、生き物にしか効果のない魔法なんてあってたまるかって話だよな。無機物にも効果があるのなら、だいぶ汎用性は高いだろう。
「最初に俺が魔法やってみるから、どんなもんかよく見とけ」
ライリーさんが、手からボッと火の球を出した。
「あ、それ!」
「……あん?」
「なんで魔法発動できてるんだよ? 名前も唱えてないのに」
指をさして聞くと、途端にライリーさんは目を細めて黙りこんだ。とてもめんどくさそうな顔である。
「ちょい!? 教えてくれてもいいだろ!」
「……無唱発動だよ」
「え?……ブレイク……なに?」
「無唱発動。魔力を指先だけに集中させて、魔法を仮に発動させる。この状態に詠唱を重ねると、より素早く打てるようになるし威力も上がる。まぁ、いわゆる発動前の下準備的な技法だ」
「ああ……料理の下ごしらえみたいなもんか」
「料理でたとえるんじゃねぇ」
一番分かりやすい例だと思ったのに、ライリーさんはお気に召さなかった様子で顔を引きつらせていた。
魔力を指先だけに集中って、そんな簡単にできるもんなのか?
「……ぐっ?」
「そんな簡単にできっこねーだろ。百年早いわ」
右手を突きだして指先に力をこめてみたが、なにも起きなかった。すかさず入るダメ出し。
ううむ。やっぱり無理か。
「お前は普通にやれ。何度でも言うが、まずは基礎からだ」
「はぁい」
だよな。何事も基礎練習からだ。けど、ゆくゆくはできるようになってみせるぞ!
「行くぞ」
ライリーさんが、再び手から炎を出す。俺は、彼の些細な動きも見逃さないように目を大きく開いた。
「黒炎・火花」
人差し指を親指で滑らせてはじく動作。
……え? 某マンガに出てくるなんとか大佐ですか?
と、思ったら、その人差し指の先から火の粉のようなものが出て、俺の顔の真横を通りすぎていった。
――直後。
壁か床に着弾したその火花は、まるでなにかが爆発したかのような大きな音を立てて、はじけた。
待って、なに今の。
「見たな? 今のを無力化してみろ」
「……はい」
ちょっと無理ゲーな気がするんですけど?
あんな、火の粉のような粒状の小さな的にどうやって当てろと? 着弾してから当てればいいのか?……いや、はじける前にしないと意味ないだろ。
「俺はここから一歩も動かねぇ。この程度、できないなんて言わせねぇからな?」
「……っはい!」
ライリーさんが、再び指をはじく動作をしようとする。
ああ、もう。やるっきゃない! 気合いでなんとかするしかない!
「黒炎――」
「黒い霧!」
ライリーさんが指をはじく前に、弱体化もとい無効化の魔法を発動。
すると、飛んできた火の粉は黒い霧にからめとられて、消えた。
やった! 一発で成功したぞ! できるもんだな!
「早すぎだ、ばか野郎」
「えっ!?」
「今のタイミングじゃ余裕で軌道を変えられちまう。もっとよく見極めろ」
「……はい」
ずばりとダメ出しを食らって、ちょっと落ちこむ。
うーむ……うまくいったと思ったのに。たぶん用心しすぎたせいだな。じゃあ、次はもうちょい遅めにして。
……と、思ったら、今度は遅すぎたらしく、こちらが魔法を発動する前に火の粉が飛んできた。なんとかよけて事なきをえたけど、危うく火だるまになるところだった。
「……ふざけてんのか」
「真面目ですけど!」
ライリーさんが、額にうっすらと青筋を浮かべて怒ってきた。そんなわけがない。
「もっと的、でっかくできねーの?」
「ほー。いいのか? 的がでかくなるってことは、それだけ威力が上がるってことだぞ」
「それはよくない!……あ、じゃあさ、ライリーさん本体に俺の魔法当てたら威力下がるか?」
ぱっと思いついたことをつい口にしてしまったが最期。
ライリーさんは、目を細めて訝しげに見たのち、不敵な笑みを浮かべた。
「上等だ。やってみろ」
「えっ?」
「次は連発してやる。ついでに俺も動くからな」
「……い? いやいや、それはまだ早――」
「行くぞ」
ライリーさんが、片手に炎をまとった状態で駆けだした。うわあ! 本格的なバトルになったぞ、これ!
容赦なく繰りだされる銃弾と化した火の粉に、俺は必死に食らいついた。タイミングが合わなそうなものは見送って、いけそうなものは魔法で打ち消す。
……変だ。動きが加わって難易度が上がったかと思いきや、こちらのほうがやりやすいように感じる。なんていうか、より必死になるから集中力も増している、とか?
「黒い霧!」
何発目か分からない火の粉を打ち消す。すると、直後に見えたライリーさんの顔には、満足そうな笑みが浮かんでいた。
「今のはいいぞ」
「え……! ホントか!?」
「ああ。忘れんなよ、今の感覚」
「ああ!」
やった! 初めて褒められた! 嬉しくて、ヒレがつい動く。
……けど、再開した途端、頬を火の粉がかすめて危うく大惨事になりかけた。途端にライリーさんから、「気ぃ抜いてんじゃねぇ!」と怒号が飛ぶ。
こうして、何時間たっただろうか。
「ぜーはーぜーはー」
「……ふざけてんのか?」
「そ……そんな、余裕……ない」
満身創痍。
この文字がふさわしいほどに、俺は疲れきってその場に膝と手をついて、四つんばいのような格好になっていた。休まずに全力疾走を続けたかのように、息が苦しい。俺の荒い呼吸音だけが部屋の中に響いている。
「初日だし、こんなもんか。今日はこのへんで終わりにしといてやるよ」
ライリーさんが、半ば呆れたような様子で言って、踵をかえす。
……悔しい。こんなもんか、ってなんだよ。
荒い息のまま立ちあがる。そして、ライリーさんの背中めがけて走りだした。
隙、ありっ!
……しかし、俺が魔法を唱える前に、腹に大きな衝撃が走った。
ライリーさんのとっさの回し蹴りがクリーンヒットしたのだと知ったときには、吹きとばされて壁に背中を打ちつけていて、床と強制的にこんにちはする前に意識を失った。




