85話 それでも未だ雨模様
一時間ほど遅れて申し訳ありません。
※最後の二場面だけ、視点が変わっています。
聖法歴1022年7月1日
この世界のどこか――深い森の中。
私はゼインと二人、影の導きに従って、この見慣れない幻想的な森の中へと招かれていた。
隣を歩く彼は、昨日からずっと怖い表情を浮かべたまま、それでも物静かに足を進める。
二人の間には痛い沈黙が蔓延し、いっそのこと罵倒を浴びせられたほうが気は楽になる。
あれから、一言二言会話をしただけで口を噤んだ彼は、筆舌に尽くしがたいほど不気味でならなかった。
こちらから下手に行動するのも憚られ、私は内心、盛大なため息をつく。
黒い飛跡を辿る道すがら、昨日の出来事に思いを馳せた。
◆◆◆
「……ゼイン。その、なんと言えばいいのか分からないけど、さっきの件は――」
「お前、さっきの女悪魔の目的、知ってるだろ」
僅かに首を巡らせたゼインが、ぽつりと鋭く問い掛ける。
揺れる黒髪の奥から頬を伝う涙が窺えた。
その静かな声音が、私には逆におどろおどろしく感じた。
事ここに至って、彼に隠し立てする気がなかった私は、正直に質問に答えた。
「――そうだね、事前に伝え聞いていたよ」
「……」
私の答えに、彼は小さく息を吐いて顔を戻してしまった。
ほんのりと“やっぱり”と聞こえたような気がした。
次に降りかかる質問に身構えていると、ゼインはおもむろにその足を動かした。
何をするのかと怪訝な眼差しで彼を注視する。
足が向く先は、先ほどまで戦闘が行われていた戦場――彼のその後の行動で理解したけれど、私が数刻前まで佇んでいた場所だった。
周囲へ吹き飛ばされたゲオルグたちを一瞥したゼインは、両手を胸の高さに掲げ、その瞳を再び紫紺で輝かせた。
「なっ――!?」
私は目の前の光景に絶句する。
ゼインの周囲を紫の魔素が取り囲む。
それだけならば、彼が時折見せる光景として愕然としない。
私が度肝を抜かれたのは、それに混じる黄金の粒子に対してだった。
あれを見紛うことはない。
金の魔素は数あれど、今、目の前に浮かぶそれを、決して違えることはない。
なぜならば、あの輝く光は私の魔力――権能を含んだ魔素に他ならなかったからだ。
言葉を失う間にも状況は目まぐるしく動く。
急速に旋回する紫紺の渦に、入り混じる金。
それらが弾け、周囲へ飛び散った。
いくつもに分割された光は、それぞれの標的目がけて飛んで行く。
向かう先は、地面に横たわる英傑たちの体。
この場に来た十一人へと降り注いだのだ。
彼らに光が落ちると、吸い込まれるように消えていく。
なけなしの力で彼らの状態を視ると、あまりの事実に口が塞がらなかった。
「……嘘、だ。みんなの体が癒えた……」
あの現象は、先ほどまで何度も見た光景だ。
まるでそこに傷なんてなかったかのように、切り傷や骨折を治し、ましてや失った手足すら元通りにする。
気を失い、苦悶を浮かべて生死の境を彷徨っていた人も、今では穏やかな表情で整った呼吸を漏らしていた。
あの理不尽なまでに摂理に反し、因果を捻じ曲げるその能力は、私の――。
「……ちっ、魔力はおろか、失った血や体力も戻せなかったか」
吐き捨てるように呟く彼の声で、私は現実に戻された。
「――っ、ゼイン!! 君の身体は無事なのかっ!?」
「多少だるいが、まぁ問題ない」
肩を竦めた彼は、その言葉通り億劫そうに息を吐くだけで、目立った変化は感じられない。
零れる息は重く、流れる涙は止まなかったけれど、彼の三体に異常をきたした様子がなかった。
それに関しては私が一番知っているから断言できる。
――ゼインに影響は生じていなかった。
理由は分からないけど、彼は代償を支払っていなかった。
あまりにも驚く私を見たからか、彼が自らの仮説を話してくれた。
「お前の力の残滓しか使ってないからかもな。だから不完全な結果しか得られなかったともいえるが」
「……それにしたって――いや、よしておこうかな。これ以上考えたところで、答えは出ないんだから」
思案に耽りそうになって、私は頭を振って考えを追い出す。
今は他にやるべきことがある。
そうでなくとも、暫くの間は再び試すことができないのだから。
深呼吸を一つ付いていると、ゼインの側で僅かに残っていた光が私に差し向けられた。
弱々しくも仄かに金色を覗かせる紫。
それが私に与えられ、体を癒してくれた。
本当に残った余白なのか、すべての傷はなくならなかったけども、立って歩ける程度には回復できた。
「ありがとう」
「……ふん」
お礼を返すと、ゼインは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
そこから彼と口を利くことは叶わなかった。
起き上がるみんなを横目に、私は彼の後ろ姿を見つめることしかできなかったのだ。
◆◆◆
ゼインと再び言葉を交わしたのは、一夜明けた今日。
彼のほうから話し掛けてきたのだった。
戦いを終え、事の顛末を説明する前に、私たちは野宿の準備をしていた。
起き上がったゲオルグたちには、勝利を収めたことだけしっかりと伝え、細かな話はまたのちほどと割愛していた。
というのも、さしものゼインでも、あの激闘の末に魔力がすっからかんで、みんなを転移させるほどの余裕はなかったからだ。
私を含め、みんなの持っていた通信機器は壊れていたので、アネモスに頼んでセドリックとメイジーへ勝利と帰りが遅くなる旨は伝えてもらっていた。
しばしの後、翌日迎えに来ると連絡をもらい、私たちはそこで一夜を明かすことにしたのだった。
「準備がいいね、ユーグ」
「へへへ! でも、この魔道具、ゼイン兄ちゃんに作ってもらったやつだから、お礼は兄ちゃんに」
飲まず食わずで夜を過ごすつもりだったけど、ユーグが非常食を詰めた魔道具を持っていると話したことで、私たちは空腹を免れることができた。
その魔道具は空間拡張が施された代物で、中には数十人分はくだらない量の保存食と調味料が入っていた。
元からサバイバル力もある程度必要とされる英傑なだけに、勝利の晩餐会は豪勢に行われていた。
「兄ちゃんも一緒に食べようよ!」
「俺はいい。そもそも食欲がない」
「そうなの? こんなにおいしいのに、もったいないよ」
ユーグがゼインを誘うも、彼は静かに首を振って断る。
差し出された温かなスープも受け取ることはせず、「楽しんでこい」とユーグの頭を撫でて、一人どこかへ去ってしまった。
そんな彼の背を、誰も引き留めることはできなかった。
静かに見せる背中には、拒絶がありありと映る。
身近な少年ですらダメだったのだから、私たちでは到底止められるはずもなかった。
みんなが見守る中、ゼインは闇夜に溶けていく。
「……彼のことは気にせず、みんなは食事を続けてほしい。後で私が彼と話すから」
私の一言で、みんな食事に戻る。
最後まで共闘していたのだから、私の言葉は届くのだと勘違いして――。
みんなの思い違いを理解しつつ、訂正することはなかった。
せっかくの勝利の美酒に、水を差したくなかったから……そう、自らを偽って。
彼らと一緒に食事をとる傍ら、私の心の片隅では、常に暗雲渦巻いていた。
宴が終わるまでに、彼が帰ってくることはなかった。
食事が終わると、それぞれ仮眠を取る。
顔色が悪い人は本格的に睡眠を取らせたけれど、私を含む満足に動ける数名が持ち回りで夜番を務めた。
私の順番は深夜未明から朝にかけて。それまでは地面に横たわり、短い仮眠を取る。
彼が話し掛けてきたのは、私の順番のときだった。
「セオドア、ちょっと来い」
「どうしたんだい、ゼイン?」
私とゲオルグが焚き火の前に座っていると、どこからともなく現れたゼインが私を呼ぶ。
表情は陰になって見えなかったけれど、彼の声や雰囲気から、ただならぬ気配を感じた。
寝静まった闇の中、他にはゲオルグしかいないこの場で話を聞こうとしたものの、彼は顔の動きだけでついて来いと告げる。
「行ってこい。ここは儂が見ておるからの」
「……すまないね。できるだけ早く戻ってくるから」
逡巡していたところにゲオルグから背中を押された。
私は眉を下げてお礼をし、さっさと先を進むゼインを追いかけることにした。
「どこまで行くんだい?」
みんなから離れたところで、私は行き先を尋ねる。
ゼインは軽く首を傾けただけで、答えはくれなかった。
沈黙が訪れる。
耳をくすぐるのは足音と布擦れ音、それから自分の息遣いだけ。
導く彼の背を、ひたすらに追いかけていた。
しばらく進んだ先、彼の足が止まる。
ようやくかと思った矢先、私たちの目の前に黒く大きな影が落ちる。
「これは……?」
私の疑問を余所に、ゼインは躊躇いなくその中へと足を踏み入れた。
大口を開けるその影は、私を誘うかの如くゆらりと揺らめく。
意を決して、私も彼の後に続いた。
視界に広がるのは、この世とは思えない森の中。
見た目はさっきまでと変わらないはずなのに、木々から感じる違和感は拭いきれない。
訝しむ私の前に、入ってすぐ佇むゼインと見慣れない黒い影があった。
拳大のそれは、小さくその場で円を描くと、森の先へと進んでいく。
まるでついて来いと言わんばかりの動きに、ゼインは一歩踏み出す。
私もそれに倣い、彼らの後をついていった。
またしても無言のまま、私たちは影に従い、木々を横目に通過していく。
しばらく歩いたところで、ふっとその影が途切れた。
「来たぞ」
虚空を見つめるゼインが、冷たく言い放つ。
木霊した彼の声に誘われたように、どこからともなく影が集い、一つの小山を形成した。
人一人分のそれが、徐々にその輪郭を露わにする。
どこか見覚えのある姿へと変貌するにつれ、彼女の存在が浮き彫りとなった。
「――で、説明はくれるんだろうな、ヴェロニカ」
藍色の髪を後ろで纏め、金の瞳を輝かせた女性が、その真っ赤な唇で弧を描く。
「もちろんですよ――ゼイン」
その整ったヴェロニカの笑みが、どうしてか、私には物悲しげに映ったのだった。
◆◆◆
ヴェロニカを見つめるゼインの視線は、棘を孕んでいた。
「おぉ、怖い怖い。そんな瞳で見ないでくださいよ」
「思ってもないくせに、よくもぬけぬけと」
「そんなことないですよ? その牡丹色で射抜かれたら、誰だって竦み上がりますって」
おどける彼女はゼインの威圧をものともしない。
殺意とまではいかなくとも、空気が淀んだように思えるぐらいには、彼の眼光は鋭かった。
一触即発にも思える空気に、堪らず私は割って入る。
「待ってくれないかな。どうしてここでヴェロニカが出てくるんだい?」
「それはですね――」
「――こいつが全部裏で糸を引いていたからだ。最後のあの瞬間、俺の邪魔をしたのはお前だろ?」
疑問形ではあるけど、ほぼ確証を抱いたように言い放つゼイン。
答えを遮られたというのに、ヴェロニカは口元を丸くして小さく拍手をした。
「いつから気付いてました?」
悪びれもせず、肯定とも取れる発言をする。
そんな彼女から視線を外さず、ゼインが口を開く。
「最初から――と言いたいところだが、気付いたのは割と最近だ。決定的だったのはクレナと戦った時だ。あれ、最初からお前が仕組んでいただろ?」
「なっ!?」
思わずヴェロニカを振り向くと、彼女はまるで出来のいい生徒を見るような眼差しを浮かべていた。
「よく分かりましたね。どこで気付いたのか、聞いても?」
「ソール連邦を襲った人魔共でだ。そいつらを調べたら、クレナの魔力の痕跡が見つかった。クレナの能力じゃ、元人間とはいえ悪魔を支配下に置くことはできない。できるなら、イーレクス王国首都で戦った時、わんさか出てこないとおかしいからな。にもかかわらず、クレナの魔力がこびりついていたのなら、手引きした奴がいないとおかしい」
「それで?」
否定も肯定もせず、ヴェロニカはゼインに続きを促す。
彼はすっと目を細めつつ、話を進めた。
「クレナと戦った後、お前は後片付けを買って出たよな? あの後、ニネットを送り届けてその場へ戻ったら、魔力の痕跡も何もかもがなくなっていた。ご丁寧に、クレナと『ゴエティア』を繋ぐ証拠すらな」
そこまで来れば、私にも分かる。
連邦の内情に精通していて、悪魔たちの足跡を消せるとすれば、候補は限られてくる。
私の表情も幾分か険しくなる。
それでもまだ、いくつも疑問が尽きない。
痕跡を消したのなら、どうしてゼインが「ゴエティア」たちを特定できたのか。
魔界のエージェントとして、私と魔王様の橋渡しをしていたのか。
――どうして、ゼインの手助けをするような真似をしていたのか。
渦巻く疑念を晴らすため、私も口を挟んだ。
「ゼインの言うことが本当だとして、どうして私たちの邪魔をしながら、手助けもする真似をしたんだい?」
「んん~? そこは『この裏切者がッ!!』って激昂するところじゃないですかね?」
「ははは、お望みとあらば、その寸劇に付き合ってあげてもいいけれど、先に答え合わせが欲しいかな?」
「なんともはや、あなたも成長しましたね~、セオドア」
感心した口ぶりの彼女だったけど、じっと見つめる二つの視線を前に、咳を漏らして姿勢を正した。
「――んんっ、冗談はこの辺にして、教えてあげますとも。そういう約束でしたしね」
ちらりとゼインへ視線を向けた彼女が、変わらぬ明るい調子で説明を始めた。
「大前提として、私はあなたたちの味方でもなければ、敵でもありません。利害が一致すれば手を貸しますし、反目すれば立ち塞がりますから」
「で?」
「せっかちですね、そんなんじゃモテませんよ~――っと、話が逸れちゃいますか。コホン――。私の目的は一つ。前にゼインに話したことにも関係することですよ」
そこで一度言葉を切ったヴェロニカが、にんまりと口角を上げた。
「――世界の繁栄、それを見届ける役ですよ」
告げられた内容はあまりにも荒唐無稽で、私には理解し難かった。
ちらりと横を見ると、ゼインは気難しそうに顔を歪めていた。
視線を戻してヴェロニカに問い掛ける。
「それはいったいどういうことなんだい?」
「セオドアは知らないと思いますけど、世界の繁栄に必要な要素として、“人類の存続”というものが挙げられるんですよ。増えすぎても拙いんですが、減りすぎても困るんです」
「それは……私たちからしたら、嬉しい限りだと思うのだけども」
私たちの子孫に、後の世代に繋げるという意味では、彼女は私たちの味方と思えた。
実際、魔獣の脅威がある私たちが、そうそう増えすぎることはないと思ったのだから。
「勘違いしているようですが、欲しいのは“種”としての存在で、“個人”は心底どうでもいいって話ですよ」
「だとしてもじゃないかな?」
「まぁ、その辺は捉え方次第ですから、どっちでもいいですよ。で、その人類がいるだけじゃ世界は繁栄しないので、適度な刺激が必要になるんです。普段は“魔獣”って脅威がその役を担っていますから、私は左団扇で暮らせるって寸法ですよ」
「それが、あの悪魔を庇ったのと、どう関係してるんだ? あれを消したところで、お前に戻るだけじゃないのか?」
「なんだって!?」
思わぬゼインの発言に、私は声を荒げてしまった。
「おぉ~、そこも気付かれていたんですね」
「当たり前だ。あそこまであからさまなことしておいて、気付かれないとでも思ったのか?」
「う~ん、正直、五分五分ってとこですかね? 流石に名乗る阿呆はグシオンぐらいだと思ってましたから」
「ちょっと待ってくれ! 悪魔の“位階”は、次世代に引き継がれるんじゃなかったのかい!?」
驚く私を余所に会話を進める二人へ、大きな声で割って入る。
「そうですが、そうじゃないんですよ」
「禅問答をしたいんじゃない」
「まぁまぁ、そう言わずに。シモーナから聞いた情報も、間違ってはいませんから。ただ彼女も、真の仕組みをしらないだけで」
「……教えてくれるんだよね?」
念押しする私に、ヴェロニカは力強く頷いた。
「悪魔の仕組みとして、“位階”という特技はその魂に刻まれ、輪廻の果てに次の悪魔へと継承されます。このことに嘘偽りはないですよ。――違うのは、この輪廻の輪に組み込まれているのは、ある一定の時期を過ぎた悪魔だけってことで。それ以降の悪魔たちは皆、地上界に来てから位階を授かり、魔界に帰っていくんですよ」
そこまで聞いて、確かにシモーナ女史の言葉は間違っていなかったと確認できた。
私は頷いて先を促す。
「ここで、その境目がいつかって話ですけど、それは――」
「――『盟約』の後からだろ。詳しい年代は知らんが、それ以後の悪魔と、それ以前の悪魔じゃ、位階を名乗った時の魔力の揺れが違った。最初は、上級悪魔と中級悪魔の差かと思ったんだがな」
「ピンポンピンポン! 大せいか~い!!」
軽快な拍手と共に声を上げるヴェロニカは、嬉しそうにゼインを見つめていた。
「正確には、『盟約』で作った“路”を通ったか否かですね。ただ、『盟約』以降、“路”を通らないと位階を与えられないよう縛ったので、ゼインの区別でも間違いじゃないですけどね」
どうやら私が認識していた以上に、地上界と魔界を繋ぐ“路”は重要な物だったらしい。
「それならどうして、位階がヴェロニカに戻るんだい? もしかして、君が鍵を握っていたのかな?」
先のゼインの言葉を受けて、自分なりの推論を口にする。
ヴェロニカは少しだけ首を捻って、「部分点ですかねぇ」と独り言を漏らしていた。
「“鍵”は私じゃなく、オーギュストのほうですよ。私はただの保管者、彼が分配者でしたから。”路”を通った無垢な――位階を持たない悪魔にその適正にあった種を植え付ける役が、彼本来の仕事ですね」
「そもそも、お前の位階はなんなんだ? その影は、お前の力じゃないんだろ?」
「えっ!? ヴェロニカの位階って従二位『深影』じゃなかったのかい?」
今日何度目か分からない衝撃が私を襲う。
目を向く私に、彼女はにんまりとした悪戯っぽい笑みを向けていた。
「ちゃんと名乗ってないですからね。ゼインの前でも、セオドアの前でも」
「なら、教えてくれるのか?」
「んん~、まぁ、正解したご褒美ってことで、教えてあげますよ。位階って枠組みに当て嵌めるなら~って話ですけどね」
そう言って、彼女は居住まいを正した。
そのまま緩く胸を張って、高らかに宣言した。
「――私は正一位『胎魔』のヴェロニカ。七人いる始原の一人にして、『色欲』を司る風来坊ですよ」
聞き慣れない情報の数々に、私の脳は煙を上げそうだった。
「なら、オーギュストやモラクス、グシオンも同類か?」
「ですね。他にも二人ほどいますが、そっちは魔界に引きこもってますから。会う機会もないでしょう」
軽い頭痛を覚えていた私だったけど、ふと、疑問が脳裏をよぎる。
「ん? 二人だとしたら、数が合わないんじゃないかな?」
「あぁ、それはですね。もう一人が元『蝕魔』ですからね」
あっけらかんと告げる彼女に、私は深い目眩がした。
「――あぁ、だからお前が邪魔したのか」
「そういうことです。ま、ゼインなら、存在ごと消してくれてもよかったんですけど、流石にそこまでの余力は残っていなかったみたいですし、下手に力が散るより確保を選んだって訳ですよ」
またしても勝手に進む話だったけれど、私はもう邪魔することを止めた。
情報の嚥下が追い付かず、私の頭はさっきから限界だと悲鳴を上げていたのだから。
そんな私を心配するように、ヴェロニカが顔を覗き込んできた。
「大丈夫ですか? 理解が追い付いてないって顔してますけど」
「……大丈夫ではないかな。一度に詰め込み過ぎて、あっぷあっぷだよ」
「ですよね~。まぁ簡単に言えば、『盟約』の隙間を抜けちゃうので、殺して欲しくなかったってとこですよ。タイミング的にもピッタリでしたし」
そこまで聞いたところで、大方の疑問は解消された。
確認の意味も込めて、最後にヴェロニカへ質問を投げる。
「ヴェロニカ、君が『ゴエティア』の情報を操作していたんだね。こちらの準備が整うのを待ちながら、向こうにも尻尾を掴ませるよう誘導して」
「そうですよ。直接手出しはできないので間に人を挟みましたが、いい塩梅になるよう手を回しましたからね」
偶然とはいえ、一度は「ゴエティア」の本拠地近くまでゼインの魔の手が迫ったことがある。
その前までは時折届いていた悪魔関連の情報が、その日を境にぱたりと止んでいた。
次に聞こえてきたのはクレナの一件。
ソール連邦を攻め入った元人間である人魔たちの情報だった。
それをきっかけとしてゼインが見つけたというオーギュストの魔力の痕跡。それを辿ってここを特定したのが、今から半年前の出来事だった。
そこから約半年。
確実に打ち滅ぼすための準備期間として、ゼインは表舞台から姿を消していた。
あれだけ暴れた彼の痕跡がなくなったのは、警戒していた彼らにもすぐ伝わると、当初の私たちは思い込んでいた。
しかし、蓋を開ければ散発的な戦いだけで、大規模な侵攻は起こらなかった。
その影にいたのは、目の前の彼女――ヴェロニカの存在が大きかった。
何をどう動いていたのか、私には知り得ない。
でも、彼女の尽力あっての勝利だったと、私は理解している。
ゼインもきっとそうなんだろうね。
だからこそ、彼女の話に耳を傾け、対話を選んだのだろうし。
「人類を代表して、ヴェロニカ、君にお礼を言わせて欲しい」
「いやですよ。私は私の目的のため、勝手に動いただけですから。結果はどうであれ、あなたたちと馴れ合う気は、さらさらないですよ~」
「……そうか。じゃあ私も、勝手にさせてもらおうかな」
そう言って彼女に向き直り、背筋を正す。
「――ありがとう、人類を見守ってくれて。この恩を、私は一生忘れない」
深々と頭を下げ、最大限の謝意を示す。
「ふ~ん。ま、もう会うことはないでしょうけど、覚えておいてあげますよ。“人類の守護者”さん」
「それは一体……」
意味ありげな言葉が降り注ぐ。
思わず顔を上げた先には、薄暗い森が広がっているだけ――。
ヴェロニカも、ゼインもそこにはいなかった。
私一人、ぽつんと森の中に取り残された状況に、間抜けな声が漏れる。
「え?」
徐々に白む空が、私の顔を照らしていた。
◆◆◆
その後、私は野営地へと一人で戻る。
遅くなったことをゲオルグに詫びると、彼は私が一人の状況を心配していた。
「いや、ゼインと仲違いをした訳じゃないよ。ただ、先に戻るよう言われてしまってね」
苦しい言い訳だったけど、彼はそれ以上追及してこなかった。
ヴェロニカのことは、みんなへ話すつもりはない。
きっと彼女も望んではいないだろうと思って。
朝日が昇る頃、みんなが起き出す前にゼインが戻って来た。
目覚める前に、彼に聞いておきたいことがあった。
少しだけゲオルグから離れたところで、私は彼と密談する。
「……私だけ先に帰ってしまったけれど、あの後、どうだったのかな?」
「ん? 大したことはなかったぞ。ちょっとだけ雑談して別れただけだしな」
「どんな話をしたのか聞いてもいいかい?」
「それは言えない。ただ、あいつも俺と同じく、目立ちたくないって言ってたな。だから、暗躍も全部なかったことにするって」
「それは……」
事前に軽く聞いていたとはいえ、改めて告げられると言葉に詰まってしまう。
ゼインは今回の戦いの如何に関わらず、「十傑」から降りると私に話していた。
理由は色々とあるけれど、一番は彼自信の影響力を落としたいって話だった。
英傑としての影響力を捨て、畏れ、忌み嫌われる「悪鬼」という存在になりたいんだとか。
それには「十傑」が足枷になると、返上を申し出ていたのだった。
……本当の理由は彼の口からは告げられなかった。
けれど、何を目論んでいるのかは伝えられなくとも理解していた。
ゼインは、自分を世界の抑止力として君臨させたがっていた。
その名を聞けば震えあがり、あらゆる弊害として立ち塞がる――そんな存在に。
やろうとしていることはヴェロニカと似ている。
彼女の場合、半分傍観者を決め込んで、軽くちょっかいを出す程度。
自分の存在は希薄なまま、影で糸を操る、そんな存在として。
対するゼインは、表舞台で猛威を振るおうとしていた。
人の道を外れた者を徹底的に断罪し、力で持って押さえつける。
悪逆を更なる暴虐で挫き、非道を摂理で正す。
強大な力を持つ彼だからこそできる芸当だけど、孤独に苛まれるのは明らかだった。
どこからどう考えても目立つ行為なのだけれど、「自然の猛威と同じだ」と説かれれば、なんだか正しいようにも聞こえるから不思議だった。
「……どうしても、神になるのを止めないのかい?」
「神? そんな不確かなものはいらん。俺が求めるのは中庸だ」
実際、神を知る身としては、彼の言葉は辛辣だった。
あくまで世界の枠組みの一つになろうと言うのは、若干十五歳の言葉とは思えなかった。
「ニネットやユーグはどうするんだい?」
「……だから、お前に任せるって頼んだだろ」
彼が今回の報酬として求めたのはただ一つ。“彼らの後見人になる”、その一点だけだった。
「君のこと、探すんじゃないかな?」
「今も半年は会ってないんだ。その間、どんどん連絡が減っていったんだから、俺のことはいずれ忘れるだろ」
「ははは、そうだといいね」
実は、彼が知る以上に近況を尋ねる便りは届いていたんだけど、それは伝えていない。
気を散らしてしまうからと、配慮した結果だった。
だからこその勘違いなんだろうけど、私はそれを正すことはしない。
きっとこの後、彼は小さな保護者に説教されるだろう。
その時になって、考えを改めてくれる可能性に賭けているから。
彼の未来へ思いを馳せつつ、私は最後の質問をした。
「話は変わるけど、どうしてヴェロニカが背後にいたと気付いたんだい? 私はアネモスから伝言をもらわなければ知らなかったんだけど」
正確に言えば、私たちの邪魔をしていることまでは知らなかった。
邪魔というよりは、気を見計らっていたと言ったほうが正確かもしれないけどね。
私たちに「ゴエティア」に関する情報を齎したのは、他でもない彼女だから。
「それは、ヴェロニカがオーギュスト以外の悪魔の前に姿を現さなかったからだな。出ても相手が気絶した時だけだったし、俺が殺した悪魔の魔力を滲ませていたから、何かあるのはすぐ気付いた」
怪しく感じていたのに、そんな相手と一緒に行動をするゼインは、ちょっとおかしいと思う。
それについて尋ねると、彼は肩を竦めていた。
「気付いた途端、雲隠れしたからな。邪魔してこなかったから、無視してただけだ」
後も追えなかったと白状するゼインは、結局のところ、ヴェロニカのことを気に入っていたのかもしれない。
自分と似たような行動をする彼女が。
同じ景色を共有できる仲間だとして。
実際のところは、彼が語ってくれなければ分からないけれど、私は似た者同士に思えてならなかった。
「ん、そろそろあいつらが起き出すな」
「じゃあ、戻ろうか」
二人肩を並べてみんなの元へと戻る。
少しずつ起き出す彼らと一緒に、私は昇る朝日を浴びながら、帰り支度をするのだった。
◆◆◆
ソール連邦のとある孤児院。
その正面玄関で、一人の少年が小さな少女に詰められていた。
「――なんで連絡くれなったの! 心配したんだから!!」
顔を合わせた途端、彼女はその淡い青を見開き、動きを止めた。
小さく開いた口がわなわなと震え、浅く息を呑む。
次第に頭が状況を理解すると、涙を湛え、その柳眉を逆立てる。
そのまま少年に激昂し、桃色を靡かせながら、勢いよく黒髪の少年へと抱き着いたのだった。
突然の思いがけない行動に、少年は困惑を隠せない。
頭一つ分は小さなその少女に抱き着かれながら、彼はなんとか言葉を絞り出す。
「……いや、でも――」
「言い訳しないのっ! 返事をくれないお兄ちゃんが悪いんだから!!」
少年の言葉を遮り、いっそう力強く抱きしめる少女。
どうしていいか解らず、少年は視線を彷徨わせた。
「心配させた兄ちゃんが悪い。今は気が済むまで怒られるんだね」
ここまで一緒に帰ってきたもう一人の少年が、浅緑色の髪を揺らして奥へと消えていく。
思わず手を伸ばすも、虚空を漂う。
置いていかれた少年がまたしても紅を泳がせ、行き場を失った手を揺らす。
ひとまず少女をどうにかするべきと思い至った彼が、おもむろに口を開いた。
「……えっと、どうやったら許してもらえるんだ?」
「――許さない! 許さないんだけど、頭を撫でてくれれば考えなくもない!」
怒っているのか、笑っているのか分からぬ声で、少女がリクエストを出す。
とりあえず彼女の機嫌を取るため、彼は言われるがままその手を小さな頭に添えた。
「えへへへへ、――はっ! ま、まだ怒ってるんだから! 次は背中、背中も!」
最初の気勢は何処へやら、完全に怒気を感じられない声を漏らしていた。
それでも少年は彼女の言葉に従う。
彼には彼女の変化が映らない。
混乱と彼女の声だけが彼を支配していた。
「次は抱きしめて! ぎゅっと!」
弾む少女の声に従う少年。
ちらりと見える彼女の表情は、凄く満足げで大変嬉しそうだった。
対する少年は、未だ動揺を浮かべていた。
それでも、先ほどよりは柔らかな表情をする。
その口元は僅かに上がり、瞳は細められていた。
結局、少女の気が済むまで、二人は抱き合っていた。
時間にして約一時間。
少女が我に返るまで続けられた。
ふと、二人の他に人影が現れた。
それは小さな影ばかりで、通路の奥からひょっこりと顔を覗かせる。
その中には、先ほどの浅緑色もあり――。
「あれ~、お兄ちゃんたち、なにしてるの?」
そんな彼らを見つけた子供が声を上げた。
「あっ、こら。静かにしないと!」
小声で注意するも時すでに遅し。
その声で正気に戻った少女が、みるみる顔を赤く染め上げる。
「~~~っ!?」
弾かれたように少年から離れ、顔を隠して走り去る。
「あちゃ~、バレちゃったか……」
そんな彼女の様子に、見守っていた彼らが申し訳なさそうな声を漏らした。
仕方なしと黒髪の少年の元へと向かい、口々に挨拶する。
「お帰り、兄ちゃん」
「あ、あぁ……」
少年も気まずそうに返事をしながら、子供たちに囲まれる。
彼らの反応に再び困惑していると、遠くから、先ほどの桃色の少女の声が響く。
「――おかえりなさい、ゼインお兄ちゃん!」
視線を向けると、恥ずかしそうに半分顔を隠す少女。
そんな彼女に対し、少年――ゼインがへにゃりと笑みを返す。
「ただいま、ニネット」
返ってきた返事に少女――ニネットにぱっと花が咲く。
小さな若葉に囲まれながら、二人は互いに笑顔を交わしたのだった。
◆◆◆
どこかの空、天を仰ぐ。
耳をくすぐる音は次第に勢いを増し、跳ねた後もその余韻を残す。
揺蕩う雲は厚く、未だ切れ目が見当たらない。
打つ水飛沫は空気に溶け、空を大地に映し出す。
いつぞやから移り変わっていた憧憬をその目に焼き付けながら、孤独な声を響かせた。
「これで一度目――。あとは二回、か……。――目的のためとはいえ、君には申し訳ないと思っているよ」
これにて「六英雄キ -過去編-」は終了です。
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
あと一話、エクストラ(EX)として残っていますが、本編と直接は関係ないので、ここで完結とさせて頂きます。
そちらは来週月曜(2/2)更新予定です。
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また、このお話の続きとなります「六英雄キ -異世界編-」も、合わせてよろしくお願いします。




