83話 終止符…… -終-
すみません、長くなりすぎたので、五本に分割します。
五本目(-結-)は、今日の夕方(19時頃)投稿します。
延長、延長と、何度も申し訳ありません。
――身体が弾け飛ぶ。
真っ赤な血が雨となり、大地を赤く染め上げる。
体の一部だけとはいえ欠損したのだ、流れ出る量は止まることを知らない。
「『くそっ、「悪鬼」めがッ! ここでも私の邪魔をするのか!!』」
半身を失いながらも、その表情を忌々しげに歪めたヴィネは、あらぬ方向を睨みつけていた。
体を押さえながらも、未だ倒れる様子を見せないのは、流石上級悪魔と言えた。
血を頭から被りながら、目を点にしたティルザは状況を呑み込めないでいた。
唯一理解できたのは、自分の首がまだ繋がっていることだけ。
その前に見た光景は、ヴィネの振るわれた腕が唐突に爆ぜ、代わりにとばかりに赤い液体が襲い掛かる瞬間だった。
呆然とする彼女の元へ、聞き覚えのある声が届く。
「すまない、ティルザ。助けが遅れてしまった」
「セオドア様……」
全身を赤く染めたティルザを見て一瞬顔を強張らせたものの、全部返り血だと分かると安堵の息を漏らすセオドア。
そのまま周囲へ視線を巡らせ、状況を把握した。
「皆、一刻の猶予もないか……。すまないけど、これから見る光景は、誰にも言わないで欲しい。できれば忘れてもらえると助かるかな」
それだけ言い終えると、返事も待たずに息を整える。
ティルザはそんなセオドアの邪魔はしない。
元より、彼女だけじゃどうしようもないのだから、彼の指示には従うつもりだった。
「……耐えてくれよ」
最後に浅く息を吐くと、祈るような独り言を漏らして息を吸う。
固唾を呑んで見守る中、セオドアは小さく、けれど朗々と響く言葉を紡いだ。
「――『Sacrifice of Orison』」
かつてないほど澄み渡る異質な魔力が空気を震わせる。
立ち昇る黄金の粒子と澄んだ波動が、ガラスを突き破るように周囲へ波及する。
背を向けていたヴィネも弾かれたように振り返った。
「『権能を行使できるだと!?』」
驚愕で目を見開き、己の失態を悔やむヴィネ。
すぐさま邪魔しようとして、渦巻く黄金に阻まれてしまう。
「『ちっ、気を逸らされてしまったか!』」
認識の外からの奇襲。
そのうえセオドアたちを隠すための障壁も張られ、一時の間、注意を怠ってしまった。
その隙に合流した彼らへ、建て直す暇を与えてしまったのだった。
後悔するも時すでに遅し。
金色を靡かせたセオドアが、静謐な表情で戦場に佇んでいた。
「まずは皆の手当からしましょう」
片手をかざし、ゆっくりと動かすセオドア。
ゲオルグ、カメル、ビアンカと順に手のひらを向けると、彼らの傷は癒え、五体満足な姿で穏やかな寝息を立てていた。
あまりの光景に唖然とするティルザだったが、彼女にも手を差し向けられる。
変化は一瞬だった。
血で濡れ鼠だった彼女は、汚れが落ち、傷もみるみる塞がっていく。
尽きかけていた魔力もほぼ十全に回復し、気力も湧き上がる感覚があった。
「……すごい。これが、セオドア様の力……」
「僕の力という訳ではありません。皆の力を代行しているまでですから」
「セオドア……様?」
口調が変わり、雰囲気もどことなく硬い印象を与えるセオドアに、ティルザは疑問符を浮かべる。
「僕のことはお気になさらず。今は目の前の敵に集中しましょう」
「は、はい、分かりました!」
「良い子です。――とはいえ、貴女が手出しする必要はありません。僕一人で事足りますから」
黄金を放つセオドアは、言葉通りに数歩前へと歩み出る。
「『フン、多少雰囲気を変えたところで、我々の相手が務まると思うな!』」
精一杯の威圧を放ち、噛みつくヴィネ。
虚勢であっても張らなければ今にも逃げ出しそうなぐらい、震えが止まらなかった。
そんな彼女に対して、セオドアはゆっくりと腕を上げ、手のひらをかざす。
それが戦いの合図。
二人の間で、無数の衝突が巻き起こるのだった。
◆◆◆
嵐が吹き荒び、岩石が絶えず降り注ぐ。
どちらも戦場を覆い尽くすほど生まれ出で、その全てがセオドアへ殺到する。
風は大木を根こそぎ吹き飛ばせるほど、岩は大穴を穿てそうなほどの規模で、休む暇がないほど上を下へ大忙し。間髪入れずに襲撃されていた。
セオドアはといえば、そんな大事にも動揺を見せず、振り上げた手を揺り動かしていた。
彼の指に操られたが如く、光の粒子がその二つと対峙する。
風や岩にぶつかると、互いに打ち消し合って光だけを振り撒いた。
黄金の花火は至る所で発生する。
両者共に、相手を見据えて一歩も動かない。
それでも魔法が空を舞い、風を切って牙を剥く。
無秩序なお祭りは自重を知らない。
繰り返される閃光は二人の間に留まらず、後方や頭上、遥か遠くにある建物の残骸を食らって激しく瞬いた。
「『ちっ、便利な権能持ちだな』」
「お褒め頂き恐縮です」
「『皮肉だッ!』」
言葉の棘も通じぬと、ヴィネが吠え掛かる。
その間にも魔法は飛び交うが、徐々に趨勢が明らかになっていた。
足を止めての魔法戦は、威力ないし手数の差によって勝敗が決まる。
威力はほぼ互角とはいえ、数の差が明確に異なった。
ヴィネは生み出した魔法を全てセオドアに差し向ける。
対するセオドアは、光の球を空中で待機させ、迎撃と反撃をする間にも、その列を徐々に長くしていたのだ。
体の損壊でごっそりと魔力を持っていかれたことも大きかった。
止血のため魔力を活性化させて傷を塞いだのだが、それで活動時間を大きく減らす。
元の魔力量に明確な差がなかったのだから、結果は必然ともいえた。
焦燥の浮かぶヴィネへ、遂に魔法が届く。
飛び退き光から逃れるも、次々と迫る黄金を前に、その身を貫かれるのだった。
「『……くそっ、私としたことが力量を見誤った』」
膝をつき、満身創痍の様相を呈すヴィネが悪態をつく。
「貴女は奮闘しました。けれど、僕には一歩及ばなかっただけです」
「『ハッ、一歩も何も、大きく引き離されていたでしょう』」
下手なおべっかを切って捨てるも、セオドアは静かに首を振る。
「そんなことはありません。貴女が消耗していなければ、ここまですぐに決着は訪れていなかったことでしょう」
「『……フン、お世辞として貰っておいてあげる』」
満更でもなさそうに、ヴィネは顔を背けた。
そんな彼女へ、セオドアは再び手をかざす。
迫る黄金色の粒子に、彼女は素直に結末を受け入れた。
光が彼女を取り囲む。
渦が急速に縮んで弾けると、跡形もなく消え去る。
それを見届けたセオドアは、一度静かに瞑目し、息を吐いたのだった。
「……終わった、んですか?」
「そう……だね」
目を薄く開けたセオドアが声を絞り出す。
その表情には疲労が色濃く残り、そのまま地べたに座り込む。
「セオドア様!?」
「……あぁ、すまないね。大丈夫だよ」
「本当ですか? 全然、大丈夫そうに見えないんですけども」
心配そうに見つめるティルザに、セオドアは顔を上げて弱々しく笑ってみせた。
「本当に、体には異常はないからね。……ただ、どっと疲れが押し寄せて、立っていられないってだけで。少し休めばまた動けるようになるから」
「……そう、ですか」
本人が言うならばと、ティルザは言葉を呑み込んだ。
彼女自身、他人の状態を視られるほど、魔力視には精通していない。
心配の言葉を掛けても休む邪魔にしかならないと思い、口を噤むしかできなかったのだ。
そんな彼女の心遣いに胸中で感謝しつつ、セオドアは少しばかりの休息を取ることにした。
(……こんなんじゃ、しばらくは権能を使えないね。彼、大丈夫かな……)
遠くで聞こえる激戦の音に思いを馳せながら。
◆◆◆
時は少し遡る。
悪魔の猛攻を紙一重で凌いでいたゼインは、今日、何度目かも分からない魔力の渦を生じさせていた。
彼の頬には涙の痕が浮かび、目は腫れあがっていた。
それでも彼に目立った傷はなく、今までの攻撃全てをいなしていた事実を物語る。
「『どんだけ魔力が湧きだすんだ! いい加減、枯れるだろがッ!!』」
「『「悪鬼」は涙を流せば流すほど、魔力を回復するみたいよ。一応の打ち止めはあるみたいだけど、それがいつなのかは誰も分からないわ』」
「『他に行こうにも、この結界が邪魔で先に進めない。壊そうにも、背中を見せた途端、目の色変えて跳んでくるしで、まともな打開策が見つからないぞ!』」
互いの意図せぬ膠着状態がずっと続いていた。
悪魔たちとしては、魔力消費の大きい真の姿をずっと維持していられない。
相手が素早く、魔法も手足も彼を捕らえることはできない。
わざわざ相手の土俵で戦う必要がないと、展開された狭い牢獄から抜け出そうにも、強固な障壁に阻まれてしまう。もしくは、壊した端から再び生み出され、突破がままならない状況だった。
無理を通せば突破できるかもしれないが、この人数で保っている均衡が崩れるのを恐れ、下手な身動きが取れないでいた。
反対に、ゼインとしては、悪魔たちを閉じ込めつつ、全員始末したいと考えていた。
下手に抜け出されれば、後方に残してきたユーグたちを危険に晒してしまうと、留めることに重きを置いていた。
だからという訳ではないが、攻撃はほぼ徒手空拳のみ。
魔法のリソースは全て、迎撃用の相殺か監禁用の牢屋に割いていた。
どちらも早々に決着を着けたがっていたが、両者の狙いが絶妙に噛み合い、ギリギリの拮抗状態が生まれていたのだった。
「チッ――」
ヴァッサゴが苛立たしげに舌打ちする。
彼はこの狭苦しい檻を壊そうと躍起になっていた。
彼の「蝕魔」の魔法に掛かれば、少しの時間で崩せる程度の代物だったからだ。
それができないのは、偏にゼインの妨害によるところだった。
彼は、ヴァッサゴの魔法を一番に警戒していた。
黒い炎が数秒留まるだけで、周囲を覆う障壁が無に帰してしまう。
そうなれば、二桁に及ぶ悪魔たちが野に解き放たれる。
それが分かっているから、ヴァッサゴの魔法は必ず紫炎で相殺していた。他の悪魔たちの攻撃を蔑ろにしても、絶対に。
ヴァッサゴも、ただ指を咥えて見ていた訳じゃない。
隠蔽や複数個は当たり前、他の悪魔とタイミングを合わせたり、ゼインが動き出した時や回避した時、攻撃した時など、普通、すぐ動けない状況でも囲いを破ろうと奮闘していた。
にもかかわらず、今の今まで一度も脱獄が成功していなかったのだ。
「どこに目が付いているのだ。あれに死角というものはないと言うのか……」
忌々しげに吐き捨て、度重なる魔法を繰り出した。
黒い飛跡は紫に阻まれ、消滅し合う。
間髪入れずに明後日の方向へ放つも、同じ末路を辿っていた。
「クソッ――! 本当に人間なのか、あいつは……!」
何度目とも分からない怨嗟の声が零れ落ちた。
状況が動いたのは、ふとした瞬間だった。
回避と迎撃で動き回っていたゼインが、あらぬ方向を向いて足を止める。
腕を顔の方向へと向け、勢いよく手のひらを握りしめた。
それで変化が生じたのは遥か視線の先、ヴィネに対してだった。
彼女の剛腕が、目の前のティルザへ向けて、今まさに振るわれようとしたタイミングだった。
突然、風船が割れたように破裂するヴィネの右腕。
夥しい血をまき散らし、辺りを赤い海へと染め上げた。
それが確認できると、ゼインは再び顔を正面へと向ける。
「『もらったッ――!!』」
その矢先、彼の腹を槍が突き抜ける。
ちょうど無防備な背中を晒したゼインへ、一人の悪魔が武器を深々と差し貫いたのだった。
◆◆◆
「『ハハハハハ! よそ見をするから隙が生まれるのだ! 仲間を心配するあまり、抜かったなッ!!』」
高笑いを上げ、勝ち誇る悪魔。
背後を突かれ、力なく串刺しにされるゼインに、他の悪魔たちも笑みを深めた。
これでようやく決着がついた、憎たらしい怨敵を排除できた、と内から沸き起こる歓喜に、皆が打ち震えていた。
「『「悪鬼」はこの俺、エリゴスが打ち取ったり!!』」
項垂れる英傑を高々と掲げ、晒し上げる。
打ち取った悪魔は英雄のように持て囃され、周りからは称賛を浴びせられた。
「よくやった、エリゴスよ」
ヴァッサゴも声を掛けつつ、内心ほっと息をついていた。
恭しく頭を垂れたエリゴスは、その後すぐ、今までの鬱憤を晴らすように、捕らえた獲物を何度も地面に叩きつける。
何度も、何度も何度も何度も――。
気の済むまで叩きつけてズタボロにすると、他の悪魔へもサンドバッグとして貸し与えようとする。
手元に手繰り寄せ、その矮小な体を掴もうとして、悪魔は動きを止めた。
「『エリゴス?』」
名前を呼ばれた悪魔は、呼応するようにその体を倒した。
「『は――?』」
困惑の声と共に、巨大な紫炎が立ち昇る。
多くの悪魔が突然の出来事で固まる中、ヴァッサゴだけが倒れる最中のエリゴスに刻まれた大穴を発見したのだった。
「なぜエリゴスのほうが腹を貫かれているのだッ!!」
声を荒げて睨みつける先には、擦り傷はおろか穿たれたはずの槍の痕すらないゼインの姿があった。
身に纏う服にさえ穴はなく、先ほどのエリゴスの一撃がまるで効いていないかのようだった。
「俺が掌底でぶち抜いたからだ。ご丁寧に無防備なまま近寄ってきたからな」
「『傷跡はどうした! エリゴスの槍が刺さっていただろうがッ!!』」
「――教える筋合いはない」
ゼインは叫ぶ悪魔へ肉薄し、最後の言葉を掛ける。
怒りで判断が鈍った彼には、その刹那の速度についていく余裕がなかった。
叫んだ姿勢のまま、一歩も動く間もなくエリゴスと同じ末路を辿る。
体に大穴を穿たれ、紫炎に巻かれるもう一人の悪魔。
事ここに至って、ゼインの術中に嵌まってしまったのだと悟る。
彼らに理屈は分からなくとも、自分たちを欺くために一芝居打ったことだけは理解できた。
すぐさま態勢の立て直しを図る悪魔たち。
それでも先ほどまでのようにはいかない。
彼らもゼイン同様、目立った傷はなかった。
それは彼の攻撃を全て避けられたという訳ではなく、単純に有効打となる一撃を食らっていなかったからだった。
かすり傷や軽度の打撲程度は何度も受けていた。
それらは悪魔の回復力をもって治していただけで、彼の攻撃を捌けていた訳ではない。
一瞬にして二人も失った彼らには、今のゼインの猛攻をいなせるほどの余裕はなかったのだ。
一人、また一人と深手を負っていく。
幸い、まだ誰も先の二の舞にはなっていなかったが、それも時間の問題だった。
「くっ……、ここで切るつもりはなかったが、このままでは我々の野望が潰えてしまう。……クラトルに取っておきたかったが、致し方なし、か――」
苦渋に顔を歪め、障害たるゼインをきつく睨みつけるヴァッサゴ。
今も悪魔たちが躍起になって食い下がっているが、ゼインが魔法を攻撃にも転じてきた所為で、じりじりとその身を削られていた。
だからこそ、今後を考え残しておいた、とっておきの手札の使用に踏み切った。
「――皆の者、我の元へと集うのだ! その身、その力を我が糧として、永劫を共に歩もうではないか!!」
その号令の意味を一瞬で理解した悪魔たちは、標的をゼインからヴァッサゴへと切り替えた。
突然の反転に、動きを止めてしまうゼイン。
その僅かな隙で、彼らの――ヴァッサゴの目論見は成功するのだった。
「フハハハハ! 貴様の負けだ、『悪鬼』ゼインよ!!」
高らかに哄笑するヴァッサゴの元に、夥しい数の光が集う。
それは様々な色の光だった。
彼に近寄った悪魔たちは、もれなく赤褐色の光に触れると、その身を光へと変えていった。
全てがヴァッサゴの周囲を渦巻き、彼の体へと吸い込まれていく。
忽ち彼の魔力が膨れ上がる。
ひと匙の光をその身が食らっただけで、倍近くへと。
無防備に両手を広げるその姿に、ゼインの魔法が飛来する。
紫炎、紫氷、紫雷と絶えず降り注ぐも、取り巻く光に遮られ、ヴァッサゴへは届かない。
「ちっ――」
小さく舌打ちすると、ゼインは静かに相手の出方を窺った。
「……『蝕魔』の牙城を多少なりとも崩すとは、本当に忌々しい」
光で視界が遮られる寸前、その奥からヴァッサゴが、湿度の高い視線でゼインを睨みつけていた。
渦巻く光がヴァッサゴを呑み込む。
上昇を続けていた魔力が治まると、今度はその身体が膨れ上がる。
大きさにして元の三倍ほどになったヴァッサゴは、光を破ってその姿を露わにした。
体は光を呑み込むほどの黒。
そのつるりとした体表に、うっすっらと赤褐色の模様が浮かび上がる。
額には四本の捻じれた角、瞳は血走ったように赤く獰猛で、口からは凶悪な牙を覗かせる。
背中からは禍々しい羽が生え、全体的に筋骨隆々といった風貌をしていた。
「『これが我の誠の姿だ。速度も膂力も、先ほどとは天と地ほど離れている。皆が束になっても、今の我の足元にも及ばぬほどにな』」
地に響くほど冷え切った声がした。
それと一緒に、押し潰されるほどの魔力が押し寄せる。
呼吸に合せて漏れるちょっとの魔力でさえ、空気が怯え、震えあがるほどだった。
踏みしめられた大地が泣きだしそうになるほどの威圧も醸し出していた。
「なんだ、ただ体つきが良くなって角が生えただけじゃないか。そんなのがお前の全力だと?」
「『フハハハ、無知とは恐ろしいものよな』」
ゼインの言い草に、ヴァッサゴは口角を上げて嗤い飛ばす。
「――ならさっさとかかってこい。口先だけが成長したなら、言葉でもいいがな」
相手の力量は十分承知の上でも、ゼインの態度は一向に崩れない。
涙を流しながらも睨むその紫に、ヴァッサゴは目を細めて睥睨する。
「『――よかろう。そうまでして死に急ぎたいのなら、お望み通りにしてくれよう』」
鈍くその体を褐色に光らせ、ヴァッサゴは地を蹴った。
◆◆◆
――来るっ!
相手の動きをつぶさに観察していたゼインは、その動きに大きく目を見開いた。
ヴァッサゴの動き出しを捉えた瞬間、その巨躯は彼の目の前まで迫っていたのだ。
ほぼ同時に襲い掛かる漆黒の膝蹴り。
咄嗟に体を捻りながら、ゼインの体は大きく後ろへと吹き飛ばされてしまった。
「『ほう、あの状態から勢いを受け流すとはな。伊達に一人で我と対峙しただけはある』」
土煙の中、追撃を警戒して飛び上がったゼインが、己の左手を一瞥する。
先ほどの衝撃が腕を伝い、痺れとして彼を蝕んでいた。
すんでのところで左手を間に挟めたからいいものを、それがなければ、ヴァッサゴの一撃が顔面に直撃していた。
口先だけじゃないと、ゼインは警戒を強める。
「『先ほどのは、ほんの挨拶だぞ? あの程度で音を上げるではないぞ!』」
宙に浮くゼインを見つめながら、ヴァッサゴは口元を歪めて再び突撃した。
黒の狩人が戦場を支配する。
目にも止まらぬ速さで動けるのは地上だけではなかった。
空間魔法を足場に躱すゼインを、ヴァッサゴは地上と同じかそれ以上の速度で迫っていた。
遊び感覚なのか、その巨体を生かした肉弾戦しか行っていない彼に、ゼインは苦戦を強いられる。
速度はゼインがギリギリ上なのが救いだったが、それもほんの僅かな差でしかない。
体格差の所為で大きく引き離すこともできず、ずっと密着した状態で戦闘を繰り広げていた。
上級悪魔を穿つ掌底も、摂理を歪める紫紺も、覚醒したヴァッサゴの前に、その身を浅く傷付ける程度。それも腕や脚の先にしか当てられない。
そのうえ、上級悪魔特有の回復力も兼ね揃えていた。
「『その程度か、「悪鬼」よ!』」
「うるっ――さい!!」
渾身の掌底が拳とぶつかる。
その衝撃で空間は悲鳴をあげ、残された大地も逃げ惑う。
互いに相殺し、腕が弾かれたものの、ヴァッサゴは追撃とばかりに蹴り上げる。
「ちっ――!」
紙一重で躱したゼインが、その体表に指を滑らせ紫炎を走らせる。
「『ぬるい、ぬるいわッ!!』」
妖しく暗褐色に光ると、炎は儚く消え去り、その生涯を終える。
何度やっても変わらなくとも、ゼインは彼の注意を引くため、そうせざるを得なかった。
「――落ちろっ!」
「『効かぬわ!』」
振り返ったヴァッサゴの背後に空間跳躍したゼインが、紫炎を纏った掌底を繰り出す。
一瞬見失ったものの、即座に反応したヴァッサゴが片腕を盾に防ぐ。
底に響く一撃ではあったが、模様を輝かせた彼には痛手にならない。
顔を顰めるゼインを前に、ヴァッサゴは口を裂いて嘲笑うのだった。
セオドアたちの戦闘シーン、本来省く予定だったんです。
結果だけだと味気ないかと細かく描写していたら、気付けば1万文字を超えてしまい……。
でも、作者としては、こちらのほうが好きです。




