80話 終止符…… -上-
三本立て(上中下)の予定ですが、もしかしたら四本目が加わるかもしれません。
投稿日時は変わらず月・水・金です。
聖法歴1022年6月30日
ミスルト教国首都ヴィクスム。
ここに、多くの人々が詰めかけていた。
目的は犯罪組織を壊滅させるため。
誰もが緊張感を漂わせ、周囲は物々しい雰囲気に包まれていた。
彼らは各国から集められた英傑と軍人。
今日のためにそれぞれ準備を行い、戦意高揚としていた。
そんな中、各国の代表と英傑が集まる作戦室には、重苦しい沈黙が流れていた。
決戦前の最終ミーティングではあったが、未だ彼らには疑念の表情が浮かぶ。
「……セオドア、本当に大丈夫なんだろうな?」
刺すような空気に耐えかねたセドリックが、彼の耳元で静かに尋ねる。
「もちろんだよ。準備は万全、後は合図を待つだけだからね」
親友の言葉であっても、この時ばかりは表情が晴れないセドリック。
それもそのはず。
当日だというのに、未だ敵の居場所を聞いておらず、そのうえ肝心の水先案内人の姿が見えなかったからだ。
「合図といっても、この人数を動かすとなれば、それだけで時間を食ってしまう。その隙に敵を逃がしてしまわないかね?」
「普通の手段ならそうだけど、それも考えがあるから大丈夫だよ」
「……しかしな」
悠然と座るセオドアは、周りの視線を受けても涼しい顔をしていた。
嫌に落ち着き払った彼の姿に、セドリックは言葉を詰まらせるしかなかった。
この場の多くの人たちは、そんなセドリックと似た心境だった。
確認することはしたが、最後の重要なピースだけ分からぬ状況が、いっそうの不安を掻き立てる。
眉間に皺を寄せる彼らに、セオドアは再三の指示を出した。
「展開後、すぐ戦闘に入ると思うから、皆が混乱しないように指揮をお願いします。相手も急襲を受けて戸惑うとはいえ、今日襲撃が来ること自体は筒抜けでしょうからね」
スパイを炙り出したとしても、決行日を変えることはできなかった。
作戦日を大々的に民衆へと伝え、その日以降の安寧を約束したのだ。
隠れ潜んでも絶対に見つけられるという自信のもと、そう宣言したために、敵に準備する時間も与えてしまっていた。
それでもそうする他なかった。
たった一人にすべてを押し付けることはできなく、彼を孤独にさせられないという使命からだった。
もしかしたら、ごく少数で当たればよかったのかもしれない。
敵に首魁を討ち取るだけなら、そのほうが効率的だ。
しかし、相手の数が膨れ上がった現状では、残党を生む危険性を孕んだ作戦は認められない。
彼も誰でも彼でも見つけられる訳ではないのだから。
主要人物だけ確保しても、第二第三の障害が生まれるのならばと、この機会に一掃することを選んだのだった。
そんな内情は、この場に居合わせた人々には話していない。
ごく一部の――隣に座る親友を含めて数えるほどしかいなかった。
だからこそ、各国から集められた約一万にも及ぶ手勢の虚しさに、セドリックは同情を禁じ得なかった。
「……後で反感を買わなければ良いのだがな」
「何か言ったかい?」
「なんでもない。合図はまだかと思っただけだ」
独り言をはぐらかすセドリック。
明らかな態度であったが、それについては言及せず、セオドアは静かに微笑むだけだった。
そんな会話をした矢先、この場にそぐわぬ高い声が響き渡る。
「おまたせです~」
「やぁ、アネモス。待っていたよ」
立ち上がり出迎えられたのは、彼の契約している風の精霊。
その小さな体を彼の手に乗せると、大きく胸を張って報告をした。
「じゅんびできたです~。いつでもいけますよ~」
「ありがとう。それじゃあ、三分後にお願いしようかな」
「りょうかいです~!」
時間を聞いたアネモスは、その体をふよふよ浮かせ、どこかへ飛び去って行った。
それを見届けたセオドアは皆へ指示を出した。
「準備できたみたいだから、各自持ち場について統率をお願いします。出発は今から約二分後、一気に戦場へ転移するからそのつもりで」
指示を受け、全員の表情が引き締まる。
立ち上がって早速向かおうとした者もいた。
しかし、未だ顔を顰めるミゲルによってその足は止まる。
「――それで? 我々が行く戦場はどこなのだ。この期に及んで秘密とは言わせぬぞ」
拒否は許さぬとばかりに眼光を鋭くする。
「流石に開示しないと怒りますよね」
セオドアは苦笑気味に答える。
そのまま口元を緩め、僅かに目を細めたまま、戦場の場所を口にした。
「皆さんに行ってもらう先は、イーレクス王国南西にあるアリギィの街。その郊外に“生産拠点”があります。三、四か国で包囲するよう展開させますので、一人も逃さぬようお願いします。現場指揮は、セドリックに任せてありますので」
「本拠地は?」
作戦については、事前に打ち合わせた通りなので口を挟まない。
代わりに、言い切って終わろうとしていたセオドアに、もう一か所について催促した。
彼は一度、視線を周囲へ巡らせた。
誰も彼もがセオドアを見つめる中、静かにその場所を告げた。
「――フィサリス。シプレス王国西部にある片田舎ですよ」
◆◆◆
時間になると、ヴィクスムに集まっていた兵士たちが一斉に姿を消す。
目的地はそれぞれ。
ただ、その大半がイーレクス王国へと降り立っていた。
残りの一握り、本拠地襲撃の主力たる精鋭部隊が、長閑な森の中で息をつく。
「……まったく、お主もあくどいことをするのう」
「そうですね。多くの人々を蔑ろにする行為は、あまり褒められたことではありませんよ」
「ははは、非難は承知の上だよ。それでも、これが一番の最適解だからね」
ゲオルグの感想を拾ったヴァージルが、セオドアに対して苦言を呈する。
この場に着いてすぐ、困惑する一同に説明をしたセオドア。
それを受けての言葉だったが、当人は軽く受け流していた。
「これは儂らも責められるのではないか?」
一番の年長たるゲオルグが、皆が口に出し辛いことをズバズバと言い放つ。
「大丈夫、すべての責任は私が取るから」
「そう生き急ぐものでないと思うがのう……」
覚悟の決まったその表情に、ゲオルグは嘆息した。
そのままこの場の十一人に視線を巡らせる。
「剛腕」のゲオルグと同じフラクシヌス帝国出身の英傑「双璧」ドハティ兄弟のヴァージル、ジェイミーを筆頭に、各国の英傑が集められていた。
「十傑」の一人、ランクS-「要塞」の片割れティルザ・リンド。
ファーグス諸島国のランクA-「水鏡」メイナード・アーヴィン。
エルム連合王国のランクA-「燎原」ウェンディ・フィンドレー。
バーチ共和国のランクA+「碧靂」ベサニー・リルバーン。
アケル公国のランクS-「堕墜」カメル・リンネ。
レルヒェ共和国のランクA-「失潤」ビアンカ・フリーデル。
ティロ共和国の賢人会職員兼盾堅道場の門下生、ランクB+のニコラス。
そしてもう一人、幼さの残る少年が一人。
ミスルト教国のセオドアを合わせれば、今存在している各国の英傑が一人以上参加していることになる。
生憎とマグノリア自治区から動けない「災嵐」セヴェリーノ・デュランと、集団戦が不向きな「孤絶」キエラはどちらにも参加していなかったが。
二人ほど英傑じゃない人間はいたが、ここまでの戦力を前に誤差でしかない。
それでも、当初の予定に比べればかなりの戦力減は否めなかった。
「すみません、私たちしかいない理由は分かりましたが、どうしてこのメンバーになったのでしょうか? それに、人数はもう少しいてもよかったように思えるのですが」
小さく手を上げて意思を示すベサニーが疑問を口にする。
「確かにな。逃がさないようにと考えれば、もっと人がいてもいいだろ。あのゼインがいたとしても、もちっと人手が欲しいとこだぜ」
隣にいたビアンカも、彼女の意見に同意した。
「それについては否定しないよ。でも、ゼインの要望でね。あまり戦えない人がいても邪魔だって」
苦笑しながら答えるセオドアに、なんとも言えない表情を浮かべる一同。
確かに英傑が揃えば足を引っ張ることは少ないだろうが、それでもいざという時は頭数が物を言う。
今回各国から集められた人々は、精鋭も精鋭揃いだった。
許可証ランクで言えば、最低でもランクC、ランクBも数多く在籍していた。
にも関わらず、ゼインはその全てを足手まといだと切り捨てたのだ。
いくらなんでも、それは過信しすぎだと、その場の誰もが感じていた。
「あはははは、流石白うさぎちゃん。やることも凄ければ、言うことも極端だね~」
「……笑い事じゃないですよ」
腹を抱えるカメルを、ティルザが諫める。
それでも彼は笑うのを止めない。
「そこまで言えるのは凄いことだよ~。普通、自分の至らなさに気付いて口にしなくなるからね~」
「確かに。『悪鬼』はその点、自らできないことは口にしないタイプですよね。……発言はかなり極端ですが」
「……認めたくはないですが、わたしもメイナードさんと同意見です。彼、誰に対しても厳しいようですし」
一番隔意のありそうなウェンディも追従したことで、否定の言葉は出てこなかった。
彼女は「軍勢」レイフの信奉者として知られていた。一時期は荒れに荒れまくっていたため、近寄りがたいと思われるぐらい。
そんな彼女の発言だけに、皆、重く受け止めていた。
「……とりあえず、件のゼイン君と合流しましょうか」
ここまでの会話で、英傑でもない人物が居合わせていることを疑問に思いつつ、ジェイミーが先を促した。
反対する人もいないことで、セオドアの先導の下、森の中を進んでいった。
◆◆◆
到着した場所は、集落を見下ろせる高台の上。
その眼下には、どこにでもある普通の村落が広がっていた。
「ここが……?」
誰ともなく疑問が口を衝く。
全員、もう少し分かりやすい手掛かりがあるものだと思っていた。
英傑なので魔力視は皆が使える。
だからこそ、変わった様子のない――特異的な魔力の見つからない光景に、困惑を隠せなかった。
「そのはずだけど……」
セオドアですら、疑念を抱いていた。
彼の目から視ても、何の変哲もない、田舎の光景が広がっているだけ。
悪魔の“あ”の字も見つからなかった。
「ここであってるぞ」
そんな彼らに、突然声が掛けられた。
「……ゼイン、驚かさないでくれないかな?」
「それはこっちのセリフだ。――どうしてここにユーグが居るんだ?」
彼の瞳は既に紫紺に染まり、この場にそぐわない少年へと向けられていた。
「君の質問に答える前に、こっちの疑惑を晴らしてくれないかな? このままじゃ作戦に支障がでるからさ」
軽い口調で答えつつ、自らの背に少年――ユーグを隠すセオドア。
その態度に舌打ちをしつつ、ゼインは仕方なく口を開く。
「これはあいつらが見せてる幻影だ。小癪にも、異空間魔法で覆って違和感を減らしている。中に入っても催眠に掛かったように、その違和感を認識できない。まぁ、俺には無意味だがな」
彼の説明に衝撃が走った。
相手にも、ゼイン並みに魔力の隠蔽が得意な存在がいるということだ。
セオドアですら欺かれるなら、見破れる人間は皆無だと言えた。
「……それは厄介だね。術者の特定は可能かな?」
「できなくもないが無意味だな。どうやらこの結界は複数人の合作みたいだから、一度壊してしまえば問題ない。仮にまた展開されたとして、それを維持できないようするつもりだから心配いらん」
「それってゼインの手が塞がるんじゃないかな。今回の大規模転移で、結構魔力を消費したんじゃない?」
「問題ない。足りない分は俺の魔力で補ったが、それも回復させてきた」
セオドアの言う通り、今回の出陣に際して、万に及ぶ人数をゼイン一人で転移させていた。
明らかに一人で行うには魔力は足りないが、それはここ半年の準備のおかげでどうにか事足りた。
彼が行ったのは模造「星輝石」による魔力の調達。
それによって、足りない魔力を補ったのだ。
彼がひと月で作れる数は、限界ギリギリで十個まで。約半年に及ぶ準備期間で、五十個以上用意していた。
後は少しでも効率を上げるために、いくつかの魔法を事前に刻んでおり、それをアネモスたち精霊の協力の下、目的地についさっき届けて発動させたのだ。
足りない分は自らの理力を用いたが、総量の約半分ほどで済んだのは、事前準備の賜物だった。
ゼインは全てが滞りなく発動したのを確認すると、この場へ転移し、セオドアと合流したのだった。
「なるほどね、無理を重ねてないなら良かったよ。――中の様子はどうだい?」
「警戒はしているが、まだこっちには気づいていない。この結界の仕様上、内外の通信ができないのが仇となったな」
普通の空間魔法だと、どうしても魔法の痕跡が表に出てしまう。
それを避けるために異空間魔法が使用されていたのだが、まだ異空間を経由する通信技術は確立されていなかった。
伝達方法は直接出入りできる人間が持ち込むのみ。それ以外は、他から隔離された状況になってしまっていた。
「異空間って対処できない相手には無類の力を発揮するけど、使用者側も不便なのはどうにかならないものかな」
「だが、それのおかげでこうして話す時間があるんだ。それに、俺の転移がバレなかったのも、準備した魔法を全部異空間に隠していたおかげだ。何事も、使い方次第だろ」
そう話したゼインは、疑問は晴らしたとばかりにユーグへ目を動かす。
流石に忘れてないかと内心苦笑しつつ、セオドアは彼の質問に答えた。
「ゼイン、君が無茶しないようにだよ。本当はニネットが良かったけど、彼女を連れてきたら、君が暴れると思ってね」
「ユーグでも許さんぞ」
セオドアを睨みつけ、冷たく言い放つ。
その紫の瞳には怒気が宿っていた。
直接向けられた訳ではないのに、数人がその威圧に体を震わせる。
動じなかったのは、ゲオルグ、カメル、ヴァージル、ジェイミー、そしてユーグの五人だけ。
後は大なり小なり反応を見せていた。
直接見据えられたはずのセオドアは顔色を変えず、ただ静かに微笑むだけだった。
じっと二人は視線を交わらせる。
先に口を開いたのは、セオドアのほうだった。
「別に、彼をどうこうするつもりはないよ。ただゼインは、彼らの前では下手なことをしないからって、ちょっとした重しにね。彼の身の安全は、私と盾堅道場のニコラスが保障しよう」
ゼインがぴくりと眉を動かす。
自らと似た系統の存在に、彼の視線が動く。
「……空間魔法使いか」
「転移もできるから、いざという時は逃走もできるよ。私が時間稼ぎをするから、逃げるぐらいは大丈夫だと思う」
ここでユーグを送り返しても良かったのだが、セオドアと会話を始めてからずっとゼインを見上げるその力強い眼差しに、彼の心は揺れ動く。
「ゼイン兄ちゃん、俺、無理はしないからさ」
「お前は戦わないだろ」
「それでもだよ! 兄ちゃんの勇姿を見守るだけだけど、危ない時は絶対止めに入るから!」
「……ちっ、ニネットの奴、変なことを吹き込んだな」
心当たりのあるゼインは、ユーグの発言で顔を思い切り歪めた。
セオドア以外その理由について何も知らなかったが、それでも彼の旗色が悪いことは理解できた。
「ほれ、童よ。お主の負けじゃ。儂もこの少年の身を守る故、お主は思う存分戦うといい」
「……お前は攻撃に特化してるだろが」
ゲオルグの言い分に、ゼインは皺をさらに深くする。
「ハッハッハ、敵を減らすのも守る方法じゃぞ! 少年に魔の手が届く前に倒せばよかろうて」
豪快に笑い飛ばすゲオルグ。
それを忌々しそうに舌打ちしながらも、ゼインは否定できなかった。
「……余計なことはするなよ、ユーグ」
「うん!」
彼の返事を嬉しそうに頷き、抱き着くユーグ。
仏頂面ながら、彼の頭を撫でるゼイン。
そんな彼らの様子を、セオドアたちは暖かく見守るのだった。
◆◆◆
「――で、坊主。どうやって敵の本丸を見つけたんだ?」
高台の上から降りる最中、ビアンカがゼインと肩を組む。
鬱陶しそうに彼女を遠ざけながら、ぽつりと話し始めた。
「……あの一味の中にいる空間魔法使いの悪魔。そいつにオーギュストの魔力がこびりついていた。理由は知らんがな」
少しばかり感傷的な響きを皆が感じ取った。
センチメンタルな気持ちになりつつも、ビアンカは質問を重ねる。
「オーギュストが亡くなったのは、一年半前だよな? そんな前の魔力が、今も残ってたってのかい?」
「正確には、あいつの魔法の残滓だな。たぶん、死ぬ前に何かの魔法を使ったんだろうけど……」
「それについては私見だけど、一つだけ思い当たる節があるかな?」
二人の会話を聞いていたセオドアが口を挟む。
目線だけで先を促すゼインに、彼は簡単な見解を述べた。
「オーギュストが得意とした魔法は儀式魔法。それに彼の位階である呪詛を籠めたんだと思うよ。儀式魔法は特定の条件を満たさない限り、効力がほぼ永続するからね」
儀式魔法とは、制約と契約を行使する魔法だ。
術者が制約を設け、相手にその契約を履行させるといった効果の魔法だった。
制限が大きければ大きいほど、行使できる内容に自由度が増す。
特定のルールに則ってしか発動することができず、解除もできないという、束縛を強要する魔法でもある。
そんな扱いの難しい魔法によって、オーギュストの魔力が残り続けたのではないかとセオドアが話す。
「なら、どうしてすぐ見つけられなかったんだ? 坊主、人探しは得意だろ」
「そいつがずっと異空間の中に隠れていたからだ。俺が四六時中オーギュストの魔力を探していたら別だが、そこまで探し回った訳じゃない。今回気付けたのも、半年前の悪魔の紛い物経由だしな」
ゼインの説明に、それもそうかとビアンカは頷く。
彼が発見に至った経緯は、半年前のソール連邦襲撃事件の結果だった。
捕らえた人魔の記憶や魔力を読み取る中で、微かなオーギュストの魔力を感知したのだ。
それは、人魔を送り込んだ悪魔に付着していたもの。
ほんの僅かな、数日と持たないほどの希薄な手掛かり。
直接魔力を調べなければ気付けないほどの、針の穴を通すような魔力の違和感。
そんな失態ともいえない証拠を、ゼインは目敏く見つけたのだった。
それをセオドアと共有し、約半年に及ぶ準備期間を設けたのだった。
「ほんと、惜しい人を亡くしたよ」
カメルの呟きは、この場の誰もが思ったことだった。
先を歩くゼインでさえ、一度足を止めたぐらいだった。
◆◆◆
一同は下へ降り、集落の前に辿り着く。
気付かれぬよう木々の陰に隠れていた。
「とっとと始めていいか?」
ゼインが横に並んだセオドアへ話しかける。
顔は正面を見据えたまま動かさない。
「勿論だよ。でも、本当に包囲する必要はないのかい?」
「問題ない、逃げられないようにするからな」
聞きたかった言葉だけ引き出すと、ゼインは一人、茂みから出て村の前へと進む。
セオドアの制止も聞かず、ただゆっくりと。
無防備に体を晒し、村の入り口まで躍り出た。
奇襲の意味を成さないその行動に、誰もが驚く中、ゼインは大きく深呼吸をした。
「――」
小さく口が動かされる。
誰にも届かない、己に言い聞かせるだけの言葉を紡いだ。
瞬間、彼の体から、尋常ならざる魔力が迸る。
既に染められた瞳を妖しく輝かせ、煌めく涙が頬を伝う。
――俺はここに居るぞ!
世界にそう発信するが如く。
そのまま紫炎が掌から立ち昇る。
ゆらゆらと、その存在感を主張しながら。
変化は唐突に訪れた。
セオドアたちの見えていた景色が歪む。
吹き荒れる魔力の奔流に晒され続け、許容量を超過したかのように膨張する空間。
村落を形作っていた色が混じり合い、不気味な模様を映し出す。
あるのは不自然なまでの斑色。
確かに、この先に何かが隠されていると、誰もが理解できた。
そんな皆を欺いていたキャンパスが、どろりと崩れ落ちる。
泥水をまき散らしながら形を失い、その中身を露わにした。
中には無骨な巨大建造物があり、傍目にはどこかの研究所のように見受けられた。
周囲には無数の魔道具が設置され、外敵を排除しようと牙を剥く。
まだ稼働されていなかったそれらは、セオドアたちが認識したとほぼ同時に、ひしゃげて物言わぬガラクタと化した。
一瞬で無力化したのは他でもない、涙を流しながら佇む少年だった。
皆が唖然とする中、二人だけは別の物を見ていた。
一人はセオドア。
彼はいつの間にか展開されていた魔法に顔を顰める。
肩に乗った小さな少女の囁きによって気付けたそれは、先ほどまで景色を映し出していたそれに似た物。
この場一帯を囲み、誰も逃がさないための巨大な監獄だった。
これと同じものが、遠く離れた街に現れたと知る者は、誰も居ない。
想定外すぎる行動に、思わず嘆きが零れていた。
「……ゼイン、君って人は」
もう一人はユーグ。
場違いな少年は、ただひたすらに、憧憬の姿をその目に焼き付けていた。
今まで幾度となく見た戦う姿が、いかに平穏だったのかと噛みしめながら。
辛そうに戦う兄の背中が、どれほど遠かったのかと打ちのめされながら。
「ゼイン兄ちゃん……」
そんな周囲の想いと混じり合うことなく、ゼインは姿を現した敵の数々を見据えていた。
一人、また一人と数を増やしていく彼らは、犯罪組織「ゴエティア」の主要メンバー。
そのほとんどが悪魔で構成された組織。
数にして百に迫る勢いだった。
純粋な悪魔もいれば、元人間の悪魔もいた。
全員が全員、襲撃者たるゼインを忌々しげに睨みつける。
視線がかち合うと、皆が警戒しながら戦闘態勢に移る。
無言のせめぎ合いを続けていると、セオドアたちもゼインと肩を並べた。
一触即発の中、最後に建物から姿を現したのは、この組織の長であり、この戦争の首謀者。
まだ人型の状態にもかかわらず、得も言われぬ風格を醸し出し、濃密な魔力を纏う男の姿だった。
緑の長髪に濁った橙色の瞳をしたその男は、悪魔たちの中央へ歩み出ると、重々しくその口を開く。
「ここまで嗅ぎつけるとは、なかなかやるではないか人間。――それとも、実験動物とでも呼べばいいか?」
「爪弾き者が偉そうな口を利く。そんなに傷の舐め合いがしたいなら、魔界の隅で勝手にやっていろ」
目を細める男と、目を見開くゼイン。
赤褐色と紫紺がぶつかり合う。
互いに一歩も引かぬ威圧を前に、誰一人として動くことができなかった。
「我々の障害はすべて、オーギュストから始まったのだな」
「ほざけ。すべての間違いは、お前が生まれたことだ」
「――フン、何も知らない若造が。英傑などと持て囃されていても、所詮は無知な人間の一人でしかない。貴様の存在の意味など、端から知らぬのだろう?」
嘲るように口を歪めながら、男は挑発を繰り返す。
それに微塵も揺るがず、ゼインも言い返していた。
「――俺の生きる理由は俺が知っていればいい。誰に決められるものでもない。今はただ、お前を殺すだけだ」
「ふっ、できるとでも?」
「当たり前だ。逃げ隠れるしか能のない連中に、負ける道理はない」
いっそう二人の圧が上がる。
まだまだ全力ではないと言わんばかりの攻防が、見えないところで繰り広げられていた。
「ふっ、いいだろう。できるものならやってみるといい。――己の浅慮を嘆き苦しみながら、飼い主の元へ返してやろう」
その言葉を皮切りに、威圧の攻防が止んだ。
急に空気が軽くなる錯覚に襲われる。
今まで忘れていた呼吸を取り戻すように、周囲の人々が息をする。
内から湧き上がる震えを隠しながら、両陣営共に臨戦態勢をとった。
そんな彼らの動きを気にすることなく、互いの先頭に立つ二人が、ほぼ同時に口を開いた。
「――正一位『蝕魔』のヴァッサゴ。貴様らを屠る者の名だ」
「――『悪鬼』ゼイン。お前らに終止符をくれてやる」
二人の宣言の末、戦いの火蓋が切られたのだった。




