76話 狂気の道化師 -前編-
聖法歴1021年12月24日
イーレクス王国首都アクイフォリウム。
ここに、一人の英傑が降り立った。
まだ昼前だというのに、暗雲の所為で周囲は暗い。
彼の側には誰もおらず、城壁に囲まれたその都市と、数多の人々と対峙する。
その中の先頭、見るからに群衆を率いる存在だと分かる人影が二人。
一人は長身の男性。
一九〇に及ぶその体躯は引き締まり、それでいてほっそりとした印象を与える。
黒地のゆったりとした衣装に身を包み、その漆黒の髪を後ろに流す。
もう一人は、そんな男性と対照的に真っ白な服装の少女。
フリルやレースが所狭しとあしらわれ、可憐さを引き出す装いに、ピンクにも見える淡い紫の髪がより愛らしさを際立たせていた。
多勢に無勢という有様でもなお、対峙する一人の英傑はこゆるぎもしない。
ただその視界に相手を捉えるのみ。
冷淡な表情を向けていた。
「ふふっ、宣戦布告をしたわりに手土産のひとつもなしだなんて、気が利かないわね」
「……」
少女の軽口にも反応せず、離れた場所で佇むばかり。
その赤い瞳で眺めていた。
「向こうに道理を求めるのは酷だろう。あるのならば、このような蛮行を取る理由がない」
窘めているのか、貶しているのか分からない言葉を吐く男性。
「それもそうね。だって、“条件”も“取り決め”もない『総力戦』がお望みなんてね」
ゆるりと口角を上げた少女が、手で口元を僅かに隠す。
その瞳は嘲るように細められ、ぽつんと敵対する相手を見据える。
「……」
それでもなお、たった一人の英傑は眉一つ動かさず立つだけ。痛痒も感じていなかった。
そんな彼の態度が気に食わず、少女がすんと表情を落とす。
「対話もできないだなんて、どこまで行っても獣みたいな子ね。だから民衆から嫌われるのよ」
「……」
「――クレナ、その辺で。人格否定は君の品位を貶める。瀟洒な君には不釣り合いだ」
「あらやだ、つい」
わざとらしくおどけるクレナと呼ばれた少女は、その口元を覆い隠した。
それでもその目は侮蔑が入り交じる。
彼女の態度に気付かれぬよう、ため息を落とす男性――ジョサイア。
そんな二人を尻目に、英傑は軍勢へと視線を巡らせた。
彼ら彼女らは、皆一様に生気のない色を瞳に宿す。
誰もが茫洋として前を見つめ、身じろぎ一つしなかった。
彼らの状態を把握すると、静かに鼻を鳴らした。
対極的な二つの勢力がぶつかり合うのは、一つの事件に起因する。
二日ほど前、同時多発的に発生したとある国への襲撃。
その裏で糸を引いていた人物を特定したことで、今回の騒動が巻き起こっていた。
黒幕はイーレクス王国の英傑にして、今期の「十傑」であるランクS-の「狂気」クレナ・ファーロウ。
襲撃犯を手引きした明確な証拠はなかったものの、事実が判ればそれでいいとばかりに、一人佇む英傑――ゼインが勝負を吹っ掛けた。
当然、周囲からの猛反発は必至だったが、それに構わず宣戦布告をした。
襲撃した“元人間の悪魔たち”を開戦理由として。
事情を聞いたセオドアは、己の耳を疑い、頭を悩ませることになったのだが。
彼から消極的了承を貰ってすぐ、ゼインは乗り込むことにしたのだった。
相手の思惑は関係ない。敵対する者に容赦はしない、と――。
目の前に広がる惨状も気にはなるところだったが、ゼインは“敵”を見据えて呼吸を整える。
代理戦争のような合図は、何もない。
ゆっくりと瞼を閉じ、その瞳の色を変じる。
再び見開かれたその双眸は、昏い赤紫に染まっていた――。
重い魔力が立ち込める中、二つの陣営が激突する。
世界を震撼させて……。
◆◆◆
始めに動き出したのはジョサイアだった。
ゼインから膨大な魔力が溢れ、彼らに襲いかかる。
情報として知り得ていたが、実際にその身に受け、鋭く顔を歪めた。
そして、そのまま隣のクレナを庇うよう、立ち位置を変える。両手に漆黒の短剣を握りしめて。
彼の二つ名に相応しく、足元の影がなくなっていた。
そんなジョサイアの動きに合わせたように、ゼインが肉薄する。
音もなく現れ、その強烈な掌底をお見舞いしていた。
「――っ!」
声にならない叫びを上げるジョサイア。
すんでのところで影を割り込ませていたのだが、それがなければ胴体に風穴を開けられるところだった。
ギリギリで躱しつつ黒い飛跡を滑らせる。
光を反射しない線は、周囲の暗さも相まって視認が困難だった。
にもかかわらず、ゼインを掠めることなく幾重にも虚空へ描かれた。
息をつかせぬ応酬が続く。
ゼインの両手からは赤、水色、黄色と三つの色が目まぐるしく放たれる。
その一撃一撃が必殺に等しく、ジョサイアの背中に冷や汗が伝う。
対する彼は黒一色で、光を呑み込むほどの闇を繰り出していた。
時にはゼインの魔法を食らい、その黒を肥大化させながら。
二人の激しい乱舞の最中、クレナが動き出す。
彼らの速さについていけないものの、一切動じた様子もなく、その口を三日月に裂く。
不気味な笑みのまま、大きく二度手を叩いた。
あろうことか、そのまま近くに置かれていた椅子へと腰かけ、戦場を他人事のように眺める。
彼女の指示で動き出した傀儡を横目に。
「ちっ――!」
ゼインの盛大な舌打ちが漏れる。
ジョサイアへ攻め込もうとした足を止め、堪らずその場から飛び退いた。
その瞬間、彼が居た場所目がけていくつもの魔法が飛んできた。
よく見ればそれは後ろに控えていた群衆から放たれたもので、彼らは皆虚ろな目をして前を見つめていた。
指を動かし迎撃しようとするゼインだったが、そんな彼目がけて、似た目を浮かべる数人の男女が武器片手に突撃をかます。
それらすべてを捌きながら、再び舌打ちをする。
「くそっ、厄介な! 明らかに実力の足りてない連中もいるだろ!」
悪態の原因は彼らの様子にあった。
ゼインには、彼らに伸びる魔力の糸が視えていた。
万にも及ぶ軍勢すべてが同じ魔力の糸を有しており、それらのもう片方はすべて一か所に集約されていた。
糸を辿った先は、戦場で優雅に座る少女の元。なんの変哲もない椅子に腰かけるクレナの元へと繋がっていた。
彼女の魔法は支配魔法――人間を傀儡へと変える魔法だった。
似たような魔法に精神魔法がある。
これも他人を操り、術者の意のままに動かすことが可能だったが、クレナの魔法は一味違った。
彼女の支配魔法は、操った相手の潜在能力を引き出すことが可能だった。
本来、魔法で支配下に置いたとして、その時に有する能力以上のことを発揮させることはできない。どんなに優れた術者であっても不可能な芸当である。
しかしクレナの場合、支配下に置いた人間のポテンシャルを最大限まで引き出すことが可能で、命令系統もかなり手軽だった。「敵を倒せ」の指示一つで自ら考え行動し、それでいてクレナを守るといった複雑な行動ができていた。
才能の前借りと表現すべき芸当をする操り人形たちが、その魔の手をゼインへと伸ばしていた。
「ちっ、昏倒させても止まらないのか」
厄介すぎる敵を前に、半ば人質と化した彼らの無力化を図るゼイン。
手始めに気絶させてはみたものの、すぐに起き上がり襲いかかる様は、パニックホラーもかくやという様相だった。
「魔力を散らしてもダメなのか……。どういう理屈をしているんだ、これ」
魔力阻害と呼ばれる魔法を無力化させる手法を試みるも、結果は惨敗。
一時的な解除はできたが、それも数秒だけのことで、元の木阿弥になってしまった。
空間を切り取って隔離してもダメ、異空間に閉じ込めてもダメと、なかなかに強固な繋がりだった。
「面倒だ。ここまでだと、普通の精神支配とは別物だぞ」
ここへ来て、クレナの魔法の異常性に気付くゼイン。
考えを巡らせている最中にも、彼らは連携して襲いかかる。
動き自体はどうとでもなるのだが、合間の隙を突くように迫るジョサイアの攻撃に手を焼いていた。
ただでさえ今のゼインと互角以上に渡り合う実力を持っているのに、奇襲気味な攻撃を仕掛けられては堪ったものではない。
現に、これまでゼインが出会ってきた中でも一、二を争う隠蔽性を誇っていた。
「……仕方ない」
嘆息混じりに呟くと、ゼインは目を瞑る。
襲いかかる毒牙を前にしても動じない。
再び見開かれた瞳は紫紺に染まり、涙が零れ落ちる。
先ほどとは比にならない、息苦しさを覚えるほどの魔力が周囲を包む。
彼の本領発揮と言わんばかりに溢れかえる魔力が、襲撃の手を鈍らせた。
一段遅くなった彼らをゼインが両手で掴みかかる。
体を覆い尽くすほどの紫炎が立ち昇り、彼らの繋がりを焼き切る。
糸が再び架かることがないと確認できると、ゼインは手当たり次第に軛から解放してまわる。
激化する攻撃すべてを躱しながら――。
◆◆◆
状況を静観していたクレナは、目の前の光景に驚きを禁じ得なかった。
始めの頃は、自らの魔法に四苦八苦するゼインを眺めて悦に浸っていた。
自分が幼い時分から悩まされてきた魔法に、最恐の技巧派と名高い「悪鬼」であっても苦戦を強いられると分かって。
「ふふっ、魔法の天才と持て囃されているようだけど、所詮はその程度ね。異空間まで扱えるのには驚かされたけど、嬉しい誤算だったわ」
優雅に紅茶を飲みながら、厳しい表情を浮かべる少年を品定めしていた。
旗色が変わったのは、彼が涙を流してから――明らかに異質な魔力を放つようになってからだった。
「何よそれは! 『偽神』の権能は一つだけじゃなかったの!?」
早すぎて目で追えないクレナには、彼の変化が魔力でしか判断できなかった。
これが目視で確認できていれば、もしくは魔力視で表情まで確認できれば違った感想を抱いただろう。
涙を流しながら戦うゼインの姿は、既に知れ渡っているところ。
それが一つの本気度の基準になっていたのだが、彼と対峙するにあたり戦力不足を懸念し過度なまでの人員を集めた所為で、目まぐるしく動く結果となり、皮肉にも戦い始めてから一度も状態を確認できないでいた。
「一つだけのようだ。ただ、始めは本気を出しきっていなかったようで」
「本当なの? ジョサイア」
小さな影がテーブルに広がり、そこから「無影」の声が聞こえてきた。
「本当だ。今は涙を流しながら戦っている。それと今は瞳の色も暗さを増し、濃紺に近い紫となっている。始めはもう少し赤みがあったように思える」
ジョサイア自身も勘違いしそうになったと零しながら答える。
涙が見えなかったことで全力を出さなかったと語る彼だったが、それでもひやりとする場面が多々あり、気を抜けなかったと弱音を口にした。
「それも、そろそろ限界が近いようだがな。動きに精彩さがなくなってきた」
もう何度目かも分からない魔力の脈動が巻き起こる。
回数を重ねるにつれ、濃密で嫌悪感の増す魔力。
優美な淑女を守るよう張られた障壁を隔ててなお感じるその異様な魔力は、常人のみならず歴戦の英傑であっても、油断すれば卒倒してしまいそうなほどだった。
そんな魔力の嵐に苛まれながらも、ジョサイアは戦況を冷静に眺めていた。
ゼインが解放を始めて早数十分。
人数はおよそ半数を超えたあたりだった。
意識を失った彼らを戦場から退避させつつ、新たな人を解放する。
それと同時に襲いかかる攻撃を捌いていく。
当然のことながら魔力が足りなくなり、その都度周囲からかき集めて魔力の渦を巻き起こしていた。
流れる涙は止まることを知らず、大地へ休むことなく降り注ぐ。
繰り返すにつれ動きが単調になっていき、それでも攻撃を凌いていく。
消費する魔力が増え、更に回収を行う悪循環に陥っていた。
「ふふっ、その時が楽しみだわ!」
喜色を浮かべるクレナは、どこか不気味さを漂わせ――。
その瞳を妖しく輝かせる。
◆◆◆
その会話から、約一時間後。
喧騒が止む。
戦場に立つのは一人の少年だけ。
万を超えるほどいた軍勢は、全員が意識を失い、遥か後方へと送られていた。
その少年は幽鬼のような様相で、腕をだらりと前に垂れ下げる。
浅い呼吸を繰り返し、立っているのもやっとといった様子だった。
そんな少年へ、毒性の蔓が静かに這いよる――。




