74話 クレマチスの誓い
聖法歴1021年12月22日
「ふふっ、これで計画も最終段階ね。あとは、あちらさんの反応を見るだけ。……これでまた一歩、夢に近づくわ」
静謐な部屋に、彼女の鈴を転がした声が木霊する。
見た目は可憐な少女。
白を基調としたレースが惜しみなくあしらわれた服装に、黒が時折見え隠れする。
調和のとれた少女らしい装いは、彼女の容姿も相まって、とても似合っていた。
幼さの残る顔立ちに、熟れた紫の瞳と大人の色香を魅せる口元。
一見するとアンバランスにも思えるそれらは、絶妙な協調でもって独特の魔力を生み出していた。
そんな彼女の哄笑を、私は陰ながら見ているだけだった。
体の動きに合わせて瞳と同じ長髪が揺れる。
しっとりとした艶のある紫は、白背景に鮮やかに浮かぶ。
彼女の夢を聞かされたのは、寒空の広がる暗がりの下。
ちょうど、今日のようなしんしんと雪の降り積もる日だった。
◆◆◆
私が彼女――クレナ・ファーロウと出会ったのは、今から十年以上前。
その時はまだ、年端もいかぬ幼子だった。
姿は今とは比べ物にならないほどみすぼらしく、身に纏う物は襤褸切れ一枚で髪もぼさぼさ、どこにでもいる浮浪児の一人でしかなかった。
とある任務の最中に出会った彼女は、それまで他人に関心のなかった私を、その場に縫い付ける“何か”を感じさせた。
子供とは思えぬほどの昏い闇を宿した瞳。
それに射貫かれただけで、私の心は打ち震え、引き寄せられていた。
「……何をした? 小娘」
「なに? あなたもわたしのせいにするの? 勝手に寄って来たくせに」
吐き捨てられた言葉に思わず顔を顰める。
当時の私は“特別”を求めていた。
他人を巻き込むことなく行動するのならば問題はないのだが、私の場合、それを他者へと強要していた。
若気の至りと言えば聞こえはいいが、ただの独りよがりの価値観の押し付けだ。
そんな私にとって、「その他大勢と一緒」と切って捨てられたことはこの上ない侮辱だった。
頭に血が上り、幼子に手を上げる。
首を絞めつける手に構うことなく、厭世観を漂わせた彼女が宣った。
「殺すの? ならさっさとして。いたぶられるのは趣味じゃないの」
「命乞いはしないのか?」
「命ごい? こんな世界で生きる意味なんてないわ。希望のない、無価値な世界なんてね」
「……」
達観した様子に、私の手が緩む。
それを見た彼女は、さらに瞳を濁らせ盛大なため息をつく。
「……何があったのだ?」
無意識に口を衝いた言葉に、私自ら驚く。
目の前の幼子も同様で、小さな肩を震わせる。
「あなた、わたしの影響を受けていたんじゃないの? だからこそ、それに気付いて怒って殺そうとして。なのに今さら、どの口がいうのかしら」
「影響? なんのことだ」
「それは無自覚だったのね……。いいわ、教えてあげる」
困惑した彼女は、慌てることなく私の違和感の正体を教えてくれた。
曰く、生まれながらにして魔法が使えるのだとか。
……いや、正確に言えば、自らの与り知らぬところで勝手に発動していると表現したほうが適切か。
本来、魔法というものは、術者の意識によって制御されている代物だ。
発動の有無は本人の意思が介在し、どのような状態であっても――精神魔法で支配された状態であっても、それは変わらない。支配された側に魔法を使わせるには、幻影を見せ自発的に促すか、そもそも魔法の事しか考えられないよう誘発する必要がある。
そうしたプロセスが一切なく、ただ闇雲に発動し続ける魔法など、長い年月を生きてきた私にとっても初めて聞く事象だった。
その呪われた体質とでも形容すべき彼女の魔法は、「魅了」。
無意識に振り撒く甘い蜜に、男女問わず吸い寄せられてしまっていた。
彼女の蔓に絡め取られ、彼女の傀儡と化すなら可愛いもので、最終的には独占欲が肥大化し、他者を排斥しようとするのだとか。
その所為で周りに不和の種を蒔き、諍いが絶えず、彼女の気が休まる時間がなくなってしまった。
これは彼女の話を聞いた私の所感だが、彼女の「魅了」の進行度は、相手の魔力量と耐性によって変化するのだろう。
現に、私の中にあった違和感は、彼女の説明を受けて自覚したことにより、薄れていったのだから。
内へ内へと意識を集中させると、彼女の「魅了」の魔力がじわじわ浸透しているのを発見できた。
試しに魔力でプロテクトを掛けると、それ以上侵入されることはなく、反対に魔力を無防備に受け止めると、その進行速度が桁違いに跳ね上がったのだから。
体内に入った彼女の魔力をすべて除き去ると、私は幼子と高さを合わせた。
「貴様の魔法は私には通用せん。そこで提案なのだが、私の元へ来ないか?」
驚いたのも束の間、私の提案にすぐさま彼女は警戒を露わにした。
「……なによ。結局はその辺の連中と同じじゃない。わたしを欲しがっているんでしょ?」
「違う。ただ貴様のその魔法に興味が湧いただけだ。無条件で常時発動できるのであれば、私を更なる高みへ押し上げてくれるだろうと思ったのだ」
それでも疑念の眼差しを向ける幼子。
私は肩を竦めてきっぱりと伝えた。
「拒むのならば構わん。貴様との縁もここまでだ。これ以上、関わり合うことはない」
そのまま立ち上がり、一歩後ろへ下がる。
彼女の瞳が揺れる。
逡巡しているのが手に取るように分かった。
しばらく無言で待っていたが、一向に答えは返ってこない。
潮時か……。
揺れていた瞳が下へ向けられ、そこに私を映さなくなった。
無言の拒絶と受け取った私は、踵を返して歩き出す。
「待ちなさい!」
背中へ届く非難の声に足を止めた。
「どうかしたか?」
「どうもこうも、わたしはまだ答えてないでしょ! 勝手に決めつけないでちょうだい」
肩越しに見えた彼女の表情は、怒りよりも悲しみに映った。
後ろ髪を引かれたように、私の足は先へ進めない。
そんな心の内を知ってか知らずか、彼女はどこか嬉しそうな声音で高飛車に宣言する。
「あなたが一緒にいたいって言うなら、ついてってあげてもいいわよ!」
精一杯の見栄を張る幼子。
その姿がどこか可笑しく、愛おしくもあった。
「……そうだな、貴様と――いや、クレナと共にありたいな」
「――そう。なら、一緒にいてあげる」
すまし顔で素っ気なく答えるクレナだったが、赤い頬は隠せていない。
彼女へ恭しく手を差し出すと、上機嫌でその小さな手を重ねてきた。
仄かな温もりを感じながら、私は心の内でそっと呟く。
「……恩を仇で返して申し訳ありません、陛下」
届くはずのない言葉。
闇夜の静寂がゆらりと揺らめいた気がした。
◆◆◆
その日から、私とクレナの奇妙な共同生活が始まった。
私が彼女に魔法を教え、彼女が私に人の心を教えてくれた。
彼女にそんな気はなかっただろうが、一日一日の何気ない特別な日々が、私の渇きを潤してくれる。
彼女の成長が、彼女の喜びが、彼女のその望みが、私に確かな息吹を齎した。
呪いのような「魅了」は、成長と共に自らの術となり、彼女の制御下に置かれる。
誰が嵌まり、誰が抗っているのか具に把握できると彼女は話していた。
私は対象に入っているのか? と、何気なく尋ねていたあの頃が懐かしい。
いつの日からか、怖くて聞くことができなくなっていた。
言われずとも、聞かれずとも分かり切ったことだ。
それでも気付かぬふりをして、蓋をして知らぬ存ぜぬを貫いているのは、彼女も同様だった。
今の師弟のような、親子のような、兄妹のような、ぬるま湯に浸かった状態が一番心地よく、その関係が崩れることを互いに恐れていた。
いつしか「魅了」の話を避けるようになり、彼女の口からも告げられることがなくなっていた。
そんな穏やかな日が続いた、とある冬の夜。
彼女が思いがけない心境を垣間見せた。
「――ねぇ、そろそろわたしたちのお城が必要じゃなくて?」
「城? そんなもの、要らないだろう。今あるこの家で十分だと思うが」
今二人で住んでいる小さな家は、私が英傑として稼いで得た給金で購入した物だ。
「十傑」の一員として名を連ねてからは、さらに大きな家に越すことも考えたが、長く住んで思い入れのあるこの場所を手放す勇気が私にはなかった。
そんな思いとは露知らず、クレナは小さく首を振る。
「住むのにはね。でもね、わたしはあなたと二人だけの楽園を作りたいの。誰にも邪魔されることのない、静かで素敵な楽園をね」
「それは……、難しくないか? どこかの森に移り住むとして、衣食住は何かと不便するだろうし、魔獣の脅威のない森など、それこそ国が管理していると思うのだが」
次に彼女の発した言葉に、私は耳を疑った。
「そうね。――だからこそ、わたしたちに尽くしてくれる下僕が必要だと思うの。文句も何も言わない、忠実なるしもべがね」
思わず顔を顰める。
身を寄せる彼女には悪いが、流石に頷けなかった。
「だが、それは――」
「わたしには都合のいい魔法があるでしょう? それで手駒を増やせばいいのよ」
反論しようとした私の口へ指を当てると、潤んだ瞳を向けるクレナ。
その淡い紫の奥底に、いつもと違う色を発見した。
……どこで歯車が狂ったのか。
久しく見ていなかった昏い闇が、その瞳の奥で燻っていた。
彼女と出会いたての頃はよく見ていたそれは、薄れて消えたのではなく、胸の奥深く、私の影響が及ばない更なる深みで熟成され、雌伏の時を過ごしていたのだった。
「……復讐、なのか?」
「そんな野暮なことじゃないわ。ただあなたと一緒に理想郷を築きたいだけよ」
その愁いを帯びた表情が、私の胸に鈍く突き刺さる。
同時に、泣きそうな彼女の瞳が、それ以上の錘となって私に伸し掛かる。
「……だって、あなたを好き勝手できるのは、わたしだけじゃないと嫌なの」
小さく呟かれた言葉が決定的だった。
伏し目がちに零された彼女の心は、触れ合う距離でも聞き逃しそうなほどだった。
この暗がりでなければ、きっと私には届かなかっただろう。
「分かった、君の好きなようにしなさい。私はそれを全力で支援する」
「ほんとう!?」
咲き誇る花弁は、まるで羽休めをする鳥すら吞み込むほどで――。
私はずっと彼女に絡め取られたままだった。
「――あぁ、勿論だとも。我が愛しの姫君」
誓いの接吻を彼女へ落とす。
彼女はうっとりとし、それを慈しむよう目を細めていた。
その日を境に、彼女の――私たちの野望が産声を上げた。
――たとえ砂上の楼閣であろうとも、光ある限り、私が如何様にでもして見せると心に誓って。
◆◆◆
「ねぇ、聞いてるの? ジョサイア」
過去に思いを馳せていた私の元に、主の声が届く。
私は小さく笑みを湛え、柔らかく目を細める。
「勿論だ、クレナ」
口を尖らせる彼女に顔を重ねる。
目を白黒させたのも一瞬で、すぐさま目尻が緩む。
愛おしい姫の姿を確かめながら、私は決意を新たにする。
――「無影」ジョサイア・ショウとして、その全てを彼女へ委ねて。




