70話 ありえた過去、ありえない未来 -中-
※前話の続きとなっています。まだの方はそちらをご覧になってからお読みいただくことを推奨いたします。
※今回だけ、登場人物のルビを毎回振っています。恐らく無いと読み方が不明かと思いましたので。
「……はぁ、嫌になる」
目を通し終えた手紙を燃やした男性がため息をつく。
「どうされましたか?」
「――仕事が入った。後のことは任せる」
彼の愚痴が耳についた女性が尋ねると、表情を引き締めて席を立つ。
そのただならぬ雰囲気から何かを察し、恭しく頭を下げて見送る。
手にしたマントを羽織り紫の長い髪を靡かせながら、彼は二、三言づてを残し、部屋を去る。
残された女性は、決められた指示に従っていそいそと仕事を開始した。
彼の空席が、いつにない胸騒ぎを掻き立てながら……。
◆◆◆
準備を整えて出発したその男性は、配下の一人を伴って目的地へ赴いていた。
そこには先客がいるらしく、人影が二つ佇んでいた。
「よう! 久しぶりだな、マルキダエル」
「千年ぶりですね、クラトル」
旧知の仲らしく、二人の男性は握手を交わす。
紫髪の男性――クラトルは、目の前の金髪碧眼の男性――マルキダエルへ新顔の紹介をした。
「こいつはタルウィ。俺の配下の中で一番腕の立つ奴だ。次期魔王候補でもある」
「そうなのですね。――私は天使長のマルキダエルと申します。そちらには大変優秀な方が沢山いらっしゃって、羨ましい限りです」
紹介された青髪の女性へ握手を求めるマルキダエル。
タルウィは恐縮しながらそれに応じ、ちらりと彼の隣にいた女性へ視線を向けた。
「お前のとこだって人材は豊富だろうに。そっちの彼女も熾天使になってんじゃないのか?」
マルキダエルの謙遜を揶揄うクラトル。
それに対して注目を向けられた女性は、僅かに頬を上げて得意そうに耳を動かしていた。
「そうですね。ウェルキエルは補佐として、十二分な働きを見せていますからね。私のもっとも信頼する天使の一人ですよ」
さらに頬を上気させて嬉しさを爆発させるウェルキエル。
そんな分かりやすい反応に、クラトルとタルウィは苦笑を零していた。
「とはいえ、貴方も知っての通り、天使は常に人手が足りないですからね。今もこうして連れて来られるのは一人で精一杯ですよ」
「うちも似たようなもんだな。先の一件で一気に『穢れ』が噴出しやがったから、浄化の手が足りん」
互いに組織の長として苦労を分かち合うだけに、今回の仕事には辟易としていた。
その仕事内容とは、英傑たち――人類の手に負えない逸脱者の排除だった。
「……一足飛びにできないもんかね」
「仕方ないですよ。『盟約』の取り決め自体、こんな状況を想定していないのですから。本来であれば我々が赴くことそのものが異例ですから。その中の更に例外なんて、当時も今であっても想像がつきませんからね」
過去の責任者たちをぶん殴りたいと愚痴るクラトルをマルキダエルが窘める。
彼の気持ちは痛いほど理解できていたが、これも仕事の内と、形だけでも契約の履行をすればよいとの考えを漏らしながら。
「そもそも、未完成とはいえあいつの権能ですら太刀打ちできないんなら、俺らが束になったところで勝ち目は薄いだろ」
「彼が手心を加えたかもしれませんよ?」
「本気でそう思っているのか?」
「いえ全く」
会話をしながらも、新の目的地へ向けて歩みを進める四人。
二人が先行して歩き、その後ろを補佐の二人が無言で付き従う。
軽口を叩く二人とは裏腹に、女性陣の顔には緊張と不安がありありと浮かんでいた。
「ちなみに鍵は持ってきましたか?」
「置いてきた。お前は?」
「私もです。さすがにそこまでの準備は間に合いませんでしたし、使った後が大変ですからね。少々骨は折れますが、今ある力だけで戦うつもりですよ」
肩を竦めるマルキダエルに、クラトルも賛同するよう頷いた。
そこからも他愛のない会話が続く。
知己があるといえど、互いに気軽に会えるような身分ではない。
短いながらも久方ぶりの語らいに花を咲かせ、胸の憂鬱さを誤魔化すように明るげな雰囲気を醸しながら歩みを進めていった。
最終地点を目前に控え、二人の足が止まる。
そこはちょうど崖の上。眼下に広がる森林が見下ろせる高台だった。
「……あの先に、目的の対象がいるのですね」
タルウィの呟きが皆の耳をくすぐる。
それに答えようとして、思わずクラトルは舌打ちをした。
「――ちっ、話と違いすぎだろ。あれはどう見ても俺らの手に負えない代物だぞ」
顔を歪め、吐き捨てた彼は、遠くの一点を睨みつける。
マルキダエルも思わず手を口に当て、目を細めていた。
二人の態度の変化に気付きながらも、なんのことだか理解が及ばないタルウィとウェルキエルは、困惑して互いに視線を交わしていた。
「……そうですね。当初は軽く戦って即撤退すればよいと思っていましたが、果たしてそれを許してくれますかね……」
そもそもの話、二人とも本気で戦おうとは微塵も思っていなかった。
天界や魔界を統べる彼らが地上界で本気を出そうものなら、周辺の被害は目も当てられない状態となるのは必至だった。
いくらそれで対象を倒せたとしても、地上界を荒らしてしまうのは本末転倒だからだ。
「マルキダエル、界を隔てながら戦えるか?」
「できなくはないですが、それでは出力が足りなくなりますね。クラトルもですよね?」
「当たり前だ。お前らと違って自分の分しかないんだからな。……こんな事なら、持ってくればよかったな」
「あったとしても、下手に使ったら二次被害がとんでもないことになりますよ。それなら最初からもっと人を集める択を取りますよ」
どちらにしても被害や影響が甚大だとマルキダエルが嘆息した。
「……無難なのは、構成はこっちでやって維持をタルウィとウェルキエルに任せるってとこか」
「それしかないでしょう。そのうえであまり界に影響が残らない戦い方をする、ですね」
「難しいことを言う」
それでも否定しないのは、それ以外に方法がないから。
あくまで自分たちは威力偵察に努め、後のことは次に任せようと決めた。
方針が固まり、それぞれが準備に入った。
クラトルはその場で座禅を組み、瞑想を始める。
マルキダエルは軽く手足を回し、体をほぐす。
タルウィとウェルキエルはそれぞれが羽を広げ、タルウィは角を、ウェルキエルは光輪を頭上に生じていた。
「準備はいいか?」
いつの間にか角を生やしたクラトルが、皆に確認を取る。
マルキダエルも光輪を浮かばせ、力強く拳を握り締めて構える。
女性二人は無言で小さく頷き、意思表示した。
「それじゃあ――」
彼の言葉はそこで途切れる。
崖の縁にいた二人と女性二人の間に、音もなく白髪の少年が立ち尽くしていた。
魔法の兆候や空気の揺れもなく、人の気配すら希薄だった。
しゃがんでいたタルウィとウェルキエルには、髪に隠されたその少年の表情を捉えることができていた。
生気もなく感情のない顔が、彼女たちの後ろ、どこかの虚空を眺める。
その瞳は幽鬼のように翳が落ち、紅が僅かに紫紺で侵食されていた。
◆◆◆
轟音と土煙が周囲へまき散らされる。
背後を取られた瞬間、一も二もなくマルキダエルが振り返り、その拳を振り下ろす。
振り抜くのと同時に、クラトルが二人を抱えてその場から飛び退いた。
「――クソッ、最悪だ!」
悪態をつきながら二人を遠くへ放り投げる。
そのまま自身は反転し、再び座禅を組んだ。
「お前たちは離れてろ! 絶対手は出すな!!」
返事も待たず、全身から黒いオーラを放つクラトル。
ぶつぶつと何かを呟き、名前を呼んだ。
「――マルキダエルッ!!」
「ありがとうございます!」
その黒いオーラがマルキダエルを包み込む。
間髪入れず、土煙へと飛び込んだ。
再び轟音が鳴り響くと、その中から二人の人影が飛び出して来る。
鋭い拳のラッシュを、後退しながらすべて躱す少年。
木々は倒れ、地は陥没し、風は悲鳴を上げる。
威力もさることながら、その速度は音速を優に超える。
拳から繰り出される衝撃波でも、少年に手を掛けることは叶わず。
掠りもせず、ただゆらゆらと体を動かしていた。
その光景を尻目に、クラトルが印を変える。
腹の前でいくつか結ばれると、彼の体が宙に浮き、戦場を俯瞰できるようになる。
またしても印を変えると今度は黒い液体が流れ落ちる。
光を全く反射しないそれは、次第に大きな水溜まりとなって大地に染みを作る。
指を戦う二人へ差し向けると、渦となって襲いかかった。
迫りくる黒い牙。
当たる直前、マルキダエルが離れた。
黒に塗りつぶされるかに思えた攻撃は、無造作に振られた腕と炎に阻まれ、その場で足踏みをする。
燃え広がる炎は忽ち周囲を埋め尽くす。
事前に飛び退いていたから良かったものの、あと一歩でも遅ければ、その中にマルキダエルも呑まれていた。
「大丈夫か?」
「おかげさまで。……しかし、こうも発動が早いと厄介ですね」
マルキダエルの言葉にクラトルも頷く他なかった。
少年が放った魔法そのものは予想の範疇に収まっていた。
しかし、現れた時もそうだが、魔法の発動兆候がまったく捉えられず、いきなり繰り出される様は如何ともしがたい。
今回は直前の攻撃を打ち消すためと分かりやすかったが、今後もそうだとは限らない。ふとした拍子に放たれたら直撃を免れない。
「……こっちで多少は防げるが、あまり過信はするなよ」
「保険があるだけでも助かります」
再びいくつかの印を組む。
纏ったオーラの揺らめきが変わり、先ほどまでの荒々しさが鳴りを潜め、どこか落ち着いた雰囲気を感じられた。
マルキダエルも自身の拳を打ち付け、その身を仄かな白色で包み込んだ。
「補助はする。手数も増やすが、威力はそれほどない。お前がメイン火力だ」
「おや、本気でやるのですか。周囲の被害はどうします?」
炎の海に佇む少年を見据えながら、僅かに口角を上げるマルキダエル。
そんな彼に、クラトルは鼻を鳴らして答えた。
「――そんなもの、気にする余裕はない。向こうが本気を出す前にケリをつけるしかないだろう」
それもそうかと、小さく息を吐く。
後始末には目を瞑り、マルキダエルはゆっくりと構えを取る。
クラトルも、体勢を崩さず印を結び直した。
燃え盛っていた炎の勢いが減じる。
それを合図に三人は動き始めた。
初手はクラトル。
足元に広がる水溜まりが湧き上がり、大きな湖を形成した。
いくつもの渦が伸び、少年へと殺到する。
瞬く間に姿を消し去りながら躱し、時折炎や氷、雷で相殺していく。
激しい魔法の交錯の中、その合間を縫うように移動したマルキダエルが、拳から衝撃波を放つ。
ノーモーションの一撃は、僅かに彼の体を掠める。
空中で体を捻った少年は、身を翻して彼へ爆炎と雷鳴を浴びせかけた。
それを横へ飛びつつもう一方の拳で威力を殺しながら、マルキダエルは少年と距離を詰め寄る。
再び拳の応酬が始まった。
先ほどまでとは比にならない速度と威力が少年を蝕む。
その合間合間にも、いくつもの魔法が飛び交っていた。
時には渦潮、時には泥の鞭、時には粘着する黒煙と、多彩な魔法が少年を襲っていた。
そんな攻撃と同時に、湖の中から人間大の泥が浮かび、人の姿を露わにする。それは少年に齧りつくマルキダエルにそっくりで――。
都合五体の泥人形は、真っ直ぐ少年へと向かっていった。
流石にそこまで手数が増えると対処しきれなくなる少年。
致命傷はないものの、生傷が少しずつ刻まれていく。
飛び交う色とりどりの魔法と掌底は、徐々にその数を減らしていた。
そろそろ畳みかける頃合いだと、クラトルは印を変える。
――それが、命運を左右した。
次の手のために準備をしていた彼の元へ、目を疑うほどの魔力の奔流が押し寄せる。
急に重力が数倍になる錯覚を覚え、呼吸も重くなる。
驚愕で一瞬手を止めたが、すぐさま根性で残りの印を組み続けた。
最後に手を鳴らして泥を掬った時には、盟友のマルキダエルが腹を貫かれて吐血している姿が目に飛び込んできたのだった。
「――マルキダエル!?」
叫び声と同時に、彼の体が宙へと投げ出される。
慌てて近寄ろうとして、少年の姿が眼前へと迫っていた。
見開かれた両目は紫紺に染まり切り、クラトルを見下ろす。
その瞳には何も映らず、ただ昏く燃えるだけだった。
「――くっ」
咄嗟に掬い上げた泥で自身を覆う。
彼の視界が最後に捉えたのは、鋭く力を込められた少年の右の掌だった。
灼けるような熱が脇腹を襲う。
一瞬目も眩み、意識が飛びかけた。
僅かに上体を捻ったのは、半ば勘任せの行動だった。
「がはっ――」
遅れて血がこみ上げる。
急速に体の熱が奪われる感覚に襲われながらも、その目は鋭く前を睨みつけていた。
彼を取り囲んでいた泥が力なく落ちていく。
その御簾の向こう側には、自然体で佇む少年の姿があった。
「……流石に強すぎだろ。本当に人間か?」
荒い息を吐きながら、頭をよぎった疑問を口にする。
少年に反応は何もない。ただ遠くへと視線を向けるだけだった。
その先にいるのは、二人が連れてきた部下たちだけ。
最悪のシナリオが脳裏を掠めた。
(全滅だけは絶対に不味い。なんとしてでも、二人は生き残らせないと……)
失われる猶予の中で、クラトルは必死に考えを巡らせる。
何を考えているのだか分からない目の前の少年は、今は動きを止めたまま。
いつ動き出すか分からぬ状況では、距離の離れた彼女たちへ伝言を残すには、あまりにも遠すぎた。
活路を見出せぬ状況が一転したのは、あまりにも突然だった。
視界の端で何かが動いたと思った瞬間、少年を羽交い絞めするようにマルキダエルが取りついていた。
「――今のうちです! 二人を!!」
彼の言葉を聞いた途端、クラトルは身を翻す。
後ろを一切振り向かず、彼女たちの元へと一直線に駆け抜けた。
僅かに聞こえる肉の破裂する音。
それでもただひたすらに、前へと進んでいった。
タルウィとウェルキエルを視界に捉えると、クラトルは叫ぶ。
「――二人とも今すぐ退却しろ! 後のことは任せた!!」
その言葉を言い終え、マルキダエルの元へ戻ろうとした矢先、強烈な白い閃光が放たれた。
思わず足を止め、勢いよく振り返るクラトル。
その光の意味を理解するのに、そう時間を要さなかった。
「――ちっ!!」
盛大に舌打ちをし、その場で座禅を組む。
印を結びながら、まだ衝撃で動けない二人へ喝を入れた。
「――逃げる時間は俺が稼ぐ!! この先、何があっても振り返るな!!」
彼女たちは頭で理解するよりも前に、本能で悟った。
――自分たちの手に負える代物ではなかったと。
弾かれたように走り出すタルウィとウェルキエル。
彼女たちを背に、クラトルはふっと笑いを零した。
印を結び終わったとほぼ同時。
またしても音も痕跡も、気配すらなく少年が目の前に現れた。
少年の頬を伝う涙だけが、光を伴っていた。
鋭く睨みつけながら、クラトルは咆哮する。
「――これが最後の足掻きだ! 最後まで付き合ってもらうぞ!!」
瞳孔を目一杯開き、口元も大きく吊り上げる。
牙を剥き、口や目から血を流しながら、彼の体は泥のように崩れていった。
零れ落ちたその泥は、妖しく輝き真っ黒な泥の海を広げる。
忽ち海から泥の鞭や触手、泥人形が無数に湧き出る。
そのすべてが少年へと群がり猛威を振るう。
少年はそれらを躱しながら一つ一つ壊していく。
吹き飛ばされても、泥がある限り何度でも甦る。
壊せど壊せど終わりは来ない。
クラトルが命を賭してまで発動した泥の檻。
魔法で相殺しても、掌底で吹き飛ばしても効果が見られなかった。
範囲外へ出ようとしても、泥の海がしつこく付きまとう。
いくつか脱出を試みた少年だったが、結局は始めのように、ただひたすら対処していった。
解放されたのはそれから十数分後のことだった。
その時には既に二人の姿はなく、荒れ果てた森の中に佇む少年の姿があるだけだった。
目の前に広がる惨状を一瞥すると、少年はまたどこかへと歩き去っていった。
残されたのは未だ燻る木々と大地だけ。
その場に生命の息吹は何もなかった。
◆◆◆
「――伝言、ご苦労だった。後のことは我々に任せよ」
「……ありがとうございます」
静かに告げられた言葉に、小さくほっと息を吐く。
最後に再び恭しく礼をしたタルウィは、部屋から退出していった。
静けさがこの場を支配する。
居合わせた者全員が、しばしの間無言だったが、おもむろに一人の人間が口を開いた。
「――陛下、この度の相手ですが、一筋縄ではいかない様子です。御身自らの出陣はお考え直しくださいませんか?」
「ふむ、胡琳の懸念はもっともである。しかしな、今代の魔王と天使長二人掛かりでも倒せぬ相手だ。お前さんたちだけでは役者不足であるぞ」
「――恐れながら申し上げます。彼の二名は共に、能力を十全には発揮せぬまま倒れたとのことです。であるならば、我ら『影の騎士』の精鋭を持ってすれば達成も容易かと愚考いたします」
「筱慧よ。確かにあやつらは一部の能力を使わぬままだった。だとしても、最後は死力を尽くしてまで事にあたったのだ。それでも致命傷を負わぬ相手を侮るようでは、足元を掬われかねんぞ」
具申した二人の女性へ、理路整然と反論する妙齢の女性。
それに対して顔を曇らせながら、どうしても彼女を戦場へ赴かせたくない「影の騎士」たちは、無言のまま視線で意見を交わし始めた。
再び沈黙が訪れる。
それを破ったのは、壮年の男性だった。
「……でしたらこういうのは如何でしょう。陛下には『化身』にて参陣いただくというのは。本来のお力を遺憾なく発揮はできぬでしょうが、それでもおおよそそのまま行使いただけるかと。また、『化身』を傷つけられても御身には影響がありませぬから、私共の憂慮も晴らせるかと」
「……ふむ」
彼の提案に思案顔を浮かべる女王。
目を伏せ、熟考を重ねると、顔を上げて高らかに宣言した。
「よかろう。毅剛の案を採用し、それを基に委細を詰めるとしよう」
「「「はっ!」」」
全員が跪いて承諾の声を上げた。
そのまま日取りや人員の選抜、部隊の再編等について話し合う。
諸々の準備が整い、決行日になると、彼女たちは多くの同胞たちに見守られながら、陰の国ダフニを出立した。
なおその中に、女王陛下の姿はなかったという……。
◆◆◆
天使長と魔王が戦った戦場跡地。
そこに数人の男女の人影があった。
「……報告では聞いていましたけど、なんとも凄まじいですね」
目の前に広がる光景を見つめる胡琳が、そんな呟きを零した。
「確かに。ですが、このくらいなら私たちにもできます」
「そうは言っても~、危ないものは危ないんだよ~」
「脅威ではある――って、芳明! あなた、陛下になんてことをしているのですか!!」
胡琳の言葉に反応した筱慧だったが、振り返った先にいた芳明の姿に激怒する。
彼女は小さな少女を後ろから抱きしめ、その体に密着していた。
少女は落ち込んだ表情を浮かべ、その手は自身の胸に当てられていた。自分の頭の上に乗った凶器との格差に愕然としているのは、傍から見ても丸わかりだった。
「陛下って呼んじゃだめなんだ~。胡琳さんに怒られるよ~」
「いいから離れなさい! その無駄に大きな塊を乗せるだなんて、畏れ多いことを!」
「でもでも~、みんな、触ると喜ぶよ~」
「それは一部の変態だけです! どうしてそう、極端な意見を真に受けるのですか」
「え~? 筱慧ちゃんが羨ましいだけじゃないの~? 自分はないからって、人にあたっちゃだめなんだ~」
「――っ、このっ!!」
顔を真っ赤にし、芳明へ掴みかかろうとした彼女を胡琳が止める。
「はいはい、二人ともその辺で。この後一緒に戦うんだから、喧嘩しないの」
「まぁ、いつものじゃれ合いの延長ですからね。戦いになれば、二人とも息ピッタリになりますって」
「……ユージン、あまり希望的観測を述べるではない」
ユージンと呼ばれた男性を毅剛が窘める。
そうしている間にも、筱慧と芳明は言い争う。……というより、一方的に筱慧が詰め寄って芳明の肩を揺さぶっていた。それに伴って特徴的な体の一部も揺れ、さらに筱慧が涙目になるという負の連鎖に陥っていた。
なお、その間に少女が胡琳によって救い出されていた。
「……どうして『化身』は元の体のままじゃないといけないの。儀体は自由が利くのに……」
「ほら、紅一も落ち込まない。儀体じゃ一割も力を引き出せないでしょ」
脱線しまくる彼女たちを尻目に、男性二人は眼下の惨状を眺める。
「……流石、陛下が召喚されるだけありますね。こんな草木の一本も生えない状態になる攻撃を受けて、ピンピンとしているなんて」
「件の少年は呪詛の類はあまり効かぬと聞いた。それも敗因の一つだろう」
「相性ですか? だとしても、これだけ濃密なものに触れて正気を保てる神経がそもそもおかしいですって。あれって確か、本人に作用するんじゃなくて環境に作用するタイプの技って聞きましたけど」
ユージンの言い分に対する答えを、毅剛は持ち合わせていなかった。
「……何事もなければよいのだが」
まだ事態の収拾がつかない女性陣を眺めつつ、彼は遠く先を見つめていた。
◆◆◆
そこからさらに西へ進んだ森の中に、彼女たちの目的である少年が居座っていた。
自然に出来た倒木の椅子に腰かけ、顔を落としている。
彼の周囲には小鳥や小動物が集まり、彼自身が木の一部になったような様相を呈していた。
遠くから観察する紅一たちには彼の魔力や気配、敵意すらまるで感じない。
言われなければ気付かないほど、自然に溶け込んでいた。
「よく見つけましたね。教えてもらうまで分かりませんでしたよ」
胡琳の言葉に、皆頷いて同意する。
彼女たちからしたら、むしろなぜ見つけられたのかという疑問を抱いたほどだった。
本来の作戦では、荒れ狂う少年がこちらを捕捉次第襲ってくる想定の下、組み立てられていた。まさかここまで擬態しているなどとは考えもよらなかった。
どうするのかと、紅一に視線が集まる。
桃色の髪を僅かに揺らし、金の目を細める。
ややあって、ぷっくりとした唇をゆっくりと開いた。
「……まずは先制攻撃を仕掛けましょう。できる限り全員の全力の一撃を。私はその後、様子を見つつ追撃するつもり」
「それなら私が補助に回ります。私は攻撃より防御や補助のほうが得意なので」
「そうね、それでお願いするわ」
胡琳の提案を呑み、作戦の軌道修正を図る。
他に異論はないようで、各自準備に取り掛かった。
全員手を地面にかざすと、己の影からそれぞれの武具が生まれ出でる。
胡琳は錫杖、筱慧は蛇腹剣、芳明は扇子、毅剛は馬上槍、ユージンは円月輪だった。
紅一は何もなし。ただ彼女の周囲の影すべてを支配下に置く。
そこで何か反応を見せるかと思えば特になく。
そのまま胡琳が皆へ補助を回していく。
他四人は手にした武器に魔力を込めだす。
それでも反応は何もなし。その静けさが逆に不気味なまであった。
攻撃の準備が整う。
目配せして最後に紅一へ確認を取る。
「カウントの後、各自目標へ向かって攻撃すること。その後は各自の判断で行動するように、以上」
「私が数を数えますね」
胡琳が静かに数を唱えていく。
五から始めて一定のリズムを刻んで。
最後のタイミングで、握りしめた錫杖を打ち鳴らす。
忽ち漆黒の数々が少年へと襲いかかる。
鞭や風、槍に鉄輪――。
そのすべてが着弾し、一塊の黒い爆発となって姿を呑み込んだ。
響き渡る轟音と吹き荒ぶ衝撃。
固唾を呑んで結果を見守る時間は、終ぞ訪れなかった。
「――っ!? 全員、散開っ!!」
悲鳴に似た紅一の号令は、一足遅く。
突然彼女たちのど真ん中に現れた少年が、深紫の尾を引いてその場で旋回する。
その攻撃は全員の体を切り裂いた。
鮮血が飛び散る。
上半身と下半身が別々に飛び、その命の灯を容易く消し去る。
本来であれば、彼の周囲にいた皆全員がその末路を辿るところだった。しかし、少年が現れた途端、前へ飛び出した毅剛によって勢いを削がれ回転軌道も小さくなったことで、他の人たちは肉を切られた程度で済んでいた。
「毅剛――!?」
「――悲しむのは後です!! 今は目の前の敵に集中をッ!!」
胡琳の厳しい声が飛ぶ。
ハッとして動き出しが一歩遅れる紅一。
それを待ってくれるほど、目の前の少年は優しくなかった。
彼女へ迫る掌底。
寸でのところで蛇腹剣と鉄扇が間に合う。
僅かに後退した少年へ、ブーメランがいくつも投げ入れられた。
「――こっちだ! 化け物」
ユージンの挑発が鳴り響く。
魔力を込めた声に、少年は紅一を一瞥した後、ゆっくりと首をそちらへ巡らせた。
そのまま音も衝撃もなくユージンへ肉薄する。
少年の攻撃を、彼は必死になって捌いていく。
しなる蛇腹剣や注意を逸らす風の援護があったうえでそれなのだ。長くは保たないことは歴然としていた。
そんな彼へ胡琳の回復やバフが絶え間なく齎される。
苦しい戦況を注視しながら、彼女が紅一の元へと近づく。
「……紅一、さっきの彼の動き、どこまで追えましたか?」
「みんなの前に現れてから。森の中からここまでは、どうやって来たのか分からない」
彼女の意図を察して端的に答える。
答えを聞き、一瞬手を止めた胡琳。
すぐさま戻ったものの、表情は苦しげだった。
「……聞いてください。今、貴女の出せる最大火力を彼へぶつけてください。その時間は私たちが稼ぎます。その後、皆で撤退しましょう。紅一は『化身』の接続を切ってください」
「でも、それで倒せなかったら? 私の後はもういないんだよ」
「それは後で考えましょう。今は生き残ることが最優先です」
かなりギリギリの綱渡りを続けている現状では悠長なことをしていられないと、紅一の質問を切り捨てる。
どこか納得いかない様子の彼女だったが、胡琳は努めて優しく声を掛けた。
「――貴女は色々と背負い込む癖がありますからね。他の仙人の方に協力を仰いだっていいんですよ。あれはもう、一人が手に負える代物じゃなくなっているんですから」
「胡琳お姉ちゃん……」
「大丈夫です! 紅一ならきっとできますよ。なんたって、最年少で仙人になった自慢の義妹ですからね!」
振り向き、にっこりと笑う胡琳。
不安げだった紅一の表情が和らぐ。
それを確認すると、顔を正面に戻して催促する。
「さぁ紅一! 貴女の実力を見せつけるところですよ」
「私、頑張るね」
深呼吸して瞼を閉じる。
息を止め、知覚を研ぎ澄ます。
周囲の喧騒も、森の香りも、肌を撫でる風も、一切合切が遮断される。
しばしの時、暗黒が彼女を支配する。
それを胡琳は静かに見守っていた。
ふと、紅一の中で何かの兆しが訪れる。
黒の中に朧げな輪郭を伴って、徐々に浮かび上がった。
像を結んだそれを掴み取る。
次の瞬間、勢いよく目を見開き、その瞳を黄金に輝かせた。
両手を突き出し、両手のひらで円を作る。
「――『闇非ざるはその意味なし 黒ならざるはその価値なし 闇夜の底に深き眠れ』!」
彼女が唱え始めた途端、少年が弾かれたように振り向く。
「そっちへは行かせないッ!」
ユージンを筆頭に、少年をその場に縫い付けようと先ほど以上の苛烈さで攻め込む。
守りを度外視しながら、たった数瞬の時間を捻出するために。
彼らの奮闘は実り、少年の頭上に金色の入り交じった黒い何かが生まれる。
ダムに堰き止められたように空中で留まり、その時を待ちわびる。
「――ハッ!」
紅一が声を上げると、堰を切った勢いでその黒いものが一瞬にして降り注ぐ。
激しい魔力の奔流に、胡琳たちは堪らずその場で身を固めていた。
それは時間にして、数十秒の間続いた。
流れを終えた後には、深い大穴が眼前に広がり、少年の姿は見えなかった。
「――やった!」
小さく喜んだ紅一を余所に、胡琳たちは警戒を怠らなかった。
「……紅一、先に戻っていてもらえますか? 私たちは念のため、彼の死体を確認してから帰還しますので」
「えっ、でも、みんな一緒でいいんじゃない? さっきので彼は倒したんじゃ――」
紅一はそこで言葉を詰まらせた。
彼女の目は驚愕で見開かれ、その瞳には傷だらけになりながらもまだ息のある少年の姿を映していた。
「――うそ!? あれを受けてまだ生きているの!?」
「――っ、早く接続を切って! じゃないと手遅れになる!」
胡琳が言葉を発している間にも、ユージンは首を刎ねられ、芳明の胸に風穴が空いていた。
「でも、みんなが――」
「いいから! 早く!!」
声を荒げる胡琳に驚いて、肩を震わせる。
彼女はすぐはっとして振り返り、紅一を見つめて儚げな笑みを浮かべた。
「――貴女は生きてください。皆のためにも」
「まっ――」
紅一の言葉は続かない。
すでに筱慧も血溜りに臥し、残すは胡琳だけとなっていた。
吶喊する彼女の背を、歯噛みしながら見つめる紅一。
自分が残っていたところで、最早何もできない。先ほどの攻撃で力の大半を使い切ってしまったのだから。
彼女たちの死を無駄にする訳にはいかないと、断腸の思いで接続を切る。
数秒後、意識がゆっくりと元の体へと戻るはずだ。
次第に薄れゆく意識の中、倒れる胡琳の満足げな表情が胸を突く。
最後の障害を排除した少年が、紅一の元へと肉薄する。
途切れる間際、彼女の目に最後に映ったのは少年の凶掌だった。
あと僅か、紅一の胸を貫く寸前、物言わぬはずの死体が彼の動きを阻害した。
毅剛から始まり、胡琳に至るまでの体が少年の四肢に絡まり、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
その一瞬が命運を左右した。
彼女の意識が途切れたと同時に、少年の掌底が胸を貫く。
沈黙した「化身」と、彼女たちの死体を見下ろした少年は、しばらくその場に留まっていた。
彼が動き出したのは、それから小一時間ほど後だった。
少年が去った後には、死体の一つも残っていなかった。
◆◆◆
意識が覚醒し、ぼんやりとした頭が働きだす。
紅一がおもむろに目を開けた途端、胸に衝撃が走った。
「――はっ!?」
ベッドで上体を起こし、胸に手をあてる。
信じられない感触に、動悸が早くなる。
意気も浅く吐きながら、震える手で己の体を確認する。
「……良かった、なんともない」
彼女が驚いたのには理由があった。
本来であれば、「化身」の損傷は本体に跳ね返るはずがないのにも関わらず、彼女が目を覚ました途端、少年に胸を貫かれた感触が襲ってきたのだ。
折角、胡琳たちによって繋がれた命のはずなのに、こんな意味の分からぬことで失うなど、紅一には耐えられなかった。
ゆっくりと水を飲んで落ち着いた後、再び体に異常がないかと探る。
結局、普段と変わらず正常だったものの、受けた痛みや衝撃は計り知れない。
落ち着きを取り戻した頃になって、胡琳たちの死が彼女の心を蝕む。
「……胡琳姉、筱慧、芳明、毅剛、ユージン……」
居なくなった彼女たちの名を一人一人噛みしめながら、その日は悲しみに暮れた。
それ以降、影の国では少年に対する接触を固く禁じるとの厳命が下された。
というのも、五人の死を受けて、せめて死体だけでもと捜索隊を出そうとした矢先、彼女たちの遺体が綺麗な状態で城内に送られてきたのだ。
届け人もいなければ、なんのメッセージも添えられていない。
誰の仕業なのかは言うまでもなかった。
――いつでもお前を殺せるぞ。
紅一は、そう、言われたような気がしてならなかった。
予定より、三割増になってしましました……。
この調子だと、下も似たようになるかもしれません。
……文字数、多すぎたらさらに分割するかもです。
その時は翌日の12時に上げますので、少々お待ちくださいませ。




