69話 ありえた過去、ありえない未来 -上-
一部の人の名前を異名表記にしています。
今後登場予定なのですが、初出がここはちょっと可哀想かと思いましたので。
聖法歴1021年8月14日
ソール連邦のとある孤児院は、世間のざわめきとは裏腹にしんと静まり返っていた。
時間は真っ昼間だというのに人の気配はほとんどなく、静謐な空気が漂う。
その中にあって唯一動く人影がいた。
未だ幼さを残す彼女の腕には小さな水桶が抱えられており、先ほどまで泥のように眠る少年の看病をしていたのだった。
そんな少女が孤児院の異変にようやく気付く。
日頃の練習の賜物か、抱えたものを捨て去りすぐさま警戒の構えを取る。
驚かすのは今回の趣旨には合わないため、ゆっくりとその姿を彼女の前へと晒した。
「――初めまして、少女ニネット。君に話があって、迂遠な手を取らせてもらったよ」
「……誰?」
淡く鋭い瑠璃色が向けられる。
幼い顔に険が走る。
それに構わずおどけてみせた。
「警戒するのは分かるけど、今はゆっくりと話さない? 時間は比較的余裕があるのだから」
「――誰って聞いてるの。みんなはどこ? 無事でしょうね?」
語気は強いが、気丈に振る舞っているのは明らかだった。
握りしめた拳は震え、唇を横に引き結んで不安を取り繕う。
こんなところまで真似しなくてもいいのに、流石、彼の背中を見て来ただけはある。
「他の子たちは今も元気に遊んでいるよ。君だけこっちの空間へ招き入れただけだからね」
優しく告げると小さな安堵を零すニネット。
そんな態度を微笑ましく見つめていると、僅かに頬を染め誤魔化すように顔を顰めた。
「……誰って質問には答えてないけど?」
「あはは、そうだね。……うーん、教えてあげたいのは山々なんだけど、そうもいかなくてね」
下手な名乗りは歪みを生む。
記録の残滓とはいえ、今この瞬間を悟られる訳にはいかなかった。
こういう時、他の皆のような断片があれば良かったのだが、生憎とそれは適わない。
少々婉曲的だが、多少は心を許してもらわないといけないのだから、仕方なしに自己紹介をする。
「私のことは、君のよく知る女性の知人と思ってくれると助かるかな。知人の野郎ってところで」
「……馬鹿にしてるの?」
反感を買ったようだが、小さく首を振って否定する。
「残念だけど、私は力ある人の名前も呼べないんだ。因果の軛を解き放つ訳にはいかなくてね」
苦笑しながら申し訳ないと手を合わせて謝ると、ニネットは複雑そうな顔をしながら考え込む。
賢い彼女のことだ、何をすればいいのか自ずと理解するだろう。
ややあって、予想通り彼女は思いつく女性の名を挙げ連ねていった。
「……ドミニクさん?」
「違うかな」
「じゃあカイラさん」
「それも違う」
「それならメイジーさん」
「残念」
次々と口にする中で、とある名前が告げられた。
「じゃあ、ヴェロニカさん」
「……」
無言でゆるりと微笑む。
否定も肯定もしない。だが、今までの流れからすなわち答えが導き出された。
「……そうなんだ。でも、それならなんでわざわざ遠回りなことをするの? 普通に会いにくればいいのに」
「それもさっきと同じ理由かな。君だけに会うためには、彼が眠っていないと成立しないからね」
その一言で、ニネットは再び怪訝な表情を浮かべた。
「というのも、これから話す内容は、君が今後取るべき行動へのアドバイスなんだけど、他言無用――特に彼には内緒にしないといけないからね」
「どうしてなの?」
もっともな疑問に、指を唇に立てたまま口角を吊り上げる。
身に纏った雰囲気が一変したことに気付いたニネットが、その身を強張らせた。
それに構わず、厳粛な態度で言葉を紡いだ。
「――未来が変わってしまうからだよ。これから見せる“想定された未来”を知れば、君も納得してくれることだろうね」
じっと彼女と視線を交錯させる。
未だ警戒と疑念が渦巻く少女だったが、揺るぎない眼の前に「見るだけなら……」と渋々ながらも折れてくれた。
口を尖らせた彼女へ感謝を告げながら、これから披露する内容を仰々しく語った。
「今から示すのは、とある少年の生き様を綴った物語。ボタン一つの掛け違い、たった一つの失敗から起こり得る、可能性のお話。私の星読みで見た、もしもの分岐点だ。――何があっても、絶望だけはしないでもらいたい」
いっそう眉をひそめる少女を無視して、情景を映し出す。
題目はそう――“堕ちた英雄の末路”だ。
◆◆◆
目の前には、地中深くまで続く穴が飛び込んできた。
ぴくりと眉が反応したのは、どこかで既視感を抱いたからか。
それでもニネットは最後まで場所を特定できず、降参していた。
「ここはどこなの?」
「君も知る場所だよ。……そうだね、今からだいたい一年ぐらい前になるかな。ちょっとした事件で関わったはずだよ」
それだけのヒントで気付いた様子のニネットは、その目を鋭くした。
「もしかして、アケル公国の……?」
「そう、君が攫われた後に監禁されていた街、ピエリスだ」
眉間に皺が寄る。
彼女もその後の顛末を知っていたからこその反応だったが、一つの勘違いをしていた。
「この大穴はなにも、監禁場所の話じゃないんだ」
「えっ……? まさか――!?」
始め、言葉の意味を理解できていなかったニネットだったが、次第に思考が追い付いたようで、その瞳を大きく見開いていた。
「そのまさか。この大穴は、ピエリスの街だったものだよ」
ニネットは絶句し、口をぽかんと開けていた。
それもそのはず。
直径数キロメートルにも及ぶ大穴は、そこが真っ暗闇で見通すことはできず、地の奥底まで繋がっているのではないかと錯覚するほどなのだから。
「付け加えて言うと、この光景は大地を穿って間もない頃の記録だ。この範囲にあったすべてのものは、須らく大地と共に消え去った」
「……これ、住んでいた人たちは非難させたんだよね……? お兄ちゃんがそんなこと、する訳ないよね……?」
聡いニネットは、何を伝えたいのか理解していた。
それでもなお、信じられない、信じたくないとばかりに希望的観測を口にする。……それが、どれほど無意味かと知りながら。
「答えは否だよ。彼は激情に駆られて、その一切合切を容赦なく消し尽くしたんだ。――事前勧告もなにもなく、ね」
「うそ……」
少女の瞳が揺れる。
顔には失意が浮かび、血の気も失っていた。
……きっと、何が引き金となったのかも把握していて。
「話はこれだけに留まらない。……これだけだったら、どれほど良かっただろうか」
小さな呟きは、彼女には届かなかった。
あまりの衝撃で動きを止めたニネットを余所に、場面を切り替える。
そのまま、国際法を犯し、世界を敵に回した彼の行く末を映し出していった。
◆◆◆
国際的に指名手配されたゼインが取った行動は、誰もが予想しないことだった。
普段から森で過ごしていた彼にとって、逃亡生活というのはそれほど支障がなかった。むしろ端から逃亡する気はなく、今までと変わらずソール連邦の森の中で静かに瞑想を行っていた。
理由は単純。標的を探していたためだった。
あの一件以降、諸悪の根源である悪魔たちを探すべく、日がな一日大陸中へ魔力を飛ばして捜索を続けていた。
自分の居場所を大声で叫び回るような行為だったが、周りの目なんて一切気にせず行う。それに伴って、彼を捕らえるべく動いた人々もいたが、そのすべてを返り討ちにしていた。
悪魔を見つけ次第、そこへ強襲を仕掛けて討伐する。その姿から、“悪魔狩り”の異名で彼らから恐れられていた。
そんな毎日が数か月続いた頃、ゼインの瞼がゆっくりと開かれる。
双眸は紫紺に染まり、頬を涙が伝う。
普段は紅の瞳が変化し、緩慢な動きで立ち上がる。
そのまま首を巡らせ、体もほぐす。
上げられた顔は能面のようで、なんの感情も宿していなかった。
一瞬で体が消え失せる。
次に姿を現したのは、多数の悪魔が集う秘密基地の前だった。
「何者だ!!」
手前にいた悪魔が誰何する。
一瞥だけしたゼインは、視線を目に付く相手すべてへと向けた。
その中で一人の悪魔を捉えると、重苦しいまでの魔力を迸らせる。
「――見つけた」
途端、言い表せないほどの悪寒に襲われた悪魔たち。
すぐさま臨戦態勢を取るも、瞬く間にその場は地獄絵図と化した。
爆炎が降り注ぎ、氷河は足を縫い留め、雷鳴が肉体諸共つんざく。
建物の中にいた彼らの首領たちも、騒ぎを察知して表へその身を晒す。
「何事だ!?」
「襲撃です! あの要警戒人物が単身攻めてきました!!」
その一言と目に飛び込んできた惨状ですべてを察した首領は、すぐに数人の名を呼んだ。
「マルバス! フォカロル!」
「ダメだ! こっちの魔法が効かない!」
「俺も焼け石に水だ!」
言われるまでもなく対峙していた彼らは、叫び声に悲鳴のような声で返す。
歯噛みしつつ、他の人へ意識を向ける。
「セーレとシトリーはどうだ!?」
「ここ一帯を取り囲む空間魔法の所為で転移できない! 撤退は不可能だ!」
「私もよ! 用意していた手駒を呼び出せないわ!」
「くっ――」
未だ準備半ばといえど、それなりに戦力が整っている中での強襲。
不意を突かれたとはいえ、ここまで一方的になるとは思いもよらなかった。
「悪魔狩りがこれほどの力を持っているなぞ、予想だにしていなかった。障害はオーギュストぐらいだと思っていたのに……」
明らかに尋常ならざる様子で佇むゼイン。
そんな彼の顔には憤怒と絶望が入り交じり、目から光は失われていた。
上級悪魔を凌駕する実力をまざまざと見せつける彼を前にして、悪魔たちは敗戦濃厚な苦しい局面に晒される。
「躊躇う必要ない! お前さえ生き残れば、我々の勝ちなのだから!」
暗に自分たちを切り捨てろと叫ぶ側近に、顔を歪めながら首領は決断を下した。
「皆、私の元へ集え! その身、その力、我が糧として永劫の勝利を見せよう!!」
号令一つで、残っていた悪魔たちが次々首領の元へと集まる。
彼ら彼女らに対し手をかざしていくと、彼らの体が光の粒子となって消え、首領の体に吸い込まれる。
その光景を黙って見つめるゼインは、残った悪魔を平らげるまで見届けた。
首領ただ一人になると、すぐさま全身に力を巡らせる。
膨張し、肥大化し、角も生える。
「滾る! 力が漲るぞ!!」
悪魔の姿に変じた首領が哄笑する。
獰猛なその眼差しは小さな少年を捉え、口からは凶悪な牙を覗かせていた。
魔力は人の姿の時の十倍にも及ぶ。
それを前にしても、ゼインの態度は変わらず仕舞いだった。
「――もう用済みだ」
再びゼインの魔力が迸る。
先ほどまでとは比にならないほど濃密で重々しい魔力に、首領も思わずたじろぐ。
「ガハッ――」
気付けば己の胸を貫く小さな腕があった。
動いた瞬間も、攻撃の一振りも、あまつさえ接近にも気付けなかった首領は、ただただ吐血して己の無力さを噛みしめていた。
「お前は、一体――」
「――お前の罪をその身で贖え」
腕が抜き取られた後には紫炎が残り、首領の身を苛んでいた。
彼の絶叫は、誰にも届くことはなかった。
ゼインが掌を向け握り潰すように閉じると、彼の姿はその場から消え去った。
後には何も残らず、ただ先ほどまでの魔法の痕跡が広がるだけ。
ゼインの頬を伝う涙は止めどなく。彼の瞳は濁り切っていた。
そんなゼインは、惨状を尻目にその場を去る。
彼が振り返ることは決してなかった。
この悪夢を引き起こした首領の最後は呆気なく。
飛ばされた先は次元の狭間という、時間も空間も不安定で、迷い込んだら抜け出すことがほぼ不可能な永遠の牢獄だった。
そこをただひたすら漂い、紫炎に焼かれる責め苦を味わい続けることとなった。
――この世界が終焉を迎える、その時まで。
◆◆◆
人知れず元凶を壊滅させたゼインだったが、指名手配犯というレッテルは相も変わらずだった。
そんな彼は孤独に森の中でじっとしていた。
……生きる目的もなく、ただ生を浪費するだけの置物として。
誰にも迷惑を掛けず、誰とも関わることもなく、ただひっそりとその場に居座るだけの存在。
それが破られたのは、悪魔たちを壊滅させてから約半年後のことだった。
静かに目を瞑るゼインの元へ、「十傑」たち九人と、名だたる数多の英傑たちが集う。
場所はソール連邦のとある森の麓。
森と大地の隔たりが、彼らの見えない壁のようだった。
ゼインと対峙する人だかりの中から、一人の男性が歩み出る。
滅多に見ないほどの煌びやかな衣装を身に纏い、神々しさすら感じさせるその人は、今作戦の総司令官にして総責任者のセオドアだ。
彼が森の手前で立ち止まると、柔らかな声を上げる。
「……ゼイン、今からでも遅くない。投降しないかい?」
告げられた言葉は次第に震えていた。
それは恐怖によるものではない。彼の今の状態を見て、思わず噴き出した感情を抑えた結果だった。
今のゼインは瞳に生気が宿っておらず、ただ茫然と虚空を見つめているだけ。力なく岩に身を預け、意識がないのかと錯覚するほどだ。それでいて顔には失意の念がありありと映し出され、見ている側が苦しくなるほどだった。
以前の彼を知るセオドアにとって、変わり果てた少年の姿はあまりにも痛ましく、直視できないでいた。
そんなセオドアの気持ちを露知らずに、ゼインの目がゆるりと動く。
対峙する相手がセオドアと分かると、おもむろに立ち上がり、指を向ける。
何をするのかと固唾を呑んで見守る中、大地に鋭い一閃が走った。
「そこから一歩でも近づいたら敵対したとみなす。誰だろうと容赦しない」
それは、ゼインからの最後通牒だった。
線はセオドアの一歩先で横に長く引かれていた。
明らかに後ろの英傑たちも加味した行動。三十人を超える人数に対しても、歯牙にもかけない振舞いに、多くの人たちの顔が曇る。
それでも侮った様子がないのは彼の実力を買っているから。少なくとも、単身で街一つ滅ぼせることは分かっていた。
「……君を害するつもりはないんだ。ただ罪を償って、一からやり直そうと――」
「無理だろ。俺に魔法が効かないんだから、潜在的な恐怖は残り続ける。誰もがお前みたく能天気じゃいられない。あるのは生きるか死ぬかだけだ」
「それでも――」
「――ほら、言った通りじゃない。あれは元から狂っているのよ。説得なんて無意味だわ」
セオドアの言葉を遮って女性の声が木霊する。
群衆の中から現れたのは、モノクロの日傘をさし、白いレースをふんだんにあしらった服装をした可憐な少女だった。
「……クレナ」
「捕まえたところでこっちの言うことを聞いてくれないなら、殺すしかないのよ。そもそもあなたも殺す気で来たのでしょう? だからそんな恰好までして」
彼女の指摘通り、セオドアの衣装は完全武装の法衣だった。彼の身を守るだけではなく、魔法の補助までしてくれる優れものだ。
セオドアとしては念のための装いではあったが、他から見ればやる気に満ち溢れているようにしか見えなかった。
「……」
二の句が継げぬまま、沈黙が訪れる。
彼の元へ歩み寄ったセドリックは、軽く肩を叩いて小さく頭を振る。
思いつめた表情のままだったが、彼は力なく項垂れた。
「異論もないみたいだし、そろそろ殺し合いましょ。ね、『悪鬼』さん?」
口を三日月に歪めるクレナは、蠱惑的というには足りないほどの妖艶さをまとっていた。
対するゼインは顔色一つ変えず、ただその場で佇んでいるだけ。
二人の視線が交わる中、次々と英傑たちが彼女と肩を並べていく。……ただ一人、セオドアを残して。
戦いの幕は、クレナから上げられた。
悠然と歩き、ゼインの引いた線をゆっくりと跨ぐ。
それを合図に各々動き出した。
数人の英傑がゼインとの距離を詰める。
彼の紅の瞳が四方八方へ動く。
そのまま正面に戻ると、瞬く間に大きく見開かれ、その両眼が昏い紫紺へと侵食された。
忽ち全員の足が止まる。
まるで重力が数倍になった錯覚と共に、重い魔力が周囲を包み込む。
その発生源たるゼインは、留めていた魔力を解放しただけ。これが今の彼の魔力量だった。
「うっ――」
あまりの魔力密度に耐え切れず、一人、また一人と失神する英傑が現れた。
比較的若手の英傑が大半だったが、それでも十年近く戦いに身を置いていた人たちだった。
そうであっても味方を守るべく動き出した英傑たちもいた。
その筆頭であるセドリックとゲオルグは、互いにカバーするような形で挟み撃ちをした。
「――はぁっ!」
「――ぬんッ!」
鋭く放たれた凶刃は、ゼインに届くことなく明後日の方向へと飛び去って行った。
後を追うように真っ赤な血が続く。
それは彼らの腕から吹き出したもの。一瞥されることなく半身を吹き飛ばされていた。
「――離れろッ!!」
叫び声で前衛の人たちがその場から飛び退く。
血まみれの二人も、痛みを堪えながら退却した。
忽ち降り注ぐ炎と光たち。
ウォーレンの魔法とメリオラ、ティルザの魔道具が視界を埋め尽くす。
轟音を立てて大地を揺らすほどの攻撃は、一瞬のうちに消え去った。
「ごふっ――」
「噓でしょ!? 全力の結界だったのよ!」
「こっちでも威力を弱めたはずだってのに、ありえないって!」
視界が開けた時には、ウォーレンが血を吹いて倒れていた。
彼の腹には炎の巨大な針が突き刺さり、その体を地に縫い付ける。彼の前には紫の障壁が張られていたものの、まるで紙切れの如く突き破られ、カメルの妨害にも炎の針はものともしていなかった。
メリオラとティルザの前には三人の英傑が立っていた。
セドリックと「双璧」の異名を持つ二人の英傑。彼らの体ごと、五人まとめて串刺しにされ、命を落としていた。
「くそッ――」
タリオンが全力の身体強化で殴り掛かるも片手で呆気なく止められ、割って入ったゲオルグと共に地面へ叩きつけられ全身の骨を折られる。
背後や死角からの一撃を放ったマヤと「無影」の攻撃も、すげなく躱され手足を吹き飛ばされた。
始まって間もないというのに、「十傑」も半数が落とされ、英傑たちも多くが機能不全となった今、戦いの趨勢は決したも同然だった。
そんな中において、一人だけ取り残されていたセオドアが、断腸の思いで力を行使する。
「……すまない、みんな。私の覚悟が足りなかったばっかりに」
唇を噛みしめた後、黙祷を捧げて深呼吸をする。
瞼を閉じ、再び開いたその眼は仄かな金色を纏っていた。
「――『Sacrifice of Orison』」
朗々と呟かれた言葉は空気を震わせる。
セオドアの周りに金の粒子が渦巻き、次第に彼の体を包み込む。
一つに纏まった後、音もなく周囲へ弾け飛んだ。
その粒子に触れた人々の反応は二つに分かれた。
一方は傷が癒え、欠損すら元に戻る。死に瀕した者であってもその瞳に輝きを取り戻していき、静かな吐息を漏らしながら目を閉じていた。
もう一方はというと、同じ金色の粒子となって砕けてしまった。
その数は全体の三割近くにものぼり、その姿を視界に捉えたセオドアは一瞬だけ悲しげな表情を浮かべたものの、すぐさま感情のない顔に戻る。
「死者は戻らないんだな」
「……この力にそこまでの能力はないのです」
硬い口調のセオドアに僅かな驚きを覚えつつ、ゼインは彼を睥睨する。
視線の交錯は一瞬だけ。
互いに片手を掲げて魔法を放つ。
片方は金色の光線を。
もう片方は紫紺の靄を放っていた。
せめぎ合いも一瞬だけ。
周囲へ眩むような閃光をまき散らしながら、決着がついた。
両者共にその場で立ち尽くす。
ただし、片方は肩から先を失っていた。
「……まさかこれほどの力を秘めていたとは思いもよりませんでした」
バランスを失って倒れ伏すセオドア。
彼が纏っていた黄金の光は弱々しく消え去り、彼の顔から血の気も失われていく。
止めを刺そうと手を上げたゼイン。
しかしそれは、耳をくすぐる声によって押し留められた。
「――もうやめて、ゼイン兄ちゃん!!」
涙を湛え両手を広げたユーグが、二人の間に割って入る。
その姿に、ゼインの指先が僅かに揺れた。
「どけ、ユーグ。そいつを始末できない」
「もういいよ、兄ちゃん……。そんな辛そうな顔で、これ以上無理なんかしないでよ!」
彼に指摘されてゼインはようやく気付いた。
――己の口元が何かに耐えるよう歪んでいることに。
自覚した途端、彼の手は自然とだらりと下がっていた。
「……」
目を伏せ、口を引き結んだ彼は、瞳の色を戻して踵を返す。
「――待って! ゼイン兄ちゃん!!」
慌てて引き留める声が掛けられるも、彼の歩みは止まらない。
一度も振り返ることなく、ゼインは森の中へと消えていった。
◆◆◆
「――大丈夫でしたか!?」
セオドアが目を覚ますと、メイジーが勢い込んで彼を覗き込む。
まだ頭がぼんやりとしていたが、己の重い体と激痛が、これまでに何があったのかと教えてくれた。
「……どれだけ、無事だったのかい?」
自分のことより、まず先に他人を心配する主の姿に腹を立てつつも、彼女は素直に生き残った人の名を伝えた。
「……半分も失ったのか」
「半分も救ったのです」
彼女の気遣いに苦笑を漏らしながら、セオドアは体を起こそうとする。
「いけません! 今は安静にして頂かないと」
「……先にやらなくてはいけないことがあるんだ。……彼らに、連絡を入れないと」
自らの身体に鞭を打って、己の役割を全うしようとする。
言っても聞かないのは承知の上だったが、それでもメイジーは彼を制止しようとする。
「……早めに手を打たないと、手遅れになってしまうからね」
とりあえず、メッセンジャーを呼んで欲しいと伝えるセオドアに、到着までは休んでくださいとメイジーに厳命され、再びベッドに横になる。
真っ白い天井を眺めながら、独り言ちる。
「……もうすでに遅すぎたかもしれない。彼らには申し訳ないけれどね」
ゆっくりと息を吐き、瞼を閉じながら愚痴を零す。
「……『盟約』というのも、考えものだね。今回みたいな時は、犠牲が増えてしまうのだから」
力なく呟いたセオドアは、メッセンジャーが到着するまで、苦しげな表情で眠りについたのだった。




