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68話 たった一人の激情劇

聖法歴1021年8月13日



 ――この日、世界に激震が走った。


 始めは誰もが鼻で笑い、真に受けていなかった。

 やれるものか、子供の戯言だ、世迷い言だと口を揃えて吐き捨てる。

 お人好しで知られるセオドアも、困惑のまま心配そうに引き留めていた。


「……本当にやるのかい?」

「もちろんだ」


 視線の先の彼は、それだけ言い残すと姿を消す。

 セオドアは執務室の椅子に深く腰掛けた。

 そのまま天井を見つめ、ため息交じりに愚痴を零す。


「……どうしたものかな。いくらなんでも()()()()だと思うんだけどね」


 そのまま机に置かれた書類に目を落とす。

 そこにはでかでかと”開戦通知”と書かれていた。

 相手はなんと、()()()()()

 それも、五つの国へ同時に宣戦布告をしたのだった。


 理由は越境行為と誘拐容疑、それから無辜(むこ)の民への武力行使という国際法違反によるもの。これらはすべて先日の孤児院襲撃に関するものだ。

 襲撃者の許可証(ライセンス)はすべて押収されていた。それらを確認したところ、今回宣戦布告された国々の軍人が混ざっていたのだった。


「確かに相手に非があるとはいえ、普通は相手へ抗議して何かしらの制裁を加えて終わりだと思うんだけどなぁ」


 制裁というのもほとんどが経済的ないし利権の一部譲渡など、穏便に済ませることが大半だ。即武力行使に出るのは滅多に聞かない。そのうえ、挑む相手が一人しかいないのは、これまでの歴史を紐解いてもただ一人として存在しなかった。


「彼に独自裁量権を持たせたのは間違いだったんじゃないかな……?」


 セオドアの疑問は誰にも届かない。

 この未来を予測できたであろう人は、現在行方を(くら)ませている。

 人の身であるセオドアには想像もつかなかった。

 ちらりと備え付けの時計に視線を向ける。

 長針がちょうど真上を差し、始まりの合図を軽快に鳴らす。


 今は午前九時。

 ――戦争幕開けだった。



 ◆◆◆



 午前九時、オンコバ国。


 ここはフラクシヌス帝国と国境を接する小国の一つで、南北に同じ小国に挟まれた中央の国だった。

 そこは放牧が盛んに行われ、首都近郊にも長閑な景色が広がっていた。

 今日も今日とて家畜の世話に励み、いつもの日常が訪れる、そう国民たちは考えていた。

 それが崩れたのは朝の早い時間だった。


 不意に空が明るくなる。

 昼にはまだ早いというのに、昼と見間違うほどの(まぶ)しさに空を見上げた。


「な、なんじゃありゃぁ――!!」


 驚き腰を抜かす男。

 彼の視線の先には、城壁を()み込まんとばかりに燃える()()()()()()が現れていた。

 何の前触れもなく現れたそれは、太陽の如く燃え盛り、いつでも降り注げると言わんばかりに滞留する。

 そのあまりの異次元さに、己の目を疑ったほどだった。

 遠目で見ていた人でさえそうだったのだ。街中にいた人々の恐怖は比べものにならない。

 宣戦布告を真に受けず、さしたる準備をしていなかった兵士たちは慌てふためくことしかできなかった。

 喉元に凶器を突き立てられたまま、最後通牒が言い渡される。


「――降伏か死か。お前らが選べるのはそれだけだ」


 少年の声が木霊する。

 多くの人々は理解できなかったが、国の上層部や一部の兵士たちはその声の主が誰なのか合点がいった。

 ……残念なことに、上へ下への大混乱の最中でまともな回答が返ってくるはずもなく。じっと待ってくれるほど、生易しくはなかった。

 十分も経たず再び響き渡った声に、城壁内部の人々は絶望した。


「――残念、時間切れだ」


 その言葉の後、小さな太陽が都市へと堕ちる。

 ゆっくりと迫りくる紅と熱気に、人々はただ天を仰ぎ見ることしかできなかった。


 城壁の一部に激突した途端、空高くそびえ立つ炎の柱が浮かび上がる。

 都市の半分を呑み込み、それでも余りある熱量が、徐々に形あるものを融解させていく。

 (あめ)細工のようにどろりと溶けていき、この街の象徴ともいえる高台にあった宮殿すら、窪地の底へと落としていく。


 そんな夢と見紛う光景を、唖然(あぜん)として見つめる人だかりがあった。

 数百メートル離れた小高い丘の上。

 唖然とした彼らの頬を押し寄せた熱気が撫でる。

 一部の人間は我に返っていたが、そのほとんどが現状を理解することを頭が拒み、ただ呆けていることしかできなかった。

 状況把握することができた人々は、皆共通して背筋が凍る思いでいた。

 というのも、彼らはほんの僅か前まで()()()()()()()()()()のだから。自分たちが何に喧嘩を売ったのか、ここへ来てようやく理解することができたのだから。


「……化け物め」


 オンコバ国国王の(つぶや)きは、熱波に巻かれてどこかへ(さら)われていったのだった。



 ◆◆◆



 午前十時三分、オレア共和国。


 焼失したオンコバ国首都を北上して国境を超えた彼は、途中にあった街を無視してオレア共和国の首都に到着していた。

 ここはフラクシヌス帝国とシプレス王国に接する山間部の多い小国。

 中でもとりわけ首都は数少ない高原にあるため、人口の密集度合いはかなり大きかった。


 そこでもオンコバ国と似た光景が映し出されていた。

 オレア共和国では、都市の頭上に掲げられたものが変わっていた。

 炎ではなく氷。球ではなく山であり、夏場の暑さの前ではむしろ涼しげがあっていいのでは? と現実逃避をしたくなる光景だった。

 首都の約三割にも及ぶ()()()()()

 オンコバ国で見た炎の球に匹敵する大きさのそれが、陽の光に照らされて幻想的な輝きを放っていた。


「――謝罪か死か選ばせてやる」


 ここでも同じく少年の声で選択を迫られる。

 まだ事態に頭が追い付いていなかったこの街も、すぐさま氷の波に押し流され、原型を留めないほど粉微塵にされていた。

 唯一残ったのは城壁にある門の部分だけで、それも壁が崩れた現状では、なんの慰めにもならなかった。


 オンコバ国同様、これといった警戒をしていなかったオレア共和国は、十分足らずで陥落する。

 ここでも死者の一人も出さず、建物の被害だけで済んでいた。


 初めて負傷者が現れたのは、西隣に位置するスタイラックス公国でのことだった。

 これまでの二国のように、対応が後手に回っていた公国政府だったが、一部の耳聡い官僚たちによって反撃が成された。

 彼らは空を埋め尽くすばかりの()()の中、都市を睥睨(へいげい)する少年に向かって攻撃を仕掛けていた。

 子飼いの私兵による魔法が大半だったが、彼の目の前にまで迫った飛翔物は、その(ことごと)くを雷に撃ち抜かれ、反対に放った者たちの四肢を貫いていた。

 途端に上がる苦悶(くもん)の悲鳴。

 手足の一本二本が吹き飛び血まで流す光景に、民衆の混乱は最高潮に達していた。


 いつその牙が己に向くのかと戦々恐々とした人々は、地に(うずくま)り涙を流しながら降伏を懇願する。

 それに対する答えとして、政府組織の建物を穿(うが)ち崩すだけに留めた少年は、雷の瞬きと共にその場を去る。

 残されたのは、耳をつんざく轟音と焼け焦げた建物の残骸のみ。

 底が見えぬほど深い穴は、その威力の高さを物語っていた。

 大きさは建物がすっぽりと収まる程度。それが関係各所に広がっていた。

 建物内にいた人々は、皆大広間の一角に集められる。

 彼らに恐怖と戦意喪失を植え付けたまま、さらに西へと進んでいった。



 ◆◆◆



 午後一時十二分、ギアンダ首都。


 ここは小国群の中でも唯一、他の大国の属国として存在している国だった。

 辺境の森に面し、宗主国と接するこの国の首都の前に少年が佇んでいた。

 濃密な魔力を纏いながらゆっくりと歩みを進める。

 その一歩一歩が終焉(しゅうえん)の鐘の音のよう。

 刻一刻と迫る破滅の時を前に、ギアンダの首都は異様な静けさに包まれていた。


 既に他三国の状況を伝え聞いていた首脳陣は、早々にかき集められるだけの戦力を集結させ、民衆の避難を蔑ろにしたまま迫りくる脅威に備えていた。

 城壁の上からは砲台や魔法使いたちが顔を覗かせる。

 上官の合図を、固唾を呑んで待ちわびていた。

 緊張で喉が渇きを訴える。

 無意識に伝う汗が、静かにそれを助長する。

 そんな兵士たちの目に、信じられない光景が飛び込んできた。


 歩く少年の元へ、一人の人影が音もなく迫る。

 彼の背後を取り、手に持った短剣が首筋へと突き立てられる。

 そこまでは彼らにも理解できた。

 ――頭が真っ白になったのは、唐突に少年の背後でその人影が潰されたことだった。

 彼らが見たのは、短剣が少年を捉える寸前、まるで知っていると言わんばかりに振り返り、襲撃者の顔を掴んで地面に叩きつけた光景だった。

 常軌を逸した反応速度で、尚且つ手首の動きだけで体がめり込むほどの威力を出した少年の膂力に、言葉を失う。

 反応速度や結果はまだいい。だが、腕も振らず、大男を地中深く埋めるなど、魔法以外では考えられないのだが、()()()使()()()()()()()()()()のが問題だった。

 備え付けの計器や己の感覚からしても、魔力の痕跡が見つからないという事実が彼らの脳を狂わせる。実際はそんなことはないのだが、身体強化すら使わなかったのではないかという疑念が渦巻く。

 混乱した彼らの元へ、一足飛びで少年が近づく。


「なっ――!?」


 号令を発する前に、少年の()()が放たれた。

 轟音を立てて崩れ落ちる城壁。

 城門から一直線に伸びた衝撃波が対岸の城壁まで届く。

 土煙が立ち込める。

 街を両断する形でまるで巨大なスプーンで掬ったように引かれた線が、その威力を示していた。

 瓦礫(がれき)の崩れる音以外、その場には音が存在しなかった。


 驚愕(きょうがく)する兵士たち。

 街に住まう人々も、あまりの光景に一歩も動けずにいた。

 そんな中、少年が言葉を発する。


「――まだやるか? やる気がある奴だけ武器を持て」


 その声は決して大きくはなかった。

 それでも波が引いたように武器を手放す人々が後を絶たない。

 僅かばかりの抵抗を見せた相手に対して、容赦するほどの優しさは持ち合わせていなかった。

 しばらく待っても未だ武器を持った人には、炎、氷、雷の巨大な針が一閃した。

 それにより、腕が飛んだ人もいたが、一切を無視して先を進む。

 彼の背中には悲鳴と畏怖だけが届いていた。



 ◆◆◆



 午後六時十八分、シプレス王国首都カプレサス。


 夕焼けが広がりつつある頃、ゆらりゆらりと歩く少年の姿があった。


 ギアンダ首都から一直線にカプレサスを目指していた少年だったが、シプレス王国に入ってからというもの、進路上にある街を、これまでの四か国の首都同様に潰して回っていた。

 時には炎、時には氷、時には雷、時には掌底で――。

 街の大小は問わず、道行く建物を須らく破壊し尽くしていた。

 建築物の被害は桁外れ。でも、人的被害はほぼ皆無という奇怪な状況のままに。


 そんな少年の姿はすでに満身創痍(そうい)

 傷こそなかったが、顔色はすでに土気色。額には脂汗も(にじ)む。

 その瞳は暗紫色に染め上がり、頬には涙が止めどなく伝っていた。

 ()()()()()でもなお、少年は歩みを止めない。

 これで最後と己を鼓舞しながら――。


 夕陽を背に立つ少年の先には、これまで以上に立派な城壁に囲まれた都市と、そこを守るように立ち塞がる軍人たちの姿があった。

 人数は今日対峙した中でも最多。

 配備された兵器の数々も、質や量で明らかに上回っていた。

 その集団から、一人の男が声高に宣言する。


「――貴様の悪行もこれまでだ! ここまでたった一人で成し遂げたことは、素直に褒めてやろう。だがしかし! カプレサスを最後にしたのは間違いだったな! そんな精疲力尽な状態で我々に勝てるなどと思い上がるではないぞ!!」


 男の言葉で軍人たちの士気も上がる。

 ここまでの惨状を生み出した人間相手に、よくそこまで吠えられると感心するほどだったが、それも()()()()()()()()()少年の姿故の強気なのだろう。

 そんな彼らに対し、虚ろな目の少年は息も絶え絶えに奥歯を噛みしめる。

 ゆっくりと閉じられた(まぶた)は、しばらくの間、上がることはなかった。

 周りの喧騒すら気にも留めない様子の少年が、再び目を見開く。


 (たちま)暗澹(あんたん)とした魔力が周囲を覆う。

 急な息苦しさを覚えた軍人たちが息を呑む。

 次第に胸を掻きむしり、泡を吹いて倒れる人々が続出した。

 魔力に耐性のある人であっても、まっすぐ立っていられぬほどの魔力の圧が都市全体を覆う。

 どこかで割れる音が鳴り響く。

 それを皮切りに、そこかしこで破裂音が上がる。

 魔道具のキャパを超えて核となる魔石が壊れた音なのだが、それに気付けた人はごく僅かだけ。そんな人々の耳に、パタパタと人の倒れる幻聴が聞こえてきた。


「なっにを――」


 彼らが音を確認できることもなく、続く魔力波で一人、また一人と昏倒していった。

 最後の一人が薄れる意識のなか目にしたのは、首都カプレサスの()()()()()()()()()()、沈んでいく光景だった。

 燃え盛る炎は空を妖しく照らし、広がる暗がりを紫紺に染めていた。


 気絶していた人々が目を覚ますと、そこはすでに真っ暗闇の中だった。

 唯一の光源が都市に灯る炎のみ。

 音もなく燃え尽きるまで、ゆらゆらと揺れ動いていた。


 炎が消し止められたのはそれから数日後の話だった。

 どんな魔法でも消せず、土や水を掛けても勢いが衰えなかったそれは、三日三晩、その場に残り続けた。

 首都カプレサスの落日は、都市の()()()()()()()()()()終えたのだった。



 ◆◆◆



 こうして、たった一人が巻き起こした戦争劇は、()()()()()()()で終わった。

 首都機能を崩壊させ、いくつもの街を更地にして……。


 物的損害は計り知れないほどだったが、それに反して人的損害はほぼ皆無と言っていいほどだった。

 死者は()()()()()()

 各国の国家元首とシプレス王国中枢の首脳陣だけだった。


 この日を境に、「悪鬼」の二つ名は畏怖の象徴となった。

 ――五つの国を地図上から消し去って。


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