60話 枯れ木の悲嘆
聖法歴1021年7月24日
「人使いが荒いのう……」
特徴的な肉厚の大剣を担ぎ、空に向かってぼやく。
白い吐息が寒空を揺蕩う。
眼下に広がる森の中、目的の人物を見つける。
彼にはすでに気付かれていた。
それでも、吐いた言葉に従って、その老兵は一歩踏み出す。
地を蹴り、その身を大空に晒す。
巻き上がる風が老体の骨身にこたえる。
豪快な音を立て着地した老兵は、土煙の中から標的に向かって声高に叫ぶ。
「――死合おうぞ、童!」
突然の物言いにも動じず、老兵に見据えられた彼は、その紅の瞳を緩やかに細めた。
戦いの火蓋が、今まさに落ちようとしていた。
「なぜお前と戦わなきゃいけない?」
「それはの、お主が我が戦友『無双』のイアンと最後に戦った男じゃからじゃ!」
獰猛に笑い掛けながら、その瞳を爛々と輝かせる。
その名を聞いた相手はぴくりと眉を動かす。
――老兵は嘘をついていない。
確かにそれも理由の一つではあったが、彼の戦う理由は他にもあった。
老兵を見据える紅玉は、胸を張り牙を剥いた荒々しい姿を映すだけ。その心の内までは見通すことができなかった。
揺れる黒髪。
投げ捨てられる吐息。
歪められた掌が、腰で構えられた。
「ハハッ!」
さらに持ち上がる口角が、老兵を肉食獣と錯覚させた。
「儂はゲオルグ・バーナー。――『剛腕』のゲオルグ、お主の前に立つ男じゃ!」
老兵の宣言と共に、幕が上がった。
◆◆◆
僅かに上体を傾けた途端、ゲオルグがゼインの眼前に迫る。
風を巻き込みながら大剣が頭上に堕ちる。
体を捻り、刃をギリギリで躱しつつ、倒れた姿勢から蹴りを放った。
「――ぬんッ!」
左腕で防ぐも、見た目に反した重さで苦悶を漏らした。
痺れる腕に気を取られた隙に音もなく忍び寄ったゼインへ、大振りの薙ぎ払いをして牽制する。
空中で地を蹴ったように跳ね、今度はゲオルグの脳天をかち割ろうとする。
「足癖が悪いのう」
打ち据えられた踵を片手で受け止め、もう一方の手でゼインの脚を掴む。
そのまま窪んだ足元へ振り下ろそうとして、その手が空を切る。
少年特有の細さですっぽ抜けたと勘違いしたゲオルグだったが、離れて立つゼインの両脚を確認すると、逃げられただけだと悟る。
「なぜ……」
「ん?」
「なぜ、俺を掴めた?」
ここに来て、初めて彼が微かに表情を変えた。
刺すように細められた眼差しはどこか苦々しげで、若干の混乱風味も混ざっていた。
対するゲオルグは飄々として、大剣を担ぎ直す。
「そりゃ生きとる相手なんじゃから、掴めるのも道理じゃろうて」
「……お前の殺気も意思も感じ取れなかった」
「勘に任せて戦っておるからのう。イアンの奴にも『何考えておるのか読めん』とよく言われておったからの」
快活に笑うゲオルグをゼインは能面のような表情に戻り、見つめていた。
そんな対極的な二人だったが、動き出しはまったく同時だった。
両者の姿がブレたと思ったら、大剣と掌底を交わらせる。
断続的に響く金属音。
ぶつかり合いの余波が辺りへ散っていく。
ゼインは接近する時間を減らし、一撃離脱ぎみに掌を交える。
ゲオルグは大剣を振り回し、合間を己が肉体で埋め隙を作らない。
両者共に激しく動き回る所為で、木々がなぎ倒され、大地が削れ、空が震える。
遠くで静観していた小動物たちが、慌てて逃げ出すほどだった。
周囲のことを一切気にしない二人は、これでもまだ様子見の段階。相手の手の内を探っているだけだった。
仕掛け始めたのはゲオルグから。
格闘戦だけでは埒が明かないと、土魔法を使いだす。
少し離れたタイミングで土流がゼインを襲う。
一瞥した彼は、すぐにゲオルグへ視線を戻し、迫りくる土の波を完全に無視した。
何を、と思う暇もなく氷漬けになる津波。
そのままゲオルグへ突撃した。
急接近するゼインに対し、体を隠すほどの土壁を生み出す。
回り込んだ先に、ゲオルグの姿はない。
魔力視で捉えた彼の居場所はその真上。
大剣を突き立て落下する。
飛び退いたゼインの足元、土壁と合わせて隆起した小さな段差が、彼の足を掬う。
態勢を崩しても顔色一つ変えない彼へ、大剣を振りかぶって袈裟切りにする。
風を切る音と共に空振った鉄塊は、地面を抉って動きを止めた。
憮然とした表情で大剣を担ぎ直すゲオルグ。
落葉のように降り立ったゼインを振り返り、その目をゆっくりと閉じた。
吐き出される小さな息。
再び顔を上げた彼には、落胆と憐憫がありありと浮かんでいた。
「――やめじゃやめじゃ! お主と戦っても、まったく心が動かされん!」
「は? 何を言って――」
「感情を押し殺してなんになる? 気もそぞろになるよりはマシじゃが、今のお主は死人も同然じゃぞ」
「……」
ゼインの気に障ったようで、僅かに顔を顰めてゲオルグを睨みつける。
その視線を痛痒も感じぬゲオルグは、なおも言い募る。
「何をそんなに生き急いでおるのか知らぬが、もっと心に余裕を持て。もっと周りに目を向けろ。――癇癪にばかり身を任せておると、そのうち本当に大切なものまで失うぞ」
「ちっ――」
忌々しげに舌打ちすると、ゼインは顔を背ける。
先ほどまでどこか無機質な反応ばかりだった彼が、ここへ来て、ようやく大きく表情を変えた。
「もし、どうしても八つ当たり先が欲しいのであれば――」
そんな彼に対して、ゲオルグは自らを指しながら破願して言い放つ。
「――儂にかかってこい! いつでも受け止めてやろう」
ゼインの瞳がゆるりと開かれる。
それを確認すると、ゲオルグは踵を返して彼に背を向ける。
「おい、どこへ行く! まだ終わってないだろ」
「ん? 此度の戦いは儂の負けじゃよ。お主の勝ちじゃ、勝ち」
「は?」
勝手に挑みかかり、勝手に負けて、勝手に去る。
ゼインが困惑するのも無理はなかった。
そんな身勝手な彼を見つめていると、道半ばで「おぉそうじゃ」と思い出したように足を止め、振り返った。
「もし、すぐにでも挑みかかりたいのなら、それでも構わぬぞ。――ただし」
屈託のない笑みを引っ込め、重苦しい濃密な殺気をまとったゲオルグが冷酷に言い切る。
「――死ぬ覚悟はしておけ。手加減はせぬ」
再びニカッと笑い、そのまま背を向けて歩き始めた。
彼の背を見つめるゼインは、結局その場から一歩も動かず。
ゲオルグがいなくなるまでずっと佇んでいたのだった。
◆◆◆
どこか人知れぬ森の中。
二人の人物が顔を突き合わせていた。
「――ぷはぁ。生きた心地がせんかったわい」
切り株に腰かけたゲオルグが大きく息を吐いて肩の力を抜く。
大剣は木に立てかけられ、鈍色の輝きを放っていた。
「お疲れ様です。彼、元気そうでした?」
藍色の髪を揺らした女性が、その赤みを帯びた黄色の瞳を細める。
「元気ではあったの。……あり余り過ぎて、捌け口を見つけられんかったようじゃがのう」
「そうですね。流石に、目に余りましたからねぇ」
彼女の言う通り、ここ半年ほどのゼインは、自身の鬱憤や不満を当たり散らすように戦っていた。
大規模な魔法主体で周辺の被害なんてお構いなし。
事態の収拾に奔走するセオドアやジョズたちが可哀想なほどだった。
このままでは手の施しようがなくなると、彼女がゲオルグに頼んで一喝して貰おうと依頼したのが、事の経緯だった。
「そう思うのであれば、お主が直接出向けばよかったであろう? ヴェロニカよ」
「残念ながら、私じゃ止まりませんよ。それに、大見栄切って意味深なことを言った手前、顔を出し辛いですからね」
「なんじゃ、それは……」
呆れ果てるゲオルグだったが、まぁいつものことかと頭をかく。
そんな二人は、しばらく情報交換という名の雑談をする。
落ちる夕日が彼らを照らすまで、話し続けていた。




