53話 幼き日の英傑 -下-
聖法歴1015年2月22日
万理道場のとある一室。
数人の男性が暗い部屋の中、揃いも揃って眉間に皺を寄せ、顔を突き合わせて沈鬱そうな表情を浮かべていた。
「そろそろ集会が迫っておりますが、次期宗主はどうされるおつもりですか?」
「うーむ」
問われた男性は現宗主ギャスパルだった。
彼は今年で五十二となるものの未だ壮健で、これといった持病や疾患があるわけでもなかった。
それなのに次期宗主の指名を迫られる……。それには如何ともしがたい理由があった。
「難しいのは承知の上。ですが、脈々と引き継がれてきた口伝は今年ですぞ」
「然り。『継承の儀』の準備もせねばならぬ。その者へ秘奥を伝える刻限も必要となれば、早いに越したことはないからの」
「我らはその覚悟はすでに済ませておる。後はお前さんだけだ、ギャスパルよ」
この中で一番年嵩の男性に委ねられ、ギャスパルは静かに目を開く。
「……私も覚悟はできております。しかし、これといった候補者が未だ定まらぬ状況です。今度の集会で、皆にも見定めて欲しいと思う次第です」
「やむなし、か……」
いくら宗主といえど、一人で背負うには重すぎる重責だ。
安易に決められぬとなれば、複数人で見極める他なかった。
「……どうして初代様はこんな宣託を残したのだろうか」
思わず一人が愚痴を零すと、皆一様に顔を顰める。
宣託の内容はごく一部の弟子たちにしか知られていない。
師範代であっても、知らない者のほうが多かった。
その内容とは“第二二三代目宗主まで万理道を受け継ぐこと”。
それだけならまだ普通の命令なのだが、その次の言葉が問題だった。
――二二三代目は、前宗主の二三年目に継承せよ。
ギャスパルが宗主になってから早二二年。
今年がその期限だった。
「『継承の儀』に関してだが、皆の身辺整理は済んでいるのか?」
「我は元より一人身故、問題ない」
「私もすでに終わらせ、後はその時を待つのみですぞ」
「恥ずかしながら、まだ少々済んでおりませぬ。それも、あとひと月ほどで終わりまする」
「……皆、済まぬな。私の力が及ばぬばかりに」
険しい表情を浮かべるギャスパルに、他の面々が鷹揚に頷く。
「我々は老い先短い枯れ木なれば、未来ある若人たちを残すのが必然。むしろ、その行く末のために身命を賭せるならば、幸甚の至りというものだ」
年嵩の男性の言葉に、他の男性たちも同意する。
「――かたじけない」
頭を深々と下げるギャスパルは、ぎゅっと唇を噛みしめるのだった。
◆◆◆
重苦しい空気を破るよう、年配の男性が話題を変える。
「それはそうと、最近は大変愉しみな童たちがいるとか」
「私も聞き及んでおりますぞ。なんでも、十に満たぬうちに門戸を叩き、一年で大人も斯くやという腕前に成長したとか」
「あぁ、ゼインとヘーゼルティンですな。彼女のほうは丁度十の時に入門しましたが、彼は確か六つだったとか。ゼインは理術が、ヘーゼルティンは体術が抜きんでており、そちらは覚醒状態と何ら遜色ない技量を身に付けておりますが、他方を不得手としておるので、未だ覚醒には至っておらずという状況です」
ギャスパルが簡単に説明すると、彼らは興味深そうな呻きを漏らす。
「八と十二でそこまで行くか……。これは将来が楽しみだのう」
「然り。できることなら、この目で見届けたかったですじゃ」
「ははははは。私共は空からでも見守りましょうぞ」
朗らかに笑う彼らとは裏腹に、ギャスパルの顔に陰が落ちる。
「……近頃、ゼインの住まう孤児院に不穏な空気が流れておりまして」
「何……、それは真か?」
「あくまでも噂ですがな。実態を調べさせましたが、埃は出てこず。それが一層怪しく感じまして……」
「火のない所に煙は立たぬというからのう。いっそのこと、引き取ってはどうか?」
「検討中です。それも、後継者が決まってからと――」
結局元の話に行き着いてしまい、何とも言えない表情をする男性たち。
彼らの密談は、この場以外の誰にも知られることはなかった。
◆◆◆
聖法歴1015年4月28日
この日、万理道場には多くの門下生が詰めかけていた。
その数は優に千人を超えていた。
それもそのはず。
この場には、万理道を修めた者のほぼすべてが集い、談笑に興じていた。
久方ぶりに会う門下生たちもおり、会話に花が咲く。
そんな彼ら彼女らを余所に、道場の一角、奥まった母屋の中で、十数人の男女が顔を向き合わせて重々しい雰囲気を漂わせていた。
外から漏れ聞こえる朗らかな声が、彼らをより張り詰めた空気にさせる。
ややあって現宗主のギャスパルが、静かに口を開いた。
「――これより、我が万理道場の行く末を左右する、大事な話し合いを始めるとしよう」
外へ情報を漏らさぬよう、部屋の中に結界を敷く。
音が外へと逃げないことを確認すると、次期宗主を決めるための話し合いが開始されたのだった。
◆◆◆
そんな、大人たちの事情を知らないヘーゼルティンは、一人自室で浮かれたように体を揺らす。
彼女の姿は普段の道着とは異なり、淡いピンク色のカーディガンに、滅多に履かない青色チェックのスカートという装いだった。というのも、今日は集会があるのでいつもの鍛錬はゼイン共々無し。そのうえ、なんと今日はヘーゼルティンの誕生日でもあった。
特別な日にタイミングよく鍛錬がないとなれば、二人が出掛けると決めるまで、あっという間だった。
外で落ち合ってもよかったのだが、折角門下生が集まったタイミングということで、二人の顔見せを行ってから出掛けるようにと言われていたのだ。
ちょっとだけ口を尖らせたヘーゼルティンだったが、クレールをはじめとする女性門下生たちが「迎えに来てもらうのもいいわよ? 何なら私たちでおめかししてあげるから」と言われたことで、目に見えて嬉しそうにした。ゼインのほうも男性陣から色々とアドバイスを貰っていた。
そういう経緯で、一度道場にゼインが訪れて皆に顔見せした後、二人揃って遊びに出掛けることにしたのだった。
ゼインが来たら、クレールが呼びに来る手筈になっている。
彼が来るまで、ヘーゼルティンは自室で今か今かと心待ちにしていた。
外の喧騒は上機嫌な彼女の耳には届かない。
今は、目の前の扉が開かれることだけが楽しみだった。
しばらくすると、その扉がおもむろに開かれる。
彼女は現れた人物に、手を引かれながらついて行くのだった。
◆◆◆
ゼインは時間通りに孤児院を出発した。
ここから道場までは歩いて約二十分。
子供の足ではそのぐらいだったが、そんな彼が孤児院を出たのは約束の時間の一時間前。それには理由があった。
彼が足を向けるのは街中のとあるお店。それはパルミエの街の入り口に程近い、大きな花屋さんだった。
「すみませーん!」
「はい、どうしたの坊や」
店員の女性がゼインの声に気付き、腰を曲げる。
目を合わせた彼は、少しだけもじもじとしながら、お花をくださいとお金を差し出す。
「どんなお花がいいのかな? 名前は分かる?」
「えっと、名前は知らない」
「そうなの。じゃあ、どんな色がいい?」
「白! まん中が黄色のやつ」
「じゃあ、このあたりかしらね」
ゼインの要望を聞き届けた女性がいくつかのお花を並べて見せる。
花の形だけは知っていたのか、脇目も触れず一つの花を指差した少年に、誰へプレゼントするのかと尋ねた。
「……えっと、お姉ちゃん」
「そうなの。誕生日なのかな?」
「うんっ」
満面の笑みを浮かべる彼に、女性は選んだお花を丁寧にラッピングしていく。
あまり大きくはないけれど、少年にとっては大きな花束をそっと手渡した。
「頑張ってね!」
「ありがとう、お姉さん!」
駆け出しそうになる背中に、気を付けてと叫び、手を振って見送った。
青い空には大きな雲が流れていた。
◆◆◆
異変に気付いたのは、ほんの些細なことだった。
次期宗主候補を挙げ連ね、それぞれの候補者を選別している最中、ギャスパルはふと、外の音が聞こえなくなったと気が付いた。
こちらの音を遮断しただけで、外の音は微かに聞こえていた。それが、いつの間にやら全く聞こえてこなかった。
彼の様子に気付いた他の面々も、彼同様、違和感を抱いた。
外で何かあったのかと疑問に思った師範代の一人が、断りを入れて扉を開く。
それでもなお、音は届かない。
声すらないとは如何なものかと、一度、会議を中断して外へと赴いた。
彼らの疑惑は、すぐさま確信へと変わる。
目に飛び込んできた光景に、彼らは遅きに失したと悟るのだった。
◆◆◆
ゼインが道場を訪れたのは、その少し後だった。
彼の手には花束が抱えられ、これからの予定に心弾ませていた。
長い長い階段を上り、門をくぐった先には、崩れた道場の姿があった。
「え……?」
変わり果てた道場の様子に、理解の追い付かないゼインはただただ立ち尽くす。
視界に映るのは、壊れた家屋、砕かれた石畳、そして――赤い水溜まり。
それが何なのか、ゼインは必至になって目を逸らす。
手に持った花束を無意識に握りしめ、道場内を駆けだす。
行き先はただ一つ。
ただそこだけを目指して……。
がむしゃらに走っていたゼインの目に、とある光景が不意に現れる。
それは、見慣れぬ男に組み敷かれる少女の姿だった。
「ゼ……イン……、にげ――」
「ん? ――おぉ、まだこんなところに人がいたとはな」
男がゼインに気付くと、立ち上がって彼を睥睨する。
そんな男には目もくれず、ただ唖然として少女を見つめる。
「ヘーゼ、ねえちゃん……」
言葉と共に、ゆらゆらと少女の元へ歩み寄るゼイン。
その生気の抜けた様子に、男は肩透かしを食らったように息を吐いた。そのまま、何を思ったのか、少年の様子を眺めていた。
「ヘーゼ姉ちゃん……」
「ゼイン……。ごめん……ね」
力なく囁くヘーゼルティンにそっと触れたゼインは、ただただ涙を流すばかり。
彼女の体温が失われつつある現実を、彼は受け入れられなかった。
「……ねぇ、ゼイン……。おねがい……が、ある……の……」
「ヘーゼ姉ちゃん――!」
彼にはどうすることもできず、ただ名前を呼ぶだけ。
そんな少年に、少女は最期のお願いを呟いた。
「……わたしを、ころして――」
「え――?」
始め、彼女の言葉が理解できず、ただ茫然自失とするばかり。
次第に咀嚼できたものの、今度は駄々っ子のように泣き叫びながら、いやいやと首を振るゼイン。
そんな彼に、ヘーゼルティンは弱々しい笑みを浮かべながら、そっと頬に手を添える。
「……おねがい。わたしを……あなたのものにして……。――ね、ゼイン?」
最期の最期、頬に触れる手が、今にも崩れ落ちんとばかりに震える。
彼女の顔も、どんどん色を失い、土気色に変わっていく。
体を支える左腕に、徐々に重みがのしかかる。
歯ぎしりの音が聞こえた。
大きく振りかぶった右腕は、叫びと共に振りぬかれる。
――未だ生暖かさの残る彼女を感じながら。
ふっと力なく地に臥す掌。
流れる朱が足元に広がる。
見下ろす彼女の顔は、穏やかな微笑みを浮かべ、その頬を光るものが伝った。
呆然自失とするゼインの耳に、不協和音が投げかけられた。
「チッ、期待外れだったな。これで覚醒すれば、少しは足しになると思ったが、そう上手くはいかないか」
そっと彼女を横たえたゼインが、ゆらりと立ち上がる。
男をゆっくりと振り返ると、幽鬼のような目を向けて低い声を出した。
「――お前がやったのか」
「ん? あぁ、そうさ。この道場の奴らは俺のために死んでいったのさ」
「――なぜ、そんなことを」
「お前は餓鬼だから知らないだろうが、万理道ってのは、同門を殺すことで力を奪うことができるんだよ。で、力が欲しかった俺は、ちょうどいいから全員殺ったって訳だ」
口角を吊り上げる男に、ゼインは再び彼女に視線を戻した。
「……ぁ」
「んあ? まぁ、お前らみたいな初期状態の奴らは、いくら殺したところで足しにもならんがな。生かしておいても面倒だからな。まとめて始末しただけだ」
「……せいだ」
「はぁ、ぼそぼそ言ってないではっきりしたらどうだ? 命乞いか? それとも、俺に責任転嫁でもするってのか? はっ、よえぇお前らが悪いんだよ」
「……よわいせいだ」
「そうそう。お前が弱い所為だよ」
「――ぼくが、よわいせいだっ!!!」
吠えるようなゼインの慟哭と共に、辺り一面を理力の波が襲う。
彼を中心とした波は、周囲の建物を吹き飛ばし、されど彼女は足元に留めたままだった。
男も堪らず距離を取り、目の前の光景に口元を引き攣らせた。
「……ははっ、一気にすっ飛ばして昇華するたぁ、予想外も甚だしい」
まだ白の残る赤紫色だったが、あれは紛れようもなく昇華状態の理力だった。
何百と門下生を手に掛けてきた男だからこそ、見間違いようがなかった。
そんな予期せぬ状況ではあったが、男は口元を歪めてほくそ笑む。
「……こいつを殺りゃあ、俺はさらなる力を得られるッ!」
獰猛な笑みを浮かべた男だったが、視界の端で動く人影を見つけ、悪態をついた。
「――チッ、死にぞこないの老人が。あのままくたばって、俺の養分になってればよかったものを」
男の視線の先、ゼインの遥か後ろには、地に臥したまま力なく上体を起こしたギャスパルの姿があった。
「ゼ、イ……ごふッ――」
名前と一緒に血反吐を吐き出す。
恐る恐る視線を落とすと、彼の胸はすでに穴が開いていた。
明らかな致命傷――。
そのはずなのに息を吹き返した事実が、ここへ来て、彼に宣託の意味を理解させた。
(――すまぬ、ゼイン。この重責を背負わせてしまうことを。しかし、こうでもせぬと、お主の身が持たぬ――)
最期の力を振り絞ったギャスパルは、一つの理術を発動させる。
淡い水色の光に包まれた彼は、瞬く間に跡形もなく消え失せた。
残された水色の煌めきは、道場全体を覆って渦巻き、ゼインへ吸い込まれるように流れ落ちる。
滂沱の雨が瞳から降りしきる中、次第にそこへ生気が宿っていった。
目まぐるしく変わる状況の中、男が盛大な舌打ちをした。
「――チッ、ジジイが、余計なことをしやがってッ。素直に俺に『継承の魂珠』を譲ればよかったものを。手間かけさせやがってッ!」
悪態の言葉で男を再認識したゼインが、その双眸で彼を見据える。
瞳孔の開き切った眼。
その瞳には、すでに男は映っていなかった。
「舐めやがってッ!」
男が理力を滾らせ、構えを取る。
迸るのは濁った水色と、指を伸ばした“立夏の構え”。
対するゼインは、赤紫色の靄を纏い、歪な“白露の構え”を取る。
折り曲げられた指はかぎ爪のように僅かに開かれ、まるで、何かを掴んでいるようだった。
「ハンッ! 基礎もなってない餓鬼が、粋がるな!」
気炎を吐いて吶喊する男。
力強い踏み込みで、目にも止まらぬ速さで駆け抜けた。
「ゴハッ――」
結果はゼインに胸を貫かれ、血を吐き出す。
ゼインは男の理術も体術もすべて見破り、ただ目の前まで迫った男に左手で掌底を放ったのだった。
そのまま腕を振って遠くへ投げ捨てる。
起死回生の一手を目論んだ男だったが、次の瞬間、もうすでに遅すぎたと悟る。
貫かれた胸には少年の腕が突き刺さったまま。
理力で出来た模型は、形を失い、男の体へと侵入していく。
「あ――」
男の断末魔はそれだけだった。
内部から、体力も、内臓も、精神も、――理力に至るまで。
そのすべてをずたぼろにかき乱され、一瞬にして命を落とした。
倒れる男を歯牙にもかけず。
ゼインは二度とその男を振り向くことはなかった。
◆◆◆
万理道場から迸る、尋常ならざる魔力の波動を検知した駐在員が駆け付けたのは、全てが終わってからしばらくしてのこと。
到着した彼らが目にしたのは、荒れ果てた道場跡地と、その傍らで泣く少年の姿だけだった。
少年は、少女の遺体を抱きかかえたまま悲しみに暮れる。
駆け付けた彼らは、徐々に足音を強くする雨に打たれる他なかった。
――こうして、隆盛を誇った万理道場は、一日にして終焉を迎えた。
たった一人の若人を残して――。
◆◆◆
「曇天、か……」
空を覆う雲は、少しずつ翳りを増す。
なにもない、ただ広大なだけのここには、少々気が滅入る空模様だ。
先ほどの来客も、二言三言交わして空となって消えた。
またいつもの惰性が襲う。
「仕方ない――」
眼を開くのはまだ先だった。
瞑目してその瞬間を待つ。
今はただ、一筋の光を望んで――。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
このままの勢いで、次の幼少期偏に移ろうかと思います。
そちらも3話を予定していますが、長さの関係で、もしかしたら+1話になるかもしれません。
なお、次はかなり鬱屈とした話になりますので、苦手な方はタイトルに「◆」のついた「後書き」だけご覧ください。そちらに要約を入れますので。




