45話 秘密裏な取引
前回は私事で投稿を一回スキップしました。
楽しみにして頂いていたのに、申し訳ありませんでした。
聖法歴1021年1月7日
ゼインとヴェロニカは、二人揃って静かな夜道を歩いていた。
場所はソール連邦首都サリクス。
明かりも持たず、人気のない道を進んでいた。
しばらくして辿り着いた先は、厳重な警備を敷かれている大きな建物。
外部からの侵入を防ぐための魔道具や監視員があちらこちらに見受けられた。
「お願いします」
「あぁ」
短いやり取りだけで、二人の姿はその場から消え失せた。
後には何事もなかったかのような沈黙だけが残されていた。
◆◆◆
コンコンッ――。
夜も遅い時間。
日中から建物で働く人々の姿はほとんどなく、夜間警備の人員がそろそろ館内を巡りだす頃合いで、予期せぬノックが聞こえてきた。
手元の資料から顔を上げたセヴランは、顔を顰めて考える。
「はて、こんな時間に面会の予約はなかったと思っておったが、わしがボケてしまったのかのう」
韜晦するように独り言を呟く。
彼の秘書兼護衛の男性は、困惑した顔でセヴランに指示を仰いでいた。
連邦議員として、他人から疎まれることも数多ある。それが最高会議議長を務める身となれば尚更のことだった。
それでも、面と向かって暗殺に来る輩は今のところいなかった。
刺客か、常識知らずの阿呆か、はたまた陳情という名の袖の下を欲する強欲者か――。
いずれにせよ、招かれざる客であることは間違いなかった。
コンコンコンッ――。
再び叩かれる扉。
今度は回数が一度増えたことで、常識知らずと取ったセヴランは、扉を開けるよう伝える。
面倒だと思いつつ顔を取り繕っていると、瞳に映った人物に思わず目を見開いた。
「やぁやぁ、お久しぶりで~す」
緊張感のない声を上げて入ってきたのは藍色髪の女性と黒髪の少年だった。
「なぜ貴女がここに……?」
女性が意味ありげに微笑むと、彼の質問には答えず用件を口にする。
「彼のことはご存じですか? この子に議員の資格を与えてくれませんかね」
唐突な要望に顔を顰めつつ、女性が紹介する少年に視線を向けた。
どことなく見覚えのある少年だったがなかなか思い出せず、喉元まで来ているのだが、頭の中でピースが一つ欠けた、そんな印象があった。
もやもやとした気持ちのまま、ひとまず話を進めることにしたセヴランが女性に向き直る。
「貴女のお願いといえど、そう容易く増やすことは出来ぬのです。それと、今現在、連邦議員の区割りはどこも埋まっておるので、担当区を空けない限り、増やすことは難しいのですじゃ」
「えぇ、だからこそお願いしているのですよ」
事情を心得たうえで要求していると話す女性に、内心首を傾げる。
それならば、彼女の要求がどれだけ無茶なのかも知っているはずだ。
担当区を複数持つことは議員にとって重要なことだ。票数そのものに変化はないが、会議での発言力に大きく関わってくる。
その議員の背後に多くの市民がいるとなれば、挙げられた嘆願等を慎重に対処せざるを得なくなる。議員とは、数多くいる市民たちの代弁者という位置づけだからだ。
己が欲や利益のために提案する議員もいるが、明らかな発言以外、検討や精査の対象になるのだから考えものだった。
そんな議員の資格を少年に与えるなど、はっきり言って論外だった。
セヴランが口を開いて言い募ろうとしたタイミングで、女性が声を被せてくる。
「――彼の担当区は、オーギュストの場所にしてください。最低でも、キノト区は含めるように」
女性の口から出た名前に、セヴランは動きを止める。
隣の少年も、ぴくりと僅かに体を動かした。
「……それは、彼も了承しているのかね」
先ほどよりも低い声が発せられた。
「了承も何も、彼、死んじゃいましたから」
「は?」
何てことのないように告げる彼女の言葉で、セヴランの脳はフリーズした。
気配を消して静観していた彼の秘書も同様で、目を見開いたまま固まる。
少年はすでに知っていたのか、動じた様子もない。
「はて……、わしの聞き間違いかのう。あのオーギュストが負けたと聞こえたのだが――」
「聞き間違いじゃないですよ、お爺ちゃん。それに、負けたんじゃなく、死んだんですよ~」
現実から目を背けようとして、女性が優しい声音で人を食ったような物言いをする。
思わず手を顔に当てて、空を仰ぎ見る。
ゆっくりと息を吐きだし気持ちを落ち着けてから、改めて女性を見据えた。
「……それは、いつのことじゃ」
「四日ほど前ですね。――そちらの愚かな部下の一人が、犯罪組織と結託し罠に嵌めて」
抉るように話す彼女の瞳は、何の感情も宿していなかった。
部下の一人と言っているが、セヴランの派閥や子飼いという訳ではなく、単に彼が連邦の最高会議議長だから、女性がそう表現しただけだった。
彼が亡くなったのであれば、彼女の要求も頷ける。彼が担当していた区域が丸々空くのだ、後釜は誰かしら必要であろう。
それを目の前の少年にする意図は不明だが、彼が亡くなった原因を秘密にするからと、暗に強請っていた。
「そうであれば、貴女でもよいではないですかな。年端もいかぬ無名の少年よりは、よっぽど健全であろう」
「あぁ、私もすぐに行方をくらます必要がありますから、それは無理な相談です。それに彼、知名度は結構あると思いますよ」
女性が表舞台から姿を消すことにも驚いたが、隣の少年が名声を持ち合わせていたことのほうが衝撃は大きかった。
改めて少年に注意を向ける。
背格好は一五〇あるかないかぐらい。
身なりはお世辞にも裕福には見えなかった。よくいる一般市民の子という印象以上のものはない。
黒髪も、珍しいと言えば珍しいが、そこまで特徴的という訳でもない。
そこまで確認して、ふと少年の瞳を捉える。今までは伸ばしっぱなしの前髪で隠れて見えなかったが、僅かな切れ目からその双眸の輝きを目にした。
色は血のような鮮やかな紅――。
「彼はもしかして――」
「ご想像の通り、この子はゼイン。――『悪鬼』の二つ名持ちですよ」
彼女の言葉でセヴランは目一杯、瞳を見開く。
噂では白髪赤目と聞いていたせいで、すぐさま彼と認識できなかった。
登場から三年も経たず、齢十三にしてランクS-にまで登り詰めた英傑。
ソール連邦では約二百年ぶりにして、史上最年少の「十傑」。
良くも悪くも話題に事欠かない、頭の痛い異端児。
彼の後始末に奔走するオーギュストやミスルト教国のセオドア・ルカンが度々目撃され、不憫だとの声が上がるほどの問題児。
連邦議会でも彼の扱いには困っていたのだが、枷の一つが失われたと聞いてセヴランは無意識に手を腹に添えた。
「彼、政治とかにあまり興味はないみたいなので、戦争に対する独自裁量権さえ持てればそれでいいみたいです」
「……よりにもよって、厄介なものを」
「心配には及びませんよ。そちらでおおよその凡例を作ってもらえれば、それに沿うぐらいやってくれますよ。彼が欲しているのは、戦いの後の身軽さですから」
女性の話す独自裁量権とは、議員資格を有するものに与えられる一種の特権で、新たに発見した資源や戦いで得られた物資の取り決め等を自由に決められる権利だった。もちろん、埒外な契約を結ぶことは不可能だが、それでもかなりむしり取ることはできる。
議員本人が戦えることは稀なので使う機会が少ないのだが、”ランクS-の英傑が持つ”となると話が変わってくる。それが問題児扱いされている人物では尚更のことだ。
どうしたものかとセヴランが考えていると、今まで黙っていた少年が口を開く。
「その議員の仕事とやらに興味はない。他の権利や特権はすべてお前にやる。代わりに、俺の足を引っ張るな」
冷たく言い放たれた言葉。
少年特有の高めの声にもかかわらず、腹の底に響くような気迫があった。
睨まれた訳でも、圧を掛けられた訳でもないのにも関わらず、セヴランは喉の渇きを感じた。
「ほら、本人もこう言ってることですし、下手な人に任せるよりはいいんじゃないですかね?」
彼女の意見ももっともだった。
オーギュストは議員としても優秀で、後ろ暗いことはほとんどなく、仕事内容も明瞭さを心がけていた。他の議員に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらい立派な人物だった。そんな人の後釜は、生半可な人では難しく、下手に一から公募するとなると、汚職議員の台頭や派閥争い等、波乱が予見された。
目の前の少年はあくまで繋ぎとして、時間を掛けて候補を見繕うのもありかもしれない――。そう、セヴランは考えていた。
長い長い沈黙の後、彼は静かに口を開いた。
「……よかろう。少年――ゼインをオーギュストの後釜として議員にし、担当区もそのまま引き継がせることとする。ただし、立場はあくまで客員連邦議員。実権はほとんどなしじゃが、独自裁量権は与えよう。後で渡す凡例に沿って対応するように」
「決まりですね。――じゃあ、私はしばらく顔を出せませんので、彼のお世話はよろしく頼みましたよ」
そう言って、部屋を出ようとする女性。
彼女の態度から、厄介ごとを押し付けられたかと渋面を浮かべたセヴランだったが、少年の声ですぐに顔を引き締める。
「――待て。最後に答えろ、ヴェロニカ」
「何ですか?」
振り返った女性は、きょとんとした顔で首を傾げていた。
「お前、何をする気だ?」
今までにないほど真剣な面持ちで女性を見つめる少年。
彼女は倒していた顔を元に戻す。
しばし無言で視線を合わせていた。
ふと、女性が目を閉じ、ゆっくりと瞳を開いた。
黄金の双眸が妖しく光る。
「――もちろん、暗躍ですよ」
答えにならない答え。
話す気はないと悟った少年は、鼻を鳴らしてそっぽを向く。
そのまま彼女は退出していった。
気まずい沈黙が訪れる。
何と話しかけたものかと、頭を悩ませるセヴランに、少年がぽつりと声を掛けた。
「……俺も帰る。どのぐらいで準備できる?」
言葉数少なく尋ねられた内容を、一拍置いて理解することができたセヴラン。
ややあって、大まかな目算を立てた。
「……三日後、また顔を見せてもらえるかのう」
「わかった」
その言葉を最後に、少年の姿も目の前から消えた。
ゆっくりと息を吐き椅子に背を預ける。
「……新年早々、仕事が山積みじゃのう」
彼の独り言に、秘書の男も同感だとばかりに頷いた。
◆◆◆
どこかの影。
光がなく、何も見えない暗闇の中。
一人の女性が独白する。
「――大丈夫、ちゃぁんと、後で教えてあげますから」




