44話 悲嘆からの置き土産
聖法歴1015年8月15日
その日、とある街が地図から姿を消した――。
◆◆◆
フラクシヌス帝国の北西に位置する街、ニンフェア。
夏の暑い日差しが降りしきる中、一人の少年が街を闊歩していた。
金色の短髪が光りを浴びてキラキラと照り返す。
深く落ち着いた色合いの橙色の瞳がくりっと開かれていた。
恰好は半袖半ズボン、元気な盛りの少年といった印象だった。
「リオン、大荷物ね。片方持ってあげる?」
「あ、タリア姉!」
その少年の後ろから、藤色をした長髪の少女が声を掛ける。
彼女は長い髪を緩めの一つ結びにし、肩の前に下ろしていた。
服装は薄手の半袖チュニックに、落ち着いた色合いのパンツスタイル。
恰好も相まって大人びた印象を与える少女だったが、向日葵のように鮮やかで大きな瞳が子供らしさを強調していた。
そんな少女に少年が犬のように近づく。
「姉ちゃんは学校の帰り?」
「そうだよ。リオンはおつかいの帰りかな。学校はどうしたの?」
「今日は午前だけだった」
少年の両手に抱えた買い物袋を半分持ちながら、二人は帰路につく。
他愛のない会話をしつつ、家の前に辿り着いた。
「ありがとう、姉ちゃん」
「ううん。私も、一人で帰るより楽しかったから」
言いながら少女は手を振って隣の家へと入る。
少年も手を振り返し、地面に置いた荷物を再び抱えながら自宅に足を踏み入れた。
◆◆◆
少年――タリオン・ルーガーは今年で十歳。
近くの学校に通いながら将来帝国軍に入るべく、日夜特訓に励んでいた。
彼の魔法適正は重力魔法。
珍しい部類だったが、魔力を持つ者の二十人に一人ぐらいの割合だった。
「いいなぁ。私も魔力があればよかったのに」
タリオンが魔力適性を測った後、幼馴染――タリタ・アスターはそうぼやいた。
魔力は誰しも持っているものだった。
しかし、一般に魔法が使えるレベル――魔力総量が百越え――を持ち合わせていないと“魔力を持っている”とは言わないのである。
そんな少女は四年前の検診で測った際は、おおよそ二十。一般的な魔力量だった。
対して、タリオンは約二千とすでに中級者レベルの魔力量を有していた。
将来を有望視され、彼はうきうきで幼馴染の少女へ真っ先に報告した。
彼女は少しだけ羨ましそうに眉をひそめたが、すぐに笑顔を浮かべ、おめでとうと告げる。
「僕がタリア姉ちゃんを守ってあげるから!」
好意を抱く年上の女性に見栄を張るためか、胸を張ってカッコつけるタリオン。
微笑ましげに見つめながら、少女は明るく答えた。
「その時はお願いね」
その笑顔が、少年の脳裏に深く刻まれた。
◆◆◆
家に戻ったタリオンは、いつも通りダラダラと過ごしていた。
今日の晩御飯は何かと考えながら、何をして遊ぼうかと思いを馳せる。
真夏の暑さに辟易しながら、冷たいお茶を一気に飲み干す……そんな些細な日常。
いつも通りの日々が続くと思われた――その時までは。
ウーウ、カンカンカン――。
けたたましい音が街中に鳴り響く。
何事かと戸惑う間もなく、街を重苦しい空気が呑み込む。
街の人々は異変に気付くも時すでに遅し。
急激な魔力濃度の変化に体が追い付かず、その場に倒れ伏す人が続出した。
そんな中、タリオンは無事に動き回ることが出来た。
彼の他にも数人がこの環境下で行動を許されていた。
「ねえ、どうしたの!?」
道路へ飛び出し、倒れるご近所さんに駆け寄るタリオン。
彼は顔を真っ青にし、口も利けないほどぐったりとしていた。
返事がないとみるや、他の人へ同じように尋ねる。
残念なことに、タリオンはこのサイレンの意味を知り得ず、ただ慌てふためいて時間を浪費してしまっていた。
皮肉なことに彼は、サイレンが鳴ったら大人の指示に従うようにと言い含められており、当時家には両親が不在だった。
鳴らされた警報の意味は、魔境の侵食警報――大恐慌の発生だった。
流石のタリオンも、何人もの大人が倒れているのを見て、ようやく自分で動き出した。
その行先はまっすぐ自宅へと進み、隣の家まで来てしまった。
「お姉ちゃん! タリア姉ちゃん!」
扉を蹴破る勢いでお邪魔したタリオンは、少し前に挨拶したばかりの少女を探す。
よく遊んでいたこともあり、彼は迷わず家の中を進む。
彼女の部屋に到着すると、他の大人たち同様、少女も青い顔をして倒れ込んでいた。
「お姉ちゃん!!」
「……リ、オン?」
薄っすらと目を開き、弱々しく呼ぶ少女。
彼女を抱きかかえると、その手の冷たさにタリオンは驚きを隠せないでいた。
「なんか、街中変なんだ。お姉ちゃんも具合悪そうだし、何が起こってるの……」
「……にげ、て」
精一杯振り絞った声。
何とか聞き取れたタリオンは、訳も分からず、されどその指示に従った。……少女を背負いながら。
彼女としては、一人で逃げて欲しかった。――この後に来る厄災歴1015年8月15日
その日、とある街が地図から姿を消した――。
◆◆◆
フラクシヌス帝国の北西に位置する街、ニンフェア。
夏の暑い日差しが降りしきる中、一人の少年が街を闊歩していた。
金色の短髪が光りを浴びてキラキラと照り返す。
深く落ち着いた色合いの橙色の瞳がくりっと開かれていた。
恰好は半袖半ズボン、元気な盛りの少年といった印象だった。
「リオン、大荷物ね。片方持ってあげる?」
「あ、タリア姉!」
その少年の後ろから、藤色をした長髪の少女が声を掛ける。
彼女は長い髪を緩めの一つ結びにし、肩の前に下ろしていた。
服装は薄手の半袖チュニックに、落ち着いた色合いのパンツスタイル。
恰好も相まって大人びた印象を与える少女だったが、向日葵のように鮮やかで大きな瞳が子供らしさを強調していた。
そんな少女に少年が犬のように近づく。
「姉ちゃんは学校の帰り?」
「そうだよ。リオンはおつかいの帰りかな。学校はどうしたの?」
「今日は午前だけだった」
少年の両手に抱えた買い物袋を半分持ちながら、二人は帰路につく。
他愛のない会話をしつつ、家の前に辿り着いた。
「ありがとう、姉ちゃん」
「ううん。私も、一人で帰るより楽しかったから」
言いながら少女は手を振って隣の家へと入る。
少年も手を振り返し、地面に置いた荷物を再び抱えながら自宅に足を踏み入れた。
◆◆◆
少年――タリオン・ルーガーは今年で十歳。
近くの学校に通いながら将来帝国軍に入るべく、日夜特訓に励んでいた。
彼の魔法適正は重力魔法。
珍しい部類だったが、魔力を持つ者の二十人に一人ぐらいの割合だった。
「いいなぁ。私も魔力があればよかったのに」
タリオンが魔力適性を測った後、幼馴染――タリタ・アスターはそうぼやいた。
魔力は誰しも持っているものだった。
しかし、一般に魔法が使えるレベル――魔力総量が百越え――を持ち合わせていないと“魔力を持っている”とは言わないのである。
そんな少女は四年前の検診で測った際は、おおよそ二十。一般的な魔力量だった。
対して、タリオンは約二千とすでに中級者レベルの魔力量を有していた。
将来を有望視され、彼はうきうきで幼馴染の少女へ真っ先に報告した。
彼女は少しだけ羨ましそうに眉をひそめたが、すぐに笑顔を浮かべ、おめでとうと告げる。
「僕がタリア姉ちゃんを守ってあげるから!」
好意を抱く年上の女性に見栄を張るためか、胸を張ってカッコつけるタリオン。
微笑ましげに見つめながら、少女は明るく答えた。
「その時はお願いね」
その笑顔が、少年の脳裏に深く刻まれた。
◆◆◆
家に戻ったタリオンは、いつも通りダラダラと過ごしていた。
今日の晩御飯は何かと考えながら、何をして遊ぼうかと思いを馳せる。
真夏の暑さに辟易しながら、冷たいお茶を一気に飲み干す……そんな些細な日常。
いつも通りの日々が続くと思われた――その時までは。
ウーウ、カンカンカン――。
けたたましい音が街中に鳴り響く。
何事かと戸惑う間もなく、街を重苦しい空気が呑み込む。
街の人々は異変に気付くも時すでに遅し。
急激な魔力濃度の変化に体が追い付かず、その場に倒れ伏す人が続出した。
そんな中、タリオンは無事に動き回ることが出来た。
彼の他にも数人がこの環境下で行動を許されていた。
「ねえ、どうしたの!?」
道路へ飛び出し、倒れるご近所さんに駆け寄るタリオン。
彼は顔を真っ青にし、口も利けないほどぐったりとしていた。
返事がないとみるや、他の人へ同じように尋ねる。
残念なことに、タリオンはこのサイレンの意味を知り得ず、ただ慌てふためいて時間を浪費してしまっていた。
皮肉なことに彼は、サイレンが鳴ったら大人の指示に従うようにと言い含められており、当時家には両親が不在だった。
鳴らされた警報の意味は、魔境の侵食警報――大恐慌の発生だった。
流石のタリオンも、何人もの大人が倒れているのを見て、ようやく自分で動き出した。
その行先はまっすぐ自宅へと進み、隣の家まで来てしまった。
「お姉ちゃん! タリア姉ちゃん!」
扉を蹴破る勢いでお邪魔したタリオンは、少し前に挨拶したばかりの少女を探す。
よく遊んでいたこともあり、彼は迷わず家の中を進む。
彼女の部屋に到着すると、他の大人たち同様、少女も青い顔をして倒れ込んでいた。
「お姉ちゃん!!」
「……リ、オン?」
薄っすらと目を開き、弱々しく呼ぶ少女。
彼女を抱きかかえると、その手の冷たさにタリオンは驚きを隠せないでいた。
「なんか、街中変なんだ。お姉ちゃんも具合悪そうだし、何が起こってるの……」
「……にげ、て」
精一杯振り絞った声。
何とか聞き取れたタリオンは、訳も分からず、されどその指示に従った。……少女を背負いながら。
彼女としては、一人で逃げて欲しかった。――この後に来る厄災を学校で習っていたから。
伝えようにも、彼女の体がそれを許さない。
魚のように口をパクパクさせるだけで、言葉として音を発することはなかった。
その間にも、タリオンは少女を背に抱えたまま、街中を走る。
道すがらすれ違う人々は、近所の大人同様、誰もが倒れている。
状況を聞こうにも、呻き声すら聞こえない状態ではどうしようもなかった。
街の中心部に来たものの、似たような酷い有様で、どこへ行けばいいのか判断がつかない。
迷っている少年たちの元に、突然、大きな音が聞こえてきた。
助けが来たのかも――。
少年の淡い期待は、すぐさま破られることになった。
彼の目に映るのは、建物を壊す魔獣の群れ。
普段は群れない獣たちが、新たな縄張りと豊富な餌を求めて街に群がる光景だった。
「なんなんだよ、これ……」
少年の悲嘆の叫びは、誰も答えることが出来なかった。
そこからどうしたのか、彼は記憶にない。
ただひたすらその場から逃げ出し、あてどなく街中を彷徨い走った。
行けども行けども、悪夢は終わらず。
繰り広げられる惨状から目を背けて。
街から出るという発想は、この時の少年には存在しなかった。
やがて、街中どこにも安全な場所がなくなった。
あるのは瓦礫と死体と魔獣だけだった。
◆◆◆
「はぁ、はぁ、はぁ……」
荒い息が零れる。
逃げていた少年たちもついには追いつかれてしまった。
目の前には涎を垂らした魔獣が迫る。
大口を開け、食い千切らんとばかりに鋭い牙が輝く。
もうだめだ――。
諦めかけたその刹那、少年が前のめりに倒れ込む。
慌てて後ろを振り向くと、少女が静かに微笑み、涙を浮かべていた。
声にならない言葉を紡ぎ、最後の力を振り絞って少年を助けた少女。
「タリアね――」
彼の言葉が途切れてしまう。
僅かに伸ばした腕が空を切る。
生暖かい何かを全身に浴びた少年。
その正体を理解するまで、かなりの時間を要した。
浅くなる呼吸。
早鳴る鼓動。
歪む視界。
在りし日の約束を守れなかった己に失望し、目の前の悲劇を生み出した魔獣を恨み、何より、無知で無力なこの体を呪った。
「あ、ああっ、あああああああああ――!!!」
慟哭が辺りに木霊する。
声に釣られて続々と魔獣が集まってくる。
食事をしていた魔獣も顔を上げ、彼に気を取られていた。
逃げ場を完全に失った少年。
そんなことを気にもせず、ただ一人地面に泣き崩れる。
彼に向かって凶牙が迫る。
一口で呑み込めそうな魔獣が、その体に牙を突き立てて咀嚼しようとした。
ガキンッ――。
何かの折れる音がした。
始め、誰もその音の正体に気付くことはなかった。
ややあって、一匹の獣が喚きだす。
周りの魔獣も何事かと視線を向けた先、食らいつこうとしていた魔獣の牙が、すべて折れていた。
翻って少年に視線を戻すと、彼は服に穴は開いていたが、体は無傷で怪我一つなかった。
状況が理解できない魔獣が彼に殺到する。
噛みつき、引っかき、押し潰し――。
手を替え品を替え、数多の攻撃を浴びせるも、少年に傷一つ付けられず、かえって己の肉体が損傷するばかりだった。
それでも魔獣は攻撃の手を止めない。
なぜなら、彼の魔力があまりにも美味しそうで、他にかまける余裕がなかったからだった。
皮肉なことに、目の前で親愛なる少女を食い殺された少年は、その身に余るほどの力を開花させ、魔獣の興味を一手に引きつけていたのだった。
結局それ以降、魔獣による被害は出ず――。
駆け付けた帝国軍が魔獣を掃討するまで、少年はその群れの中で孤独に打ちひしがれていた。
◆◆◆
あれから三年後。
十三歳になった少年は逞しく成長した。
身長は一七〇に迫る勢いで、体つきも程よく筋肉がつき、精悍な顔つきをしていた。
その眼差しは力強く、過去の憂いを感じさせない。
「タリオン、準備は良いか?」
「はい、イアンさん――いえ、ダレス教官」
両親を失った後、少年は目の前のロマンスグレーが映える元軍人の彼に拾われ、育ててもらっていた。
彼のいる帝都グリフィシーに移り住み、彼の元で戦いの術を学んでいた。
そんな少年も、今は軍人養成学校に通う身。
そこで少しでも早く軍人となり、多くの人々を助ける……そんな英傑になるために、日々邁進していた。
今日は養成学校の定期試験の日。
この結果如何によって、実地訓練への参加の有無が決定する。
「そう焦るな。普段通りに行動できれば、お前なら問題ない」
「……はい、頑張ります」
緊張に弱いのは今に始まったことではない。
最近はよくなったが、昔は目も当てられないほどだった。
過去のトラウマがそう簡単に克服できるものではないか、とイアンは内心ため息をつく。
言葉の代わりに頭に手を乗せ、乱暴にかき乱す。
「なに、心配はいらぬ。お前は強い。多少躓いたところで、すぐに立ち上がれると、儂は考えておる」
見上げるブロンズの瞳が大きく見開かれる。
あまり褒め言葉を言わない彼に、少年の心が上向きになった。
「はい、頑張ります!」
先ほどより力強い声と共に、少年は一歩前に進むのだった。




