40話 盾の在り方
聖法歴1020年1月17日
バーチ共和国首都ベチュラ近郊の魔境。
今日は副官の一人であるクラリスを同伴して、ここに赴いていた。
待ち合わせ時間の五分前。
私たちの目の前に、二人の人物が突然姿を現した。
「すまない、待たせてしまったようだね」
そのうちの一人、背の高い男性――オーギュストが眉を少しだけ曲げて謝罪した。
彼の背丈は私と同じか、少し低いぐらい。
綺麗な黒髪に赤みがかった黄色い瞳をした、知的な雰囲気を漂わせる、そんな男だった。
「私の性分で早めに来ていただけだから、気にすることではない」
「そう言ってくれると助かるよ」
そう言いながら、私の隣にいるクラリスに目を向ける。
「初めまして、お嬢さん。私はオーギュスト。ソール連邦の執行官を務めている」
「此方こそ、お初にお目にかかります。私はクラリス、第二騎士団に所属しております。――貴方のお噂はかねがね。団長からも、優秀なお方と伺っております」
「ははは、セドリックが大袈裟に伝えているだけですよ。私はしがない執行官ですから」
オーギュストが謙遜を口にする。
クラリスも、冗談だと知りつつ、笑って相槌を打っていた。
二人の挨拶を尻目に、もう一人の同行者は興味無さそうに明後日の方向を向いていた。
「ゼイン少年、元気だったか?」
先月見たときよりは背は伸びた気がするが、まだまだ年齢の割に小さめだ。
一三〇ぐらいだろうか。私の腰ぐらいまでしかない。
顔立ちが幼く、真っ白な髪も肩まで伸び放題なため、中性的な印象があった。
彼は私を一瞥すると、すぐに視線を外して無言を貫いていた。
そんな態度を見咎めたクラリスが、眉をひそめる。
「すまない、彼はちょっと無愛想でね。気を悪くしないで貰えると助かるよ」
「私からも、少年の態度は許してやって欲しい。……事情があってな」
「……お二人が気にされないのでしたら、私からは何も」
澄ました顔になるクラリスだったが、内心はあまり良く思っていないのは明白だ。
ひとまず少年を紹介したオーギュストに追従し、本題に移ることにした。
◆◆◆
「今日呼んだのは他でもない。先月の約束を果たそうと思い、この場を設けた」
本当であれば発案者であるセオドアも呼ぶつもりだった。
しかし、彼も多忙の身。予定が合わずに欠席していた。
それでも、当初の目的である“私の戦い方を見せる”ために、二人には来てもらった。
少年だけでも良かったのだが、彼が私の話を聞いてくれるかは甚だ疑問だった。
オーギュストも忙しいだろうことは想像ついたが、話を持っていくと都合をつけてくれたようだ。
……本当に、少年を育てていたのだな。
この時の私はそう再認識した。
「わざわざすまないね」
「いや、先月は顔合わせだけで終わってしまったからな。こちらこそ、二度手間で申し訳ない。――とりあえず、二人には護衛対象役で同行してもらう。戦闘は私が行うから、好きに見てくれ」
補助だけでも手を貸そうか、とのオーギュストの申し出を断る。
有難いが、そのためにクラリスを連れて来た。
「クラリス、いつも通りに頼む」
「承知しました」
魔力で剣や盾、鎧を生み出しながら彼女に声を掛ける。
二つ返事で彼女も魔法を使った。
リーン――。
澄んだ鈴の音が響く。
私とオーギュストが淡い青色の魔力に包まれる。
この光が残っている間は、少しの身体強化と微弱な回復効果が付与される。
彼女の込めた魔力量によって人数や効果範囲が変わる。
これが彼女の支援魔法、「清らかな鈴の音」。
まだランクB+だが、周りからは「澄鈴」とも呼ばれている。
彼女は私と同じく、魔力で鈴を生み出して魔法を使うタイプだ。
専ら支援役に務めていたが、彼女自身も戦えなくはない。
ただ、“鈴の音”という性質上、集団戦には向かない。だから支援に徹し、自ら戦うことはあまりない。
そんな彼女が不可解そうにゼイン少年を見つめる。
己の支援が届かなかった所為だろう。
「――少年もセオドアのように、支援が効かない人間だ」
言外にそれ以上の詮索を拒む。
彼女も理解して、小さく頷くにとどめた。
そのまま魔境の奥深くへと足を踏み入れた。
◆◆◆
まだ定期掃討の時期ではないとはいえ、魔境の中には魔獣がそこかしこにいた。
十分も歩かないうちに、新たな魔獣に遭遇するのは当たり前。
下手をしたら、戦い終えた後すぐに襲いかかってくることすらあった。
私は数体の魔獣を一蹴して先へと進む。
こんな小者相手では、お手本にならないだろうから。
魔境に入って早一時間。
かなり奥のほうまで侵入した。
途中、何度かクラリスが魔法をかけ直したおかげで、大した消耗なく辿り着けた。
そんな私たちの目の前に、大型の熊の魔獣が姿を現した。
四本の手足がすべて地に着いた状態で、私の二倍近い高さに頭があった。
立ち上がれば、更に倍になるのではないかと思えるほどの巨大な魔獣だった。
「団長」
「今日はこれで終わりにするから問題ない」
心配するクラリスを余所に、私は不敵に笑った。
少々骨の折れる相手ではあるが、後のことを考えなくて済む分、余裕はある。
これが連戦前提の場合なら、数の暴力で消耗させたのちに私が止めを刺す必要があるだろう。
今回の趣旨に背くが、オーギュストの手を借りるというのも手ではある。
彼女はきっとその提案をしかけたのだ。
「少しはいいところを見せないと、な」
自分に言い聞かせるよう、そんな言葉を吐く。
やれやれと言いたげに、クラリスが肩を落とす。
それでも鈴の音を響かせてくれるのだから、有難い。
「いくぞ!」
声を上げながら、魔獣に挑みかかった。
様子見なんてちゃちな真似はしない。
爆速で正面まで移動すると、右手の剣を相手の鼻っ面に振り下ろす。
寸でのところで魔獣は顔を逸らしたが、熊の頬に大きな傷を残す。
怒りの咆哮を上げ、私を睨みつける魔獣。
――ヘイトは私に向いている。後はじっくりと料理するだけだ。
私の予想とは裏腹に、目の前の魔獣は首を巡らせて、三人に向かって何かを吐き出した。
「チッ、特殊攻撃持ちか!」
悪態と共に、三人の目の前まで戻る。
真っ向から防ぐのは悪手とみて、ぶつかる瞬間大盾を横に払うように動かして、大半をあらぬ方向に吹き飛ばす。
地面に落ちた体液は、焼け焦げたような音を立てる。
私の盾も一部が焼け爛れていたが、魔力を注いで修復する。
「大丈夫かい?」
「ああ。ただ、厄介な魔獣のようだから、あまり時間を掛けられない」
オーギュストに答えながら、剣の種類を変える。
今までは取り回しと扱いやすさを考えてバスタードソードにしていたが、今は相手に合せて刀身の分厚いグレートソードに変更した。
多少の動き難さはあるが、相手がそこまで機敏な動きを出来ないとみて、こちらにした。
顔や手足の動きは滑らかだが、体全体はその巨体故、方向転換や急発進、急停止が難しいようだった。
現に、酸液を吐き出した後、私に向かって手で払いのけをしていたが、魔獣の体の横に躱した後の追撃が全くなかった。
今ものそのそと動きながら、こちらに向き直っているところだ。
こちらからまた仕掛けてもいいが、お手本を見せる手前、カウンターで決めたほうがいいだろう。
私の心を読んだ訳ではないだろうが、熊の魔獣は突進の準備に取り掛かる。
……流石にあの巨体を真正面から受け止めるには、距離が足りない。いなしてもいいが、そこは「守護」の名折れ。私の面目躍如たる活躍を見せる他ない。
魔獣が地を蹴る。
それに合わせ、私も数歩前に躍り出る。
巨体が迫りくる。
大口開けて私に噛みつかんとする。
相手の咆哮と、私の雄叫びが重なる。
「おおおおぉぉぉぉ――!!」
衝突の瞬間、身体強化にも具象化にも全力で魔力を注ぐ。
片脚を地面にめり込ませ、右手の剣も地面に突き刺す。
力と力のせめぎ合い。
相手の膂力に私の体が後退する。
地面に線を描いていく。
最後の瞬間、ぶつかり合う盾に魔力を一点集中させた。
「グオォォ――」
巨体が宙を漂う。
四肢も地面から離れ、動くことは叶わないだろう。
その隙を私が見逃すはずは無い。
「――これで仕舞いだ」
盾や鎧を消し、グレートソードだけを両手で構え、巨熊の首を断つ。
断末魔もなく、魔獣は命を落とした。
私の地面に作った軌跡は、始めに立っていた場所で止まっていた。
◆◆◆
「お疲れさま、セドリック」
「すまん、あまり格好のいいところを見せられなかった」
あの後、魔境の入り口まで戻った私たちは、しばし休憩を取っていた。
魔力が枯渇するほどの消耗はしなかったが、無理した所為で左手が今なお痺れていた。
幸い、帰り道では小者しか現れなかったので、盾は使わず、剣だけで対応できた。
今はクラリスの小言を聞きながら、オーギュストに回復してもらっている最中だ。
「少しは参考になればいいのだが」
「守りを専門にする英傑は、数が少ないからね。有名なところだと、君か帝国の『双璧』か、教国の『王座』かってところだろうしね」
フラクシヌス帝国はソール連邦と戦争中だから論外だ。
ミスルト教国の彼は、どちらかと言えば支援役だろう。
確かに障壁も張るが、そこまで強力じゃないと聞く。
謙遜も混じっているだろうが、彼の真骨頂はその強化によるところが大きいのだから、少年とは相性が悪い。
それらを鑑みて、私に話を持ってきたことは理解できる。
もう一人の友人、「軍勢」のレイフも守護においても強力な力を有しているが、彼の魔法は特殊過ぎて参考にならないだろう。
私の具象化魔法もあまり一般的ではないが、やっていること自体はそこまで特殊なことではない。
ほかで代用できそうなものばかりだ。
最後に見せたあれも、魔力を一点に集中させ、反転を付与しただけだから。
一瞬しか効果を発揮できないうえ、ある程度勢いを削がないと上手く跳ね返せないので使いどころが難しいが、それでもなかなか有用な手の一つだ。
守りと一言に言っても、物理的に守るだけではない。
攻め続けることによって相手の動きを制限するのも、また一つの形だ。
私が示せるのは、そういった可能性だけ。
どうするかは少年次第だ。
「ゼイン少年、一つだけ面白いものを見せてあげよう」
最初と違い、私に視線を向けるようになった彼に、話しかける。
興味を持ったのか、僅かに色づいた眼差しを私に向ける。
内心で微笑ましく思いながら、私は盾を作って構える。
「好きに一撃を放ってみなさい」
あえて挑発するように笑う。
そんな私をオーギュストも静かに見守っていた。
考える素振りを見せた少年だったが、とことこと近づいて、左腕を持ち上げた。
かっ、と指を折り、少年は掌底を放った。
「――っ!?」
私の盾に触れた瞬間、少年は弾かれたように手を引き戻した。
……凄いな。一瞬で見抜かれてしまった……。
内心、驚きつつも、余裕の笑みを浮かべる。
「残念。そのまま腕を振り切っていれば、絡めとれたのに」
私がやったことは、盾を柔らかくして突き抜けた腕を捕まえる、一種の無力化方法だった。
少年は触れただけでそれに気付き、すぐさま手を離した。
魔力視でも捉えられないようになっているため、かなり気を遣う手法だった。
「これも一つの小細工だが、それなりに使い道はあるものだ」
少年は私の言葉を聞きながら、己の手のひらを眺めていた。
そのまま私は魔法を解除する。
「奥の手の一つではないのかい?」
揶揄うようにオーギュストが質問する。
彼にはお見通しのようだったが、私は見栄を張り、敢えてこう答えた。
「いいや、ただの小細工だ」




