37話 魔界の暗躍
聖法歴1022年6月2日
「初めまして、セオドア・ルカン様。私、シモーナと申します」
約束の時間、黒い影から現れた女性は礼儀正しく頭を下げた。
部屋には私の他に、メイジーがいるだけだ。
「こちらこそ、魔王様の側近にお会いできて光栄です。私のことはセオドアとお呼びください。――こちらの自己紹介は不要のようですし、早速本題に入りましょう」
テーブルへと席を勧めながら、私は話を切り出した。
「そうですね。お互い時間もないことですし、手短に行きましょう」
彼女も彼女で、何かを気にしているらしく、私の提案を素直に受け入れてくれた。
話が早いのは本当に助かる。こちらもあまり余裕がない。
先走りそうな一人を何とか宥めすかしているけれど、どれだけ持つことやら……。
今月末までは持ちこたえて欲しい。それまでに準備を整える必要があるのだから。
そんなことを考えていると、彼女が口を開いた。
「先にお伝えした通り、魔界からお願いが一つありまして。――まずはこちらをご覧ください」
手渡された資料に目を落とす。
数人の悪魔の名前と位階、簡単な特徴が羅列されていた。
その中の一人には赤い二重丸が付いていた。
「そちらはとあるリストでして。……結論から言いますと、そこに記されている悪魔は生け捕りにして欲しいのです」
思わぬ要請に顔を顰める。
ただでさえ強力な悪魔を生け捕りにするなんて、難易度がかなり跳ね上がる。
問答無用で命を取ったほうが楽なのは、向こうだって承知の上だろう。
そのうえでこのお願いとは、何か私の知らない秘密が隠されているはずだった。
「どうしてでしょう?」
「殺してしまうと、魔界も貴方たちも大変困った状況に陥ってしまうからです」
含みのある言い方に、静かに首を傾げる。
彼女はそれだけで意図を汲み取ったようで、説明を続けた。
「……あまり大っぴらに出来ない事情なのですが、セオドア様が人類の守護者に就かれていることを鑑みて、打ち明けます」
……私としては、そのような大仰な立場に就任した覚えはないのだけれど、近頃はまことしやかに囁かれているようだった。
あまり嬉しくはないのだけれど、それで民衆の気が安らぐのであれば、致し方ない。
私の苦悩を察しているらしく、シモーナ女子は苦笑いを浮かべていた。
きっと彼女も、人間側の代表者に話を付けたがっているのだろうね。本来なら、別の――彼に伝えたいのかもしれないけれど、悪魔である彼女が言うには説得力が足りないと感じているようだった。
――仕方ない。先生から託されたのだから、最後まで全うするとしよう。
「信頼してくれてありがとうございます。秘密は、私と、そこにいる私の右腕である、メイジーだけの胸の内に留めておきますよ」
「お気遣い感謝いたします。――その秘密とは、悪魔の“位階”についてです。失礼ですが、位階をどこまでご存じですか?」
彼女の言葉にしばし思い悩む。
私も、悪魔についてはそこまで詳しくない。
オーギュストから聞いたことがほとんどで、他は文献や伝聞でぽつりと知っているだけだ。
「……そうですね。位階は悪魔固有の能力を指し示す、一つの名札のようなものと聞き及んでいます。どの悪魔であっても、必ず一つは持ち得る特別な称号。そして、固有の魔法が使え、その魔法は魔界にある『穢れ』に対して浄化の能力を発揮するものだと。同じ位階は複数存在せず、譲渡もできず遺伝するものでもないと。……あとは、地上界に来るときに申請して登録しなくてはならないことや、地上界で尋ねられたら答えなくてはいけないルールが課されているとも聞いていますが、今はあまり関係ないですよね」
「よくそこまでご存じですね。……失礼ながら、あなたの博識さに驚いています」
「はははは、お褒め頂きありがとうございます」
目を丸くする彼女に、苦笑いを返す。
ほぼオーギュストからの受け売りだから、これぐらい知っていてもおかしくはない。
「……そこまでご存じなら話は早いですね。セオドア様のおっしゃるとおり、同じ位階は存在しません。これは、保持した対象が生きている限り有効なのです」
彼女の話したいことが見えてきた。
そこで説明を打ち切っても文句は言われないだろうに、彼女は義理堅くも、もう一つの情報を私たちに与えてくれた。
「逆に言えば、位階を持った悪魔が命を落とすと、別の新たに生まれる悪魔にその位階が引き継がれてしまうのです」
つまり、今回リストにあった位階持ちの悪魔を次の世代に引き継がせたくないのだろう。厄介な位階を犯罪者に封じ込めて、新たな悪魔に擦り付けるような真似を良しとしない、そんな思いで。
それだけなら、まだ魔界側の問題だけだ。
私としても、出来ることなら新たな命にそんな重責は負わせたくなかったが、ことと次第によっては、こちらの損害が大きくなるだけだ。
その辺りを明確にしておく必要はあるだろう。
「どの悪魔が引き継ぐかは選べないのですか?」
「残念ながら。それと、位階を得るのは成人後――つまり、地上界に出た後になります」
思わず渋面を浮かべてしまった。
悪魔の通過儀礼として、地上界に足を運ぶというのがある。
ここまではオーギュストから聞いていた。社会見学の一環として、魔獣を討伐するためと。
そういった一面もあるにはあるけれど、一番の目的は位階を得ることにあったらしい。
詳しくシモーナ女史に聞くと、悪魔は地上界の魔境にいる魔獣を一定数倒すことで、位階を獲得できるらしい。
夢の中で前任者の記憶の断片を垣間見ることができ、それを以て継承される。
記憶の断片も、その魔法の扱い方ぐらいしか覗くことはできないそうだけれど、時折、戦っている場面を見ることもできるそうだ。
それを考えれば、可能性は低いとはいえ、犯罪者の記憶の一部を引き継いだ新たな宿主が、また私たちに牙を向く可能性があるということだった。
悪魔の寿命を考えれば、私たちの代の負の遺産を、子孫に押し付ける形となってしまう。
流石にそれは許容できない事情だった。
「……なるほど、確かに大っぴらにできない事情ですし、私たちも窮地に立たされてしまいますね」
魔界の「穢れ」が浄化できないことによる弊害も、以前オーギュストから教えてもらっていた。
なんでも魔界が汚染され尽くすと、三界のバランスが崩れ、世界が崩壊してしまうらしい。
「穢れ」というのは、世界に満ちた澱やら生物から生まれる負の感情やらの凝集体のようで、耐性のない生き物は悉く朽ち果て、それに汚染された場所は生きることが適わなくなるそうだ。
下手に悪魔を悪者扱いし、排斥してしまうと、そうした未来が待っている。
それも許容することは出来ない。
――なるほど、今回の戦争の主眼が間違っていたようだ。
どこでこちらの情報を知ったかは分からないけれど、慌てて魔界から連絡を取ってくるわけだ。
「一つ確認させてください」
「なんでしょう?」
私の真剣な眼差しを受け止め、シモーナ女史も顔を引き締めていた。
「この情報を数名に話しても構いませんか?」
「……出来れば内密でお願いしたいです。悪魔が爪弾きにされるのは、避けたいもので」
「もちろん心得ていますよ。……ただ、説明しないと納得しない人が一人、こちらにはおりまして……」
あわよくばとも思ったけれど、作戦の要でもある彼には話しておかないと不味い気がする。
向こうの戦力を考えれば、彼を外すのは絶対にありえない。
彼女も思い当たったのか、「あー……」と声を漏らしながら、視線を明後日の方向に向けていた。
「……戦いの後まで、何とかなりませんかね?」
「残念ながら」
私は静かに首を振る。
それにしても、なぜ戦闘の後であればいいのだろうか……?
湧き上がる疑問をそのまま口にする。
「――実は私も存じ上げないのです。魔王様から“戦争が終わるまでは伝えてはいけない”と名指しで言われておりまして……」
困惑顔の彼女も、魔王様の真意を測りかねているようだった。
なんとなく、藍色の髪をした彼女の陰が思い浮かんだ。
それでもよく分からないままだ。
彼女の行動自体、謎に包まれているから仕方がないのかもしれない。
自分の中で考えをまとめると、静かに言葉を紡ぐ。
「――わかりました。できるだけ内緒のまま推し進めます。……もしかしたら、ギリギリになって止める必要があるかもしれませんが」
「こちらも注視しておきます」
シモーナ女史と最後に握手を交わす。
彼女は、来た時の逆再生をするように、影に沈んでその場からいなくなってしまった。
こうして、私と魔界との密約は交わされた。




